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AVOCADO  作者: 路輪一人
Avocado
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Avocado

挿絵(By みてみん)


真っ黒な高級スーツ、男性の肉体を鋭角に切り取り洗練させるスタイリッシュなジャケット、コンサバティブであるからこそ個性を際立たせるスーツの右腕が真っ直ぐに伸びる。肩口で光るピノッキオの光源に照らされた彼の髪は銀、恐ろしく整った顔立ちを隠すサングラスがポイントだ。薄く微笑んだ口元、女性のように長い睫毛の下に、濡れたブルーアイズ。その麗しい瞳は眼前のたった一人の女性を見つめている。彼の大きな手のひらには奇妙な形の銃が握られていた。光線銃の様な先の尖ったデザイン、その周囲に制御装置であろうアンテナの様な傘が巻き付けられている。トリガー部分は他の拳銃と大差ないが、廃莢を行うであろうスライド部分の上部には三つの試験管が取り付けられている。ガラスの試験管の中身は細かく輝く粒子、それがフワフワと浮かびながら打ち出される瞬間を今かと待ち侘びていた。


 視線を合わせた二人は沈黙しながら、瞳でのみ会話を行った。世界には彼らしか存在せず、彼らの睦言のみが世界を構成した。バロンを見つめるローズの口元が緩む。彼らの表情と瞳には燃え上がる様な愛情と信頼がある。バロンの濡れて揺れる水色の瞳が彼女に伝えるのは、先ずは変わることのない愛情と信頼だ。


 ローズの肉体全身を射程範囲に納め、照準から彼女の頭を狙ったバロンが深く情熱的な声色で彼女に呼びかけた。


「YO、ベイビー」


 呼びかけられたローズは嬉しそうに顔を綻ばせた。見えない悪意の爪は彼女の喉を締め付けているが。彼女の心は縛れない。バロンは私の名前を呼んだ。彼女にとってそれはこの世界で一等尊い事なのだ。


「ハイ、ハニー」


 彼女もまた吐息を混ぜて彼に答えた。二人の符牒は同じになった。どれだけ距離が離れていても、この符牒がピッタリと合えば二人は互いを抱きしめられる。お互いの温度を感じられる。


 真っ直ぐに突き出した腕の向こうの彼女だけをバロンは見つめている。彼の中に湧き上がる、ローズ・パーカーという女の記憶。胸の中に収まるほどの小ささ、それでいて軽やかで、たまらなく柔らかい。例えるなら激しいドリームキャッチャーの光のような笑顔、くるくると変化する光源の様な表情。同じ何かに苦しめられ、同じ恐怖に慄いた。紡いだ何万もの言葉はすでに意味をなさない、何故なら全てはたった一言で表現できる。唇を濡らして、目を細めた。いつだってお前に言いたい事はこの一言なんだ、ベイビー。


「愛してるぜ」


 バロンの整った目が絞られて、ローズを射抜く。この視線に絡め取られる事を、彼の人生のそばに存在できる事を彼女は身震いする様な幸福であると感じている。殴ったって蹴ったって微動だにしない大きな彼の腕と胸、そして手のひらに包まれた安心、本を読む時の静かな声。銃に向きあう時の真剣な表情、それを全部笑い話にしてしまう大きな口。彼を例えるなら鈍く光る銀色の拳銃だ、どんな化け物もどんな困難も、その銀色の鈍い輝きが打ち砕いてくれる。ねえ、バロン、私貴方にもう撃ち抜かれちゃってるの。だから私は私の持ってるものなら何を貴方にあげたって惜しくないのよ。


「私もよ」


 愛を囁いた二人の、その符牒を合図にして、バロンのトリガーにかかる指が微かに動く。

 直後、周囲の空気がその切先に吸い込まれ無音空間を形成し、次の瞬間それが凄まじい衝撃波となって発射された。分厚い空気の層をぶち抜く衝撃波が二重三重の輪となってローズの肉体と周囲の壁、木造建築の床までもを剥がし後方へ吹っ飛ばした。


 多治比の喉から引き攣るような悲鳴が漏れた。怒りに任せて黒い男を振り返る。彼の手の中の光線銃はエネルギー余波の白い煙を尖った切先から漂わせていた。ゆっくりと銃を下ろしたバロンが告げる。


「……アリス・イン・ワンダーランド。こいつは、俺が作った最初の銃だ……」


 そのまま彼の長い足が前に出る。片手はパンツのポケットに突っ込まれたままだ。高級な革靴が板間を鳴らす、その音で調子をとりながら。


「……こいつは、対象物の周囲に強制的に、アリスのリングを発生させる。アリスのリングの内側じゃ、全てはあべこべ。プラスはマイナスに、N極はS極に、そして」


 歩みを止めた彼が口の端をニヤリと引いた。


「見えないものは見える様に」


 バロンから数メートル先に倒れていたローズの肉体に反応がある。彼の声に呼び覚まされた様に、ローズは大きく息を吐きながらまずは上半身を腕で起こした。顔は煤と埃で汚れ、髪の毛は様々な方向に毛羽立ってしまっていた。特に酷かったのは衣類の損傷だ、右の肩から藤色の学生服は破壊され、彼女の見事なバストを包む黒い下着が顕になってしまっていたし、スカートは左の部分が千切れ飛んで、彼女の艶かしい太ももを晒している。


「もう、最悪」


 とぼやいた彼女は、当然のように差し出されたバロンの広い手を取った。よろめきながら立ち上がった彼女を紳士の礼節で、バロンが支える。彼の変わらない態度が、ローズには少し歯痒く映る。いつも貴方に助けられてばっかりだわ。それを言いたくない子供だから、彼女はそれを唇を尖らす事で表現した。察したバロンが彼女の様子を笑いながら承認する。


「服がボロボロになっちゃったわ。貴方の言った事、聞いとけば良かった」


 言葉の最後が謝罪の音を持った。破けた部分を指で摘んだローズがそう愚図る。しかしバロンにとって重要なのは彼女の肉体の安全だ。それが満たされているのだから、彼女の様子を鼻で笑って小さな耳元に口を寄せる。口付けるのはマナー違反、だが言葉での愛撫はスマートだ。熱っぽい色を含んだ優しい声で彼女を甘やかした。


「服ぐらい何着でも買ってやるさ。酷く汚れちまったな。後で俺直々に、身体中洗ってやる」


 意味を理解したおませな少女は、照れと喜びに身を捩りながらそれでも強気に彼に答えた。強気でいかなきゃ、彼に腰を砕かれてしまう。だからローズは笑うのである。


「ネイルまで塗ってくれるわよね?」


 愛の証明を約束した彼らに怖いものはもう存在しない。二人の視線は前方へ流れた。彼らの目の先には、見えなかったものがいる。未だ暗闇に支配されている、木造の旧校舎の壁にそいつは蠢いた。今までは波長に住んでいたものである。磁場に潜んでいたものである。そして思うさま人を食らってきたモノである。ローズの手に、バロンから一つの武器が渡された。


「そいつがあんたの正体ね」


 暗闇に呼びかけたローズが顎を上げながら、見えない悪意を嘲笑する。


「ひっどい姿。笑っちゃうわ。あんたそのナリで本当にマレフィセントになるつもりだったの?ここで死んで正解だわ、そんな姿じゃ誰にだって愛されない。あんたを追放した、ディアボロだって逃げ出しちゃう」


 一歩、二歩。壁に近づいたローズの前に、ウィッチの本質が明らかになる。哀れな事に、ディアボロの名前を出した瞬間、そいつは壁に張り付いたまま波打つように身悶えた。


「……グリム&ウィッチは12種類に分類できる。うち、自動書記、紫外線反応、プロジェクター反応、この三つの反応を示すウィッチはたった一つ」


 彼女の抱え込んだ大きな筒、銀色に輝く大型の銃だ。彼女にはかなり重量がある様で、細い腕が心なしか下に下がっている。それが快い駆動音を奏でながら彼女の中で変形をしていく。


「渦巻く渓流。腐った水の神。集められた血」


 それは奴の別名だ。その性質でもって彼らは人を啜ってきた。けれども今や、闇に隠れていた恐るるものは科学の光、ドリームキャッチャーの光の下に引き摺り出される。ピノッキオの光源が照らし出したのは、旧校舎の二階、壁一面に張り付いた赤い粘液と、そこに埋め込まれている無数の目だ。


「クチュマキック!」


 赤いペンキを壁にぶちまけた様な有様で、奴は壁に張り付いていた。そして広がった粘液全てに確認できる眼球が右に左に視界を確認しながら、どうにか逃げる方法を模索している。赤い粘液は時折波打ちながら、移動しようとするけれど動けない。奴は質量を持ち、物理法則の影響を受ける様になった。そして物理空間を無視しながら移動し続けていた生物が今重力の影響を受ける様になったのだ。奴は、移動の方法を持っていないのである。


「素敵な偶然ね、この国が起源でしょ」


 ローズの腕の中の銀製の武器が、例の無機質な自己紹介を始めた。『高威力システムウェポン、プリンセス・オブ・カグヤ。ファイヤーマウスモードで起動します』上半身ごと腕を振り上げ、武器を構えたローズが、照準を除きながらベッタリと張り付いて動けない赤く巨大な粘菌に狙いを定めた。


「クチュマキックは寒冷の館の住民だ、炎に弱い」


 タバコを吸いながらバロンが軽口を叩く。もう勝利は目前だ。


「月までぶっ飛ばしてあげる」


 ごっ、と火炎放射器から発される高温の炎が快い笑い声を立てた。ふいごに吹かれた釜の中の、真っ赤な竜巻の音は、さながらかぐや姫の高笑いに等しい。じじじじ、と絶叫しながら赤い粘液は炎に巻かれ焼けこげていく。火炎は一瞬その哄笑をおさめ、再度更に大きな炎になって壁の生物を焼却する。木の燃える匂いが漂い始める、その中に人の血液が焼ける臭いを微かに混ざる。殺戮の悦楽と、火炎放射器の熱に肌を焦がしながら、ローズ・パーカーが残虐に微笑む。そしてやっとその熱が呆然としたまま、ローズとバロンの処刑の様子を眺めていた少年二人に届いてきた。熱い、と感じたのはその時だ。火炎放射器で燃やされているのは確かに未知の生物ではあるけれども、木造建築の壁でもある。黒い煙に鼻の奥を焼かれ、肺から咳が転がり出る。無限だった空間は消え、暗いばかりだった旧校舎二階の窓は白み始めた東の空を映している。だがそれを打ち消すのが足元まで迫ってきた延焼、今まさに炎に巻かれそうになっている自分達の境遇に気づいた多治比が身を引いて大神の足を叩いた。


 うお、と唸って多治比が腰を浮かした。倣って大神も炎から距離を取る。


「ちょ、まじで!やべえ!死ぬ!」


 と騒ぎ出した少年二人をため息で眺めたバロンとローズが、全く同じタイミングで指を鳴らした。そのガジェットは、凡ゆる危険から対象を守る様機能する。


「ピノッキオ」


 午前7時、旧江戸総合学舎は火災により焼失した。第一発見者の男子学生二人は煙を吸い込んだけれど、特に身体の異常はないと瓦版にて報道された。

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