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辻斬り

 その日、道場に出た洗馬(せば)源次郎を出迎えたのは、桐島兵庫の仏頂面であった。

 道場主たる甲斐谷忠見が急逝し、喪が明けたその後ではあるが、甲斐谷道場の盛況は衰えるところを知らぬから、師範代の二人が顔を合わせるのも珍しくはない。

 しかし、続く桐島の言葉がよくなかった。


「三沼がな、斬られたぞ」


 思わず上げかけた声を、洗馬はぐっと噛み殺す。

 次いで周囲を窺うが、門人はただ稽古に励むばかりであった。今しがたの小声は誰の耳にも届かない様子である。


「ここではまずい。場所を変えよう」


 だが連れ立って道場を去れば、二人の背には好奇の視線が注がれる。

 忠見は家族を持たず、また後継も定めなかったから、次の道場主は不在のままである。四人の師範代のうち誰がその座に着くのかと、(もっぱ)ら話の種になっていた。

 この密談もその類に違いあるまいと、皆が物見高く眺めているのだろう。

 だがそんなものに一々構ってはいられなかった。



 甲斐谷忠見は、七坂にふらりと現れた剣人であった。

 小兵ながらも無類の兵法の使い手で、何の後ろ盾もないというのに忽ち藩主に気に入られ、藩に道場を構えるに至った。

 武芸一辺倒の堅物でなく、俳諧に浪曲、芝居をも(たしな)む洒落者であったから、武術指南というよりも、老いた藩主の茶飲み相手としての側面が強かった向きもあろう。

 とまれ、(しか)して道場には人が(つど)った。

 直接藩の重鎮に取り入るは難くとも、忠見は広く門戸を開く道場の主である。なれば言葉を交わす機会も多く、自然栄達への近道が拓けることもあろうと、そう思った者が少なからなかったのだ。

 思惑はさておき、人は人を呼ぶのが世の常である。門人は増えに増え、道場はその存在のみを見ても大きな権勢を誇るに至った。

 だが栄枯盛衰もまた世の常。

 やがて甲斐谷は胸を病み床に就いたきりになり、そしてその苦しみに耐えかねて、この初夏に自ら喉を突いて死んだ。そういう事になっている。


 甲斐谷の四天王といえば洗馬源次郎、桐島兵庫、三沼太兵衛、上橋市之進。この師範代四名の名が挙がるであろう。

 実際、自分と桐島の腕は甲乙つけがたいと洗馬は見ている。

 桐島は剛の剣の使い手である。多少の打ち込みは意にも介さず真正面から打ち当たり、そのままより強烈な勢いで打倒してしまう。

 反対に洗馬の剣は柔であった。受け、忍び、粘り、そうして相手の隙を見出し作り出して制する。そういうものである。

 それにやや劣って三沼、上橋と剣力の序列は続くが、しかしその差は薄氷であった。

 特に三沼太兵衛。

 これは藩の要職を父に持ち、剣の腕のみならぬ人脈がある。これを加味すれば道場での席次もまた変わろうというもので、甲斐谷忠見の跡が定まらずに揉めに揉めるも無理なからぬところだった。

 その波乱のひと柱でたる上橋市之進が斬られたのは、忠見の喪が明けるやの事であった。

 下手人は挙げられていない。

 旭日の勢いのある甲斐谷道場であるだけに、それを妬み、また(そね)む者も多い。道場の混乱につけ込んでの卑劣な仕業と調べが進められたが、未だ進展はなかった。

 そこへ今日の三沼の訃報である。

 桐島が仏頂面をし、洗馬が厳しく眉を寄せるのも無理なからなかった。



 洗馬と桐島、二人が赴いた先は道場の離れであった。周囲には(たきぎ)小屋の他に何もなく、障子を締め切れば密談に向く。

 だが、暑い。

 初夏の午後とはいえ日差しは強く、軽く歩けば汗ばむ陽気である。ならばと洗馬は、庭で(まき)を割る小者に声をかけた。


「おい、平助」

「へい」


 応えて馳せ参じたその魯鈍な顔には、汗の他に愛想笑いが浮かんでいる。この男の浅ましい処世なのであろう。

 平助はこの道場の下男である。忠見がどこからか拾ってきた体も志も小さな男で、薪割りから炊事洗濯、道場の手入れまで何もかもをしていた。時には野山に分け入って鳥獣も獲った。


「俺と桐島は少し話す。茶を用意して置いておけ」

「へい」


 門弟たちの誰もがこの男を自然と見下し、こうして用事を言いつけるが常の事であり、平助も(わきま)えて、少しも嫌な素振りをしなかった。

 そうして障子を閉じ、光量の減った部屋の中、洗馬は桐島を振り返る。


「しかしまずいな。それではあの話、立ち消えになるのではないか」

「うむ。上からの口利きは得られんだろうな」


 斬られた三沼太兵衛は、内々ながら道場を取り仕切る役に就くと決まっていた。無論、その父を通じての事である。

 だがそれで彼ら四名の間に上下は生じない。

 あの一件がある限り、彼らは一蓮托生の関係であり、終生平等であった。また、そうでなければならなかった。

 しかしその三沼の死により、都合の良い形の構築はままならなくなった。

 どうしたものかとまた眉を寄せた洗馬に、


「だが」


 と桐島が呟いた。


「ひとつ、方策がなくもない」

「なんだ」

「我らの手で下手人を挙げるのよ」 

「馬鹿を申すな」


 洗馬は即座に切り捨てる。何の手がかりもない辻斬りをどう捕らえようというのか。

 しかし桐島はにやりと笑い、


「あれはただの辻斬りではない。甲斐谷道場の者に、恐らくは我ら師範代に意趣を持つ者だ。身に覚えがあるだろう?」

「……」

「ならば俺と貴様とは、下手人を(おび)き出す好餌(こうじ)となれるのだ」

「だが誘ってなんとする。三沼と上橋を斬った相手だ。しかも闇討ちの類でではないぞ。上橋は抜き合わせた上でではないか」

「三沼も抜いてはいたそうだ。手もなく斬られたようだがな」


 押し黙った洗馬を、「怖気づくな」と桐島がまた笑う。


「覚えているか、洗馬。忠見の、最後の言葉を」


 ──継がせるべきは継がせた。お前らにはやらぬ。


「……それは、無論だ」


 洗馬がまたしても眉を寄せたのは、あの時の無様を思い返してだった。桐島が師を憎々しく呼び捨てた事へ憤慨してではない。

 そこに彼らの秘事の影が横たわっていた。


「だから俺はな、下手人が受け継いでいるのだろうと思っているのだ」

「何をだ」

「決まっている。蛍火だ」

「蛍火……」


 洗馬は頭の回らぬ振る舞いで、ただ桐島の(げん)を繰り返す。 

 それは甲斐谷忠見が編んだという、秘剣の名であった。しかし高弟たちも術理は知らず、だがただ一度だけ、たっての頼みで藩主にだけ披露した事という。

 忠見は、勝てば刑一等を減じると言い含められた死罪人どもと立ち会い、そして悉くを斬った。

 実際に何をどうしたのか、その時何が起きたのか。しかと見たのは藩主以外にない。

 ただ後を片付けた者の言によれば、その場には手、足、首がごろごろと飛び散らかり、まるで大筒でも炸裂したかの如き酸鼻極まる有り様であったという。


「三沼と上橋を斬るのは、俺たちでも骨が折れるだろう。それを成し得たのは秘伝ゆえと思わんか」


 些か以上に乱暴な論法であった。

 だが先に想起させられた師の言葉を思い返せば、そういう者があったとしてもおかしくはない。


「俺たちは誰も蛍火を継いでいない。甲斐谷の秘伝を知らずして正統などとはとても名乗れん。だが、逆に言えば、だ。それ故にこれが方策となる。下手人を密かに捕え締め上げる事ができれば。そうして蛍火を手にする事ができれば、それが正統の証となる。その者こそが道場の主だ」



 話を終え締め切っていた障子を開けば、長い初夏の日がもう暮れようとしていた。随分と長く話し込んでいた事になる。

 吹き込む夕風に篭った熱気が流れ出され、ひどく心地が良かった。

 だが桐島は依然、(しか)め面のままである。提案を蹴った事を根に持っているのだろう。その渋面のまま、


「俺は英気を養いに行くぞ。貴様はどうする」

「悪いが、夜歩きをする気分にはなれん」

「骨の髄まで臆病犬だな、貴様は」


 肩を竦めて応じると、桐島は機嫌悪く鼻を鳴らした。

 女好きの桐島であるから、行き先は色町であろう。前祝いの心算(こころづもり)なのだ。

 おそらく、この猪めいた豪傑の頭の中では、全てがもう片付いている。

 己が手で下手人を捕え、蛍火と道場を我が物とし、そうして栄達の道を歩む。そういう未来へ足を踏み出したつもりでいる。とんだ皮算用だった。


「平助。おらぬか、平助」


 提灯を持てとがなる声を聞きながら、そう上手くいものかと洗馬は思っている。

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