逃走と闘争
夢を見た。
不思議な夢だ。
知らない町の知らない景色を前にしている。
これが夢なのは間違いないだろう。
だけど……
だけど…不意にも体が現実だと言うことを訴えている。風が肌に当たっている感覚があり、周囲を漂う樹の香りが鼻をつつく。
頬をつねれば痛みを感じ、意識もはっきりとしている。
見たことのない夜空の下を靴もはかずにただただ訳もわからぬまま歩いていた。ヒリヒリと痛む顔を擦りながら携帯の画面をのぞきこんだ。
電波は三本とも立っているのだが、電話は誰にも通じなかった。
さっきかかってきたエルベインとかいう女性からの電話は通じたのに……。
電話帳内を探ってみると、エルベインという名前の欄があった。
することもないので、歩きながらそこに電話をかけてみた。
「はい。エルベインでございます」
さっきと変わらない声が聞こえた。接客するような声はどこか不安と不審を覚えるものだった。
「蒼井ですけど……」
「了解しております。この回線をご使用になるのは蒼井様だけですので」
「あぁ…そうなんだ…」
「どんなご用件でしょうか?」
「い、いや……特に用件ってわけじゃないんだけど……ここがどこなのか教えてくれないかなって思ってさ」
「只今蒼井様がいる場所は東京都内の三番街です」
「三番街?そんな地名あったっけ?」
「地名……というよりエリア名といった方がよろしいかと」
「エリア?」
「はい」
エルベインはさも当たり前のように答えた。
「……うぅん……ここはとりあえず東京なんだよね?」
「はい。―――ですが、蒼井様が生活している東京の概念とは少々異なりますが」
「概念?…どういう意味?」
「ここは確かに東京ですが、あくまでも仮の意味です。―――模型の様なものです」
「つまり……この町は模型の町ってこと?」
「えぇ。――飲み込みが早くて助かります」
彼女は淡々と答えた。
「でも、待ってくれ。ここは夢の中なんだよね?」
「えぇ、仰る通りです」
「じゃあ、何でわざわざ模型とはいえ東京の町を使うのかな?夢の中なんだからいろんな形にできるはずでしょ?」
「えぇ、確かにその通りです。ですが、現在このゲームに参加されているアンジェント候補者の方々一人一人の有利・不利な条件を一定するためみなさんの知る東京の町を使用しております」
「は…はぁ?」
「つまり、みなさんが生活している町にすることで戦闘を潤滑に行えるようにするためです」
要は平等に…という事か…。
「蒼井様、お気をつけください…」
「え?何?」
「近くにアルベルが接近しております」
「わかるの?」
「もちろん。貴方のサポーターなのですからそのくらいできなくては」
「そう……で?そのなんとかは今どこに?」
「蒼井様の後方30メートルです」
「近いな!」
僕は焦って後ろを振り向く。
後方の真上にあった月がまっすぐと続く道を長く照らしていた。
その道の上に何かが立っていた。
人の形をしたそれは獲物を見つけた獣のようにその場から僕を見下ろすように見ていた。
「なんだあれ…人?」
「No.48、アルベルと接触。臨戦体制に入ります」
エルベインは機械音のように言った。
「蒼井様?戦闘体制か逃走体制…どちらにいたしますか?」
「……どっちのほうが安全かな?…」
「さぁ?…どうでしょう?…蒼井様次第です」
「じゃあ………逃げる!!」
僕は携帯を耳から離し、強く握りながら前に駆け出した。
夢だから逃げる必要はないかも知れないが、なんだか逃げなきゃいけない気がしたからだ。
後ろを振り向かず全速力で駆けた。
住宅街をぬけると多少大きめの交差点にぶつかった。
四方向に道がのびている。
僕が今来た道を除けば逃走経路はあと三方向。
だが、迷っている暇もない今の僕にとっては真ん中の道を選んで突っ切った。
息があがっている…。
夢なのに…。
というか、さっきから裸足で走っているため足の裏がジリジリと痛む。
「はぁ…はぁ…くっそ…」
体力の限界を感じた僕はその場で足を止めてしまった。
恐る恐る後ろを振り返る。
が、僕の予想を反して僕の背後には誰もいなかった。
まくことができたのだろうか…。息を必死に整えながら携帯を耳に当てた。
「はぁ…はぁ…一体あれ……何なんだよ…」
「あれがアルベルでございます。目視確認していただいたと思いますが、いかがでしょうか?」
「い、いかがもなにも……わけがわからないよ…」
「あれに殺害されるとゲームオーバーになります。以後身辺の警戒にはお気をつけくださいね。では、他にお訊きになりたいことはございますか?」
相変わらず他人事のような言い方。
「じゃあ……さっきのアルベル?とかいうのは…今どこに…?」
「はい。蒼井様の頭上15メートルです」
「だから近ぇよ!」
頭上に危険を感じ、とりあえずその場をどいた。
すると、さっきまで僕がいた場所に稲妻の如くものすごい勢いでさっきの怪物が落下してきた。
アスファルトの地面が砕け、その下にある地面が剥き出しになった。
「まじかよ…この夢恐ぇよ…」
砕け散ったアスファルトを見ながら言った。
よく見るとこの怪物…仮面を着けている……ってことはこの仮面を取れば普通の顔をしてるってことか?
とすれば…こいつは人間なんだろうか…。
その時、怪物が片手を突き出すようにして僕に突っ込んできた。
「うわぁ!?」
その攻撃をギリギリの所で避ける。
ヒュンと風を切る音が攻撃の後に耳元で聞こえた。
怪物は攻撃を外し、そのまま僕の後方に抜けた。
僕もそれを目で追いながら後に振り向く。
と、その瞬間に後ろから右手を槍のように尖らせそれで再び突いてきた。
今度もいきなりだったので反応が遅れ、ギリギリで避ける。
が、槍の先の爪が顔を少し擦った。
「痛っ!」
短く細い切傷が頬より少し上についた。
「くっそぉ!」
僕は横を抜けようとしていた怪物の腹に思いっきり力を込めて蹴りをいれた。
怪物の体は蹴られたことでくの字に曲がり1メートルほど前方にふっ飛んだ。
ズザザッと地面に顔をついていた。
僕はその場で体制を整えて怪物に向かう。
仰向けに倒れた怪物はそのまま動かない。
「はぁ…終わったのか…?」
手に握りしめていた携帯に話しかけた。
「終わった……と申しますと?」
「こいつは死んだのかって訊いてるんだよ…」
横たわる怪物を睨みながら言った。
「今回、予選におきましてのアルベルのシステムは危険レベルを最低までに下げております。しかし、防御力、攻撃からの対応におきましては普段通りのレベルに致しております。さらに、自分の身を護るよう設定しているので、強力な攻撃を受けた場合には強くなる恐れがありますのでご注意ください」
「だから早く言えって!!」
僕が気付いた時には怪物は何事もないように立ち上がっていた。
仮面の奥に見える青く光る瞳は確実に僕を捉えていた。
「やべぇよ…絶対…」
夢とはいえ痛いのはごめんだ。
痛覚がある以上逃げる以外なにもない。
だが、こいつの足の早さは人間の比じゃない…
こんな近距離では逃げることなどできない…
どうする…
さっきエルベインが何か言ってたよな……
逃走体制と…戦闘体制?
ってことは……
「エルベイン」
「はい。なんでしょうか」
「……戦闘体制だ」
「了解しました。では、武器は何に致しましょうか?」
「武器?」
「えぇ、戦闘体制なのですから武器が必要です。何に致しましょうか?」
「何でもいいよ。……刀とか?」
「了解しました。英雄の心得をお忘れなく…」
そう言って電話は一方的に切られた。
「え!?ちょっと!…くそ…」
携帯を折りたたむ。
すると、指先に何かがぶつかった。 指先には怪物の服が擦ったのだ。怪物が踏み込んで下からのパンチを繰り出してきたのだ。
「ぐわぁ!」
急に後ろに避けた勢いで後転してしまった。
ドンと背中にアスファルトがぶつかる。
怪物は体勢を変えることなく仰向けの僕に拳を突っ込んできた。
「や、やめ!」
くそ……夢じゃないのかよ……。
体を横に回転させながら攻撃を避けたはいいが、そこから立ち上がることができない。
なんせ、アスファルトの攻撃が当たった部分が発泡スチロールのように粉砕されている。
一気に回転速度を高め、怪物と距離をとり、一気に立ち上がった。
目で怪物を捉えながら少しずつ後代していく。
すると後頭部に何にかが当たった。
また攻撃が来たのかと思ったが、怪物はいまだに目線の向こうにいる。
「なんだ…?」
後頭部に手をまわしそこにあるものを確認した。
細くて堅くて冷たいもの…
「なんだこれ…」
僕はその何かを手で掴み、引き抜くように引っ張った。
思いの外軽い力でその何かは引っ張り出すことをできた。
「これ……刀…」
そこにあったのは赤い鞘の日本刀だった。
「これまさか……さっき言ったやつか?」
その刀に反応してか、怪物が奇声を上げつつ突進してきた。
さっきまでとは勢いが違いすぎる!
その勢いで繰り出されたパンチを避けきることができず、刀の鞘で受け止める。
が、 衝撃で刀ごと後方に吹っ飛ばされた。
そのまま後ろにあった民家の塀に突っ込んだ。
背中や身体中に電撃のような痛覚が走る。
「―――痛ぇ!?」
なんなんだよこれ……
本当に何なんだよ…
なんで痛いんだよ…
なんでこんなに恐いんだよ…
口の中に入ってきた砂利を噛み砕くように食い縛った。
「……ざけんなよ…」
握りしめていた刀を持つ手を強くし、崩れた塀に手をついて立ち上がる。
よく見ると切傷や擦り傷だらけになっている。もちろん痛い。
呼吸も乱れている。
だけど……なんだかコイツに一方的にやられているのは一番しゃくにさわる…。
怪物は再び攻撃の体勢をとる。
「次くらったら動けなくなるな…」
そう言いつつ刀を鞘から抜く。
街灯に当たっている刃は銀色の光を反射している。
刀って思っていたより重いな…。
その刃先を怪物に向ける。
「ふざけんじゃねぇ!!」
今度は怪物に突っ込む。
前に構えた刀を高くあげ、力一杯怪物に向かって降り下ろした。
だが、怪物は体を横に反らし、それを上回る速度で攻撃を避けた。刀はそのまま半円を描き、地面に突き刺さった。
振動が手に伝わってきたが、今はそんなこと気にならなかった。
その直後、怪物はフックをかけるように手を伸ばし、爪を立てて抉るように攻撃してきた。
刀を握ったままの僕は刀を抜けず攻撃を避けられなかった。
寝たときの薄手の私服なので、何の抵抗もなく引き裂かれ、僕の右肩が深く抉られた。
「があぁあぁぁぁ!?痛ぇぇぇ!!」
血が噴き出るように飛んだ。
が、なりふりかまっていられない僕は攻撃を受けた時の衝撃を利用して、刀を一気に引き抜いた。
そして、その体制のまま斬り上げるように下から 怪物の体めがけて斬り放った。
「くらえ!くそ野郎ぉ!」
ズバッと何かを二つに切り離す感覚がして怪物の体がぐったりとそのまま倒れたこんだ。
「はぁ…はぁ…今度こそ……」
すると、タイミングをみたように携帯が鳴った。
びっくりしつつ画面に映ったエルベインの文字を見て一息つく。
「はぁ……もしもし?」
「おめでとうございます。見事アルベルを討伐したようですね」
「………すんごく痛い思いをしたけどね…」
「それでも立派です。予選段階で討伐ができる人はそうそういませんから」
「はぁ……まだこんなやつらがいるの?」
「えぇ、たくさん」
ガクリと肩を落とす。
「とりあえず待受の報告掲示板をご覧ください。―――では」
電話が切れる。
「待受の?」
待受にいくと報告板とかいてあるものが表示されていた。
「なんだよ……これ」
そこにはこのゲームの進行状況が表示されていた。
誰が捕まって死んだとか、誰が参加しているとか……
そして、その一番上の欄には僕の名前があった。
〈蒼井一哉:アルベルと闘争のち討伐→1〉
他の人は死んだり逃走したりしている。
「くそ……とりあえず傷の治療をしなきゃ……町まで行くか…」
さんざん逃げ回った僕の目の先にはこの町の中心街だと思われる一際明る地域があった。
僕は血を出し続けている右肩を押さえ町へと歩き出した。