第1話 あっかんべー
「さぁ、目を覚ますのです」
やけに透き通った声が耳に入って来た。
誰の声だろう。こんなに綺麗な声を持った知り合いなんて、僕にはまるっきり覚えがない。
「新たな世界への旅立ちの時が来ました。あなたは選ばれたのです」
なんだ、ゲームをつけっぱなしで寝てしまってたのか? いやしかし、こんなベタなセリフが出てくるゲームなんて買ってたかな。
「あなたの魂は新たな世界に転生し、再び命の火を灯すのです」
夢にしたって現実にしたって、どっちにしたってこんなんじゃ寝れやしないや。
とにかく一旦起きて、夢かゲームのこの雑音を消してすぐに寝ないと。明日は朝早くから会議の予定があるんだ。
「目を覚ましましたね。フラウ。私はあなたをずっと待っていました」
フラウって誰の事だろう。そして、一体ここはどこだろう。
目を開けると見渡す限りの草原が広がっていた。目に映るのは空の青と草原の緑だけ。いや、その草原に一人の少女がぽつんと立っていた。真っ白なロングヘアーに空色の瞳をした少女だ。彼女は頭の上に花の冠を載せ、白のワンピースを着ている。
「あのー、すみません。ここ、どこですか?」
いつの間にか僕の胸は大きく高鳴っていた。
夢だっていい、寝ぼけてたっていい、僕の待ち望んでいた光景の一つが、今目の前に現れたような気がしていた。
「ここは始まりの丘と呼ばれる場所です。フラウ、あなたはなぜ自分がこの場所にいるのかまだ理解が出来ていないと思います。ですが、落ち着いて聞いて欲しいのです。実はあなたは――」
「あー! ちょっと待った! いや、ちょっと待って下さい! いやいや、これ本当なのかな。これってやっぱりあれだよね……。うわぁ、本当にあるんだ。いや、そりゃあ宇宙なんていうトンデモ空間が誕生するんだもの、ありえなくはないよね」
「あの、フラウ、混乱するのは分かりますが、落ち着いて聞いて欲しいのです」
少女の声は更に緊迫感を増していた。
だが、その覚悟を含んだ声色が、僕を更に興奮の渦の中へ引き込む。これってやっぱり、
「あの! 僕、これから異世界に転生しちゃうんですよね? て、ことはつまり、あなたは女神様か何かなのかな? それでもって、これから新たな世界に転生する僕に何か特別な能力を与えてくれるってところですか?」
僕が早口にそこまで言うと、少女はぽかんと口を開けたまま小さく頷いた。
「……ず、随分と察しが良いのですね」
「いやぁ、漫画やアニメで色々と見てきましたんで。それで、僕は新たな世界ではその『フラウ』って名前で生きていけばいいんですね。ところで、僕の能力なんですけど――」
「あの! あの……フラウ、待って下さい。あの、疑う訳ではないのですが、あなた、本当に転生するのは初めてなんですよね?」
少女は疑う訳ではないと言いつつも、バッチリ怪しむように僕の顔をじっーと見つめていた。それもそうか。僕が誘拐犯だったとして、攫った子どもが目を覚ました途端にあらゆる状況を理解して、尚且つ今後のスケジュールの確認までし始めたんだ。そりゃ疑うなっていう方が無理な話だ。
「もちろん、僕の記憶では初めてのはずです。ただ、僕が生きていた世界では転生や女神という物語は案外身近に語られる話でして、色んな人達が転生についても書き記しているんです。だからこんな状況でもそんなに驚かなかったのかもしれません」
僕がそこまで言い終えると、少女は感心したように何度か頷いた。
「なるほどなるほど。あなたが今まで生きてきた世界の人々は随分と信心深かったのですね。では、先程フラウが言っていた《《あにめ》》や《《まんが》》という物に私達神々や転生にまつわる物語が記されているという事なのでしょうか。あぁ、素晴らしい。その《《あにめ》》や《《まんが》》というのを一度見てみたいです」
僕は嘘は言ってない。言ってはないのだが、少し聞こえが良く言い過ぎたのかもしれない。少女は僕が夜な夜な読み耽っていた転生系漫画とそのアニメについて何やら強く関心を抱いてるようだった。
「と、ところで、僕はどんな世界に転生して、何を目的に生きていけばいいのでしょう。僕がその世界に行く事に何か意味があるんですよね?」
これ以上漫画やアニメの話を続けるといつかボロが出てしまう気がして、僕はもっともらしい事を言って話を戻す事にした。すると、少女も途端に真剣な表情を作って口を開き始めた。
「そうでしたね。話を戻します。フラウ、あなたは今まであなたが生きてきた世界とは全く別の世界で再び命を与えられる事になります。新たな世界では人々は魔力を使って生活を営み、魔法を使って魔族と争っています。出来る事ならば、私はその争いを止めたいのです。というのも、数百年前までは人も魔族も話し合い、争う事なくそれぞれの暮らしを送れていたのです。しかし、ある日を境に彼らは話し合う事をやめてしまった。フラウ、転生者のあなたなら人とも魔族とも分け隔てなく話し合えるのかもしれないのです。これは私の勝手なお願いーー」
「おけ! 任せといて下さい!」
新たな世界への旅立ちに浮き足立ってしまっていたのか、僕は女神様が何か良い感じの事を言いそうなタイミングでつい口を挟んでしまった。
「すみません……。どうぞ、続きからお願いします」
すぐに反省して頭を下げたが、女神様はもう気分じゃなくなってしまったらしい。冷たい目で、
「いいえ、もう大丈夫です。それでは、新しい世界でもどうか頑張ってくださいね。応援してますんで」
そう言って僕に背中を向けた。
その途端、僕は強烈な眠気に襲われる。僕が眠りにつく間際、女神様は一度だけ振り返った。そして、盛大なあっかんべーを見せてからまたそっぽを向いてしまった。