稀人と、小屋
ずんずんと、村の奥に歩いていく。
この老人は存外体力があるようだ。
「村長のやつは物言いはアレだが、悪いやつでねえよ」
前を歩く老人がぽつりと言う。
“物言いはアレ”って怖いのかな?ただでさえ振り絞っている勇気が隠れてしまいそうだ。
「ここじゃ」
さすがは村長の家。質素ではあるもののしっかりした作りだ。
ここに来るまでの家よりは立派だ。
「おう、じいさん。どうした?」
中から低めの声がする。
「迷いびとがきよってな、ここまで案内したんじゃ。」
「はあ?こんな場所に迷子だあ?」
四十代くらいに見える、しかめっ面の男と目が合う。
「何だあ、この黒髪。ここら辺の人間か?」
眉をひそめて、男――村長がこちらを見つめる。その視線に、思わず肩がすくんだ。
「どこから来た。言葉はしゃべれるのか?」
一気に問いかけられて、答えに詰まる。
「……わかりません。目が覚めたら、森の中にいて……それからこの村の近くに……」
そう説明するのが精一杯だった。本当のことを全部話したら、怪しまれるだろうか。追い出されるだろうか。
男はなおも厳しい目を向けたまま、腕を組む。
「記憶喪失か?まったく、やっかいな話だな。名前は?」
「……名前は、宮下透です」
名乗ると、男はふっと鼻を鳴らした。
「ふん、聞いたこともねえ名前だな。……まあ、じいさんの言うとおりだとすると、稀人かもしれねえな」
その言葉に、案内してくれた老人が「おお」とうなずく。
「昔から、たまにそういうのが現れるそうじゃ。ある日、ふっとどこかから現れて、変わった風体と発想で人を驚かす。そういうのを、稀人と呼ぶんじゃ」
稀人。
聞き慣れない言葉が、耳に残った。
「わしも若い頃に一度だけ、似たような噂を聞いたことがある。西の港町で、海から流れ着いた娘が“空の上を飛ぶ船”の話をしてな。村人は誰も信じなかったが、その娘は、なぜか病を治す薬草の知識に長けていたそうじゃ」
老人の語り口は穏やかだが、その目には確かな光があった。
「信じるかどうかは、人それぞれじゃが……まあ、妙な縁ってのはあるもんじゃ」
「そんなもんを信じるから、じいさんは甘いって言われるんだ」
村長がぼやくように言うが、それ以上否定はしない。
そして、少しだけ目を細めて、言葉を続けた。
「――帰るところはないんだな?」
問いかけに、こくりと頷く。
「なら、村の外れにある薬師の小屋を使えばいい。今は空き家だ。屋根も壁も無事だ。雨風はしのげるだろう」
ぽかんとする私に、村長は言葉を続けた。
「ただし、村のやり方に従え。それが条件だ」
「……はい、分かりました」
答えると、村長はあごで外を指す。
「ジークにでも案内させる。おい、ジーク!」
外から、若い声が「はいはい」と返ってきた。
「お前、こいつを薬師の小屋まで連れてってやれ」
「え、ああ。……了解」
現れたのは、二十歳後半くらいに見える青年だった。
金のようなベージュのような髪を無造作に伸ばしている。
冷めたような灰色の瞳がこちらを観察しているのがわかる。
その表情は淡々としているが、不思議と他の人々のような敵意は感じなかった。
「俺はジーク。あんた、名前は?」
「……宮下透です」
「ミヤシタ・トオル?あんた貴族なの?」
「え、いや違います!」
「ふーん。じゃあ行こうか。こっち」
聞いたくせに全然興味なさそうにジークは言う。
そんなジークの後について、再び歩き出す。
窓の外には、夕暮れの光が差していた。
――“稀人”。それが何かは、まだ分からない。
けれど、こうして居場所をもらえたことに、ただただほっとした。