トロビッチ~ゆるふわサーモンを添えて~
金曜の夜。私は一人で酒を飲んでいた。
ここは、ありふれたチェーンの居酒屋だが、立地のせいか夜の十時を過ぎると、途端に人が少なくなる。おかげで静かに飲めるというものだ。
ところが、その日は違った。大学生だろうか?二人組の女性が、私の斜め向かいのボックス席に案内されたのだ。
天井から吊り下げられた簾の仕切りで姿は見えないが、声は否が応にも届く。本人たちは抑えているつもりだろうが、酒が入った時にヒソヒソ話が出来るとは思わない方が良い。
まあいい。あまりに煩かったら、店を出れば良いだけの話だ。
酔った頭でそう考えていると、向こうでは既にガールズトークが始まっていた。
所々かすれて、ハッキリとは聞き取れないが、会話を追うことは出来る程度の声がこちらに届く。
■□■
「それで、エミ。どうだったの?……たんでしょ?」
「ええ!?それ聞いちゃう?…本当に聞きたい?」
「もう!焦らさないで教えてよ」
「しょうがないなー。ハルカにだけは、教えてあげよう」
どうやら女性たちの名は、エミとハルカと言うらしい。恋愛話でもする気だろうか?
「で、どうだったの?」
「うん、とうとうね。……思った以上に良かったわ」
「へえ。それはそれは」
どうやらビンゴのようだ。それも、少しばかり艶を含んだ話題になりそうだ。
「……だっけ?」
「そうよ。オオマさん」
ふむ。相手の男はオオマと言うのか。
「さすがに…年季が……うまい」
「へえ」
「脂も……」
ん?年季がいって、脂も乗ってる?相手はオジサンなのか?
エミ、お父さん許さんぞ!まあ、私はお父さんでも何でもないんだが。
「舌の上でトロッと…」
そんな積極的な!
「血が溜まって、黒ずんでて…」
そこまで言っちゃうんですか、エミさん!?
「……ダイヤ…」
ダイヤを入れているのか!?
相手はスジモノか?冒険したいお年頃なのか!?
「それだけじゃなく…コシ…ナガ……」
腰のナニが長いんですかねぇ?
「カマも……良い…」
そんなアブノーマルなプレイまで!どこまで進んでるんだ、この子は!?
「……だったよ」
「へえー、良いなあ。今度、私も連れてってよ」
「うん。一度味わったらやみつきになるよ」
そんな!ハルカちゃんまで、黒いダイヤの餌食に!
というか、二人とも積極的すぎやしませんかねえ?
「じゃあ、来週行こっか。そのお寿司屋さん」
「うん。楽しみにしてるね」
へ?…………ああ、なるほど。
彼女たちは、黒いダイヤとも呼ばれる大間産のマグロを、年季の入った老舗の寿司屋で食べた話をしていたんですね。
私めの心が、汚れていただけなんですね。
■□■
「お客様、ラストオーダーとなりますが」
「芋焼酎のお湯割りと…このマグロの盛り合わせ、あと黒蜜きなこアイスを」
良いタイミングで店員が来たので、意識を手元の酒に戻す。
明日は休みだ。久々にゆっくり羽を伸ばすとしよう。