第8話
王子はすぐに、王様の伝言を人魚姫に伝えた。
「あなたの父上は、私達が結婚するために助けてくれるだろうか? 私の父上は、人魚が嵐をおこして船を沈めたと疑っていた。人魚の王にはそんな力があるのだろうか? そんな力があっても、そんなことはなさらないと信じたいが」
「それは……今から言って、聞いてきますわ」
人魚姫は急いで城に帰ると、お父様の部屋へ向かった。
しかし、扉を叩くのには勇気がいった。
扉の前をうろうろしている人魚姫のそばへ、姉姫達がやって来た。一番上の姉姫が人魚姫の肩を抱いて聞いた。
「ついに、王子様のことを話すの?」
「いいえ、それよりまず、王子様が気にしていることを聞くの」
「どんなこと?」
自分を取り囲む姉姫達に、人魚姫は青い顔で答えた。
「お父様が嵐を呼び、王子様の乗った船を沈没させたのではないかって」
「なんですって?」
姉姫達は人魚姫を連れて、お父様の部屋へ乗り込んだ。
「お父様! 王子様の船を沈めたって本当ですの?」
「なんだね? 急に?」
玉座に座る王様は驚いて、自分を取り囲む怖い顔をした娘達を見回した。
「教えて下さい。お父様は、嵐を呼んで船を沈めることができるのですか?」
悲しげに聞いてくる末娘に、王様は顔を向けた。
「一体、どうして急に、そんなことを気にするのかわからぬがね。できるとも」
王様はそばに置いてある、金に輝く三叉の鉾、トライデントを手にとった。
「これを使えば、簡単なことだ」
「それで、王子様の船を沈めたのですか?」
「王子様? 誰の乗っている船であろうと、人魚が捕まったりしない限り沈めたりせぬよ。そんな騒ぎが、最近あったかね?」
人魚姫達は全員、首を横に振った。
「なら、王子様の乗った船は自然の嵐に遭い、勝手に沈んだのだ」
人魚姫達はとにかく、お父様が王子様の船を沈めていなくてほっとした。
「疑いが晴れたようで嬉しいが、なぜ、急にそんなことを気にするのだね?」
姉姫達は人魚姫の肩を優しく押して、お父様に話すように勧めた。
人魚姫は勇気を出して、お父様に自分の気持ちを告白した。
「お父様、私はしばらく前、嵐に遭った船から落ちて、溺れていた王子様を助けました」
王様は驚いて身を乗り出した。
「人間を助けただと? ウム、お前は優しい娘だから、人間を助けたのは仕方ない。けれど、姿を知られないようにしたろうね?」
王様の不安が的中したことは、人魚姫の顔を見れば一目瞭然だった。
「いいえ、私、王子様と仲良くなりました。それで……」
続きを言えない人魚姫に、姉姫のひとりが焦れて言った。
「お父様! 王子様とセレーナは愛し合っているんですわ!」
「なんだと!?」
王様は息もできないくらい驚いて、玉座の上で飛び上がった。そして、本当かと聞く目で人魚姫を見つめた。人魚姫はお父様の目を見返してうなずいた。
「お父様、私達は、結婚したいのです!」
「なに! 結婚!?」
人魚姫の訴えに、王様はぐったりと目を閉じた。
「お父様、しっかりして!」
姫達が体を揺すると、王様はゆっくりと目を開けた。人魚姫はお父様の前に進み出た。
「お父様、聞いてください。私は、王子様と結婚するために、人間になる覚悟です」
「お前が、人間に?」
王様はまた、気絶しそうになるのを堪えた。
「はい。人間になれる薬を、海の魔女が持っています。けれど、薬を貰うには、王子様が魔女の家まで泳いでいかなければならないのです。王子様はそのために、泳ぎの訓練をしています」
「泳ぎの訓練だと?」
王様はフンと鼻を鳴らした。
「人間がいくら泳いでも、海の底にはたどり着けまい」
人魚姫がワッと泣き出したので、王様は肝を潰した。人魚姫はお父様のヒレにすがった。
「お父様、お願いです。王子様を助けてあげてください! 王子様のお父様も、王子様が死なずに私と幸せになれるように、祈ってくださっているのです」
「王子の父が?」
人間の王が、王子と人魚の幸せを祈るなら、人魚達の平和を守るために、人間を警戒して関わりを遠ざけている王様も、考えを変えなければならないと思った。
「お父様、王子様を助ける方法を知っているなら、どうか教えてください! このままでは今度こそ、溺れて死んでしまいます!」
「お父様、お願い!」
「助けてあげて!」
姉姫達もお父様にすがって、口々にお願いした。
王様は末娘の頭を撫でた。
「お前の気持ちはよくわかった。いいだろう、王子の代わりに、私が魔女のところへ行って薬を手に入れてあげよう。その代わり、王子様には、私の出す試練を乗り越えてもらわねばならぬぞ」
人魚姫は不安な顔でうなずいた。
「王子様に話してきなさい。王子様が試練を受けるなら、明日、泳ぎの訓練をしている海へ来るように言いなさい」
次の日、もちろん王子は浜にやって来た。そして、人魚姫に誘われて浅瀬までいき、腰まで浸かったところで、人魚の王様が波間に現れて近づいてきた。
「お前が、私の娘と結婚しようとしている王子だな?」
「はい。王様」
王子は王様に向かって、恭しくお辞儀した。
うなずいた王様は、大きな真珠を王子に見せた。
「これを海に投げるから、泳いで取ってくるのだ。海の底まで泳ぐよりは、優しいだろう」
「はい」
さっそく、王様は海の方を向くと、人魚姫と姉姫達が見守る中、真珠を遠くへ放り投げた。
真珠はキラキラと輝きながら、浅瀬よりずっと遠くへ落ちていった。
人魚姫が急いで真珠が落ちた場所へ潜ってみると、そこは浅瀬から急に深くなっていて、とても深いところに生えた珊瑚の間に真珠は落ちていた。
「お父様ったら! 遠くへ投げすぎですわ!」
「ほんと! 深いところへ落ちてしまいましてよ!」
「お前達は黙っていなさい! ふたりを助けることは許さぬぞ」
王様は姉姫達を黙らせると、青ざめて戻ってきた人魚姫に言った。
「お前も、決して、手助けしてはいけない」
「そんな。お父様、人間は海の中で目を開けるととても痛くて、目が傷ついていてしまいます。それに、海の中をはっきり見ることができないのです。真珠がどこにあるか、わかりませんわ」
「うーむ、それなら場所は教えてやってもいいが、それ以上の手助けは許さぬぞ。目の痛みくらいは、耐えてもらわねばならぬ」
「耳も聞こえないし、人間には海の水は塩辛くて……」
震える声で訴える人魚姫に、王様は厳しい顔で首を横に振るだけだった。
王様は家来に見張るように命じて、城に帰っていった。
不安に震える人魚姫を、姉姫達が取り囲んだ。
「元気をだして。王子様を励ますんですよ」
「そうよ。魔女の出した条件よりは、ずっといいわ」
「あれくらいの深さなら、きっと、息が続くわ」
「ありがとう、お姉様達」
勇気づけられた人魚姫は姉姫達を見送ると、王子様の元へ行った。