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忘恩

 果たして、その通りになった。

 翌朝(よくちょう)見つかったのは、桐島兵庫の死骸であった。

 洗馬は「続く剣友の不幸にせめてもをさせて欲しい」と口実して桐島の家に乗り込み死体を清め、そしてそこに残る剣の筋を見た。

 おそらく初手は右膝である。踏み込みの(きわ)を低く払われたものと見えた。傷は骨まで達している。

 次いで、左肘。これも深い。腹を薙ぎに来た太刀を、無理にここで受けたようである。

 最後に右胴。臓腑を存分に切り裂くこれが致命傷だった。やはり深い。脇の骨を打ち砕きながら入り、逆の骨を折るようにして出ている。剛の剣を誇る桐島以上の、恐るべき剛力と見えた。

 遺体を改め終えると洗馬は目を閉じた。脳裏に、起きたであろう立ち回りを思い浮かべる。

 この三つの刃傷のうち、最も特徴的であるのは右膝を断つ初手だ。

 長柄を用いるのでなければ通常、人体の腰より下を強く斬撃するのは困難である。この仕業に何らかの工夫が、術策が施されているのは明らかで、それこそが蛍火の本体であろうと思われた。


 ──尋常よりも長い刀身。いや、柄か。


 遠心力を利しての、重い一撃。それならば桐島の腹の傷も、四散していたという死罪人どもの手足の所以も理解ができる。その異形の武器を使いこなす刀法こそが、十中八九、蛍火で相違あるまい。


 桐島の死骸を前にして、洗馬源次郎は低く笑った。

 こうなる事を、彼は予見していた。

 また自身もそう感じていたからこそ、桐島は当初洗馬に話を持ちかけたのだ。共に下手人を討ち、蛍火を手に入れようと。

 しかし洗馬はそこまで理解した上で、その提案を蹴った。

 そして煽った。

 殊更臆病めかして振舞って桐島の高言を誘い、のっぴきならぬ状況に追い込んだ。

 一度動き出せば容易に方角を変えられず、ただ己に都合の良い先行きばかりを信じて突き進む。そういう猪にも似た、桐島の性格を知悉すればこそ可能であった仕業である。

 桐島の剣は剛の剣。

 逆に言えば防ぎは得手でない。相対した辻斬りは存分にその得意の斬撃を振るうはずであり、その傷から剣の筋を知るべく、洗馬は桐島を囮としたのだ。

 かくして、策は成った。

 今は蛍火の概略は洗馬の掌中である。敵の手札が知れているのなら対処は容易い。要は入り身だ。その特異な得物を振るえぬ間合いに踏み込みさえすればそれで済む。その技に、洗馬は自負があった。柔の剣は伊達ではない。

 敵を知り己を知らば百戦危うからずとは兵法の基礎である。手を読んだ以上は勝る自信があった。

 もう一度、洗馬は薄く笑う。

 下手人にはすぐに思い知らせてやろう。どちらが狩る側であるかを、だ。



 その夜から、洗馬の徘徊が始まった。

 城の勤めもそこそこに、道場にも顔を出さず、ただ人目を避けて夜道を歩く。やり口は桐島が提唱したものと遜色(そんしょく)はない。見え透いた誘いではあるが、しかしその桐島が斬られた以上、必ず辻斬りは食いつくであろうと考えてた。

 そして、その憶測は外れなかった。

 洗馬がじりじりと焦れ始めた四日目の夜の事である。夏虫の声が一瞬絶えたかと思うや、のっそりと小さな影が行く手を阻んだ。

 

 ──来た。


 内心の舌なめずりを面には出さず、洗馬は低く声を発する。


「当方は甲斐谷の洗馬源次郎。知っての狼藉であるならば容赦はせん」


 影は応えない。応えず、間を詰めた。

 雲間から漏れた月の光に、宗十郎頭巾で顔を包んだ風体が照らし出される。

 声も出さぬ。顔も見せぬ。その事が如実に、この男が甲斐谷の道場に(ゆかり)の者であると示していた。声を出せば、顔を見せれば、何者であるかが知れるような存在なのだ。


「知っているぞ」


 影の接近を押しとどめるように洗馬は言い、その一瞬の呼吸を盗んで飛び下がった。腰の物を抜き放つ。


「貴様が我らを狙う訳はわかっている。貴様は、知っているな? 甲斐谷忠見の死について、深くを知っているな?」


 それは問いではなく、確認だった。

 辻斬りの目にちかりと憎しみが過ぎる。



 洗馬源次郎に言わせれば、甲斐谷忠見は阿呆である。

 強いは強い。だが算盤のひとつも弾けない、阿呆な侍である。

 だからこそ、道場を閉めるなどという戯言を吐けたのだ。

 あの夜。

 洗馬たち四人の師範代を内々に呼び集めた忠見は告げた。


「道場だの何だのと気取ったところでよ、手ずから人を教えられねェ病人が師範じゃあ締まらねェ。お前らには悪いが、看板を下ろすぜ」


 無論、四人は驚いた。

 驚愕が過ぎた後に湧いたのは激昂である。こうまで盛況な道場を、彼らの立身出世の足がかりとなる場を閉めるなど、もっての他であtった。

 故に翻意を願った。最初は情に縋り道理を()き、それでも首を振られて強訴(ごうそ)に至った。

 最初に抜いたのは誰であったか。

 病熱めいた激情に紛れて、それは定かな記憶にない。気性の激しい桐島であったか、浅慮の多い上橋の先走りか。事をもみ消す検量を持つ三沼というのも否定できないが、或いは洗馬自身であったやもしれぬ。

 だが、甲斐谷忠見は恐ろしい男だった。

 狭い部屋、思い通りに振るえぬ刀という理屈はあった。けれど、それでも四人がかりで打ちかかるのを、軽く素手であしらうその様は鬼神としか思えなかった。病床の小兵のものとも思えぬ、げに凄まじき膂力である。


「お前ら、こんなものか」


 忠見がぎょろりと目を剥き睥睨(へいげい)すると、それだけで一同の足は我知らず、壁際にまで逃げた。


「まあ、いい」


 嘆くように呟くと、


「継がせるべきは継がせた。お前らにはやらぬ」


 そうして、そこで血を吐いた。

 好機と見てつっかけた桐島の刀を、しかし忠見は苦もなく奪った。洗馬を含めた誰もが、斬られるのを覚悟した。だが、忠見はそうしなかった。

 くるりと切っ先を返して己に向けると、無造作に喉を突き、死んだ。

 四人は部屋の有り様を整え、口裏を合わせた。

 甲斐谷忠見は自刃したと届け出て、その葬儀を恙無(つつがな)く執り行った。

 四天王を疑うものは誰もない。そう思えた。そう思っていた。

 この辻斬りが現れるまでは。

 


「忠見も阿呆だが、しかし、貴様も相当な阿呆だな」


 見下して、洗馬は舌先で唇を湿(しめ)す。 

 蛍火の秘剣を伝授されるほどあるのだから、師範代四人に迫る腕の持ち主であるのだろう。しかし算盤の弾けぬ人間だ。

 忠見の死に洗馬たちが関与したはのを知って復讐に走るなど、愚の骨頂でだある。蛍火を手土産に、自分たちに取り入ればよかったのだ。師範代の地位程度はくれてやったし、その後悪い扱いもしなかったであろう。


「甲斐谷忠見は、隠遁して大人しく世を過ごしていればよかった。そうすれば適度に立てて飾っておいてやったものを。貴様もそうだぞ、辻斬り。分に過ぎた真似をせず大局に従えば……」


 師を侮蔑されて憤ったか、言葉の中途で影が動いた。

 (はしこ)い足さばきであったが、しかし洗馬はその呼吸を読んでいる。呼応して動くなり相手の懐に付け入り、一刀を送る。送りながら、狼狽とした。

 辻斬りの獲物が、定寸の太刀であったからである。

 それは至近の間合いに労することなく抜き打たれ、洗馬の打ち込みをいとも容易く弾き返す。同時に、びぃんと腕が痺れた。大層な馬鹿力だった。


 ──蛍火では、ないのか……?


 闇夜とはいえ、相手の佩刀を注意深く改めなかった。それは明らかな不覚である。蛍火の正体を決め込んだからこその迂闊であった。

 動揺して退がる洗馬を尻目に、影はゆるりともう一刀を抜き放った。脇差ではなく、それもまた定寸であった。

 二刀構え。

 馬鹿でなければしない振る舞いだった。

 刀は重い。

 持ち上げるのに苦労があるわけではないが、それでもやはり重いのだ。片手技では精妙に扱えぬからこそ、殺傷力を発揮できないからこそ、世の剣士は皆一刀を握る。

 だが、ちかりと閃く思考があった。

 諸手(もろて)が繰り出す斬撃は、早く、鋭い。しかし両の(かいな)を用いるが故に、その軌道は制限される。

 もしも片腕で自在に刀を振るえる者がいたとしたら。それだけの膂力を持つ者がいたとしたら。

 その者はより長い間合いと、より自由な剣撃の軌跡を得る事があるやもしれぬ。

 深く断たれた桐島の右膝が、斬り割られたその腹が、脳裏を過ぎった。自分たちを圧倒した忠見の記憶が蘇り、洗馬の肌がぞくりと(あわ)立つ。


 その一瞬の動揺を狙うではなく、ただ無造作に覆面が動いた。

 常道ではありえぬほどに長く腕を伸ばし、つまりは(たい)を崩したひと太刀を送り込んでくる。辛うじてそれを流せたのは、初太刀の狙いが桐島と同じ右膝であったからに他ならない。 

 本来ならば力が乗るはずもないその一撃が、信じがたく重かった。ただ一合で握力を失いそうになるほどだった。

 しかも、攻勢は止まらない。

 呼吸を計らず、計らせもせず、ただ無造作としか見えない横殴りが来る。一方の太刀を受ければもう一方が、それを凌げば元の一方が、間断なく洗馬を襲う。

 防ぐ度の衝撃に、手のひらが、肘が、肩が、悲鳴を上げた。


 ──なんだ。なんなんだ、これは。


 只管に片手薙ぎを振り回す。

 そうとしか形容できない不格好な剣に、洗馬は切りまくられていた。反撃の糸口すらつかめない。子供がするような、(ことわり)の欠片もない一撃一撃が、しかし恐ろしく強く、速い。

 その野放図にして力任せの太刀行きが、洗馬を圧倒し続けていた。彼の築き上げてきた術理の一切は、ただ嵐の前の木の葉に過ぎなかった。


「ふ、巫山戯(ふざけ)るなッ! こんな、こんな……!」


 こんなものが剣技であってたまるか。剣術であってたまるものか。

 そう叫びたかった。

 これは型を備えた技術ではない。

 尋常ではない全身の筋力と、恐ろしく頑丈な足腰。ほぼ天性にのみ支えられた、獣の仕業である。

 もしこれが剣であるというならば、自分たちがこれまで懸命に磨き、積み上げてきたものはなんだったのだ。


 斬撃は()まない。

 剣撃は止まらない。

 きら、きら、と月影を反射して煌く刃は、無軌道に飛び踊る蛍の群舞さながらだった。

 それはまさに乱刃であり、決して先が読めず、故に捌けぬ代物だった。

 防ぎを得手とする洗馬であればこそ、その事を電光のように理解した。理解してしまった。

 諦めが頭をかすめたその瞬間、刀が落ちた。

 落としたのではない。両手首を揃って断たれ、握った拳ごと、ごろりと洗馬の剣が地に落ちたのだ。

 次いで、踏みとどまろうとした足が飛んだ。

 斬り払われたそれは、まるで火薬の炸裂にでも巻き込まれたかのように、驚くほど遠くまで転げた。


 それで、終わりだった。

 抗ずる術も逃げる術も奪われて、洗馬は路傍に倒れ込む。

 だが、彼は執念を見せた。或いはそれは彼個人のものではなく、陵辱され蹂躙された、剣士の意地であったかもしれなかった。

 激痛に苦鳴も漏らさず仰向けになるや、止めを刺すべく歩み寄る影をはっしと睨む。そうして最後の力を振り絞り、辻斬りの顔へと、ない手を伸ばした。

 男は、避けなかった。

 やはり、というべきか。

 ぐずぐずの傷を引っ掛けるようにして押し下げた頭巾の横布。それに隠されていた顔を、洗馬はよく見知っていた。

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