トリアージ
「東より接近する船影あり!」
トップの見張員が大声で報告をした。
当直中のビーティー海尉が望遠鏡で確認する。
マストには飛翔する鷹、バルバリア海賊共だ。
「総員戦闘配置!」
再びドラムの音が鳴り響き水兵達が配置に向かう。
カイルも新たな配置となった医務室に入って準備を整える。
入院患者を別の場所に移し、手術台と待機場所を確保。メスやノコギリなどをアルコールで消毒して、受け入れ態勢を整える。
「戦況はどうなっているんだ?」
準備が終わって待機していると戦況が気になった。
自分なら風上に行く、風向きの状況は、相手はどんな動きをしているのか。
下甲板にいるカイルには全く伝わってこない。
妖精に声を中継して貰うのだが、戦闘配置に付け、敵艦までの距離は、火薬運びます、といった怒鳴り声ばかりで、頭が混乱する。
妖精はあまり知能が無く、気まぐれに声を拾ってくるだけ。お陰で必要な情報が集まらない。
視界が通る部分なら、あの方角の音を拾ってきてとお願いできるが、船倉に近い壁だらけの部屋では無理だ。
下手にごり押しすると、妖精は全く言うことを聞いてくれなくなる。
妖精魔法を習えないカイルにはこれが限界だった。精々、自分の出来る範囲でやれることを行うしかない。妖精に尋ねるのを止めて自分の五感だけで判断する事にした。
暫くして砲撃音が響いた。
「砲撃用意!」
マイルズの怒鳴り声で、班員達は砲撃の準備を始める。
五番員のジョージも例外では無い。パウダーモンキーであるウィルマから火薬を受け取り、マイルズに渡す。そして、装填が終わると一トン以上もある大砲を押し出す。梃子と滑車を使うが、重い。力一杯押さないと、素早く押し出せない。もたつくと怠け者と言われて鞭で打たれる。打たれたくないから必死だ。
砲口を艦の外に出してようやく、自分の仕事から解放され、外を見る余裕が出来た。
前には海賊船。この前と同じくらいの大きさだ。連中はこちらを狙って大砲を押し出してきている。
向こうの何門もある大砲がこちらを睨んでいる。あそこから砲弾が飛び出して自分に向かってくる、と思うと身が竦むが、何故か、自分だけは大丈夫、という気持ちが湧いてきて冷静になれる。
それがジョージには不思議だった。
「撃てーっ!」
「撃てーっ!」
「撃てーっ!」
サクリング艦長の号令が響き、続いて海尉達の号令が響く。
班長のマイルズは大砲で狙いを付けていた。
その間にも海賊船は接近して砲撃してくる。
早く撃ってくれ。
何かを狙っているのか、マイルズは撃とうとしなかった。
幸い海賊船の砲撃は的外れで、当たらなかった。
だが、何時命中するかと気が気では無かった。それでもマイルズは、その瞬間を待っていた。
艦の動揺と敵艦の方角、仰角が一致する瞬間を。敵の砲撃が来ようと心乱すこと無く、相手の船体に当たる瞬間を。
マイルズは、その瞬間に引き金を引いた。火打ち石を挟み込んだハンマーが落ちて導火薬に点火、火が通火孔を通り装薬に点火、爆発。一二ポンドの砲弾を空に解き放った。
砲弾は、目にも止まらぬ速さで行き、海賊船に命中した。
「やったー!」
「やったぜ!」
命中して喜び合う、班員達。だが、次の瞬間、海賊船が砲撃、ブレイクに命中した。
「ぶっ」
突然横から何かがぶつかった。衝撃でジョージは大砲に倒れるが、何が当たったのか解らない。手を当ててみると、真っ赤な液体がベットリと付いていた。
「ひっ」
血だった。
大量の血が自分の身体に付いている事にジョージは驚き狂乱した。
「落ち着け! そいつは他人の血だ!」
暴れるジョージをマイルズが押さえつけ、落ち着かせる。直ぐにステファンが天井の梁に提げられている防火用のバケツを取ってジョージに水を浴びせて血を拭う。
「は、はあ」
まっさらで何の怪我の無い自分を見てジョージは落ち着いたが直ぐに血の気が引いた。
「ひっ」
隣の班が全滅していた。
砲弾が飛び込んできて班員の身体に命中して身体をそのまま粉砕して行った。その飛び散った身体の一部がジョージに当たったのだ。
残りは壁や天井に当たるが、直ぐに見えなくなる。天井も壁も真っ赤な塗装で塗られているからだ。床は毎日磨くので塗装できないが、飛び散った血は、砂を撒いて吸わせる。
洗うと言うより、足を滑らせないための処置だ。
だが、亡くなった奴はまだマシかも知れない。
「うううううっ……」
砲撃で飛び散った船の壁が、飛び散り巨大な木片となって隣の班員に襲いかかった。大小様々な木片が身体に刺さり、あるいは身体を切断して行ってしまった。
その苦痛がこの後も続くのだ。
「おい、早く、負傷者を医務室へ連れて行け!」
「運ぶぞ」
いつの間にかやって来たウィルマが呟くとジョージに負傷した班員を運ぶように命じて、自分も血まみれの負傷者を担ぎ、医務室へ運んでいった。
船体を砲弾が貫く音が、カイルの耳にも響いてくる。
助手や看護兵が上を見て不安そうにする。
「大丈夫だ。この後、暫くは砲撃はない」
カイルは断言した。
進路が変わるような動きはしていないので、正面から砲撃戦になったようだ。互いにすれ違う時に砲撃を行う反航戦。
砲撃できるのはすれ違う時の一瞬だけだ。
その後は互いに反転して砲撃を繰り返すことになるだろう。
事実、カイルの言うとおり、砲撃は止んだ。変わって甲板から怒鳴り声が響き、右に舵を切る傾きが伝わってきた。
風上に切り上がって上手回しをして敵艦を追撃するつもりだ。
砲撃で人数が減っているはずだが、それでも上手回しを行うなんてサクリング艦長は戦闘的だ。
そして、医務室に近づく足音を聞いてカイルは怒鳴る。
「患者が来るぞ! 準備をしろ!」
「ミスタ・クロフォード! 治して下さい!」
直後血まみれになった水兵がやって来た。
他にも、軽傷を負った水兵が何人もやって来ている。
「連れてきた」
ただウィルマだけは、無表情いや、カイルにだけ褒めて貰いたそうに視線を向けている。
とりあえずカイルは彼らを見たあと、指示を出した。
「ドノヴァン君、彼らの木片を抜いた後、消毒しなさい。看護兵、彼を手術台に」
助手のドノヴァンに軽傷者を任せ、自分は重傷者を見る。
血まみれになっている水兵に純水を掛けて、血を洗い流して傷口を見る。
胸を中心に木片が針のように何本も刺さっている。
砲弾が船体やマストに命中すると、その運動エネルギーで構造材である木が破壊され、細かい針のような破片となって、周囲に飛び散る。砲弾ほどでは無いが、人体に突き刺さるには十分な威力を持った木片を乗組員は浴びることになる。
それら刺さった木片を抜くのがカイル達の主な仕事になる。
「ブランデーを飲ませとけ」
看護兵に命じてブランデーを飲ませると共に猿ぐつわを噛ませる。
痛覚が残った状態で身体を切るのだから凄く痛い。
だから強い酒で痛覚を麻痺させる。
準備が終わるとカイルは刺さった木片の近くをメスで広げて木片を取りだし、熱した鉄で毛細血管を塞ぐと糸で縫う。
酒の効きが悪いのか、時折痛みで身体が跳ね上がる。
それを看護兵が力尽くで押さえつける。前線に向かない兵隊が配属されると思われがちな看護兵だが実際は逆だ。
船上仕事で鍛えた力強い水兵を押さえつけるため、彼ら以上に鍛えていないと務まらない。治療しやすいように腕や足を手術台に押さえつけて動かないようにするのが、彼らの役目だ。
「よし、完了」
看護兵の活躍もあって、カイルは木片を取り除き、止血して縫合することに成功した。
後は、生理食塩水、煮沸消毒した海水一に純水を二加えた物を注射器で注入する。
失った血液の代わりだ。輸血が一番なのだが、血液型の判定知識、技能がないカイルには、これが精一杯だ。
ドノヴァンも軽傷者の治療を丁度終えたところだった。
だが、その時再び砲撃戦が始まった。
反転を終えて、互いに砲撃位置に来たのだろう、激しく船体を砲弾がぶつかる音が響いてくる。
一連の砲撃で各所に命中した震動が医務室に伝わる。
「次が来るな」
カイルが呟くとほぼ同時に負傷した水兵が連れてこられた。
「負傷者です」
「そこに並べろ!」
次々来る負傷者を見てトリアージ、負傷の状態を見て治療の順位を決める事を行う。災害時など、時間と医療資源、麻酔、薬品が足りない状況で効率的に治療を行う為のシステムだ。一通り負傷者の状況、意識が有るか、出血多量か否か、など簡単に見て判断する。
「よし、こいつとこいつとこいつから始める。全員かかれ。ウィルマ、君の配置は上の甲板だろう。直ぐに帰るんだ」
カイルが指示で医務室をウィルマが名残惜しそうに出て行った時、新たな患者がやって来た
「副長が負傷した!」
左腕に木片を突き刺したまま副長のブレイクニー海尉が運ばれて来ている。
「直ぐに取り除きます、手術台に載せろ」
「カイル! 重傷者よ! 治して!」
治療に入ろうとしたとき泣き叫ぶように入って来たのは、血まみれの水兵を担いできたレナだった。
「早く助けて!」
「傷を見るから下ろして」
カイルは水兵を下ろさせると、簡単に状態を見た。デカい破片が腹部に突き刺さり脈動と共に血が出ている上に、破片も動いている。動脈の近くに刺さっている事は明らかだ。
カイルは木片を固定してから助手と看護兵に伝えた。
「優先順位は低い。さっき言った順に治療しろ」
「! どうして! 彼が一番の重傷でしょう!」
「そうだよ。だから、最後だ」
「何で」
「軽傷者なら治療して直ぐに戦闘復帰出来るからだ」
今は戦闘中で、一人でも人員が欲しいときだ。
軽傷者なら簡単な治療で直ぐに復帰可能。だが重傷者は、治療に時間が掛かる上に数日の安静が必要。
転生前に海自出身の船乗りから聞いた話しを元にカイルが自ら決めたことだ。
「治療を始めろ!」
そう言ってカイルは、副長にウィスキーを飲ませた後、傷口にウィスキーをかけてメスを入れた。
だが、その時背後で撃鉄を上げる音がした。




