第八話
「旅行に行こうってさ」
夕食を食べていると、母さんが突然そんなことを言ってきた。
「旅行?」
「そう、温泉旅行」
「なんで?」
「一緒に行きたいんだって」
「誰が?」
「神宮司さん一家が」
瞬間、ぶふーーーーーーッ!!!!! と味噌汁を吹き出した。
「ちょ、汚いなあ」
「げほげほ、ちょっと待って、どうゆうこと?」
「あんたにはお世話になってるからってんで、神宮司さんが招待してくれたのよ」
「いや、別に世話なんてしてないし!」
神宮司さん一家と温泉旅行っていったら、つまりアレか。
きぃちゃんと泊りがけの旅行をするってことか。
クラスのみんなから呪われるネタがまた増えてしまう。
「あら、あなただけじゃないわよ。母さんだって、地区の行事予定とかゴミ出しのこととか清美ちゃんのお母さんに教えてあげてるし、お父さん同士は親友かっていうくらい仲がいいしね。要はみんなで食べたり飲んだりのんびりしたいのよ」
確かにきぃちゃんの両親とうちの両親は仲が良い。
近所だったこともあるけど、それ以上に気心が知れてるのだ。
わざわざうちの隣に引っ越してきたのもそれが理由らしいし。
「というわけで、今度の土日、空けておいてねー」
ルンルンと母さんはさっさと自分のお皿を片付けてしまった。
※
「……ということなんだけど」
「うん、今度の土日でしょ? たくみくん、もう知ってるのかと思った」
翌日、学校に向かう道すがらきぃちゃんに尋ねてみると、すでに神宮司家では旅行の準備は万端に整っていたようだ。
「楽しみだねー」
「ていうか、高校生にもなって家族で旅行だなんて……」
「あれ? たくみくんは楽しみじゃないの?」
「う……」
楽しみです。ごめんなさい。
「なんかすごくリラックス効果が高い温泉なんだって。たくみくん、ここ最近ずっと疲れてそうな顔してるから、しっかり療養しないとね」
「あははーそーだねー(棒)」
その一番の原因はきぃちゃんなんだけれど、本人はまったく気づいていない。
ていうか、ここまで自分が美少女だって自覚がないのはもはや異常だと思う。
あえて伝えることもできないけど。
「よーし、今から温泉につかる心構えをしとかなきゃ!」
よくわかんないところで気合を入れるきぃちゃんだった。
※
「歯ブラシ持った? ケータイは? 充電器は? 財布は絶対なくしちゃダメだからね」
土曜日。
両親が慌ただしく出発の準備を始める中、僕は一人寂しく玄関の前で両親が出て来るのを待っていた。
っていうか、今日が出発だってわかってたなら前日までに準備しとくのが普通でしょ。
なんで朝になって「準備してなーい」だよ。
おかげで神宮司さん一家をずーっと待たせてしまっている。
今回は神宮司さんちのステーションワゴンで向かうことになっていたのだが、いまだに両親が出てこない。
「はっはっは、相変わらずだなー。染谷さんは」
神宮司さんのご主人、つまりきぃちゃんのお父さんが笑いながら運転席から顔を出していた。
きぃちゃんによく似て……なくはないけど、俳優でも通用しそうなほどのイケメンである。
「マイペースなところがうちの清美と似てるわね」
助手席でほほ笑むのがきぃちゃんのお母さん。
これまた女優でも通じるほどのめっちゃ美人なお母さんだった。
「ねえねえ、たくみくん。これから行く温泉、滋養強壮にいいみたいだよ! よかったね!」
きぃちゃんは、再会した頃と同じような白いワンピースを着ていた。
端から見たらもうパーフェクト家族だろ。
絵に描いたようなTHE・フツーな一般家庭のうちの家族と、どうしてこんなに仲がいいのか、まったくもって謎である。
「それよりもたくみくん、大きくなったねえ」
きぃちゃんパパがニッコリ笑いながら僕を眺める。
最初に会った頃から全然老けてない気がする。
妖怪か、この人。
「ほんとほんと。清美にはもったいないくらいかっこよくなっちゃって」
きぃちゃんママがおっとりした声でほほ笑む。
これほどわかりやすいリップサービスはあろうか。
当のきぃちゃんは「もう、お母さんてば!」と恥ずかしそうに膨れている。
いや、もう十分だよ。
この家族を見ただけで癒されたよ。
その時、玄関のドアをけたたましく開けてうちの両親がやってきた。
「いやー、お待たせしました。神宮司さん」
「もう、この人ったら『人生ゲームだけは外せん!』なんて言うもんですから」
温泉旅行に人生ゲームって……。
何を考えてるんだ、うちの父さんは。
「はっはっは、いいですね。人生ゲーム。そりゃ外せませんわ」
「でしょでしょ!? 温泉旅行といったら人生ゲーム! これですわ!」
ケラケラ笑う二人を見てため息をつく。
やっぱり馬が合う二人だわ。
こうして、長いようで短い温泉旅行へと出発した。