刑罰
「両名共に下がって良し」
サクリングの言葉で二人は敬礼して艦長室を出ようとした。
「ミスタ・クロフォード」
「はい」
部屋を出る直前、カイルは艦長に止められた。
「幾らエールをかけられたとはいえ、手を出すのは感心せんぞ」
報告書、調書を読みながらサクリングが注意した。
「士官になった以上、男女ないかと。女性だけを避けてくれる砲弾など有りませんから」
「そうだが、余裕があるうちは尊重しておけ。余裕が無いなら作れ。余裕を作れるか否かで今後の士官生活は大きく変わるぞ」
「ご助言ありがとうございます」
カイルは再び敬礼して艦長室を出ていった。
「ああ、両舷直か」
艦長室を出た後、レナが溜息を付いた。
「軽く済んで良かったよ」
「どういう事よ」
「普通なら、軍法会議だけど、艦長が港湾司令部にかけあって引き取ってくれたんだよ。普通なら警備司令部で処罰を受けるのにね」
警備司令部が町の治安維持や将兵の取り締まりを行っており、本来ならそこで処罰する。だがカイル達が帰れたのはサクリング艦長の働きかけのお陰だった。
本人が明言した訳では無いが、そのような事が行われたのだろう。
「普通ならどうするの?」
「降格か拘禁か、階級剥奪だね」
「……」
「まあ、それを抑えてくれたんだから艦長には感謝だね」
カイルの言った事は本当だし海軍の規則でも決まっている。
だが、実際の運用では執行者の裁量に任されている部分が大きい。ある罪が、除隊処分だったのが別の場所や状況では拘禁で済んだ、などの例が多い。
今回は大規模な艦隊が到着して大勢の水兵が町に出て行ったため、酔っ払って拘束される水兵が多く、警備司令部の処理能力が限界を超えていた。
そのため、各艦に引き取らせて、それぞれに処罰させる気だろう。
乱闘は行きすぎだったが、水兵の乱闘は日常茶飯事だ。士官は流石に少ないが、候補生同士という事もあり、大目に見て貰えたのもあるだろう。
勿論、ただでは無く、それなりの便宜、指定した業者から補給を受けろとか、そういう遣り取りが行われた可能性がある。
そこまで行かなくても、警備司令部の人間に今度士官クラブで奢れよ、と言われるくらいはあり得る。
艦長にとっても不本意なはずだ。申し訳ないことをしたとカイルは溜息を付いた。
「兎に角、この後僕は当直、レナはその後。今のうちに休んでおいて」
「うん……」
そう言って別れた後、レナは自分の部屋でもあるクリフォード海尉の部屋に向かった。
「あれ? 何か報告がおかしいような……」
部屋に入って上着を脱ぎながらベットに入ってレナは考えた。
「カイルが最初に殴りかかったんだっけ」
そのことを思い出そうとしたが、睡魔に襲われて眠り込み、レナは思い出せなかった。
「どうしてミスタ・クロフォードが罰を受けるんですか」
乱闘を起こした罰として弾磨き、ブレイクに搭載された全ての砲弾を磨くよう命令されたウィルマ達は甲板で黙々と、重い砲弾を磨いていた。
そんな時、ウィルマが自分の疑問を呟くと、同じ作業を命じられ隣で砲弾を磨いていたマイルズが吐き捨てるように答えた。
「士官同士でケンカをしたからだ」
「ミスタ・クロフォードは暴行を受けたんですよ」
不満そうにウィルマが言うとマイルズは周りを見て声を小さくして答えた。
「お前の為だよ。ウィルマ」
「? どういうことです?」
マイルズは小さな声で続けた。
「いいか、士官への暴行はどんな理由があろうと、死刑だ。お前が暴行したとなれば、軍法会議に掛けられ、即日縛り首だ」
水兵の数が足りないとは言え、士官を殴るような粗暴者を感情に載せておく事は出来ない。そのような指揮系統を乱すような要素が存在する事は軍隊として看過できない。故に厳罰に処す必要がある。なので士官への暴行は受理されれば確実に刑が執行される。
「そんな。あれはミス・タウンゼントが」
「士官が殴ってきてもだ。上官を守ろうとしても相手が士官なら、刑罰の対象になる。だが、士官同士なら話しは別だ。士官同士の私闘と言うことで、叱責で済む」
だが、士官同士というのなら話しは別だ。
乱闘騒ぎになっても殴り合う士官達の周りで水兵達が暴れた、と言う事になるので言い訳が立つ。
なので過剰とも言える暴行をカイルは行って、自分がレナを殴ったという印象を水兵達に与え、最初に殴ったのがウィルマという事実を隠した。
勿論、一部の水兵は覚えているだろうが、事の次第を心得ている下士官が水兵に言い聞かせて上に報告されないように、まとめ上げている
「今回は下士官兵の乱闘を促した、という事になっているから両舷直が命令されているがな」
「つまり」
「そうだ。お前を庇って殴りかかったんだよ、ミス・タウンゼントに。本来なら受け流せば良いのに」
「あたしの為に……」
それを聞いたウィルマの顔が少し赤くなった。それを見たマイルズはウィルマに言い聞かせた。
「兎に角、お前を庇ったんだ。ミスタ・クロフォードにキチンと礼をしておけよ」
感謝の言葉をかけるなり、今後も尽力する様にマイルズは促したつもりだったが、ウィルマは別の意味に聞いてしまって、顔が余計に赤くなった。
「はあ、疲れた」
四時間の当直任務を終えてカイルは寝床に戻った。
この後四時間の休息の後、また四時間の当直がある。何としても寝ないといけない。
今回の乱闘はレナがエールを掛けた後、カイルがレナを殴った事になっている。ウィルマが殴ったとなれば、上官への暴行で死刑は確実だ。
将来優秀な水兵、下士官になる可能性のあるウィルマを殺したくなくて、咄嗟に殴りかかった。レナには悪い事をしたが、先に仕掛けてきたのは向こうだから、お互い様だ。
先ほどの当直でロイテルへの、自分がレナに殴りかかって騒動を起こした旨のお詫びの手紙を書いた。スピリッツの一本も付けたので口裏を合わせてくれるだろう。
そうした処理を終えて、自分の寝床のハンモックに入り、寝ようとしたら。
「!」
いきなり、誰かがハンモックに入って来た。
「だ、誰?」
驚いて起き上がるとそこにいたのは
「ウィルマ!」
今回の騒動の先陣を切ったウィルマがそこにいた。
「どうしてここに居るんだ?」
「今回の事でお礼をしようと思いまして」
「お礼?」
ウィルマを庇ったことを言っているのか。まあ上官としてやりすぎかも知れないし、甘いとも思えるが自分で起こして自分で責任を負うことにしたので、気にする必要は無い。
「って! なんだその姿は!」
言おうとした瞬間、ウィルマの姿を見て驚いた。
何も着ていない、一糸まとわぬ、生まれたままの姿のウィルマがそこにいた。
病的なまでに白い肌と髪と目が、これでもかと薄明かりの中に照らし出されている。
まるで彫刻のような白さに幼いながらも緩やかな曲線が艶めかしく美しい。
「お礼を……」
「だからどうしてそれがお礼になるんだ」
「私は私以外に何も持っていないので」
ああ、娼館に売られて何も持っていないから、自らの身体を捧げようと言うのか。
「そういう安売りはいいから」
「ミスタ・クロフォードに貰ってもらえるなら、本望です」
一点の曇りの無い瞳でウィルマがカイルを見つめてくる。
何の邪心も無く、本気でウィルマは言っている。
捨て猫の世話をしたら懐かれて、離れてくれないのと同じ状態だ。
「私じゃダメですか?」
身体を捻らせシナを作ってウィルマはカイルに問いかける。
娼館にいただけに周りの遊女を見て覚えたのか様になっている。
遊女が男をじらすような言葉だが、ウィルマは本気で聞いてきている。
その熱意に当てられて、ほぼ無意識にカイルは手を伸ばした。
「おい、エロガキ共」
いつの間にか背後に立っていたレナが声を掛けてきた。
「眠い目を擦って当直に立って、巡検に来たらお楽しみか」
レナは笑顔で腕を組んで立っているが、額に血管が浮き出ている。
「ウィルマが死刑にならないように庇ったと思ったら、自分が楽しむ材料に使った訳か」
「ち、違う!」
「問答無用!」
次の瞬間、レナの拳骨がカイルに炸裂した。次の瞬間、ウィルマがレナに掴みかかった。
「失礼します! ウィルマがこちらにいませんか」
二人が殴り合いをしているとき、ウィルマがいない事に気が付いたマイルズがやって来て、二人を引き離した。
カイルは頭の激痛を抑えつつ何とか、レナと班員を説得して、この件を有耶無耶にして事を収めた。
「じゃあ、あっしはウィルマを連れて戻しますが、ミスタ・クロフォード。もう少しウィルマにルールを言い聞かせてくだせえ。こいつはあんたの言うことしか聞きませんわ」
そういうマイルズにウィルマを引き取らせて寝床に連れていかせると共に、レナを何とか説得して当直に戻して、カイル自身はハンモックに入った。
ただ、レナに喰らった拳骨の痛みが後を引き、結局一睡も出来ず、そのまま当直に立つ事になった。




