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妖精とクマ  作者: さぁこ/結城敦子
第二章 小野寺冬馬の事情。
9/60

2-3 ちらつく面影

「お待たせしました」


「本当だわ」


 ホテルの中にある星が付くレストランの個室に、その女性は待っていた。


「もっと早く私のこと、思い出してくれるとおもったのに。

おかげで、一緒に食事も出来なかったわ。

私、夜八時以降は、食べない様にしているの」


 その節制は、彼女に十分、報いているようだ。

 片手で掴めそうなほど細い腰に、すらりとした手足。

 彼女の名はエリィ。

 パリコレにも出たことがある、日本屈指のモデルだ。


「申し訳ありません」


「貴方は何か食べる?」


「いいえ、コーヒーを」


 そう言えば、まだ夕飯をとっていなかったな。

 お腹は空いていたが、食欲はなかったので、先ほど散々飲んだが、コーヒーを頼んだ。

 とにかく熱くて、出来れば美味しいコーヒーが飲みたい。


「美園を……怒らせたそうね。

ああ、謝らなくてもいいわ。

どうぜ、貴方達に無理難題を吹っかけたのでしょう?」


「まぁ、そんな所です」


 少女に無体をしかけたことは、言ってないらしい。

 美園にも、まだ、そのことを隠して置くだけの理性が残っていたようで、ほっと安心した。


 この部屋も暑いな。

 出来ればもう少し、冷房を効かせて欲しいが、会談相手は、まとう肉も服も薄そうなので、こちらが我慢するしかないだろう。


 濁した俺の言葉に、困った人だわ、とエリィは美しく整えられた眉をひそめた。


「ええ、そうでしょうね。

あなたの仕事もなくなった訳ですし。

今回のプロジェクトは、ジャン・ルイ・ソレイユの日本初上陸に合わせてのものです。

日本向けの新しいブランドも立ち上げる予定ですし、小野寺グループ全体のイメージ広告として巷にあなたの写真や映像が流れるはずでした。

専属契約をしてからの初仕事としては、十分大きなものです」


 事実を淡々と述べる。

 こちらも損失だが、エリィとて、大きな仕事をダメにさせられたのだ、不本意だろう。

 彼女は、美園の事務所に所属しているが、志が高く、下手な仕事はしない。

 だからこそ、ジャン・ルイ・ソレイユと言う、ファッション界の巨人に、日本人で初めて専属モデルとして抜擢されたのだ。


「そう、日本人で彼の服を着て広告媒体に登場出来るのは私だけなのよ。

ジャン・ルイ・ソレイユが私を使えない貴方達と契約を続けたいと思うかしら?

それとも、モデル無しでプロジェクトを進める?

それはおススメしないわ。

だって、メインは服なんですもの」


「日本では貴女だけでも、他の国には居ますよ」


 俺の言葉にエリィはふくれっ面をしてみせたが、不快には感じなかった。

 むしろ、素直で愛らしく思う。

 ただ、その顔に、なぜか、別の人間の顔がチラつくのは、不愉快だ。


 似ているか?

 あの子と?


「『妖精』さん達ね」


 エリィもこちらを見つめ返しながら言った。


「でも、『妖精』さん達は忙しいわよ。

なんたって、世界でもトップクラスの彼女たちですもの。

いきなりイメージモデルになってくれ、それも、今すぐ、なんて無理でしょう?

それに、今回のプロジェクトは日本女性向けでしょ?

共感を得るためにも、私に、と言う考えだったのではなくて」


 ジャン・ルイ・ソレイユは自分の気に入ったモデルを『妖精』と呼んでいるのだ。

 彼にインスピレーションを与える、尊い存在らしい。

 スタイルも美貌も、歩きもポージングも何もかもが別格のモデル達だそうだ。

 エリィは、専属モデルと認めらたものの、『妖精』ではなかった。

 それでも、彼女だって一般の日本人女性の平均値の遥か上である。


 共感出来るのだろうか?

 しかも、一般に販売されれば、買った人間が着るのだ。

 ファッション界の巨人、『太陽王』と称される人間の考えることなど、俺のような無粋な男には計り知れないよ。


 心の中でため息を付くと、それが合図だったかのように、扉が開き、給仕がコーヒーを持って入ってきた。

 細くて持ちにくい取っ手を持ち、量はともかく、質は望み通りのコーヒーにありつく。


 この部屋にあるものは、みんなそうだ。

 小さくて華奢で、俺には扱えそうにないものばかりだ。


 その最たるものが、目の前に座っている女性だろう。


 不躾にならないように、エリィを観察すると、さきほどの感情が蘇ってきた。


 なるほど……似ているかも。

 顔だけだったら、雨宮姫の方が似ているが、どこか夢見がちでありながら意志の強うそうな……雰囲気だけなら、あの子に似ていると言えなくもない。


「ねぇ、若社長?

若社長は、私のことがお嫌い?」


 頭が痛くなってきた俺に、エリィが問いかけてきた。

 また、面倒な話になりそうで、正直、もう帰りたい。

 しかし、小野寺の命運がかかっているとなると、そうもいかない。


「いいえ、そんなことは。

なぜ……そんなことを?」


「だって、怖い顔をしているから」


「……元からです」


「初めて会った時も、とても不機嫌だったでしょう?」


 初めて?

 エリィと初めて会ったのはいつだったろう。

 雨宮の姫との縁談が持ち上がった頃か。

 つまり俺は、理由は分からないが、あの頃会った二人の女性に、『とても不機嫌で怖い』と言う印象を与えていたことになる。


「そうですか?

そんな気はなかったのですが、ご不快にさせて失礼しました」


「ええ、噂では、貴方は誰にでも、とても優しい人だって、聞いていたから」


 その細い指にはぴったりのグラスを掲げ、こちらを見返すエリィは、間違いなく魅惑的だった。

 薄いガラスで作られたグラスが照明を受けて、キラキラと輝く。

 その効果で、彼女の顔もより美しく見えた。

 自分の見せ方を知っている。


「ただ優しいだけのつまらない男だと聞いていませんでしたか?」


 自虐的に言ったが、実際、多くの女性たちが、ほぼ同じような事をいって、俺の元を去って行った。


「そうね……、誰にでも優しくて、自分のことを本気で愛してくれているのか分からない、とか、優しいけれど、そこからの発展性が見えない、とかは聞いたわ」


 同じことだ。

 みんな小野寺の名につられて俺と付き合うものの、結婚をするそぶりもなく、仕事を斡旋する訳でもなく、なんのメリットもない関係に、早々に見切りをつけるのだ。


「優しいだけでいいじゃない。

私にはそれで十分だわ。

仕事で疲れた時、包み込んでくれる人が居るって幸せなことだと思うけど。

他の子たちは、それが分からなかったのよ。

でも、私には分かるわ」


 それにね……とエリィは続けた。


「若社長とは……いいえ、冬馬さん、とお呼びしてもいいかしら?

冬馬さんとはいい関係を築けると思うの。

貴方のお義父様とお母様みたいなね。

だって、私は冬馬さんから与えられるだけじゃない、与えることが出来るのよ。

そうでしょう?

私が冬馬さんの力になるわ。

他の女の子たちとは違う。

雨宮のお姫さまほどの力はないけど……でも、あんな大きな後ろ盾のあるお嫁さんなんて、お仕事では力になっても、私生活では大変そう」


 虎や豹は見る分だけなら、大きな猫みたいで愛くるしい顔をしている。

 だが、本来は獰猛な肉食獣だ。

 エリィも同じだ。

 目に、自信と野望が見える。


 でも、嫌悪は感じられない。

 俺にはないものを持っている彼女に、憧れすら感じる。


「もったいないな」


「えっ?」


「君とは違う形で出会いたかった。

こういう取引なしで、話しをしてみたかったよ。

でも、そうなったら、君は私なんか、歯牙にもかけなかっただろうけどね」


 実に素直に言葉が出たので、清々しい気分だ。

 笑みすらこぼれる。


「そ……それは……私と付き合うつもりはないってこと?」


 エリィは怒っているのだろう。

 顔が紅潮している。


「そうだね。

商談の話なら付き合ってもいい。

君だって、悔しいだろう?」


「……ええ……ええ、悔しいわよ!

私はここまで来るのに、努力を惜しまなかった。

好きなものも食べなかったし、いつかパリで活躍するためにフランス語も習った。

血の滲むような努力の上に、ついに、ジャン・ルイ・ソレイユのモデルの座を射止めたのに」


 でも、分かって欲しい、とエリィは言った。

 美園には恩がある、と。

 田舎から出てきた自分を見出し、ここまで育て上げてくれた。

 私生活では悪癖は酷かったが、仕事では問題なく有能だった。


「今日まではね」


 俺の言葉に、エリィは寂しそうに頷いた。


「あそこまで、愚かとは思わなかったわ。

冬馬さんが、あんまりいい男だから嫉妬したのね」


「その愚かさは、貴方の未来に、ことあるごとに影を落とすでしょう」


 敢えて、彼女の後半の言葉を無視して話を続けた。

 エリィも目に真剣な光をやどして、先を促した。


「独立したらいかがでしょうか?

今の貴方なら、申し分ありません。

資金はこちらが受けたわまります」


「高いわよ。

美園を裏切って、日本でやっていけるか……正直、不安だもの。

途中で切られたら困る。

最初からふっかけるわよ」


 彼女の開けっぴろげな姿勢は、やはり心地よく感じる。


「信用出来ませんか?」


「恋人だったら……信じてあげてもいいけど」


 頬に手を当て、小首を傾げるエリィは、獲物との距離を測っているようにも見える。


「私を恋人にするメリットはあまりないと思いますが。

美園と同じくらい女癖に関する評判は悪いですよ」


「優しいじゃないの?

それに……」


「それに……」


 テーブルに手を付き、身を乗り出して、エリィは言った。


「背が高いわ!」


「はぁ?」


「ヒールを履いた私が隣に立っても、私より背が高い男の人って貴重なのよ!

それもただ背が高いだけじゃなくって、顔も良くて、仕事も出来て、性格もいい男の人よ!

そんな人と一緒に歩きたいの!」


 その勢いと熱は、彼女にとってはとても大事なことだと言うことを伝えていた。

 が、思わず声を出して笑ってしまう。


「……失礼」


 それまでのすまし顔からの豹変が、恥ずかしかったののか、エリィはまたも顔を赤くしていた。


「背が高い男性なら、男性モデルに何人も居たと思いますが」


 ああ、ダメダメ、と言うように、彼女の手が振られた。


「同業者はね……いろいろ面倒。

理解はしてくれるけど、異性とは言え、同じモデルとして嫉妬が起きてくるし。

かと言って、あんまり一般の人間だと、申し訳ないわ。

だって、私、きっといいお嫁さんにはなれないもの。

その点、冬馬さんは理解してくれそう。

家事もやらなくて済みそうだし、……あ、誤解のないように言っておくけど、出来るのよ、家事くらい。

でも爪が割れるからイヤ。

それに、仕事でほとんど家に居ないで、普通の会社員の何十倍も稼ぐわ。

それでもいい、応援するよって言ってくれる人が居た…………仮に居たとしても、そんな相手側の一方的な我慢の上に成り立つ結婚生活なんて……。

だからって、モデルの仕事は辞めたくないし、セーブもしたくない。

ああ、無理無理。

どう考えても無理よ」


 何か想いを振り切るように頭を振る姿も、可愛らしいが……。


「どうやら訳ありのようですね」


 そう言うと、エリィは顔を上げて、俺を一瞥した。

 それだけで、彼女は自分の説に確信を持ったらしい。


「貴方もではなくて?」


 こちらを見透かすような真っ直ぐな視線は、またもやあの子を思い出させる。


「何がですか」


「冬馬さんも訳ありって感じがするだけよ」


「意味が分かりませんね」


 俺が答えると、エリィは『怖い顔』と言って笑った。


「どちらにしろ、私は貴方に愛情を求めないわよ。

ただ一緒に居て欲しいの。

貴方のその冷たい優しさが、私にはちょうどいいし、冬馬さんにも都合がいいのではなくて?」


 こんな美人で世間的に成功している人間が、こうも自棄になっていいのだろうか。

 だが、提案は魅力的に聞こえ、もう、この子の言う通りになってもいい気がしてくる。

 好みのタイプ……だと思うし。

 何よりも大人の女性だ。

 二十七歳だったかな?

 年下だけど、それほど離れてはいない。


 だが、だからこそ、同意出来なかった。

 ここで、エリィと取引したら、貸しを作ることになる。

 それでは同等の付き合いは出来ないし、出る際の牧田の心配そうな顔を筆頭とする、母や弟たちの俺に対する反応も気になる。


 犠牲になっていない、と言うことを証明しないと。

 仕事をしている間に仲よくなったとなれば、自然だろう。


「私自身にメリットがあると思ってもらえて嬉しいですよ。

やはり、この話は後程お聞きしたいものです。

その為にも、今回のプロジェクトはどんな手段を使っても、成功させます。

明日、貴方の独立の件を会議にかけます。

プロジェクトにかかる資金は増えるでしょうが、全てがダメになるよりははるかにマシです」


「誘われたら、誰にでも「いいよ」って言うと聞いていたのに。

どうして私だけは「いいよ」って言ってくれないの?」


 拗ねたように言った後、エリィはパッと顔を輝かせた。

 手を胸の前で合わせ、「特別ってことね」と納得したようだった。

 いくら自暴自棄な心境でも、まったく愛情がないのは、さすがにイヤだろう。

 俺もお断りだ。


「じゃあ、いいわ。

良い知らせ、待っています。

……お別れするのは名残惜しいけど、明日は早朝から大事な……って、全部、大事だけど、撮影なの。

早く帰らないと」


 軽やかに椅子から立ち上がると、俺の傍まで来て、彼女は嬉しそうに見上げた。

 今日も高いヒールを履いているのか、それほど身長差は感じないが、それでも、彼女より、俺の方が背が高い。

 小野寺の家に来て食糧事情が良くなったせいか、高校時代に一気に伸びて。結局、百九十センチ近くにまでなった。

 あの頃は、毎晩、体中がミシミシ音を立てるようだった。

 アメリカに留学していたせいもあって、自分がそれほど背が高いと言う意識はなかったのだが、日本に帰ってくると、何もかも小さくて困ることが多い。

 御殿のような小野寺邸と、そこから離れるために買った……買ってもらった部屋は別だが。


 そこに帰りつくまでには、ここを上手く切り抜けないといけない。

 未だこちらを見上げてくるエリィの細い腰を引き寄せ、挨拶代わりに頬にキスをした。


「明日にでもご連絡出来ると思いますよ」


「そう?

では、その時はご自分のプライベートの携帯でかけて下さると嬉しいわ」


 薄い生地で出来た服の裾を翻し、彼女は優雅に去って行った。

 その後ろ姿を見送った俺は、どっと疲れが出て、椅子に座り直した。

 しばらくすると、レストランの給仕がやって来た。


「何かご注文はありますか?」


「コーヒーをもう一杯、頂こう」


 せっかく美味しいと評判の店だが、何を食べていいのか分からない気分だった。

 胃がムカムカする。


「では、何かお作りしましょう。

すきっ腹にコーヒーばかりでは、身体に悪いですよ」


 その必要はない、と言いかけた瞬間、腹が鳴った。


「まかないのようなものなので、お気遣いなく」


 給仕は心得たように微笑んだ。


 星がつくレストランと言うのは、こういうものなのだろうか。

 それとも、彼が特別なのか?


 ぐうぐう鳴り止まなくなった腹に辟易した頃、給仕が銀のお盆に湯気のたつ深皿を持って来た。


 大根の洋風雑炊……のようなものだった。

 勿論、メニューには載っていないし、このレストランとは雰囲気が違う料理だ。

 だが、店自慢のコンソメスープが元になっているせいか、出汁が利いて、とにかく美味しかった。

 胃が、脳が、食べたかったのはこれだ、と叫んでいるようだった。


 周りに人もいないこともあって、無言でがっついていると、携帯が鳴った。


「冬兄!今、どこで何してる!?

エリィは!?」


 電話に出ると、末の弟・夏樹なつきが勢い込んで聞いてきた。


「うん?

彼女は帰って、俺は一人で、やたら美味しい大根雑炊を食べている所だ」


「はぁ?

人が心配しているってのに、呑気に大根雑炊って、何それ?

どんな食べ物?」


「ごはんに……コンソメスープに……大根おろしっぽいのに……なんだろう?

消化に良さそうな食べ物だ。

今度、お前にも食べさせてもらえるように、頼んでやるよ」


 最後の一匙を食べ終わると、俺は満足のため息をついた。

 電話の向こうでは、すぐ下の弟・秋生あきおと夏樹が話している声がかすかに聞こえた。


 秋生が夏樹から携帯を奪ったようで、今度はそちらの声がした。


「とにかく、今、エリィと一緒ではないのですね?」


「ああ」


「では、すぐに会社に戻って下さい。

兄さんの会社にですよ。

話があります」


「……コーヒー飲んでからでいいか?」


「コーヒーなら、こちらに用意してありますよ。

美味しいのがね。

なので、なるべく早く戻って来てください」


 秋生は例のプロジェクトを主導している立場だし、おそらく明日の会議に向けての話だろう。

 俺も、エリィのことを話しておかなければならない。

 すぐに戻ると言って、電話を切る。


 給仕に礼を言って、コーヒー代以外受け取らない彼に……エリィは自分の分は払っていったらしいし、大根雑炊?はお金を取るようなものではないらしい……次の機会に来ることを約束してレストランを出て、弟たちの待つ社に戻った。

 俺の今日は、まだ終わらないらしい。

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