最終回 次なる戦い
あの忘れられない一夜から、一か月半が経った。
ぼくはあれ以来、先輩とは一度も会っていない。一夜明けて、朝起きたら先輩があの絵と共に消えていたものだから、あの時は、あの一週間は全部夢で、そもそもあの先輩なんて存在しなかったのだろうかと思った。
しかし、その後、部活の時に部長から先輩に手を出さなかったのかと散々問い詰められたので、先輩は実在している人物だという事がはっきりした。
実は部活がオフの日に一度だけあの美術室に行ったのだけど、そもそも美術室の鍵が閉まっていたので、ここに居ないな、と思ってそのまま家に帰ってしまった。(後に聞いた話によると、その日先輩はうちの部長とデートをしていたそうだ。)
結局、その日以外は部活のコンクールの小道具作りの手伝いや、脚本の手直しなどで放課後がとても忙しかったので、会えずじまいにいたのだった。
そんな日々が二、三週間続き、年末直前に演劇のコンクールが市の文化会館で行われた。練習を何度も見たとはいえ、自分の書いたお話が劇になって形となったことにぼくはいたく感激したのだった。
その余韻を残したまま年が明けて、年初めの定期テストなどで色々忙しかったせいで、テストが終わった頃には先輩のことなんてすっかり忘れていた。“忘れられない一夜”とか言った癖に、あっさりと忘れてしまうとは。
そんなある日の事だ、ぼくは部長に頼まれて再び放課後の美術室に足を踏み入れる事になったのだった。
翌年 1月26日 金曜日 午後5時03分
部活の発声練習を終えて、ぼくは部長に頼まれたブツを持って、美術室へ向かった。
はてさて、先輩は元気にしているだろうか?
廊下を歩きながら、寒い、寒い、と唸っていると美術室の前に到着した。扉に鍵はかかっていなかったので、そのまま扉を開けて部屋の中に入った。
「あれ、後輩くんじゃん。お久しぶり」
部屋の中には椅子に座ってファッション誌を読んでいる先輩がいた。先輩は一か月前とは何ら変わりの無い姿だった。(そりゃあ、たった一か月なのだから、変わっていなくて当然なのだけど)
「なに? 急に顔出したりして。あ、あたしの顔を見たくなったの?」
「んー、それはですね……」
ぼくは持ってきたブツを置き、先輩が座っている椅子へ意味深にゆっくり近づいた。
「ちょ、何、後輩くんから何だか禍々しいものを感じるんだけど!? あとその箱、ナニ!?」
「……先輩」
「なッ、だから何!?」
そしてぼくは制服のポケットからサッ、と個人的に持ってきたブツを取り出し……
パァーン!
「うわァッ!」
先輩は目の前で起こった爆発音に心臓が止まりそうな勢いで驚いた。
「な、ナニ!?」
ぼくは先輩がパニックを起こしている様子を見て口を開けた。
「ハッピーバースデートゥーユー! ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデー、ハッピーバースデー、ハッピーバースデートゥーユー! 先輩、誕生日おめでとうございます!」
誕生日の歌を熱唱したぼくは、先輩の前で鳴らしたクラッカーを制服のポケットに詰めて、机の上に置いた部長から渡された箱を開けた。
「は、ハッピーバースデー、って、後輩くん、あたしの誕生日、知ってたの!?」
「うちの部長から聞いたんですよ。本当は部長が先輩の誕生日祝いをしたかったみたいなんですけど、質の悪い風邪をひいたんで、ぼくが代わりに頼まれて来たんです」
「そ、それはありがと」
先輩が突然の戸惑い故か、一瞬言葉に詰まった。
「……だけどさ、人の顔の前でクラッカー鳴らすって、どうなのよ! あたしの目がやられたらどうするの!」
「あ、それはごめんなさい」
だけど、あんまし先輩も人の事言えないと思う。
「ま、それはこの誕生日プレゼントで許してくださいよ」
ぼくは先輩の前で箱の中身の誕生日プレゼントを出した。
「はい、誕生日プレゼントのケーキです」
箱の中から現れたショートケーキ、チョコケーキ、モンブランなどのケーキを見て、先輩は目を輝かせた。
「うわあ、美味しそう! あっ、これ、駅前の『エフォール』のケーキじゃん! あそこのケーキ、絶品なんだよねえ」
先輩が箱の中に一緒に入っていたプラスチックのフォークを取り出し、ショートケーキの側面に包まれているフィルムを剥がして、ケーキを食べ始めた。
「うん、美味しい! これならクラッカーのことも許しちゃおうかなあ」
「それはどうも」
「しっかし、後輩くんも気が利くねえ。『エフォール』のケーキを誕生日プレゼントに選ぶなんて、絶対にモテるよ」
ケーキ一つでえらい反応の違いだ、一か月前はモテないとか言っていたのに。
「こんなに美味しいケーキを買って来てくれるだなんて、感謝してもしきれないね」
さっきからの様子を見るに、どうやら先輩はこのケーキをぼくが買ってきたと思い込んでいるようだ。ここは一つ、訂正を入れておこう。
「ああ、実を言うとそのケーキ、うちの部長が買って来たものなんです」
「え、そうだったの?」
「部長が風邪を引いたんで、このケーキを託されたんですよ」
「ふうん、そうだったの」
先輩はそう言ってショートケーキを食べ終え、次のチョコケーキに手を伸ばした。
「あ、という事はもしかして、後輩くんもあたしに誕生日プレゼントを用意してきてくれたの?」
「……はい?」
「後輩くんはどんなプレゼントを用意してきてくれたのかなあ」
……この人は寝言を言っているのか、と思った。
「ね、ね、後輩くんのプレゼント、出してよ」
「……先輩、ぼくが先輩に誕生日プレゼント用意している訳、無いじゃないですか」
「……え!?」
「だって先輩……例の報酬の一万円、まだ渡してくれて無いじゃないですか!」
「あ!」
「あ、じゃないですよ! 絵を描き終わった翌朝、先輩が居なかったせいでぼくは一万円を貰えなかったんですよ!」
「し、仕方なかったじゃない! 早く絵を提出しないと締め切り切れちゃうんだから!」
「それでも起こしてくれたって良かったじゃないですか! 目覚めたらもう午前十時だったんですよ!」
「うう、それは謝るけどさあ……」
「なら早く、報酬を渡してくださいよ! あとぼくの携帯の電話代でプラス二十円!」
「あ、うん、渡すからさあ、ちょっと待ちなさい」
先輩は言葉を詰まらせながら準備室に行った。あの態度、何だか怪しい。
一分経って先輩が準備室から戻ってきた。
「ほら、お金渡すからさ、手、出して」
ぼくは先輩に言われた通り、手を差し出した。
「はい」
先輩の手からぼくにお金が渡された。
手を開くと、そこには十円玉、二枚しかなかった。
「……先輩」
「う」
「これはどういう事なんですか」
一万円はどこへ行った。
「確かありましたよね、生徒会から出ている部費が」
「……ごめん、この部、もうお金無いの」
「……何に使ったんですか」
「あの絵を出して、結構いい賞貰ったんで、調子に乗って高い画材を大量に買ってしまいました」
なるほど、一応部活として正しいお金の使われ方はされたみたいだ。しかし、
「……じゃあ何で呑気にファッション誌なんか読んでいたんですか!」
「や、やる気が起きなかったのよ!」
「部活をするために金を渡せないんだったらまだ許せます、だけど金を使っただけで何もしていないのは我慢なりません!」
怒り心頭の僕を見て、先輩は持っていたファッション誌を放り投げた。
「こ、これから描こうと思ってたの! 今はまだアイデア考えている最中なの!」
「じゃあ描き始めるまでこのケーキはお預けですよ!」
「せ、せめてチョコケーキを最後まで……」
「駄目です!」
「こ、後輩くんの、オニーッ!」
「オニで結構です! 報酬をすっぽかしたからには、ちゃんといい絵を描いてくださいよ!」
「言っておくけどね、絵を描くっていうのはかなりハードなんだよ!」
「それくらいは知っています。だけど人間やればできる!」
「……はーん、そこまで言うんだったら、後輩くんも何か絵を描いてみてよ」
何、ぼくが、絵を描くと。面白いじゃないか、ここは先輩からの挑戦を受けてやろう。
「判りました。ぼくだって、絵を描くの、苦手じゃないんですよ」
「……言ったね?」
「ええ、先輩より良い絵を描いてやりますよ」
「よーし、じゃあ、あたしを描いてよ! あたしの絵より上手かったら、残ったケーキ、全部やるから! その代わり、下手だったらあたしの誕生日プレゼントを買ってよね!」
「受けて立ちますよ」
そしてぼくと先輩は準備室へキャンバスや絵の具を取り出しに向かった。
「キャンバスはどこにあるんです」
「その棚の上」
「前々から思っていましたけど、何でも棚の上に置く、って考え方、改めた方がいいですよ」
「うるさいなあ、後で整理するって」
ぼくは、はいはい、と適当に相槌を打った。
「う、届かないな」
「あたしが出すから」
そう言って先輩が棚の上に手をやった。
「あと、もう少し……」
「せ、先輩。そこ、キャンバスじゃなくて、棚の縁じゃ」
「んーっ、掴んだ!」
先輩がそう言った瞬間、ぼくの目にはこちら側に倒れかかる棚の姿が……
「先輩、これは」
「……ごめん、またやっちゃった」
その時、ぼくの頭に強い衝撃が走った。そしてその衝撃を境に、意識が薄らいでゆく。
……ああ。ぼくたち、これから、どうなるんだろう。
『Drow,Me!/描く女、描かれる男』 完
この物語はフィクションです。実在の人物名、団体名とは一切関係ありません。




