花の園
「さあ、いらっしゃい。良い娘が揃っているよ」
夕方の早い時間、埠頭に近くに店を構える娼館<花の園>が店開きをした。
長年軍港の町で営業してきただけに、水兵相手に金を巻き上げ、もといごひいきにして貰い建物は大きく、増築に次ぐ増築で内部は迷宮のように広がっている。
帰投してきた艦隊の水兵を収容するにはこれくらい必要だった。
だが、最近は艦隊の入港も少なく、稼働率が不充分な時期が続いている。
女将が大声で宣伝しているにもかかわらず、客の入りは悪かった。
「ち、しけているな」
船団でも帰ってくれば、船員で溢れるのだが、まだ入港の話しはない。
「あー商売あがったりだよ」
「済みません」
その時、声を掛けてくる人がいて、女将は反射的に振り向いた。
「はい、何でしょう?」
見ると、精一杯めかし込んだ若者だった。
高価な布地を使っているが、所々洗濯した跡があるし何度か見たことがあるから貸衣装だと解る。
若い士官か候補生が精一杯めかし込んで中に入ろうとしているのだろうと女将は見当をつけた。
「今日一晩借りたいのですが」
「良いですよ。極上の美姫をご用意いたします」
「いや、私だけじゃ無くで数十人で使いたいので借りたいんだが」
「え?」
突然の申し出に女将は戸惑った。
「結構な値段になりますが」
若い士官が部下に舐められないように気前の良いところを見せようとしているのだろう。
それを察して女将はご注進した。
「ああ、解っている。これで何とかならないか。おい」
そう言うと雨合羽のフードを深く被った小柄な少年、小間使いらしき少年に命じて袋を持ってこさせた。
「これで足りるかな」
「おおおおっ」
少年に袋を開かせるとそこには、黄金色のコインが一杯に詰まっていた。
「十分でございます。一日と言わず数日お使い下さい」
半月分の金額だったが女将は少なめに言った。
「ありがとう。お言葉に甘えて三日ほど大勢で使わせて貰うよ」
「そんな、もっと居てくれても」
「ただ初日に一寸騒がしくなるから、迷惑料と思ってくれ」
「はい、お荷物はありますか?」
「ああ、そこにある。おい、運び込んでくれ」
『はい』
赤髪のサーベルを下げた少女と、フードを深く被った子供が答え、後ろにいた下男らに命じて馬車から荷物を下ろし始めた。
動きがキビキビしていて海軍の水兵と思った。
ここ最近動員が始まり、元水兵が次々と軍艦に乗り込んでいる。
あぶれたのは、素行が悪すぎて受け入れられなかった連中だ。キビキビ動く水兵は働きが良いので直ぐに採用されるので、こんな動きはしない。
「あの、何が始まるんでしょう?」
しまったと思いつつ、女将は尋ねた。
「いや、遠出をする前に、情緒を皆で楽しもうと思ってね。だから色々騒ぎたいんだよ」
「ああ、なるほど」
どうやら候補生の若い貴族様のようだ。出撃前に上陸して楽しむみたいだ。
馬車の大量の荷物は衣装箱で、楽しむための衣装が大量に乗っているのだろう。
「わかりました。おいウィルマ! 荷物を運びなさい」
「……」
奥にいた白い髪の少女が女将を睨み付けるように振り向いた。
「何やってんの! でないと飯抜きだよ!」
そのままゆっくりと歩いて行き、馬車から荷物、衣装箱を受け取ろうとした。
「待った!」
フードを被った少年が叫ぶが、遅い。重い箱にウィルマはバランスを崩して倒れた。
だが、直前に少年が引き寄せたお陰でウィルマは下敷きになるのを免れた。
「気をつけな! お客様の大事な衣装箱なんだからね」
女将が怒鳴るがウィルマは何も言わなかった。ただ驚きで大きく目を見開いていた。
次の瞬間、少年はウィルマを抱き寄せた。
「あー、女将、私はこの子が気に入ったんで、連れていきたいんだが」
「え、その子ですか? 身売りされてきた子で、珍しい色白なんですが気性が荒くて」
かんしゃく持ちで、よく客とトラブルを起こすウィルマを女将は良く思っていない。今回もトラブルになって、賠償金を払うのは勘弁願いたい。
「いや、構わない」
そう言って少年は、女将に金貨を渡した。
これまで客に粗相をしてきたウィルマにこんなに金を出されたのは初めてのことだ。これまでの損失を取り返すには良い機会だ。
「毎度あり」
そう言って少年はウィルマを強く抱き寄せて、奥に連れていった。そして、女将に聞こえないような小声でウィルマに言った。
「黙っていたら乱暴な事はしないよ」
なるべく優しい声で言ったのが功を奏したのか、ウィルマは黙って従った。
その日の夕方、サンダラーなどの軍艦から多数の水兵と海兵隊員が上陸を始めた。
彼らの一部は、町の一角に向かい封鎖を開始する。
その一部にゴードンは目配せをした。指揮官は自分に忠実な海尉だ。ゴードンに華を持たせる為に、捕らえた民間人をゴードンに渡す事を決めている。
フォード家の庇護を受けたいと思う海軍士官は多いのでこのような手合いは多い。
ただ彼は、前の任務で失敗を犯してしまって、出世の目が無いのでゴードンを助けることで昇進したいと考えていた。そのような手合いとつるんでいるから合格できないのだが、ゴードンは気が付かなかった。
「よし、行くぞ」
「はい」
自分が率いる部隊に命じて目星を付けた酒場――パブ<シルバーアロー>に向かう。
この辺で一番大きな酒場で、飲んべえ達が大勢居る。彼らを捕まえれば良い。
逃しても、封鎖線に追い込めば自分たちの手柄になる。
カイル達は反対側の埠頭あたりに居るみたいだが動く気配がない。
この勝負に勝ったとゴードンは確信した。
<シルバーアロー>のドアの前に立つ。部下達が配置に付いたのを確認すると、ドアを蹴破って叫んだ。
「皇帝陛下の名において命じる! 整列し点検を受けよ!」
強制徴募の定型句。
これで彼らは整列し自分たちの点検を受け、艦、サンダラーへ行かなければならない。
この文言に恐怖して動けなくなり、従順に従うとゴードンは思っていた。
「何だと」
だが現実は違った。
約半数がゴードンを睨み、怒りをぶつけてきた。
「やるかこら!」
「ま、まて、俺は海軍士官だぞ。暴行したら」
その後の事は言えなかった。顔面を殴られて口に出来なかった。
「こいつら!」
殴られた怒りでゴードンは腰のサーベルに手を掛けて切り伏せようとした。怒りを殴った相手に向けようとしてそちらに集中したため、背後から棒で打たれるのに気が付かなかった。
「ミ、ミスタ・フォード」
後頭部を殴られて気絶したゴードンを助け出そうと部下達が動いたが、酒場から出てくる客の流れに押し流され、彼らはゴードンを救うどころか、自らの身を守るので精一杯となった。
本来なら、彼らを押さえつけなくてはならないが、やけに好戦的な上に指揮官のゴードンが倒れたため、指揮系統が麻痺して混乱した。
そしてそれは、号笛の音が聞こえるまで続いた。