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死者を送る儀式

「あんたも大変ね」


 医務室で患者の治療を行うカイルを見ながらレナが呟く。


「そう思うんなら手伝って」


 傷口をアルコール消毒しつつ、カイルがレナに言う。

 元から配属されている助手や看護兵だけでは足りず、自分の部下も使って医務室の改善を行っていた。

 不衛生な環境、血や肉が飛び散っているのを掃除して、アルコール消毒で清潔にする。

 汚れたシーツを洗い、患者の包帯を変える。

 アルコールも少ないのでブランデーを蒸留して作らせている。

 やる事が多すぎて、手が足りない。


「こっちも回航する要員が出て行ったから、手が足りないのよ」


 先日捕獲した海賊船は、エドモントが回航艦長としてザ・ロックへ回しており捕虜にした海賊の監視などを行う水兵と海兵隊員がブレイクから割かれた。

 そのため、ブレイクの乗員が少なくなっている。

 おまけに接舷したため、索具のあちこちが破損しており、その交換作業も始まって人手が足りなかった。


「持ってきました」


「うわっ」


 突然横に現れたウィルマに気が付いてレナは飛び退いた。

 彼女は気配も無く突然現れる。しかも髪も肌も目も白く、不気味だ。

 でもってカイルの言うことしか聞かないという、嫌な存在だ。


「何を持ってきたの……って」


 彼女が器に入れた物を見てレナは飛び退いた。


「何でウジ虫なんて持ってくるのよ!」


「簡単に獲れるからね」


 ウジ虫は船内の至る所にいる。一番多いのはパンの部屋、食事に支給されるビスケットの部屋だ。ビスケットの中にウジが良く発生する。時には、ウジが居ることが分からず、そのまま食べてしまうこともある。

 取り除くのは簡単で死んだ魚を乗せた皿をウジの居るビスケットの袋の上に乗せておく。ウジは魚の方が好みなので這い出てきて食べる。魚がウジで一杯になったら、次の魚に取り替える。それをウジが居なくなるまで繰り返すのだ。

 そうして出てきたウジを集めるようにウィルマに命令していた。


「治療に使うんだよ」


 そういってカイルはウジをアルコールを含む脱脂綿で拭いて行く。


「どうやって」


 消毒したウジを寝ている患者の患部に乗せた。


「何をしているの!」


「ウジを傷口に乗せて腐った部分を食べさせているんだよ。ウジは腐った肉しか食べないし、傷の治りを早くしてくれるんだ」


 マゴットセラピーと呼ばれる治療方法で、無菌のウジを使う。第一次大戦でウジの湧いた負傷者の生存率が高かったことから産まれた治療法だ。

 下手をすればウジが住み着くことあるし悪臭もあるが、傷の治りが良く副作用も少ないので患者の同意の下、使われる。


「あたしは絶対に拒否よ」


 そう言ってレナは医務室から出て行ってしまった。


「さあ、他の患者にも行うんだ」


 そう言ってカイルはウィルマと共にマゴットセラピーを行ったが、一人明確に拒否する患者が出てしまった。


「ウジに喰われるなんて嫌だ」


 腕切断の重傷で、傷口も酷いため治療したかったが、無理に行う訳にも行かず、そのままアルコール消毒を行う事となった。

 だが、翌日その水兵が発熱を始めた。


「熱が下がりません」


 睡眠を取った後、医務室にやって来たカイルが助手の報告を受けて見てみた。


「敗血病か」


 傷口などから雑菌が体内に入って血栓などが出来て多臓器不全を起こす病。予防が一番良いのだが、発症したら打てる手は殆ど無い。ペニシリンも抗生物質もない状況では何も出来ない。

 何とか体温を低くしようとしたが、何の設備も無い船上では看取ることしか出来なかった。


「亡くなりました」


 看護の甲斐も無く翌日未明、その水兵は死亡した。

 カイルは掌帆長に遺体を包む帆布を用意するよう依頼し直ぐに実行させた。

 敗血病は全身に菌が回るため、腐敗が早い。

 転生前に事故で負傷し敗血病で亡くなった船員がいたが、ほんの数時間で全身にバイ菌が繁殖し全身緑色になったのを見たことがある。

 あまりに酷く、その後の処理、彼が寝ていたベットや部屋の掃除が大変だった。

 自宅で亡くなりたいという意見が一昔前あったが、後処理を考えると病院で亡くなって適切に処置して貰おうと航平が心に決めたくらいだ。

 亡くなった水兵を重し代わりの砲弾と一緒に帆布にくるんで水葬にふす。その間にも変色が進行し、準備が整うと、直ぐに甲板に上げて水葬にする。

 冷蔵庫も冷凍庫もない帆船では、遺体は直ぐに水葬にする。そうしないと疫病が発生するからだ。陸上に持ち帰ることは殆ど無い。

 ブランデーに浸けて腐敗を防止して英国に運んだネルソン提督は本当に例外だ。

 ブレイクにそんなスペースも余裕も無い。

 準備が整って、乗組員全員が集まったところで、今回の戦闘で出た死者を一遍に海へ送る。

 彼らを包んだ帆布を板に乗せて、聖典の文言を言った後、板を傾けて海へ落として行く。

 それが終わると、次の遺体を乗せて

 淡々と艦長の短い訓示が終わり、艦長室へ帰って行く。

 だが、儀式は続き、場所をマストに代えて続行される。


「さあ欲しいものはないか?」


 マイルズの掛け声と共に、死んだ仲間の遺品の競りが始まった。そのまま残しておくにもスペースも無く、備品も限られる船の上では何でも有効活用しないといけない。なので、遺品は競りで売り払うことになっている。

 ただ競りの収入は遺族に渡されることになっているので、皆相場より高い値段を付ける。

 それらの儀式が終わってブレイクは平穏を取り戻した。




「全然、平穏じゃない」


 儀式が終わった後も、カイルは忙しかった。

 マゴットセラピーは、受け入れて貰えて順調だが、他にも色々とやる事があった。

 自分が臨時とは言え軍医になってしまったので、艦の衛生面に関しては自分が責任を負っている。そして、カイルの転生前の知識に照らし合わせれば、ここの衛生レベルは極悪だ。肥だめの中にないだけマシというレベルだった。

 アルコール消毒を行ってもきりがない。

 硫黄と獣脂を混ぜて塗り薬を作って皮膚病を治してやったり、純水を作ったり、海水を煮沸消毒して溜め込んだりと、やる事は一杯だった。

 全員を風呂に入れて肌の衛生を良くしてやりたかったが、風呂に入るのは健康に悪いという迷信を信じており、入って貰えない。

 海水風呂でも良いのだが、入ってくれない。なので、非常に不衛生だ。

 髪も洗わないので非常に臭い。それどころか三つ編みにした髪型が乱れないように獣脂などで固めるので余計に臭い。何ヶ月も髪を洗わない事など普通だ。

 セーラー服の後ろに垂れ下がる布は、水兵達の脂まみれの髪が服を汚すのを防ぐ為に、付けられた、という説があるほどだ。

 そんな状況なので、衛生環境を良くするのは並大抵ではない。

 他にも手術用の針を兵器係、と言うなの金属関係全般の修理を受け持つ乗員に頼んで曲線に曲げて貰うなどの作業もあり、カイルに休む暇も無かった。


「大変ね」


「全くだよ」


「何か手伝えることはない?」


「聖典で甲板を洗っといて、下甲板は可能な限り、乾燥させて」


「聖典はともかく、下甲板は無理でしょう」


 聖典とは、本物の聖典ではなく、甲板磨き用の軽石だ。毎朝、候補生が水と砂を混ぜた物を甲板に撒いてその上を軽石で擦って甲板を磨く。その時使う軽石の大きさが家庭用に配られる聖典の大きさに似ているので、その名前で乗組員は呼んでいた。


「まあ、出来たらで良いよ。それとビルジを無くして」


「やっているわよ」


 ビルジとは船底に溜まる水の事だ。

 艦は幾つ物木の板や柱で組み立てられている。

 だが、木と木の間に隙間がありそこから海水が滲み出てくる。そのため、船底には水が常に溜まっている。多すぎると、浸水で船が沈没する危険があるため定期的に排水している。


「常に溜まっているから不潔だよ」


 そして、ビルジは溜まるまでに船の壁や床を伝い、そこに住み着く病原菌などを含んでいる事が多い。時には乗員の排泄物も含まれている事さえある。

 なのでビルジを常に排出した方が良いとカイルは判断した。


「ポンプは重労働なのよ」


 だがその排水を行うには、汲み上げ用のポンプを使うのだが、非常に重い。電気など無いので動力は全て人力。数人がかりでクランクを回す。

 それも終わるまで排水を続ける。あまりにも辛いのでやりたくないし、やらせたくもない。


「捕虜にした海賊共を使えば良いだろう。それで何とかなる」


 先の海戦で捕まえた海賊の一部をブレイクに移している。事情聴取の為だったが、彼らを使って働かせることは出来る。


「本当に張り切っているわね」


「命令されたことだからキチンと行わないと」


「そのまま軍医になれば?」


「断じて断る」


 そう言って、カイルは純水の出来具合を見ていた。


「蒸留した水を作ったり、海水を煮て貯めたり、何に使うの?」


「次に必要な物だよ」


 次の海戦はこれが必要になる。

 だからカイルは海戦に備えて準備をしていた。

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