新たな朝と、仕事
がばっ!
「はっ!寝坊した!?」
透は飛び起き、反射的にスマホを探し――すぐにその手を止めた。
「……ここ、日本じゃないんだった」
藁を詰めた布団の寝心地は悪くはないけれど、やっぱり身体が少し痛い。
薄暗い小屋の中に、時計もカレンダーもない。聞こえるのは風の音と、どこか遠くの鳥の声。
「……とりあえずコーヒー……」
口に出した瞬間、またしても現実が背中にのしかかる。
「……って、ないのか」
昨日の残りの、味気ないパンを食べ終え、腕をまくった。
「とりあえず……部屋の掃除かな?」
薬草らしき干からびた束や、埃をかぶった瓶が並ぶ棚を丁寧に拭いていく。
小屋の隅には古びた箱があり、ふと開けてみると、何冊かの本やノートのようなものが出てきた。
「……お、何これ?図鑑? 薬草の本とか?」
ぱらりとページをめくる。ところが。
「……読めない?」
不思議な記号のような文字が並ぶ。 日本語でも英語でもない。意味どころか、どこが単語の区切りなのかもわからない。
(……話せるのに、文字はわからない?こういうのって文字だって読めるものじゃないの?)
頭を抱えていると、外から「おーい」と声がした。
昨日の夕方に案内してくれた、ジークだった。
「はよ。どう?寝れた?」
「うん、まあ。ちょっと固かったけど……ありがとう。えっと、あの……この本、読める?」
手に持った本を見せると、ジークは苦笑いした。
「文字? そんなの読めるやつ、ここにはほとんどいないんじゃね?」
「え……?」
「ここじゃあ、読み書きなんかしなくても生きていけるしな。」
ジークは棚のほこりを指でぬぐって、肩をすくめる。
「字を覚えてるのは、村長とか長老くらいかねえ。あとは……たまに来る行商人くらいか」
ジークは本を覗き込んで、すぐに肩をすくめた。
「俺にはさっぱり。そもそも、読んだことないし」
文明のギャップに、言葉を失う。
(読み書きって、当たり前じゃないんだ……)
本を箱に戻していると、ジークがぽりぽりと頭をかいた。
「なあ」
「うん?」
「おまえ、いつまでいるのか知んねえけど……ここにいるなら、なんか手伝えよ?」
唐突な言い方に、少しびっくりする。
「え? あ、うん……できることがあれば」
「別に俺はどうでもいいけどさ。おばちゃんたちに目ぇつけられたら、めんどくせえぞ」
彼は肩をすくめ、やれやれという顔で外を指さす。
「この村、あんがい目ざといんだ。“働かねえ若いの”ってだけで噂になるからな。異国の服着てる女が、ふらふらしてるだけって思われたら……」
「怖いことになる?」
「怖いっつーか、面倒。口が達者だからな、あの人たち」
(あー、ね)苦笑しながらうなずいた。
「なるほど……じゃあ、何か手伝えること、あるかな。掃除と洗い物くらいしか得意じゃないけど」
「じゃあ、水汲みでも頼もうかな。場所、わかるか?」
「……わかんない」
ジークはちらりと空を仰ぎ、小屋の入口へと足を向けた。
「……俺はこれから仕事あるから」
「うん、ありがとう。いろいろ教えてくれて」
立ち去るのかと思いきや、彼はふと振り返って続けた。
「水汲みは子どもたちの仕事なんだ。来いよ、子どもたちに紹介してやる」
「えっ」
返事をする間もなく、ジークはすたすたと歩き出す。
慌てて後を追いながら、口を開いた。
「いいの? なんか……突然行っても変に思われない?」
「気にすんな。あいつら、変わったもん好きだから」
木々の合間を抜け、村の奥へと進んでいく。
やがて小さな広場のような場所に出ると、木桶を手にした子どもたちが数人、賑やかに話していた。
「よう。こいつ、新入りな」
突然の紹介に、子どもたちは興味津々の目でこちらを見てくる。
「このお姉ちゃん、外から来たんだって!」
「服、変なの!」
「なんかヒラヒラしてる!」
「変なのって……」
思わず苦笑いがでる。
ジークは透の全身をじろじろと見て、ふっと鼻を鳴らした。
「確かに、その格好じゃ力仕事なんかできそうにないな」
「……あの、傷つくんですけど」
「そりゃ悪かったな。けどそうだろ?」
言いながら、ジークは肩にかけていた袋から何かを取り出した。縄と、少し使い古した木桶。
「とりあえず今日はその格好でやってくれ。夜までに、服用意しておいてやるから」
「えっ、いいの?」
「終わったら、その格好でもできそうなことを探しとけ。掃除でも干し物でもなんでもいい」
ふいと顔をそらす。
「村にいるなら、“何かできるやつ”って思わせとけよ。第一印象が大事だからな」
そう言って、ジークはスタスタと歩き去っていった。
ぽかんとジークを見送った後、ふっ、と笑いが出た。
「なんか……ツンデレ系村人?」
まだ不安はあるけれど、少しだけ、ここでの暮らしに馴染めそうな気がした。