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Sky call a Recorder  作者: くろさび
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04.明寺瑠威


「へぇ、それで昨日も行ってきたんだ?」


月曜。昼休みの屋上。

俺はあの図書館について、コーヒー牛乳を啜る八咫を前に語り聞かせていた。


「ああ。いやーマジでいいトコだぞ。おかげでテストの手応えも今んとこいいし。我が人生始まって以来の大発見と言っても過言じゃねぇわ。明寺さんもちょっと抜けたとこあるけど、すげーいい人だしさ」


「ふうん」



俺は昨日のことを思い返す。

昼過ぎ。

相変わらず静かなそこで明寺さんは椎名を膝に置き、うたた寝していた。店の鍵は開いている。さすがに不用心窮まりない。声をかければうっすらと瞼が上がり、その下から浅蘇芳色の瞳が覗く。しかし、「…いらっしゃい」とだけ零して再び眠りについてしまった。その後、17時近くまで明寺さんは起きなかった。よくあんな高いところで、しかも不安定な姿勢のまま眠れるな、と思って眺めていたが、どうやら慣れているらしく、椅子からずり落ちるどころか、姿勢そのものがほとんど変わらない。今日の目標を達し、俺が帰る支度を始めた頃、漸く目を覚まし、俺を見るや否や管理者席から下りて近寄ってきた。


「おはようございます。大分よく寝てましたね」


「…うん」


そう頷く彼はまだ眠たそうに目を半開きにしている。これが明寺さんの基本の表情だということはもう十分わかっていた。


「…ごめん、キミがいつ来たか、わからない…」


「寝てましたからね。勝手に入っちゃいましたよ」


本当はちゃんといらっしゃいしてくれたのだが、敢えて言わないことにした。


「もう、帰る…?」


「はい。今日はギリギリ時間内っスよね」


明寺さんは掛け時計を見る。16時53分。17時の閉館時間が目前に迫っていた。


「まだいてもいいよ…?」


「いや、今日はもう帰ります。勉強もすっかり捗ったし」


「そう…」


その時の明寺さんは表情こそ変わらないが、どこか寂しげに見えた。胸が謎の痛みを訴え、俺は少し話をしていくことにする。


「そういや此処、なかなか客が来ないんスね。昨日も今日も俺以外誰も来てないし。贅沢な貸し切り状態っスわ」


「……」


明寺さんは俺をじっと見て静かに口を開いた。


「…来ない」


「え?」


「此処へは、お客さんなんてほとんど来ないよ。時々来るのも、僕の知っている人」


「…」


「…僕が知らないお客さんは…キミがはじめて」


「へぇ…」


俺は反応に困った。これまで、どれくらい開館していたかは知らない。でも、何にせよ、一見客が俺一人だけって、そんなことがあるのだろうか。道には小さいが看板も出ているし、扉にも店名が刻まれている。こういう隠れた名店など、女子が好みそうなものだが。あ、もしかして、入りづらい店構えのせい?確かに俺も初めは躊躇したものなぁ。しかしそれにしたって、ちょっと信じられない。


「…キミが来た時、実は凄くびっくりした」


「いやいやいやいや、」


それはもっと信じられない。明寺さん、あなた全く表情変わってませんでした。ポーカーフェイスにも程がありませんか。


「本当だよ…?嬉しかったから…昨日のカレーは…その気持ち」


「……」


成る程、だからお金はいらないってことだったのか。初回サービスみたいな?取り敢えず、新しい客が来て、明寺さんが喜んでいたということに、俺も嬉しい気分になる。


「じゃあ、また来てもいいっスか?俺も此処、めちゃくちゃ気に入ったんで」


明寺さんはコクリと頷いた。この調子であれば、一見客から常連に昇格する日はそう遠くないだろう。

それを思うと胸の高鳴りを感じて、自然と笑みが零れていた。







「で、その後さ、通う流れで定休日を聞いたんだけど、"わからない"って言うんだよ」


「何で?」


現在、再びの屋上。話しながらでも手元の弁当はすっかり空になっていた。


「それがさー、"僕に任務がある時は休み"なんだと。任務ってつまり仕事ってことだろ?図書館を経営するのがあの人の仕事じゃないのか」


純粋な疑問を口にするが、勿論八咫がそんなこと知るはずもなく、首を傾げる。


「さあ。取り敢えず、"不定休"ってことなんじゃないかな」


「うーん、そういうことなのかな。そうなるとちょっとアレだよな。HPとかもないし、行って開いてないとか有り得るってことじゃん。今度連絡先とか聞いておくか」


徐に携帯を取り出して見れば、もう昼休みも終了間近。そろそろ戻るか、と弁当を片し二人揃って立ち上がる。


「あ、お前も今度行ってみろよ。絶対気に入るからさ。ただし、他の奴には絶対に教えんなよ」


言って口の前に人差し指を立てる。それに対し八咫もにっこりと笑って。


「うん、わかった。ありがとう」


俺は一人満足して歩き出した。さて、午後はあと1教科こなせば終わり。試験中は普段よりもコマが少なく、下校が早い。つまり、早く帰れる。つまり、またあの図書館へ行けるってことだ。


「ぃよーし、頑張っか!」


気合いを入れて屋上を後にする俺の背中を見詰める八咫。その八咫が静かに呟いた言葉を俺は知る由もない。


「……あの辺り、よく行くけど店なんてあったかな…ただの住宅街だし、新しくできたなんて話も聞かないんだけど…」


春の暖かな風が吹き抜け、背を押されるように八咫もその場を後にした。





****


「こんちはー」


午後。

例の図書館に訪れると明寺さんの姿がない。しかし鍵は開いている。だから不用心だっての。いくら他に客が来ないからって…


「まあ、そのおかげで俺、中に入れるんだけど」


静寂の中に水の流れる音だけが絶え間無く響いている。いつもの席に座ろうとしたが、階段の最上段からの景色に好奇心が働き、俺は歩を進めた。階段の段差は、それ程高くなく、一段一段幅が普通より広い。そこに机を展開し座るのだから、それなりに広くある必要があるのだろう。俺はこれまでスルーしていた本棚へと目を向けた。巨樹を中心に、螺旋状に造られた階段の外側の壁はほぼ一面本棚になっている。そこに肩を寄せ合うように列ぶ本は、洋書なのか、様々な色のハードカバーを纏っており、その背表紙に日本語のタイトルは殆ど見られない。試しに一冊手に取ってみる。


「………」


やはり読めるわけがなかった。中身も横文字、異国語で綴られた文章だ。目が痛くなる。こんなものを読む客がいるのだろうか。その、たまに来るっていう明寺さんの顔なじみの客ってやつは。まさか、外国人とか?


「ていうか、まず明寺さんが見た目日本人離れしてるから有り得るかも」


白髪に浅蘇芳色の瞳。白く澄んだ肌。細身の長身で、所謂イケメンってやつだ。こんな図書館にあんな管理人がいるのだから、まるでお伽話に語られる世界にでも迷い込んだような錯覚さえ覚える。


「今更だけど、夢…じゃないよな」


そんなことを呟きながら頬を抓る。痛い。俺は再び階段を昇り始めた。最上段は、俺が座っていた席の反対側(入口付近の管理者席から見ると左手)の階段突き当たりから更に梯子(普通は手の届かない高さの棚から本を取るために使われる)を使って上の階へ昇り、またぐるっと螺旋状の階段を歩いたところに漸くあった。その広くとられた空間は、管理者席の正面に位置し、周囲を美術館などで見られる赤い綱が囲っている。ポールとポールを繋ぐ形で張られるあの綱だ。落下防止用に置かれているとしたら、考えを改めた方がいいだろう。


「うわぁ、結構高いな。」


赤い綱の内側から下を覗けば、水面が遥か下方に見える。視線をゆっくり上へ上へと移動させると、目の高さに太い幹と四方に広がる枝があり、少し上を向くと樹の頭部分がある。滴るように美しい緑を湛え生い茂る葉が、天窓から注ぐ陽光を受けて輝いていた。

そういえば、明寺さんは…と向かい側下方の管理者席に目を向ける。幹の右側、小さく見えるその場所に明寺さんの姿はない。


「明寺さん、まだ戻ってないか。何処行ったんだろ」


「呼んだ?」


突然背後から聞こえた声にビクッと体が跳ねる。慌てて振り向けばそこに明寺さんが立っていた。


「明寺さ…っ、いつからそこに」


心の準備なしに振り返ったものだから、バランスを崩して足元がふらつく。それが、いけなかった。


「ぅわッ」


腿の裏辺りに引っ掛かりを覚えた瞬間、床から足が離れた。


傾く世界。その傾きが大きくなり、ついに天と地が逆さになった。一瞬の無重力の後、俺の体は重力に引っ張られ、頭から落下を始める。


や、ばい


先の自分の運命を瞬間的に予見し、頭が真っ白になった。いくら下が水とは言え、場合によっては死ぬことだってある。

視界の端に明寺さんが映る。いつもと変わらない表情のまま、こちらを眺めていた。

その一瞬一瞬がゆっくりと目に、脳に届く。


痛ぇだろうな


固く目を瞑った。暗く閉ざされた視界。胃が浮くようなあの不快感がこの身を満たす。

いよいよこれまでと悟った次の瞬間、ぐいと凄い力で腕を引っ張られる感覚。その直後全身を襲ったのは凄まじい遠心力。続いて耳元に風を切る音が響いた。あまりの勢いに目も開けられない。振り子で言うなら今運動の最高点に達したといったところか。遠心力から解放された体がふわりと浮かび上がり、何が起きているのかわからぬまま、最後の衝撃がやってくる。


「………」


その後再び静寂が訪れ、落下時の不快感も、遠心力による感覚もなく、俺は怖ず怖ずと目を開いた。


「明寺さん…!」


すると、目の前には明寺さんの整った顔があり、あろうことか俺は明寺さんに抱き抱えられていた。


「大丈夫…?」


明寺さんはいつもと何ら変わらない様子でこちらを見詰めている。


「えっ、あ…だ、大丈夫、です」


混乱したままの俺を床へ下ろし、まるで何事もなかったかのようにゆったりと立っている。俺はというと、足はガクガクと奮え、腰も抜ける一歩手前でどうにか踏み止まっている状態だ。近くの棚に体重を預け、改めて顔を上げる。ついさっきまで自分が立っていた場所が巨樹の反対側、遥か上方にあった。俺は確かにあそこから落ちたはず。どうして今ここに立っているのかわからない。もしかしなくとも、俺はこの人に、明寺さんに助けられたのか?

俺は目の前の彼へ視線を移し、声の震えを抑えながら漸く口を開く。


「明寺さん、すみません。俺、何がなんだか…わからなくて…明寺さんが助けてくれたんですか?」


すると明寺さんは緊張感のない表情のままコクリと頷いた。


「でも、一体どうやって…」


俺が困惑していると、明寺さんは静かに巨樹を指差した。


「…あの枝に」


「?」


「…この糸を引っ掛けて」


「いと?」


明寺さんが左の手首をスナップさせると、服の袖口から何やら不思議な形の金具が飛び出した。それを慣れた手つきでキャッチし、伸ばして俺に糸を見せてくれる。どう見ても普通の糸ではない。安易に触れれば、忽ち怪我をしそうな鋭い輝きがある。


「これを枝に?」


「うん…」


「それで?」


「木をぐるっと回って着地した」


木をぐるっと…つまり…

映画やアニメで鍛え上げられた俺の脳内では、自分が先程感じた様々な感覚も情報として取り入れ、一連の流れが映像となり見えてくる。つまり、明寺さんは落ちた俺を追ってあそこから飛び降り、空中で俺の腕をキャッチ。同時に例の糸をどのようにかあの枝に引っ掛け、俺を片手に持ちながら木の周りをおよそ半周し、着地が可能なところまで来ると、タイミングを図り糸を外して反対側へ着地。しかもその際空中でバランスを立て直しながら俺を抱き抱えた、といったところか。例え脚色が多少あったとしても、およそは当たっているに違いない。

ここで一つ問題なのは、そんなことを表情一つ変えず冷静に一発でやってのけた明寺さんが一体何者か、ということだ。


「…明寺さん…あなた…」


「………」


尚も変わらない表情。半開きの眼がじっとこちらを見詰めている。


「いや…何でもないです」


明寺さんが何者か、それは確かに気になる。でも、今そんなことはどうだっていい。この人の手により救われたのは間違いないのだ。最悪死んでたかもしれないこの俺を、明寺さんが助けてくれた。この事実と明寺さんが何者であるかは、関係ない。


「本当にありがとうございました」


そう言って深々と頭を下げる。

僅かな沈黙の後、明寺さんは「どういたしまして」とこちらを真似て頭を下げたのだった。





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