その婚約者、替え玉につき
「エミーリア・クラヴィス!貴様の悪事はもはや見過ごすことはできない!私、ノルン・エヴァンスは貴様との婚約を破棄する!そしてこのアリア・セイレムを我が婚約者に望む!」
「何故ですか、殿下……!?わたくしが何をしたというのですか!」
婚約破棄を突きつけるこの国の第二王子と泣き崩れるその婚約者の侯爵令嬢。そして殿下の腕の中で不安そうな顔をしながら隠した口角を上げる男爵令嬢。
そしてそれを中庭がよく見える踊り場から目眩を堪えつつ眺めるわたくしとお腹を抱えて笑うのを堪えながら見ている隣国の留学生である青年。
と、いうか。
「殿下、本当の本当にわたくしの顔すら覚えておられなかったのですね……」
思わず零れ落ちたその言葉に、隣の彼は今度こそお腹を抱えて嫌というくらいに笑い出した。
わたくしはエミーリア・クラヴィス。長い歴史を持つクラヴィス家の本当の令嬢である。
6歳の時、わたくしは流行病で高熱を出したことから前世の記憶というものを思い出した。
わたくしは前世、日本という国の女性で、この世界はその国で流行っていた少女漫画と似通った世界だったのです。とはいえ、戸惑うことも多かった。何せ、漫画のエミーリアとわたくしとでは容姿が全然違うのである。漫画のエミーリアは美しい金髪と青い目、わたくしは薄い茶髪に緑の目、というように。とはいえ、ノルン殿下との婚約は王家からの打診ということもあって断れなかったので、わたくしは「まぁ、家族仲が悪くなければ信用くらいしてもらえるかしら」と呑気に構えて王子妃教育に励んだ。
政略結婚といえど、友人のような……穏やかな関係は作れるのではないかと色々と歩み寄ろうともしてみた。けれど、ノルン殿下はわたくしの顔を見ないし言おうとすることを遮るし、会うよりはという考えなのか大体のことを手紙で終わらそうとする。「何もしていないのにこれだけ嫌われるのってすごいわねぇ」とお兄様にボヤくと、苦笑しながら「婚儀までは時間がある。きっとうまくいくよ」と返してきた。たぶんお兄様もうまくいくなんて思っていない。
そして、学園に入学する年齢になったころ、お父様とお兄様に相変わらず態度がアレな殿下に疲れたわたくしの不安と不満を伝えた。要するに、「殿下、もしかしてわたくしの顔すら覚えていらっしゃらないのではないかしら?」というアレである。さすがにそれはないだろうと笑うお父様とまさかそこまでかという顔をするお兄様。あまりにもわたくしが酷い顔をしていたのだと思う。お父様と陛下で話し合い、取り決めをして帰っていらした。
学園入学からの3年間、わたくしとリナリアという子爵令嬢が入れ替わり、殿下が気づいた段階でこの入れ替わりは終了。もし殿下が気づかなければ王家がわたくしとリナリアに新しく婚約者を見繕ってくれるという。リナリアは「学費まで出していただけるなんて……!精一杯、務めさせていただきますわ!」と心のそこから喜んでいた。なお、リナリアは漫画のエミーリアと同じ顔をしていた。
なので、悪事なんて働きようもないし、働く価値もなかった。
それから約2年経とうとしているときにこの婚約破棄の騒動。
はじめは「さすがに9年も一緒にいた婚約者の顔がわからないということはなかろう」とタカを括っていた陛下と王妃様とお父様は1年ほど経ったころには「ノルンはまだ気付いておらんのか?」「完全にリナリアをエミーリアだと思っている様子」「今更気がついても遅いのではないか?」と青い顔で話し合い、内々に新しい嫁ぎ先を見つけてくれていた。今の様子を見ていてもやはり、それは正解だったと思う。殿下は完全にわたくしの顔など覚えておられなかった。
「笑いすぎではないかしら……」
「ゲホッ……すまない、俺はちょっと笑い出すと止まらないんだ」
眉尻を下げる彼に、わたくしも他人事であればよかったのにと思う。それにしてもリナリアはよくやってくれた。彼女は最高の女優だ。
「ユーリス殿下、この茶番を早くこの国の王家に伝えるべきかと思います」
「そうだよね。エミーリア、少し早いけれど俺の国に嫁いで来てくれるかい?」
留学生の隣国の王弟である彼は国からついてきたという青年の言葉に頷いて、わたくしに何度目かの求婚をした。
……去年、1年間わたくしに気がつかなかった殿下に頭を抱えた王家は、必死に新たな嫁ぎ先を探していた。その時に手をあげたのが隣国の王弟である彼だった。わたくしはおばあさまが王女だったため王家の血を引いていたこと、彼の婚約者だった令嬢が彼の弟と駆け落ちしてしまったこと、すでに彼の年齢に合う身分の問題のない未婚令嬢がいないことなどの理由から切実に相手を探していたらしい。そこに、王家の血縁になる教育を終わらせたわたくしがフリーになったので「互いの国の友好の証にもなるし、嫁いできてほしい」と熱烈アプローチを受けた。リナリアもわたくしについてきてくれることが決まっている。彼女はユーリス殿下についてきたという青年……隣国の伯爵令息に嫁ぐ。将来は伯爵夫人である。彼女の実家は災害による資金難から学園にも通わせることができなかったかもしれない自分の娘が、自分の道を切り拓いたことを大層喜んでいるそうだ。なんとか自領を立て直した彼女の実家は今一生懸命嫁入りの準備をしている。
「エミーリア様がユーリス殿下に早めに嫁いでいただけますと、私もリナリアと想定より早く結婚できます。ぜひ……ぜひ!」
「セラフィおまえ、そっちが目的か」
「当然でしょう。私も愛しい人をこの国の男に目をつけられる前に連れ帰りたいのです!」
中庭のノルン殿下を殺気が篭っている瞳で見つめた彼はそう言って、笑った。
非常に怖い。
その後、わたくしとリナリアは王家からの謝罪とユーリス殿下とセラフィ様の「早く我が国においで!」という熱烈ラブコールを受け、一週間も経たぬうちに隣国へと旅立った。
それから隣国の学園に1年通い、わたくしはユーリス殿下に。リナリアはセラフィ様に嫁いだ。
その後、人伝に聞いた話ではノルン殿下は愛しい人と結婚したようですが、王太子殿下の子が生まれると同時に辺境へと追いやられ、生涯子を持つことはないとされたそうです。
王家って怖い。