目覚めれば、森の中
今日で何日、残業が続いているんだろう。
眉間の皺をほぐしながら、ふと考える。
時計を見ると、案の定、今日も終電を逃していた。
「そろそろ、帰らなきゃ……」
立ち上がろうとした瞬間、視界がぐらりと歪む。
「あ、やば……倒れる……」
重力を一気に感じる。
そのまま、意識は闇の中へ沈んでいった。
――鳥のさえずりが聞こえる
まぶたの奥がほんのりと明るい。青くさい匂い。湿った空気。
「……え?」
目を開けると、そこは外だった。
木々の間から陽が差している。見渡せばどこまでも続く深い森。
そんな場所に、横たわっている。
「ここ……どこ?夢?……それとも私、死んじゃったの?」
立ち上がろうと手をつくと、小石が手のひらに食い込む。痛い。
「夢、じゃない。倒れて、そのあと……どこか知らない場所に来ちゃった?」
その瞬間、胸に浮かんだ感情は、不安でも恐怖でもなかった。
それは――
「もしかして……仕事、行かなくてもいい……?」
昨日まで、あんなにせま苦しい場所にいたのに。
もう一度、ごろんと寝転がる。広がる空。自然の匂いと音。
そして、ふと思う。
「なんだこれ、天国か」
30分くらい――いや、もしかしたらもっと長く、ぼーっとしていたのかもしれない。
少しずつ、頭が冴えてくる。思考がまとまりはじめる。
この現実味のない状況を、どう受け止めればいいのか――そう考えはじめたその時。
「くぅ〜……」
お腹が鳴った。
「お腹すいた……」
現実が、やってきた。
どうやら、ここは天国ではないらしい。
何でここにいるのか、考えてみてもさっぱりわからない。
けれど、どうやら持ち物は持ってきたらしい。
通勤に使っていた肩掛けのショルダーバックが、すぐ横に置いてある。
中を覗くと、残業の合間に食べようと買っていたコンビニのサンドウィッチが入っていた。
「これ……食べ忘れていたやつだ。」
まだ食べられるだろう、たぶん。
袋を開けてもぐもぐと頬張る。
ハムと卵の塩気が、空腹に沁みる。
「うっま〜……」
バッグの底からは、飲みかけのペットボトルの水も出てきた。
一気に喉に流し込めば、満腹感と満足感が押し寄せてくる。
ほっとしたのもつかの間――
「これで、もう食べ物と飲み物はなくなっちゃった。」
次にお腹が空いたら?
喉が渇いたら?
不安が、じわじわと這い上がってくる。
「どうしよう……」
ぽつりとこぼしたその言葉は、やけに森の中に響いた。
食べ物の方はもう少し時間が稼げそうだけど、さすがに飲み水は早めに確保しないとまずい。
あてもなく森の中をふらふらと歩き回っていると、泉を見つけた。
「やった……水だ」
そこだけぽっかりと開けた空間。
泉の水は澄んでいて、光が反射してきらきらと輝いている。
藻も浮いていないし、見た目は完全に“当たり”だ。
両手で水をすくい、そっと口をつけてみる。
「……っっ!!しょっぱ!?」
すぐさま、ぺっぺっと口から吐き出す。
思っていた味と違いすぎた。
これは――海水?いや、それよりもっと濃い気がする。
肩を落としてへたり込む。
その時、背後でカサリと音がした。
びくっとして振り返ると、木の影から小さな影がこちらをのぞいていた。
子ども?
ぼさぼさの髪に、土で汚れた服。見慣れない、質素な格好をしている。
「あの〜、すいませーん……」
ゆっくりと立ち上がり、手を振ってみる。
子どもは一瞬びくっと身を引いたが――
「……その水、飲んじゃだめだよ。」
そうぽつりと言って、走り去っていった。
「ちょっ、待っ――」
声をかける間もなく、その小さな背中は木々の間へ消えていった。
「……あ」
その場に立ち尽くして、唖然と見送る。
しばらくして、ようやく実感が追いついてくる。
「……!人だ。人がいる!」
頭の中に、じんわりと希望の火が灯る。
言葉も通じる!助けてもらえるかも知れない。
「行くしかない、よね」
子どもが走っていった方向を見据え、ぎゅっとバッグの紐を握る。
一歩踏み出す。希望の光を、追いかけるために。