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ちょっと頭をひやそうか
この本の作者は理系、ということもあってか、
書籍の中で、
ドリルを使って穴をあけるのにもいろいろなテクニックがある。
その中で、摩擦で熱くなったものに対して、
冷却材を使って、冷やす技術がある、と述べている。
そのことを通して、作者は、
どんな物事も、熱くなりすぎず、時には「頭を冷やして」
「冷静にやるように、十分な準備をすることを必要である」と語っている。
老湯♨も、この年になっても、突然の自分に対する、
直接的な不満、悪意、マイナスのことを向けらたり、ぶつかったり
すると、頭がかっとなり、
冷静に対処できないことがある。
ものに当たってしまったり、母国へ帰りたくなったり、
時には、人生をも考えることがある…..
ではどうすれば、作者の言うような、
「冷静にやるように、十分な準備」をし、
急に怒るのを抑えることができるのか??
思えば、
老湯♨は人からの評価にかなり、敏感なのかもしれない。
1人っ子で育てられ、他人との比較になれてなく、
もし、自分が他人より、優れていない、「劣る」という評価を受けるのを恐れいている。
そうならないために、頑張っているのかもしれない
小学校の時、老湯♨は縄跳びが得意で、小学校2年生から、
小学校5年生まで、
ずっと前まわし飛びと、二重回し飛びの2種目で、学年1位を獲得していた。
毎年、縄跳び大会が迫ると、練習を重ね、
1位になるために、努力するのだ。
最初のうちは、1位を取れることの達成感で、
頑張っていたのだが、だんだんと、周りから、
また老湯♨が1位か~という、「当たり前感」や「使命感」を感じるようになり、
毎年、毎年、どんどん、
プレッシャーが増え、
緊張しながら大会に臨んでいた。
そして小学校6年生の縄跳び大会で、
前まわし飛びでは1位になったのだが、
二重回し飛びで、同級生の友達に初めて負けてしまった。
回数的には300回以上を飛んだので、例年なら1位になれる数字だが、
その友達は、さらに、多くの回数を飛び、
老湯♨から1位の座を引きずり降ろしたのであった。
負けてみると、あっけない感じで、確かに、
老湯♨が負けたということで、ちょっと、周りがざわついたが、
数時間後には縄跳び大会のことをみな忘れ、
老湯♨に負けたから、どうの、と言う人はいなくなった。
老湯♨自身は負ける前、もし負けたら、どうしよう?
学校に普通に来れるかな?
大変恥ずかしい気持ちになるんじゃないか?
と思っていたが、いざ負けてみると、とくに、
何もなく、逆に、
縄跳び大会がこれで終わり、
大会前の緊張がなくなったとうことで、
晴れ晴れとした世界が広がったような気がした。
小学生老湯♨は結果にこだわりすぎていたのかもしれない。
もっと気楽に、世の中をとらえ、
自分のすべきことに打ち込んでいれば、
他人からの評価なんて気にすることはない。
確かに、他との比較というものは、
自分を奮い立たせることができるが、
それに、執着しすぎるのは、いけない。
一番のライバルは自分自身で、
自分自身を高めることが一番大事。
「冷静にやるように、十分な準備」をする
もし何か嫌なことがあったり、言われたりしたとき、
比較することをを辞め、自分をより見つめなおすチャンスと思って、
その言葉、出来事を考えることによって、
実は、金言になったり、貴重な体験になったり、するんだなと
このフレーズをみて、
啓発された老湯♨であった。