奪回戦
「なっ」
目の前の光景をレナは呆然と見ていた。
彼女にとって散々な日だ。
非直の時間を利用して身体を拭いていた所に、戦闘配置がかかりいきなり仕切りの壁が取り外され、水兵達に裸を見られてしまった。
慌てて衣服を身につけて、と言うより巻き付けて発令したカイルの元へ殴りに行った。
とりあえず拳骨をお見舞いして、気を晴らし状況を聞くと接近してきたアルビオン商船を停船させ、臨検するというのだ。
母国で強制徴募を行って乗り込んだ事はあるが母国を離れた洋上で、捕まえて船の隅々まで見るというのは、どうも申し訳ないように思える。
止めさせようとしたが、相手に黄旗、伝染病発生を示す旗が揚がっているのに気が付いた。
伝染病が移ったら、人が密集しているフリゲート艦では、あっという間に感染して数日の内に死者の船と化してしまうだろう。
流石に臨検を中止すると思ったが、カイルは事もあろうか、砲撃を命じた。
レナが止める間もなく、砲撃が開始され大砲が火を噴く。
砲弾は、アルビオン商船オールドマンのボウスプリットに命中しまっぷたつにへし折った。
自分たちは、色々と法を犯しているが、アルビオン帝国の海軍士官だ。
それが、自国の商船に停船を命じ、従わなかったからといって砲撃するなんて。最早、カイルを止めるしか無い。
「当てるなと言っただろうがっ」
レナは砲手に怒鳴るカイルを引き寄せ襟首を掴んで吊るし上げる。
「カイル! あんたなんて事しているのよ!」
「ちょ、レナ、落ち着いて」
さっきまでの怒鳴り声とは裏腹に、弱い声でレナを止めようとするカイルだが、逆にレナから叱られる。
「落ち着くのはあなたよ! 何に向かって砲撃したと思っているの!」
その時、連続した砲撃音が響いた。
「見なさい! 商船が怒って砲撃してきたじゃ無いの!」
「その前によく見て、船尾のアルビオン旗が下ろされているよ」
「え?」
カイルに言われて振り返り、見てみると確かにアルビオン国旗が降ろされた。
その後、上がってきたのは飛翔する鷹を描いた旗、マグレブの海賊、バルバリア海賊共の旗だ。
「どうしてアルビオンの商船にマグレブの連中が乗っているのよ」
「連中に乗っ取られたんだよ」
大方海賊船に乗っ取られてマグレブの本拠地へ回航されている途中だろう。
「乗員がまだ乗っているかも知れない。助け出すぞ!」
『おお!』
乗員救出という大義名分に乗組員の士気が上がった。
連中は大砲を撃ってくるが、疎らだ。
こちらの正確な砲撃で直ぐに沈黙する。
その後接近して銃撃戦になったが、海兵隊が乗っているブレイクの方が頭数は多く連中の抵抗は散発的になっていた。
元々回航のため、乗せている海賊の数が少ないのだろう。散発的に撃ってくるが、トップに配置された海兵隊員の打ち下ろす射撃に、続々と撃ち抜かれて行く。
簡単に抵抗を排除してブレイクは商船に接近、最後には接舷した。
「突撃!」
サクリング艦長の命令で乗っ取られた商船オールドマンに突撃して行く。
「全員続け!」
後に続くのは、剣術に優れたレナ。
真っ赤な髪を踊らせ、剣を振り回し敵を倒して行く。
何の恐れも無くレナは海賊を見つけると突撃し剣で下す姿は神々しく、乗組員は士気を上げて乗り込んで行く。
ただでさえ、最初の砲撃戦と銃撃戦で、数を減らしたところへ接舷されて白兵戦に持ち込まれたため、短時間の内に制圧された。
「乗員の救出完了しました」
「ご苦労」
報告した海兵隊員にサクリング艦長は労いの言葉をかける。
予想通り、この船オールドマンは、海賊に襲撃されて乗っ取られ、本来の乗員は船倉に閉じ込められていた。
彼らを救出し、逆に海賊共を船倉に繋げた。
「お疲れ様」
「あ、ありがとう」
戦いに疲れて座っているレナにカイルは飲み水を渡した。
「ふう、まさか、こんなに早く実戦を経験するなんて」
前の艦でのクラーケン退治で体液まみれにされた記憶を、綺麗さっぱり忘れてレナが言った。
彼女にとっては思い出したくない事なのだろうから、カイルは触れずにいた。
「ねえ、一つ良い?」
「なに?」
「どうして、この商船が怪しいと思ったの?」
「異教徒の居る大陸近くを風に逆らうように航行していたからね。目的地に向かって順風が吹いているにもかかわらず。それも僕らより更に大陸に近づいて航行中。普通なら、海賊に襲われないよう、大陸から可能な限り離れるよ。にもかかわらず近くを航行するのは、連中の船か、乗っ取られたか、のどちらか。臨検して捕まえる必要があると思ったのさ。抵抗される可能性が高いから戦闘配置に付けてね」
そして接近していきなり黄旗を揚げた。
臨検準備をしているのをみて乗り込まれないように上げたのだが、あまりにもわざとらしくて、カイルは乗っ取られていると確信したのだ。
それに伝染病患者がいるなら近くの港に寄港する。乗員に次々と感染して操船出来なくなる前に港へ逃げ込もうとするはず。暢気に航海を続けているのも十分怪しかった。
「じゃあ、最初から海賊船と判断して準備していたの?」
「そうだよ」
船の動きを見て相手の行動を予想するのは、船乗りにとって必要な能力だ。
自分が船長として船を操るなら、どのような航路を取り、どう風を受け止めるか考えると、自然と不合理なところが見えてくる。
それでカイルは解ったのだ。
「ありがとうございます」
船倉に押し込められていた船員達が甲板に解放されると、サクリング艦長にお礼を言った。
「私ではなく、この士官候補生のカイル・クロフォード君が気が付いて対応してくれました。お礼なら彼に」
そう言って艦長がカイルを紹介すると船員達は恐怖で引きつった。
「え、エルフ!」
災厄の象徴と言い聞かされて育った彼らにとって、エルフとは海賊に並ぶ恐怖の象徴だ。
怯えるのも無理は無いし、カイルにはいつもの事だ。
「ご心配なく、彼は私の艦の士官候補生であり、彼がいなければ助けることはありませんでした」
「は、はあ」
それでも彼らは怯えて近づこうとしない。
「済みませんが彼に礼を言っていただけ無いか? それだけでも励みになるのですが」
サクリング艦長が助け出した船長達に頼み込んできた。
最初彼らは戸惑ったが、やがて静かに頭を下ろしてカイルに感謝の言葉を伝えた。
「ありがとうございます。助かりました」
「……いいえ、任務ですから」
カイルは照れ隠しに顔を下に向けた。
純粋に自分の行為からお礼を述べられたことが、今まで殆ど無かったので、嬉しくて照れてしまった。
その後、オールドマンは一旦ザ・ロックへ引き返した。
カイル達の聞き取り調査により、オールドマンは、大蒼洋上で海賊船に襲撃され、マグリブへ回航される途中だった。他にも捕獲された商船が多数いるような話しも出てきており、被害が深刻であることが解った。
紛糾していた合同司令部もオールドマンのような事例が多いと判断し、直ちに哨戒線網を構築し、海賊船に奪われた商船の発見捜索を行うことになった。