綺麗な花には棘がある。
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「眠い。眠い。眠い。」ソファで横になっている男子生徒が長い足を無造作に投げ出し,ぼやいた。同じ室内にいる女生徒は眉間に皴を寄せながらも何も聞いていないかのように無視している。それに気づいていなお,男子生徒はお構いなしにぼやき続ける。
「あー,暇―。暇。ひまと書いてヒマと読む。」
「うっさいわね,ほんとに黙ってくれない!? 暇なら教室に戻ればいいじゃないの。」
無視し続けるのにも疲れ,堪忍袋の切れた様子で少女が怒鳴る。仁王立ちの少女―篠宮万梨亞である。その容貌はアンティーク人形のようだと生徒に言われている。顎のラインで切りそろえられた横髪に背まであるウェーブした髪。外国人と言っても通りそうな容姿だが最も大きな理由は,整った顔立ちの中でも目を引くのはその瞳だ。切れ長の二重に大きな黒瞳。長い睫毛がその迫力に拍車をかけている。その美しさにモデル並みの手足の長さ。しかし,アンティーク人形のように,愛らしい印象を与えるよりも,その性格が近寄りがたさを与えてしまう。そう,彼女は,周囲の認めるなかなかの短気なのである。
「だって,ひ,ま,じゃないか。それに,このまま勝手にいなくなったら静に怒られるしぃ?どーせ,理事長にまた何かお願いされてるんだろ?あの人がしてくるお願いなんて今まで碌なものじゃなかった。今回もその延長に決まってる。」
なにが“しぃ?”よ。自分の性別をわすれているのか気持ち悪い,と暴言を吐きながら,万梨亞は吊り上げていた目をさらに吊り上げる。その様子をみていた少女が慌てて立ち上がった。
「まあまあ,万梨亞。そんなに目くじらたてないで。そろそろ,静稀も戻ってくると思うし。ね,樹,そうでしょう?」優しい顔立ちの少女がゆったりした口調で2人の間に入るようにして立つ。その柔和な顔立ちに浮かべる笑みには母親のような慈愛がこもっていた。
「・・・・そうだね。今,校舎渡ったとこだ。」
樹と呼ばれた長身の青年は,壁にもたれ目を閉じたまま口を開く。
「あと,3・・・2・・・・1・・・・・」
ガラッ
カウントダウンを聞いていたかのようにタイミングよく部屋のドアが開く。そこには,深山静稀が立っていた。
彼女は,部屋に入るなり持っていた資料を乱暴にテーブルに置いた。乱暴においた資料が反動でばらばらと散らばる。
「わぁ・・・。樹の見立てはさすがだね。って,静はどうしたの,珍しく気が立ってるね。」
よっ,とソファから身を起こした男子生徒 ̄嘉賀弓弦は気が立っている静稀の様子をどこか楽しむような様子で見ている。膝を立てた体勢で手を顎に添え,首を傾げながら微笑んでいる。
その微笑みを,彼を知らない人が見ていたなら,目を奪わられずにはいられないだろう。“中世的な美”と表現される彼の容姿はさながら天使のようだった。色素の薄いややくせ毛の強い髪と同色の瞳。それは現実味のない存在感をさらに輝かせる魅力となっている。万梨亞は彼の微笑みを“悪魔の微笑み”とこっそり呼んでいるのだが,あながちそれは間違った観点ではないことを長年付き合った者なら知っている。
「やられたわ,あの狸ジジイ。今度は何を考えているのか…」短く切りそろえられた髪が椅子にもたれたせいで頬にかかる。
「なに,今度は何を“お願い”されたわけ?」疲れた様子で椅子にもたれる静稀を心配した万梨亞がその隣の席へ腰を下ろした。
眉間の皺をほぐしながら静稀は先程自分が伝えられたことをそのまま部屋のみんなに伝えた。
「え・・・学園に他学校の生徒が見学に来る!?しかも来月!?」
「そうよ,あの理事長私が断れないことをいいことに。生徒会の君たちは優秀だから,大丈夫大丈夫とかゆって。」
これでもかというくらいに万梨亞の目は開ききっている。その顔には「嘘でしょう」と書かれていた。
「あらまあ・・・。ずいぶん急なのね。私たちはそのおもてなしを任されたということなのね?予算とかどれくらいなのかしら・・・もう日にちは決まっていて?」どこかのんびりとした口調のまま,的確な質問をしているのは,さきほどの少女―山城十和子。彼女は,柔らかい雰囲気をまとう大和撫子である。セミロングの柔らかそうな髪に少したれ目の優しい顔立ちをしている。十和子の目には慈愛と思慮深さが宿っている。そしてその愛らしい容姿は男子生徒に非常に受けがいい。
「そうね・・・私もその件について理事長に尋ねたのだけど。詳しいことは明日,資料が回ってくるそうよ。」
「じゃあ,本格的に決めごとをするのは明日になるのね。」
承知しましたというように十和子が微笑んだ。
「・・・それじゃあ,その机の資料はなんなの?」
ペラ,と机に投げ出された紙を捲った万梨亞は,内容を見た途端に形の良い唇をゆがめて唸り声を出した。なによ,これ。とつぶやく。
「それ?私たちが,おもてなしする学生の顔写真とプロフィールよ。ご丁寧に,好きな異性のタイプや,家族構成・スリーサイズまで書かれてる。」
「んな,なんなのよこれ!プライバシーもあったもんじゃない!まるで,お見合いじゃない!!」
持っている紙をわなわなと震わせて,美しい顔が怒りに染まるとさらに迫力が増す。勢いで破りそうになっている資料を慌てた様子で十和子が取り上げて丁寧に皺をのばしている。
「・・・お見合い・・・・・ん,・・黒髪・女の子・・?・」
樹が,窓から外をみながらぼそっと,ぼやいた。
静稀は,・・・女の子?と最後の言葉になにか引っ掛かりを感じたが,それ以上のことは話す様子がなかったので,ひとまず置いておくことにした。静稀は凛とした,どこか意地の悪そうな微笑みを弓弦にむけた。
「そのプロフィールを覚えることが私たちのまず一つ目の義務よ。」
「そん」すぐさま反発を見せる弓弦を遮り,
「そんなの無理,できない,やらない,捨ててやる,逃げる,死にたい以外の言葉なら聞いてあげるわよ,弓弦。」
まさにその言葉を続いて言おうとしていた弓弦はぐうの音もでずに黙り込んだ。そして,フンっと,鼻を鳴らしてそっぽを向いた。この中で最もめんどくさがり屋は間違いなく弓弦だ。静稀は,長年の経験から,だだっ子は先に丸め込んでおくことが後で面倒にならないと知っていた。静稀は唇の端だけをあげて微笑みを見せたが,目が笑っていないために,ほとんど強迫に近い笑みになっている。
「はぁ・・・。いいよ,いいですよ,やりますよ。 で?これ,何人いるの。」
逆らうと恐ろしいことになるのは知っているので,今回は弓弦が早々に折れた。諦めた様子で尋ねる。
それに満足した静稀は,眼鏡をかけ,資料に目を通していきながら淡々と返事をした。
「ざっと・・・166人くらい。」
「・・・・ああ,だれか聞き間違いだっていってくれ。」みるみる生気をなくし,両手で顔を覆う弓弦。
「もう,無理なんていえないし,やるしかないわね,弓弦,あきらめなさい。あなた暗記は得意じゃないの。」
「頑張りましょうね,弓弦。」
女子2名の励ましと有無を言わせない目が,嫌とは言わせないと語っている。
もうこれで逃げられないと観念した弓弦は苦痛の声を漏らして定位置のソファに倒れこんだ。
ざまあみなさい,と笑った万梨亞はすぐに真剣な目をして静稀に尋ねた。
「で,静稀。聞きたいんだけど,今回その見学しにくる生徒達,みんな白・なの?」
それに十和子も頷いた。
「わたくしも,聞こうと思っていました。166人ともなれば,何人か能力者・・・の方もいらっしゃると考えた方が良さそうですわね。その対策はどうなされます?私たち生徒会員を合わせても6名。すべてをカバーできるかしら。」
持っていた資料を置き,開いた静稀の目つきは一変し,刺すように鋭いものになっていた。その変化から敏感に察する。
「黒なのね。まあ,予想できる,か。」
「まだ,詳しい詳細が聞けていない。でも間違いなくいるでしょう。いると考えた体でこちらも対策を練らなければならいわ。あれを,好奇心で探す輩も必ずいそうだから。それで・・・・・その見学者の中には“竜王”からも2名来るそうよ。」歯を食いしばった,静稀の苦しい声が部屋に響く。“竜王”の名前に反応した全員の顔が険しくなり,部屋の雰囲気は一瞬で重たい空気に包まれる。
万梨亞は,また手近にあった資料を握りつぶしていたが,今度は十和子もそれを止めようとはせず,悲痛を通り越した青白い顔で万梨亞の背を撫でている。
樹は外を見つめたままだったが,その目には湧き上がる憎悪を抑えるために必死に抑えているのが窺える。
「絶対 “嶺れい”を取り戻す。竜王から救い出すんだ。絶対に。」天井を睨み決意の滲んだ口調で弓弦が言った。その視線は天井へと向けられている。まるで,その“敵”がそこにいるかのように。
「ええ,もちろんよ。目にもの見せてやる。この神坂学園の生徒会長の名に懸けてね。」
静稀の怒気の含んだ口調に,皆が順に頷く。彼らの絆の根底にあるつながりが表面化した瞬間だった。
ふっと息を吐いて,感情を逃がした静稀は感情のスイッチを意識して切り替えようと努力した。心の奥でくすぶる“復讐”には今だけは目を反らしておく。今だけは。必ずこの苦しみを奴らにも味あわせてやるのだ。それはあの時から胸に,誓っていることだ。それは,きっと,ここにいる全員も同じ気持ちだろうと信じている。
「そういえば,理事長室を出てすぐに,転校生にあったわ。更木先生が案内してた。どうやら,一つ下らしいけど。」意識して口調を明るいものにした。
「この時期に?まあ,珍しいのね。」
空気を読むのが早い十和子は持ち前の柔らかい口調で聞き返した。資料をとり,皆に渡してゆく。弓弦はソファで寝ていたが,顔の上にわざとのせた。
「くわしくは聞いてないけれど。見た感じでは,大人しそうな子だった。」
“向坂織花”と名乗った少女の顔が一瞬浮かぶ。透けるような白い肌に艶やかな黒髪をしたどこか儚げな印象を与える少女だった。瞳も髪と同じように艶のある黒で目が合った瞬間,心を見透かされそうな気分になったのを覚えている。その動揺に自分でも驚き,思わず冷たい表情をしてしまった。
(私の方が年上なのに,情けない,目が合っただけで取り乱すなんて。でも全体的にはそんなに目立たない子なのに印象に残るのは何故・・・)
考えから浮上すると,こちらを見る視線を感じ顔を上げた。いつの間にこちらを見ていたのか,樹のエメラルドのような瞳が静稀をまっすぐ見ていた。
「・・・転校生・・・それ,女の子・・・?」
無表情のまま唐突に質問が飛んできた。しかし,その声には普段の抑揚のない声とは違う,何かを感じた。
「そう。ちょうど樹と万梨亞と同じ学年になるわね。」
そう・・・と,だけ答えてまた視線を外へ向けた。少し開けてある窓から風が入り込み樹の少し長めの髪を揺らした。繊細に整った顔。見えた瞳の色はエメラルドより明るい色をしている。壁にもたれる姿勢で185cmは裕にあるであろう身長と均等のとれた体躯は妙に色香を放っている。
口数の極端に少ない彼が人に興味を持つのは珍しい。その彼の瞳にも,いつもとは違う光をみた静稀は,眼鏡の奥で目を細めた。
「珍しいわね,樹。あなたが他人に興味を示すなんて。」
なにかあるの?と含みの込められた視線を受け止めるように樹はゆっくりと顔を向けた。
「・・彼女。黒い髪?」
またもや,先の読めない質問を投げられる。
「・・ええ,黒い髪だったわね,確かに。」
「・・・肌が白くて,話す時は俯き加減にしていた?」
「・・・確か,そうだったわ。 樹,なんなの,彼女がどうかした?」
先程,自分が思い浮かべていたイメージをそのまま口に出していたのかと勘違いしそうだった。もしかして,樹はその転校生に会ったのか?いや,彼は人と話すこと極端に好まない。その確率は非常に低い。となれば・・・
「まさか」
目を見開く静稀のその先の言葉を引き取るように頷きを返して,視線はまた外へ向く。
「彼女,今,この校舎の中にいる。もう,“水華の扉”に近い。」
その言葉を聞いた,室内に警戒と緊張感が満ちる。予想した通りの言葉に静稀はまた眉間の皺を揉みながら眼鏡を外した。
「なに,樹,それって静が帰ってくる前からここにいたってこと?」
起き上がりながらやや不機嫌な顔で弓弦は不満を漏らした。しかし,その目の底には警戒心と獲物を見つけたような赤い光がちらついている。
「・・・わからない。気づいたらいたようだ。」
彼が言葉を濁すなんてこれも珍しいことだった。きょとんとした顔で弓弦の顔から一瞬で覇気が抜け落ちる。
「へぇ?そんなこともあるんだ。樹にも。こりゃあ,黒かな?もしかしてあの時みたいに,“竜王”の関係者だったりして?」
敵意むき出しの表情で舌なめずりをする,そんな弓弦を万梨亞が睨んで牽制する。
「スパイだっていいたいわけ?それなら,私達にだってわかるはずでしょう。」
そのとおりだ,と静稀も同意をする。
「私が彼女に会った時には力は感じなかったわよ。ただの人,白よ。」
「でも,どのみち,この校舎に入れたんだから,会ってみないとね?久々の,狩りの始まりだ。」
「だから,彼女は人なのよ,狩らなくていいの!!もし違っていたら生徒会じゃ,責任とれないでしょ! ましてや,あんた個人でも,責任とれないだからね!!」
万梨亞が怒鳴った。
「話していても仕方ない。どのみち,ここに入れた理由も聞かなければいけないし,一度会ってみないと。
とりあえず,一度,みんな“水華の扉”へ。ついでに他に異常がないか見て回って。」
テキパキとどこを誰が見に行くのか指示を出していく静稀に樹が静かに問う。
「・・・晃はどうする?」
その言葉に,そういえば,ここには一人いない奴がいたことを,思い出す。
「あのバカには私から飛燕を飛ばしておく。」言い終えたと同時に静稀の右手から瑠璃色を少し薄めた色合いの球が溶け出した。それは次に瞬きした瞬間には掌ほどの美しい鳥に変化していた。鳥は目の高さへ飛び上り,まるで主の意思を受け取ったかのようにピピ・・と鳴いて飛んで行った。
「行って。」その言葉に頷いて4人は散らばった。
***
「なんだろ,この扉。すごい・・・」
目の前には高さ3mはある木製の扉がこちらを見下ろすように立っていた。扉には,花や木などが全体に彫刻されている。草花の葉の葉脈までリアルに彫られており,近づいてみるとその緻密さがより感じられた。扉の上部には,天女のような髪の長い美しい女性達が描かれていて,その表情はまるで生きているかのように見える。いずれにしても,この扉だけ他の部屋とは違う重圧や異質さを漂わせていた。
年月を感じる,自分の倍もある高さの扉を見上げていると,覆い隠されてしまうかのような,自分がとても小さな存在になってしまったかのような錯覚を抱く。
(旧校舎の中にこんな扉があるなんて・・・でも,なんでだろう?)
ただの,建造物なのか,もしくは,記念品として作られたのかは分からないが,これほど豪奢なのにはきっと意味があるのだろう。
(それか,この先にあるものを守るためのものだろうか。この先にはいったい何があるのだろう)
心の中でむくむくと膨れあがった好奇心がこの扉を開けてみたいと織花を強く促していた。
タンタンタンタンタン・・・
「えっ・・・!」
この階には自分しかいないはずなのに突然,物音が響いた。ここは,階段の切れ目―最下段にあたる場所だ。そのため,目の前の扉以外,物と呼べるようなものはなく,ましてや窓もない。この付近に音の発生源はない。
少しジメジメとした空気を肌に感じながら,今の物音の正体は何だったのか考える。
(ここに,私が勝手に入っちゃったことがバレちゃったのかな。 更木先生は立ち入り禁止だなんて言っていなかったけれど・・・)
まだ,転校生としてこの学校に認められていない織花はこの時点ではまだ部外者である。ここへ勢いだけで勝手に入ってしまったことに少なからず罪悪感を感じていた。
・・・タンタンタンタン
「・・・っ!!」
気のせいだと思おうとしたとき,先程と同じ方向でまた音がした。先程よりも音が近くなっている気がする。こんな灯りと呼べるものがない薄暗い場所で,一人でいることにここにきて後悔しながら,もし,誰かに怒られるなら,自分から先に自首しようと音のした方へ進む。
(確か,上の方から聞こえてきたよね。こんなことなら,好奇心に負けるんじゃなった・・でも,別に何か物を盗ったわけじゃないし,すぐに謝って,すぐ帰ろう。)
そう考えて階段を見上げた時。
「あの!すみません!私,・・・・きゃあっ!!!」
(なに!? い,い,いま,黒い影がっ・・)
あげそうになった悲鳴を口に両手をあてて無理やり抑え込んだ。見上げた先には上からこちらを覗き込む人の頭のような影が見えたのだ。上の階はまだ明るい。見間違いでないと言い切れるレベルで,そのシルエットがはっきりと見えた。
タンタンタン・・・タンタンタンタン
微かに聞こえるだけだった音がどんどん近づいてくるのがわかる。
少しでも階段から離れたいと,足を震えさせながら後ずさりをした。
(落ち着け私。見間違いかもしれないじゃない。人だって可能性もある。こんな明るいうちから,ゆ,幽霊なんてでたりしないよ,大丈夫大丈夫。)
でも,人だったらなぜ,先ほどの呼びかけに答えてくれなかったのだろう,からかわれているのか,それとも,本当に・・・
タン・・タン・・タン・・
音の感覚が広くなりながらも,階段を下りてくるような音がこちらにどんどん近づいてくる。あふれ出そうな恐怖心を飲み込みながら距離をとるために今度は足が勝手に後ずさった。しでも,後ろにはもう扉しかない。つまり,音の出所がなんであれ,ここで対峙しなければならないのだ。
(大丈夫大丈夫・・落ち着いてっ・・・)
踵に扉が触れる。その衝撃で体がビクンと震えた。
口に当てていた手を放して階段の方を見つめる。耳を澄まさなくても音はやむことなくこちらへ降りてきていることがわかる。
(怖いっ・・いやだっ。)
思わず,扉に手を触れた,その時,触れていた扉がぼんやりと光った。
「え!? な,なに!?」
振り返ると扉に彫られていた草花が風を受けたかのようにさわさわと揺れている。どこか,違う国の一部の景色みたいだった。
何がどうなっているのか訳が分からず,そのまま目線を上げると,さっきみた美しい天女達がその景色の中を舞っていた。
『汝,乙女の血を継ぐもの。闇より出でて,光に還りし御霊よ。水華の器として己を捧げよ。この地を守る者としてその御霊と共に全てを誘え。迷える太古の華々を光へと導き,影のものを愛せ。水華の女神として意志を受け継ぎし者よ。その力は永遠のもの也―』
天女たちは美しい声でまるで歌を歌うように話し始めた。先程までただの彫刻だった扉がまるで生きているかのように美しく色付いていた。まるで,命が宿ったかのように。呆気にとられてみていると,舞っているうちの1人の天女と目が合った。
天女は織花に微笑み,こちらに手を伸ばしたかと思うと,指先から浮き出るようにしてこちらに出てきた。思わず距離をとろうと後ずさる。出てきた天女に,呆気にとられ,身動きのできない織花は手を取られ,柔らかな手で大事そうに包んだ後,その甲へ口づけをした。柔らかい感触が甲に落ちる。
(これって,夢なの!? な,なにがどうなっているのかわからない!!!)
さっきの恐怖心など,きれいさっぱり心から消え失せていた。
『華姫さま,お久しゅうございます。あれから,あなた様を忘れることなく,こうしてお待ち申し上げておりました。
ああ,まばゆいお方。その御霊の輝きは変わらず才花は,うれしゅうございます。ここで再び,お目にかかれて光栄でございます。』
はなひめさま??一体何の話をしているのかわからず,口を開けたり閉じたりさせるしかない。
まず,この現実なのか夢なのかわからない状況にどうすればいいのかわからず,焦りしか出てこない。
間近に膝をついて,自分の手をとるこの才花と名乗ったこの人とは今はじめて会ったのに,なぜ,初対面の相手に懐かしいと微笑まれるのか,理由が分からない。
「え,あ,こ,こんなことおかしい,夢だ,,絶対に,夢。」
さらに,足が後ずさる。先程少しでも階段から距離をとろうとしていた行動とは,全く逆の行動になっていた。でも何度,瞬きしてみても目の前の天女は消えない。それどころか扉の光は,神々しいほどに輝きを増していく。舞いを舞っていた天女たちが目の前で跪いている天女のように次々と扉から浮き出てきた。天女達は,皆,人間離れした美しさだった。一様に微笑んで,優しく織花の手を引く。
「え!? ちょ,ちょっと待ってください!! どこへ行くんですかっ」
振り向きざま訴えるものの,ただ美しい笑顔を返されるだけだった。
(え,笑顔でこんなに強引なんてなにかのセールスマンじゃあるまいしっ,え,まってよ!どんどん引っ張る力が強くなってる!!!)
『さあ,華姫さま,お入りくださいましな。』
『恋しゅうございましたわ,姫さま。』
『ああ,貴方様にまたこうしてお目にかかることができただけで,わたくし達・・・』
天女達が口々に話かけてくる。何度考えても自分がこの状況に立たされている意味が分からない。完全に誰かと私を,この天女様達は間違えているのだ。そう説明しても,彼女たちは聞き耳など持たない様子で「ああ,相変わらずお美しい・・」とか,「あなた様の輝きの前ではすべてがくすんでしまいます」だの感極まった様子で告げてくる。中には,泣いている天女様までいた。
(え,泣かせちゃったの,私が原因なの!?)
えと,あの,と言葉を探しているうちに扉の前まで来てしまった。取っ手もついていないため,どうやって開けるのかさえわからない。天女達に押されて再び扉に手を当てさせられた。
ギギ・・ギ・・・
扉の重さを伝える音が響き,ゆっくりと左右に扉が開いていく。
(自動扉だったとか,そうゆうわけじゃないよね。これって,私が触ったからなの?)
混乱しているせいで,今の自分の状態を冷静に考えられない。考える時間を与えなかったのはわざとだったのではないか、と気づいたのはもう少し後だった。
扉の奥,開いた先は光に包まれていて,何も見えない。思わず目を閉じたけれど,天女達の手を引く力や背を押す力は弱まらず,先が見えない状態だというのにどんどん進まされる。「待ってください」という静止の声も耳に入らない様子でただ微笑みを返すだけ。そのまま,私は光の中へ半ば強引に足を進めた。