出撃
出撃準備が整ったブレイクだったが、他の艦の準備は終わっていなかった。
艦隊は全艦が一丸となって行動して、初めて艦隊として成り立つ。
一隻が準備出来ても、他の艦が動けないのでは意味が無い。
そんな時、今回の討伐艦隊旗艦のロイヤル・ソブリンから、参加各艦の艦長へ旗艦に集合するよう信号旗が掲げられた。
ただブレイクにはボートが送り込まれカイルも旗艦に来るように言われた。
何事かと思いつつボートを操りながら、艦長と共にカイルは旗艦に向う。
ロイヤル・ソブリンは、三層の砲列甲板百門を搭載する一等艦だ。
艦隊旗艦を務めるために設計された、と言っても過言ではなく、提督用の部屋まで用意されている。
艦長達が呼ばれたのは、長官公室と呼ばれる会議や式典の為に使われる部屋だ。船の幅一杯に設けられ、呼ばれた全員が入れるほどの大きな部屋で、その中にカイルも末席に連なった。
ただ、エルフに対する感情や認識は悪く、大勢が入っている狭い室内にも関わらずカイルの周りにはサクリング艦長を除いて、空間が出来てしまった。
全員が入ると、提督が奥の私室から登場してきた。
「やあ、諸君おはよう」
入って来たのはライフォード中将、今回海賊退治の艦隊司令長官を務める。
フォードの名の通り、フォード一族でライフォードは南方、カルタゴ大陸周辺の貿易権益を持つフォード一族でマグリブの海賊退治を献策したのもライフォード中将と言われている。
ライフォード中将は温和な笑顔を浮かべながら出席者に言葉をかける。
「マグリブの海賊退治に、諸君ら精鋭が指揮下にいることを心強く思う。これならば他国の艦隊に対しても、見劣りすることは無いだろう」
今回の海賊退治はアルビオン帝国だけで無く、エウロパ大陸の諸国と合同艦隊を編成し退治にあたる事になっている。
「諸君らも知っているとおり、我々は他国と艦隊を編成し共に海賊退治を行う。参加する彼らと合同するために最初の合流点のブルトンに向かうことになる」
かつての戦争相手のガリアの港に入港することになる事に艦長達はどよめいていた。
ガリア王国の軍港ブルトン。
突き出た半島の突端にある軍港で、ガリア海軍の根拠地だ。
この中には先の戦争に従軍した人が多く、特に最大規模の拠点であるブルトンは、封鎖対象として、封鎖艦隊に参加した人は多い。
かつて封鎖していた元敵国の母港に行くことに、彼らは大きな感慨を抱いた。
「そこでアルビオン艦隊の先触れとして、出撃準備の整ったフリゲート艦ブレイクに向かって貰う事にした」
突然の命令に、カイルもサクリング艦長も驚いた。
確かに出撃準備が整った艦に命令が下るのはおかしく無い。しかし、たった一隻で良いのだろうか。他国の艦隊も入港、特にライバルであるガリアに対してフリゲート艦一隻では舐められるのではないか。
カイルはそれを心配した。
「さらに、ここにいるカイル・クロフォード君に、先触れの使者を務めて貰おうと思う」
いきなり名指しされ、全員の注目をあびた。
何故候補生になったばかりの、しかもエルフにそのような大役が命令されるのか艦長達は解らず混乱した。
それ以上に困惑したのはカイル本人だ。
どうして自分なのだろうかと、考えてくると、ライフォード中将自らが前に出て話しかけた。
「君が優秀な候補生で将来有望である事は、リドリー艦長、サクリング艦長より聞いている。先日はクラーケン退治で活躍し、ブレイクでも活躍しているのだろう。だからこそ君に任せようと思う」
手を握られてカイルは確信した。
不味い。
この手の笑顔の裏には、必ず何か裏がある。罠というか、非常に面倒な事を押しつけられる。やらされる可能性が高い。
「全力を尽くさせていただきます」
だが、相手は中将、こちらは任官したての候補生。拒否権など無かった。
「宜しいねサクリング艦長」
「……非常に光栄です」
少し憮然とした表情で、サクリング艦長は答えた。
「ありがとう。ではこれが命令書と、委任状、そしてガリア側への文書だ。これらを届けてくれ」
そう言って中将は自分の書記に命じてサクリング艦長に渡した。
「凄いじゃないのカイル!」
ブレイクに戻った艦長は旗艦で何があったかを話し、出港準備を命じた。
解散するとレナが駆け寄ってきてカイルに勝算を浴びせた。
「そうでもないよ」
「ここで謙遜する必要はないのよ」
「そんな事無いよ」
それはカイルの本心からだった。
確かに大役だが自分で望んだものではないし、何かしら裏がありそうなので、喜べない。
「それより出港だ。忙しくなるよ」
「出港準備!」
掌帆長の号令とともに号笛の音が響き乗組員が配置に向かって走って行く。
「チャンスだ」
ジョージは逃げ出すチャンスを狙っていた。海軍の船に乗って海賊退治なんて冗談じゃ無い。戦闘で死ぬかも知れないし、事故で死ぬかも知れない。それ以前におかしな病気で死ぬ奴が多い。
しかも規律と規則で雁字搦めで女も抱けない。
逃げ出した方が良い。
なので脱走の機会を伺っていたが、泳げることが解っていて監視が厳しかった。だが出港で乗組員が走り回る今が最後のチャンスだ。
ジョージはマストに登る振りをして海に飛び込んで逃げることを決めた。
「おい、ジョージ。ミスタ・クロフォードからのお達しで貴様の配置はこっちだ」
そのとき、下士官のマイルズがジョージに伝えてきた。
「キャプスタンを回せ!」
号令と共に横棒に取り付いた水兵と海兵隊員が、キャプスタンを回し始める。
キャプスタンは巻上装置で、錨の巻き上げに使う円筒形の道具だ。そこに横棒を差し込んで大勢で回す。
その一番内側にジョージは配置された。
他にも泳ぎが得意で脱走しそうな徴募水兵を中心付近に配置し、外側を屈強な海兵隊員で固めている。
逃げないようにするための措置だった。
「よし、スティーブン。何か弾いてくれ」
掌帆長がキャプスタンの上に座ってバイオリンを構えている水兵のスティーブンに命じた。
スティーブンは自前のバイオリンを弾き始め、キャプスタンを回すリズムをとる。
我らの住処フリゲート艦ブレイク。艦長はあのサクリング。勇猛果敢で、恐れを知らない。火の中でも戦う事が出来れば大満足。
副長ブレイクニーは、超堅物。硬すぎて俺らのいたずら心と、新妻の腹さえ突き破る。
一等海尉のビーティー海尉。積極的に見えてても、袋のように中は空。
「ねえ、あのスティーブン、軍法会議にかけるべきじゃ?」
艦長はともかく、他の士官を貶すような歌詞にレナは小さくカイルに尋ねた。
「良いんだよ。これで皆がキャプスタンを回してくれるならね。それができる限り、士官は歌詞の内容は笑って受け流すのが慣習なんだ」
「また慣習ね。本当に規則なんてあってないような物じゃ無いの」
「昔から海の上には海のルールがあったんだ。けど法律を決めるのは陸の議会。海のことをよく知らないし、作らなくても彼らに何らメリットは無いからね。それに作っても現実と乖離している所が多いから、実行不可能。そのため海のルールがまかり通っている」
「本当におかしな場所ね」
「そうだね」
そう言っている間にも、歌は続いている。
二等海尉のクリフォード。我らが女神。声を掛ければ皆従う。だけど皆気を付けろ。彼女は一寸ドジをする。
候補生のレナ・タウンゼント。真っ赤な髪とお目々のお転婆娘、早く戦にならないか。揺れるあそこに敵も味方も釘付けだ。
「……」
レナが斬り殺すか否か決めかねていたようなので、カイルはそっと彼女のサーベルの柄の上に手を載せた。
受け流すのが士官の慣習だし、現に彼らは今の一節で元気に動かしている。乗組員の士気の向上が至上命題だ。どんな作業も水兵の手が必要であり、彼らのやる気を引き出す為には、何でもやる。歌の一つで、上がるなら安いものだ。
レナはそう思っていないようだが。
エルフ候補生のクロフォード。チビのくせに知識豊富。雨も晴れも自由自在。何も彼から逃げられない。
自分の歌詞が聞こえてきてカイルは、少しだけホッとした。
エルフの自分を殺せとか海に落とせとか言われるかと思ったが、多少は認められてきたみたいだ。
ちなみにエドモントの部分は歌われなかった。丁度錨を巻き上げ終わり、作業が終わってしまったからだ。そのため、彼は落ち込んでしまった。
「総員上へ! 総帆かけ方!」
「総員上へ! 総帆かけ方!」
艦長の号令と副長の復唱で掌帆長が笛を吹き、キャプスタンに付いていた要員のみならず、艦上にいた水兵全員がマストに上り始める。
ジョージもウィルマに急かされて上へ行くシュラウドを上り、マストに行く。
そして、一番下のヤード――桁に付くと足場綱の上に足を掛け、桁に身体を載せて、少しずつヤードの端に移動して行く。素早く移動しないとダメだ。一番遅れた者にはむち打ちが待っている。だから皆、早く進もうとする。
「ジョージ、こっちはもう終わりだ。そっちに行け」
「え、誰もいませんよ」
マイルズの言葉にジョージは躊躇う。風上側のヤードには殆どいない。
「兎に角、向こうへ行け、急げ」
「早く行け」
「は、はい」
ジョージは、急かされるままヤードを移動して行く。
「フォアトップスル! 展帆!」
一番前にあるマストの真ん中の帆が広げられる。通常、帆は危険防止のため、下の帆から広げる。各マスト三枚の内の真ん中の帆から広げるのは、不合理に見えるが、前方の視界を良くするために下の帆は最後に広げる。
帆が広がり風をはらんで行くとブレイクは徐々に進み始めた。
フォア・マスト、メイン・マスト、ミズン・マストの各マストの順に帆が開いて行く
トップ・スル、ゲイン・スルの順に帆が開いて行く。
「フォア・スル開け!」
ジョージ達が登った帆の番となり、帆の結び目を風下から解いて行く、風上からだと一気に帆が開いてしまう。なので風下から順に開いて行く。
「うわっ」
だが、それでも突風が帆の中に入り込み膨らむことがあり、作業は危険だ。ジョージは帆に押されたが、横にいたウィルマが袖を引っ張り落下を免れた。
「大丈夫か!」
「問題なしです!」
下からカイルが尋ねてきたのでウィルマが答えた。
「やれやれ、ひやっとする」
自分でやると恐怖はなく、冷静に作業できるのだが、指揮し監督する役になると失敗するのでは無いか、上手くやれるのかと心配になりハラハラする。
「総帆開きました!」
副長がサクリング艦長に報告する。
「宜しい、総員下へ! 進路西。アルビオン海を西進し大蒼洋へ出る! タッキングを繰り返すからな! 覚悟しろ!」
アルビオン帝国は、南島と本島の間に内海があり、交通の要所となっている。大体西風が吹いているため、風上に向かうときは船をジグザグに走らせる。
タッキングとは上手回しと言って風上に船首を向けて船の向きを変える。逆にウェアリングは下手回しと言って、風下に船首を向けて船の向きを変える方法だ。
上手回しは下手回しより技量が必要だが、出来るようにならなければ軍艦として問題だ。訓練という意味でもタッキングで航行するのは理に適っている。
カイルはそんな遣り取りを聞いていると、突然サクリング艦長が呼んだ。
「ミスタ・クロフォード。君は航海術が得意だったな」
「イエス・サー」
「では、ブルトンまでの航海計画を作成し航海長に提出せよ。承認後、君が指揮を執れ。心配するな。不合格なら指揮権を剥奪するだけだ」
開闢歴二五九〇年五月、アルビオン帝国海軍六等艦ブレイクはブルトンに向けて出港した。
そして、士官候補生になったばかりのカイル・クロフォードが初めて航海の指揮をとる出撃となった。