覚悟
夕方となり、暗くなったのでカイルは測量の作業を終了させた。後は数値を元に海図に起こすだけだ。
カイルはボートをブレイクに戻し、作業に当たった水兵達に休息を命じる。
彼らは艦内に戻って、それぞれ特配のグロッグを受け取ったり、夕食を摂り始める。
そんな時、マイルズは艦長室を訪れた。
「失礼します」
「良く来てくれた」
そう言ってサクリング艦長はマイルズを迎え、自らグラスを出してウィスキーを入れて渡した。
二人で乾杯して、一気に飲み干す。
「ありがとうございます」
「気にするな。戦勝祝いに誰かと呑みたかったんだ」
そう言って、サクリングは二杯目をそれぞれのグラスに入れた。
「ところで、ミスタ・クロフォードはどうだね?」
「精力的に働いています。他の士官、それも任官して数年経った海尉より遥かに知識と能力があります。今からでも艦の指揮を取らせて大丈夫でしょう。戦闘を除けば」
「どういう事だね?」
「先の上陸戦闘でミスタ・クロフォードは、殺されかけました」
「報告は聞いている。ミス・タウンゼントが助けたんだね」
「ええ、ですがその前にミスタ・クロフォードはそいつを殺す機会がありました。ですが、降伏を促すのみで殺しませんでした」
「捕虜にするのは悪い事では無いが」
「殺意を向けられたままで、降伏を促すのは危険です。実際に死にかけています。簡潔に言うとミスタ・クロフォードは人を殺すことに抵抗があります」
「戦闘は幾つもこなしているが」
実際、カイルはこれまで陸上戦闘や海上戦闘をこなしてきた。
「クラーケンも相手にしている」
「ですが明確に自らの手で人を殺すことはしていません。イスパニアでの陸上戦闘も指揮はしていましたし銃撃はしていましたが、自分で殺してはいません。考えて見れば、銃も撃っていましたが致命傷を当ててはいませんでした。フリントロックの命中率の悪さを考えても明確に殺すことを拒んでいます」
「……それは確かに問題だな」
海戦は基本的に白兵戦で決まる。
砲撃戦のみで沈没に至ることは少ないし、捕獲賞金を得るため相手の船を乗っ取るのに白兵戦を行う。
その時、相手を自らの手で殺せないというのは致命的だ。
他の能力に優れているし有能だが、戦闘時に人を殺せないのでは、自分が殺される可能性が高い。何より、部下達の士気にも関わる。
士気、乗組員のやる気を引き出すには指揮官が自ら先頭に立って戦わないと無理だ。
特に徴募された水兵相手には。
「だが、これはどうしようもないが」
「はい、頭の痛いところです」
サクリングの意見にマイルズは同意した。
心構えなどは、口で言っても分かるモノでは、ないからだ。
「もう一杯どうだね?」
空になったグラスを見てサクリングは尋ねた。
「いえ、もう結構です。それでは失礼します」
「そうか、この一杯は取っておくよ。何時でも呑みに来たまえ」
「サンキュー・サー」
そう言ってマイルズは艦長室を後にした。
解散を命じた後、カイルとレナは候補生区画へ戻り夕食にした。
エドモントは、丁度当直で上にいる。
ここに居るのは、レナとウィルマだけだ。
レナは食事に来たため、ウィルマは自主的に給仕役をやっている。
本当はやらなくて良いのだが、何故かいつもやって来る。そしてカイルを見て、喜んでいる。
無表情な彼女だが、カイルを見ていると喜んで、見えないと不機嫌な事が解っている。
ちなみに今の彼女は不機嫌だ。
レナがカイルを見て何か話しかけようとしていたからだ。決して、話させまいと睨み付けている。
ここ数日こんな状況が続いている。
だが、これ以上レナとの関係が悪くなるのは嫌なので、カイルは話しをすることにした。
「ウィルマ、スラッシーからスラッシュを買ってきてくれ。片足のトムからだ」
スラッシュと、塩漬け肉を鍋で煮ると上に浮いてくる黄色い油のことだ。
バター代わりにビスケットに付ける。配給のバターもあるが、腐っていることが多いのでスラッシーから買う。
スラッシーは船のコックでスラッシュを扱うことから、このようなあだ名が付いている。そして、片足の者が多い。負傷して片足になっても船の上で出来る数少ない仕事だからだ。なので昔の海戦で負傷し足を切断したトムがコックを務めている。
カイルに頼まれたウィルマは、喜びと悲しみの二つの感情を混ぜ合わせた無表情な顔、というか雰囲気でカイルを見続けた。
頼まれ事は喜んで遂行したいが、レナと二人っきりにするのが不安。
そんな表情だ。
「頼むよウィルマ」
だめ押しにカイルが囁くと、ウィルマは飛ぶような勢いでガレー、厨房に向かって行った。
暫し呆気にとられた後、カイルは姿勢を正してレナに尋ねた。
「何が言いたいの?」
「この前の潜入上陸よ」
そのことはカイルも見当が付いた。
あの時の作戦後から、レナの様子がおかしかった。
カイルに対して何か言いたかったが、なかなか言葉が見つからなかったようだ。今日ようやく見つけて、伝える機会を見計らっていたみたいだ。
「あなた、人を殺すことが出来ないのね」
「……そうだね」
カイルは素直に認めた。
確かにカイルは、この世界の住人だが、現代日本で過ごした記憶が強く残っている。
人を傷つけるな、人を殺すな。
現代日本なら美徳とされるであり、守らなければならない規範。
それが頭を過ぎって自ら相手を殺傷することに抵抗がある。
これまでも戦闘は何度も行ってきた。だが、それは船の戦いであり、ゲームのユニットを動かすような感覚でやってきている。
陸上での戦闘も指揮官として、何処か高みの見物か、他人事のように思った。
それでも撃たなければやられる、と言う意識で人を撃ったが致命傷を避け、外した。
カイルは戦闘経験が全くなかった。個人として殺人を行う事が出来ずにいる。
勿論、殺人を前提にした訓練は受けていたが、実践には躊躇いがあった。
「このままだとあなた殺されるわよ」
「……だろうね」
「だろうね、って何でそんな他人事なのよ!」
レナは席を立ってテーブルに身を乗り出してカイルに迫った。
「一寸落ち着きなよ」
「そうね。確かにあたしは、落ち着きが無い。けど、海軍に入隊するとき覚悟は決めたわ」
「覚悟を決めたからって、船が動かせる訳無いよ」
「確かにね。あんたより年長だけど、知識も才能も技能も、カイルほど無いわ。今艦を与えられてもカイル程、上手く動かせない。同じ条件じゃあ船で、あなたに勝てないでしょう。でも、剣であなたと戦う事になったら、確実に勝てるわ」
「そんなのは無意味じゃ」
「無意味じゃない! 海戦の最後は白兵戦なのよ! その時、斬り込むことになるのよ!」
「その時はレナにまかせるよ」
「ありがとう。けど、戦闘に絶対は無いのよ。私は真っ先に斬り込むわ」
「今までもしていたでしょう」
「混ぜ返さないで。けど、斬り込んだ後、敵が逆に突っ込んでくるかもしれない。その時、一対一で戦う事になるわ。なのに相手を殺せないのでは、殺されるだけよ」
「そうだね」
「違うわよ、ガキ!」
そう言ってレナはカイルの襟首を掴んでカイルに迫った。
「殺しに来た相手は殺さないと自分が生き残れないのよ。そのことを私は、父や部下達から教わったわ。あたしにはその覚悟がある。けど、あなたにはない。だから、あなたは、何も出来ず、あたしに殺されるの」
「そんなこと」
「無いと言える? 敵でさえ殺傷できないのに? ちなみに、私は、あなたと戦う事になったら躊躇はするでしょうけど傷つける事も殺すことも覚悟している」
「躊躇はしてくれるんだ」
「黙りなさい。船や海の事を知っていても、生き残れなければ無意味よ」
レナの言葉は、誇張でも何でも無く真っ直ぐに事実を伝えていた。それが分かっていたからカイルは何も言い返せなかった。
そのことはカイルも理解していたし、欠点だと思っていた。だが、どうしても乗り越えることが出来ずにいた。
そうして二人が見つめ合っているとき、ウィルマが戻ってきた。
レナがカイルの襟を掴んで吊るし上げようとしている。それを見たウィルマはナイフを取り出してレナに襲いかかった。
レナは咄嗟にカイルを解放し、サーベルを取り出して迎撃する。だがウィルマは容易く避けてレナの懐に入ると腰だめにナイフを突き刺そうとした。
「止めろウィルマ!」
カイルが叫んだ瞬間、ウィルマはナイフを収め身体を捻って、レナの横をすり抜けた。
「少し口論しただけだ。心配するな」
「……はい」
ウィルマはそれだけ言って買ってきたスラッシュをカイルに渡した。
その顔は、千載一遇のチャンスを逃したという、悔しさに溢れていた。
「ウィルマに守って貰おうと思わないでよ」
「解っているよ」
思わぬウィルマのナイフ技を見てレナはカイルに注意した。
最近、ステファンの元でナイフの使い方を習っているが、こんな戦闘法を教わっているとは知らなかった。
変な事を教えていないか、注意してみる必要があるとカイルは、認識を新たにした。
「さっき言ったこと忘れないでよ」
「うん」
食事の終わりにそう言ってレナはクリスの部屋に戻っていった。
ウィルマは最後までカイルの元に居ようとしたが、説得して寝床に帰す。
残ったカイルはハンモックを広げて横になった。
「覚悟か」
ハンモックの中で、カイルはレナの言葉を反芻した。
船乗りになる覚悟はしていたが、殺傷に関しては何処か他人事、ゲームや物語の話しだけを聞いてその気になっていた。
勿論そういうこと、自分で殺傷することになるという認識はあったが実際に、その状況になると身体が、精神が動かなかった。
「覚悟ね……」
カイルはそれだけ呟くと、睡魔が襲ってきて、眠りについた。