第9話
真珠を取りに行くため、泳ぎの特訓を始めた王子様と人魚姫を、海の魔女が水晶玉で見ていた。
「まさか、王様がふたりの結婚を許すとはねぇ」
魔女はクククと笑い、魔法で王様の家来そっくりな人魚を作ると、王子様と人魚姫の元へ向かわせた。
魔女の家来は、王子様を見守る人魚姫に近寄って耳打ちした。
「姫様、よい考えがあります」
「よい考えって?」
「はい。このまま、王子様がいくら泳いでも、真珠を取れるかわかりません」
同じことを思っていた人魚姫は、悲しげにうつむいた。
「そこで、姫様の髪飾りが役に立つのですよ」
人魚姫は髪飾りを外してみた。金の花の真ん中には、大きな真珠が輝いていた。
「あっ!」
「そうです。その真珠は、王様の投げた真珠と変わりない大きさではありませんか?」
「ええ、そう見えるわ」
人魚姫は震える瞳で、真珠を見つめた。
「その真珠を、こっそり王子様にお渡しするのです。そうすれば王子様は、王様の投げた真珠を取ってきたようにみせかけることができます」
魔女の家来の囁きに、人魚姫は体を震わせた。
「王子様はその真珠を握ったまま、真珠の落ちている場所へ潜って、息が切れる前に戻ればいいだけです。他の家来の目なら、私が上手くそらしてあげましょう」
もちろん、目をそらしてやるつもりなどない魔女の家来は、心のなかで笑っていた。
「本物の真珠は姫様が取って、王様に見せる前に、こっそり王子様の真珠と交換すればいいだけです」
そんな狡を王様が許すわけがなく、ふたりは引き裂かれるだろうと、魔女は目論んでいた。
それしかないと人魚姫が思ってしまったことに、魔女の家来は目ざとく気づいてニヤリとした。水晶玉で見ている魔女もニヤリとした。
人魚姫は王子様に呼びかけようとして、必死に泳ぐ王子様に目を奪われた。そして、自分の過ちに気づき、弱い心を叱って、髪飾りを髪につけた。
「やっぱり、私には、そんな真似はできません。王子様を信じます」
王子様の元へ泳いで行く人魚姫を、魔女の家来と魔女は舌打ちしながら見送った。
「フン! 溺れ死んじまうがいい!」
魔女が呪いの言葉を吐いた時、家の扉が開いて、人魚の王様が現れた。
引きつった悲鳴をあげる魔女に、王様は怖い顔で近づいた。
「魔女よ。これ以上、私の娘を苦しめると、またこのトライデントを喰らわせるぞ」
王様の掲げるトライデントを見て、魔女は思わず左肩を押さえた。
魔女の左肩には、若き日の王様に悪事を咎められ、トライデントで突かれた傷跡があった。魔女は王様を忌々しくにらんだが、王様を恐れる気持ちがなにより勝っていた。魔女がまだ若い頃は、先代王も目の前の王も翻弄したものだったが、傷を負い年老いた今は、満足に戦えなかった。
「今度は、右肩を突くぞ」
魔女が目をギョロギョロさせて、往生際が悪いのに気づいた王様が言った。
「ヒッ」
トライデントに突かれた傷が元で、左手は動かしにくくなっていた。右肩まで傷つけられたら、魔法が使えなくなるかもしれないと魔女は恐怖した。
「わかったよ。薬をあげよう」
魔女は王様に薬を渡した。
しかし、王様は手にした薬を見つめたまま動かなかった。王様の心に目ざとく気づいた魔女は、ニヤリとして言った。
「王様。もっと、いい薬を作れるんだけどねぇ」
「いい薬?」
「そうさ、その薬を姫様と王子様が半分ずつ飲めば、姫様のヒレは人間の足になって、その上、今までのように泳ぐことができ、王子様は人間のまま、人魚のように泳げるようになるのさ。ふたりは愛し合っているからね、互いのものを分け合えるってもんだよ」
「そんないい薬、すぐに作ってくれ」
「条件があるよ。それを私にお寄越し! また肩を突かれたら、たまらないからねぇ!」
王様はトライデントを両手で握りしめて、魔女をにらんだ。
「フン! できないかい? 王様が娘への愛を見せられないなら、薬はできないねぇ。とっととお帰り!」
魔女は王様に背を向けてあざ笑った。
娘への愛かトライデントか、王様は深く苦悩した。そこへ、外から様子を見ていた姉姫達がやって来た。
「魔女め! 妹だけでなく、お父様まで苦しめるなんて許せない!」
姫達は魔女を取り囲んだ。
「小娘共! お、お前達に、なにができると言うんだい?」
魔女は負けじと、姫達をにらみ返した。
「魔女よ、娘達を傷つけたら、今度こそ許さぬぞ!」
強い心を取り戻した王様は、娘達を背中で庇い魔女にトライデントを向けた。
「私を殺したら、薬は作れないよ!」
王様は渋々トライデントをおろして、優しく言った。
「魔女よ。お前はもう時期寿命が尽きて、泡になるだろう。その前に、美しい心を取り戻さぬか」
「フンッ、美しい心だって? 一度無くしたものは取り戻せやしないが、そう、私は美しいものが好きさね」
魔女はギラリと、人魚姫達を見た。
「お前達のその美しい髪をくれるなら、薬を作ってやろうかねぇ」
人魚姫達は、色とりどりの自慢の髪を見たり触ったりした。
「わかりました」
妹への愛を見せるかのように、姉姫達は髪をバッサリ切り落として魔女にやった。
「仕方ないねぇ」
魔女は誇りを保てた嬉しさ半分、思い通りにいかなかった悔しさ半分でため息をつき、薬を作り始めた。
大きな鍋に新鮮で不気味な材料を色々入れると、魔女は自分の指をナイフで切りつけた。
「フフフ、これが肝心!」
「待て、お前の血では、どんな悪い作用があるかわからない。私の血を入れなさい」
察しのいい王様に魔女は舌打ちして無視したが、王様はトライデントで自分の手を突いて、魔女より早く鍋に血を垂らした。
どす黒くブクブク泡立っていた薬は、王様の血が入ると透明になった。
「薬ができた! これじゃ、私の血を入れても無駄さね! もう勝手におし!」
魔女はくたくたになって、王様に薬をくれてやった。