今、ここにある幸せ
…ささやかな願い
モユ・16歳…
私は、小さい頃から、すでに籠の中の鳥だった。鳥は鳥でも羽のない鳥…
羽のない私は、物心付いた時には、病院…という籠の中にいた。
『…モユちゃんの頭の中に悪い虫がいてね、その虫をね、パパとママや先生、それから看護師さんとで、やっつけてるんだよ。
モユちゃんの頭の中の、悪い虫が早く逃げていくように、みんなで頑張ろうね』
そう言っていた両親の瞳は、私に涙を見せまいと、必死だった。
それが何を意味するものなのか…理解できない程、幼い子供だった私。
我が子に向かって、頭の中に悪性の腫瘍がある…と告げ、理解させるには、酷な事だっただろう。
生まれながらにして、親不孝だった私…
だから私は、どんなに辛い治療も、頑張った。わがままなんて言わなかった…
弱音なんて吐けなかった…
担当の医師からは、長くもって、14、5年と言われた命…
16歳になったばかりの今も、こうして生きていられる私がいるのは、神様のおかげなのだろうか?
『モユちゃん。これはね、モユちゃんの頑張りが奇跡を起こしたんだよ…』
担当の先生が微笑みながら言ってくれた。
ふと目をやると、窓の外には、制服を着た学生達が見える。
今は、下校の時間なのだろう。仲間同士、楽しそうに笑っている姿、手を繋いで帰る、幸せいっぱいの恋人達…
病室の窓から見える、穏やかな時間の流れの中で、自分が明日、この世からいなくなるかもしれない…と毎日、思いながら生きている人なんて、きっといないだろう。
ごく普通に学校へ行き、勉強したり、友達と騒いだり、たまには喧嘩をしたり…
それから…
好きな人と恋愛したり…
限られた時間の中での、ささやかな願い…
幸せすぎて、このまま死んでも構わない…と思えるような恋愛がしてみたい。
でも、私は籠の中の羽のない鳥なのだ。
短い命と知りながら、人を好きになる事なんて、できない…
いつも通り、過ごすだけだ…
今日も一日…生きることができた事に、感謝して…
…ただ、それだけだ。
今日は、目覚めがいつもの朝とは少し違っていた。
とても幸せな気分になる夢を見たのだ。
誰なのかはわからないが、私と同い年くらいの男の子と、楽しそうに笑っている…
どうやら2人は、恋人同士の設定らしい。
彼は、俯きながら自分の胸に手をあてている…
私が彼を呼びかけて、彼が顔を上げようとした時…
そこで、夢から醒めてしまった。
夢の中の出来事とはいえ確かに2人は付き合っていた。
もう一度、夢の中での出来事を思い出してみる…
私の中にある何かが、一点に集まったかと思うと、それが波紋のように広がっていく。
小さい輪は、だんだん大きくなり、身体に隅々まで行き渡ると、何ともいえない気持ちになった。
その気持ちが、会った事もない彼に恋をしていると自覚するのに、さほど時間はかからなかった。
あの日から毎日、私は彼の夢を見続けた。
夢の中の2人は本当に幸せそうに笑っている。
相変わらず、胸に手をあてる仕草が何なのかは、わからないが。
夢の中の彼は、ありのままの私を受け入れ、今までの辛さや悲しみも優しい眼差しで包んでくれた。
彼は多くを語らず、ただ私の側で微笑むだけ…
でも、私はそれだけでも幸せだった。
十分すぎるほど、幸せだった…
人を好きになる事の素晴らしさを、彼は教えてくれたから……
人って、自分が幸せだと誰かに幸せを分けたくなるんだね。
これからは、たくさんの人達に、幸せを与えられるような……そんな人に、私はなりたい。
いつもと変わらない、穏やかな秋の日の夕暮れ…
私は、16年と2ヶ月という、短い生涯を終えた。
でも……
これからなのだ。
私自身はいなくなっても、私の心臓は生き続ける。
夢に出てきた彼の身体の一部として、彼と共に。
…これからも、ずっと。
…共に生きて
セナ・17歳…
1年前…僕は生まれ変わった。
生きられる…という、力強い希望と共に。
『…あの…セナさんですか?』
バス停で待っていた僕に、女の人が尋ねてきた。
『はい、そうですが…』
入院していた病院の看護師さんだったかな?
一度見た顔は、忘れない自信はあったんだけど…
『…えっと、すみません、どちら様で…』
『私、…モユの母親です。ずっと、セナさんにお会いしたかったんです』
静かに微笑むと、その人はゆっくりと語り始めた。
『…本当は、臓器移植された方に会うことを、病院側に止められていたのですが……モユの遺品を整理していましたら、生前、モユが書いていた日記が出てきまして…これを読んでいただけたら…と』
手渡された、白い表紙のノ―ト。
彼女の好きな色だったんだろう…
表紙をめくると、綺麗な字で、彼女の見た夢の内容が書いてあった。
目に浮かぶような情景、彼と彼女の仕草…
そして、最後のページ…
意識が無くなる前に書いたものなのだろう…
震える字で、この世に生まれてきて良かった事、今まで自分を見守ってきてくれた人への感謝の言葉。
それから…
『幸せをありがとう』
夢の中での恋人にあてた言葉。
となりのページには、夢の中の彼らしき絵がスケッチされていた。
僕は息を飲んだ。
『その絵、あなたに似てるでしょ…』
この絵を見て、思い出した事がある。
移植手術を受けた後、不思議な夢を見たのだ。
色白の、髪の長い女の子と僕が一緒にいる…
彼女が絵を描いていて…
描き終わったと思ったら、急に彼女が立ち上がり
『先に行ってるね』
と言い残してス―ッと消えたのだ。
彼女が描いた絵を見てみると、そこには僕の顔…
そう、この絵だ…
『モユはね、あなたが心臓が悪い事、なんとなく分かっていたみたいですね。
モユは……亡くなる前に、自分の臓器を必要としている人達に提供したい…そう言ってたんです』
僕の頬に涙が伝う…。
…提供者は、モユさんだったんだ。
胸に手をあてて、モユさんの温もりを再確認した。
『モユは、セナさんに心臓を提供できた事、とても喜んでいると思います…』
…胸の奥が熱くなった。
僕に、生きる希望をくれた人…
僕は、これからも生き続ける…
力強く…
モユさんと共に…