森を抜けた、その先
森を抜けると、ぱっと視界が開けた。
畑が広がっている。少し歪な畝の畑では、人々が腰を折って、土にまみれながら作業をしていた。
耕運機もビニールハウスも見当たらない。人々が頼りにしているのは、鍬や木の柄のスコップ、手編みの籠のようだった。
男たちは粗い麻布のシャツに、ゆったりしたズボンを紐で結び、女たちは丈の長いエプロンを巻いて、色あせたチュニックに藁のサンダル。
飾り気はなく、服の裾は土にまみれている。肌は日焼けし、皆たくましく見えた。
額に汗をにじませながら、彼らは黙々と働いている。
聞こえるのは、風にそよぐ草の音、遠くで鳴く鳥の声、そして鍬が土を打つ乾いた音だけだった。
——人がいる。
「……人が、たくさん……」
思わず声がこぼれた。自分でも驚くほど、声が震えていた。
安堵。戸惑い。期待。そして、不安。
さまざまな感情が一度に押し寄せて、胸がぎゅっと締めつけられる。
——誰か、話せる人がいるかもしれない。
——この状況を説明できる大人が、どこかに。
森の中では得られなかった「社会」が、たしかに目の前にあった。
けれど、その安心感の裏に、小さな違和感があった。
畑で働く人たち——彼らの髪の色が、やけに鮮やかだったのだ。
深い赤、明るいオレンジ、ミントのような緑、そして金色。
まるでファンタジーの登場人物のような、現実離れした色合い。
素朴な服装とのギャップに、まるで昔話の絵本の世界に迷い込んだような錯覚を覚える。
そういえば追いかけてきた子どもも、オレンジ頭だったような気がする。
……でも、ぼんやりしている場合じゃない。
「えいっ」と心の中で自分を叱咤し、一歩、前へ出た。
「す、すみません……!」
声をかけた瞬間、畑の空気が変わった。
手を止める人々。こちらを向く顔。
一瞬、辺りに静寂が落ちる。
「……あの格好、なんだい?」
「お、お貴族様かね?」
「しかも、えらく黒い髪をしているよ」
ざわざわと、小さな波紋のようにざわめきが広がる。
みんなが、値踏みするような目で彼女を見ている。
——しまった。
自分の服装に視線を落とす。
白いフリルのシャツ。黒のタイトスカート。革の仕事用バッグ。
足元はローヒールで実用的だが、全体としては都会的で上品すぎる。
そうだ、会社帰りだった。
この村の人々の粗布の衣服や、素足に近い履き物と比べれば、あまりにも異質だ。
「ち、違います! お貴族様とかじゃなくて、普通の人で……その、迷子というか……!」
慌てて手を振って否定する。けれど、その動きがかえって警戒を呼んでしまったのか、村人たちは数歩、距離を取った。
若い母親が、小さな子どもを背に隠す姿も見える。
「怪しい者じゃないんです! 本当に、何も……!」
必死で訴えるが、誰も近づいてはこない。
言葉は通じているのに、心は届かない。
——このままじゃ、まずい。
泣きそうになるのをこらえていると、一人の老人が、ゆっくりと歩み寄ってきた。
背は丸く、髪は白く、後ろでひとつに結んでいる。粗布の上着の胸元には、簡素な木の輪でできたネックレスがかかっていた。
しわだらけの顔に、鋭く澄んだ目が光っている。
「風貌が似ておる……稀人かもしれんの」
その老人はぽつりとつぶやき、こちらを見つめた。
「お前さん、名は?」
「な、名前……ですか?」
「そうじゃ。話はそれからだ」
喉がからからに乾いていたが、なんとか声をしぼり出す。
「……み、宮下……透……です」
「ふむ、ミヤシタ・トールか。妙な響きじゃのう」
老人はふむふむと頷きながら主人公を一通り見回し、くるりと背を向けた。
「まあええ。ここじゃ埒が明かん。村長のところへ行こうか。何者か、話すならそこの方が落ち着いて話せるじゃろう」
「そ、村長さん……?」
「そうじゃ。この辺りの者をまとめとる長じゃよ。ほれ、ついてきなさい」
ようやく、手を差し伸べてくれる人が現れた。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
警戒の眼差しはまだ残っている。でも——それでも、希望の光が見えた気がした。
透はまだ怪訝そうに見つめる人々に、ぺこりと頭を下げ、その老人のあとを小走りで追いかけた。
——この村に、ちゃんと話が通じる人がいますように。
祈るような気持ちを胸に、再び歩き始めた。