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妖精とクマ  作者: さぁこ/結城敦子
終 章 小野寺冬馬の決着。
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10-5 名前の由来は必勝の証

 真白ちゃんが無言で編むと例えた、イラクサで作る上着と言うのは、聞いただけで痛そうだ。

 約束を破ったら、ハリセンボンを飲まされる代わりに着せられるのだろうか?

 俺の知識ではそんな感想しか抱けなかったが、実際は、それもまた魔法を解く方法の一つだということを後から知った。


 『一言も口をきかないで』、その上着を編み続けて、魔法にかけられたものに着せるのだ。

 痛いのは、着せられる方ではなく、刺だらけの植物で上着を編む方だった。


 真白ちゃんは、俺の言うことを忠実に守って……いや、彼女自身の思惑でもって、無言の抵抗を父親に示しているようだ。

 ついでに、俺に対しても――。


 メールは来るのだが、題名も本文も無い空メールが送られてくるのだ。

 つまり、無言ってこと。


 小野寺に正当な跡取りが戻って来た。それは扇情的な事件だった。

 しかも、その人物が、今や押しも押されぬ人気作家となった椛島真中なのである。

 椛島真中 対『妖精の騎士』であり『モデル喰い』と呼ばれた自分・小野寺冬馬との後継者問題も加わって、世間の興味関心は、これまで以上に盛り上がった。

 その娘として、真白ちゃんは去年の夏に引き続いて、外に出られない状態に置かれていた。

 広い邸内に庭園を持つ小野寺邸に居た去年の方は、それでも、まだ閉塞感は少なかっただろう。

 でも、今年は違う。

 広くなったとはいえ、マンションの一室に、一人で居る。無言で居る。

 必要なものは小野寺邸から届けられているが、とにかくしゃべらないそうだ。


 真白ちゃんが心配でならなかった。

 俺に任せて、余計な言動は控えて欲しかったけど、全く口をきかないのは良くない。

 イラクサの刺で、彼女の心がボロボロになる前に、なんとかしなくてはならなかったが、相手が動くのを待つのも、また、魔法を解くには必要だった。


 だから、椛島真中が早々に動いたのはありがたかった。

 一週間もあれば、こちらの準備も目処がついていた。


 小野寺家馴染みの、雨宮系列の例のホテルの、例の回廊のある部屋で、椛島真中は復帰のお披露目式を開くことになった。

 先約が入っていたのを、無理やり移動させての開催だ。

 それが『小野寺文好』のやり方なのだ。


 ジャンと似たような気ままさと、雨宮一と同じような傲慢さ。

 けど、その二人よりも、もっと性質が悪いものを感じる。


 お披露目したかったら、小野寺邸でやってもいいのだ。

 わざわざ対外的な場を設けて、俺はともかく、真白ちゃんへの迷惑を考えないのだろうか。


 そんなお披露目式の招待状は、小野寺物産に無事に戻った秋生と、小野寺出版で淡々と仕事をする夏樹にも届いた。

 勿論、俺にも届いた。


 ドレスコードは記載されていなかったけど、燕尾服を選んだ。

 真白ちゃんが俺の燕尾服姿が好きだから、という理由で選んだ訳だが、正解だった。

 出席者は全員、正装で来ていた。


 俺達兄弟が会場に入った瞬間、それまでの喧騒が収まり、ひそひそ声に変わった。

 追い落とされた男を見ようと、ちょっとしたいざかいが起きた。

 海が割れるように、道が出来る。悠然とその中を進んで、中央前に陣取った。

 右手に、ちらりと雨宮一族の存在を確認した。

 相変わらず威厳たっぷりの雨宮会長、この事態を引き起こした元凶ながら、やはり影の薄い雨宮一成に、敵意を隠し切れていない雨宮一。

 事の成り行きに不安そうなお姫さまと、全く逆で、面白そうなジャン。

 左手には、義父と母。真崎さんの姿も見えるし、なんと星野夫妻まで居た。

 エリィの着こなしはさすがだが、星野満顕の燕尾服姿も様になっていた。

 檀上の上では、小野寺出版の新社長となった井上元常務に、牧田が秘書室長として侍っている。

 俺を見て、励ますように頷いた。


 やれやれ、この大勢の前で、真白ちゃんの為とは言え、茶番劇を演じなくてはいけないとは、憂鬱になる。


 椛島真中に関わることは、俺の中では茶番なのだ。

 世間はあっと言っただろうが、前列の方にいる人間達には、周知の事実だった。

 舞台の脇に控えた、小野寺グループの役員達も、椛島真中が文学賞を取ったあたりで、事情を知る役員たちから耳打ちされていたらしい。

 耳打ちされた多くが、『若社長派』なのだ。


 つまり、そういうこと。


 もっとも、部長職クラスには知らされてなかったらしい、真実を知った小野寺出版の青井・東野・戸田の三部長は、さすがに顔色を失ったらしい。

 中でも戸田さんは、小野寺の若様と知らずに接してきた期間が長く、彼基準で数々の無礼を数え、辞表を懐に井上新社長の元へ赴いたらしい。

 しかし、不遇だった『若様』を見捨てず、ここまで導いてきたのは貴方です、とかなんとか逆にお礼を言われ、二人、手を取り合って男泣きに泣いていた……と東野部長がやや引き気味で連絡を寄越した。ついでに、自分も『ご令嬢』の真白ちゃんに何か失礼なことをしていなかったでしょうか?と心配に思っていたようなので、隠していたんだから仕方が無いよ、と答えておいた。


 好奇の目にさらされながら、待つこと数分。

 舞台に真白ちゃんと、父親が出てきて、登場人物は全て揃った。


 無言の行を続けている真白ちゃんは、やや青白い顔色だったが、俺の顔をみると、ほんのりと頬に生気が戻った。

 今日のドレスもジャンの新作で、星野満顕の絹で出来ていた。

 白いひざ丈のドレスの裾に、精緻な刺繍が施されている。

 ジャンが星野満顕とエリィの結婚報告にくっついて行った故郷で見た、世界遺産にもなっている自然を現した、濃淡様々な木々や花の意匠……だ、そうだ。

 その中に、唯一、動物が隠されている。

 熊……ではなく、青い鳥が一羽。


 幸せは、すぐ側に居る。

 俺の幸せは、目の前にある。


 椛島真中こと、小野寺文好が、おそらく本人も、忠臣・井上文守新社長ですら信じていないような挨拶をした。

 茶番だ。

 頭が痛くなってきた。


 緊張で吐きそうになったので、咳払いをするふりをして、ミントの香りを嗅いだ。


 ようやく話が本題に入った頃には、待ち焦がれすぎて、緊張よりも、早く済ませてしまいたい気持ちが勝っていたくらいだ。


「と、言うわけで、私の大事な娘・真白と結婚したものに跡を継がそうと思うが、ここに居る人間で我こそは、と思うものは名乗り出てもらいたい」


 そのセリフに、真白ちゃんの顔が強張り、会場の、特に若い男たちがざわめいた。

 真白ちゃんは可愛い。小野寺の令嬢と言うのをさっぴいても、すごく可愛い。

 おまけに、今日の真白ちゃんはなんだか、色っぽくもあった。

 とても清楚ないでたちなのに、不思議だ。


 とにかく、普通の家柄の女の子だって、借金があったって、真白ちゃんだったら、引く手あまただろうに、小野寺グループまでついてくるのだ。

 おまけに、父方の母方は雨宮財閥だ。こんないい話は無かった。

 若手の実業者や、大企業の次男あたりの人間は、喰いつきそうな目をし始めた。

 招待客の人選も、この事態を見越して選ばれたものと分かる。

 まるで、真白ちゃんが競売にかけられているみたいで、不愉快極まりない。

 父親なのに、娘がそんな目で見られるのが平気なのだろうか。


 しかし、あまりに美味しい話すぎて、一番に手を上げるのは躊躇するのも事実だった。

 互いに牽制し合いながら、男たちは探るような、貪欲そうな視線を壇上に向ける。

 ほぼ無表情に近くなった真白ちゃんは、見た目だけは冷静にそれらを受け止めた。


 言いつけどおりに、大人しく黙っている。


 心の中で懸命に謝りながら、俺もまた平然とした表情を作って、椛島真中を見つめた。

 相手の反応も、俺と同じだった。


 もう少し、動揺してくれるかと思ったが、やはり一筋縄ではいかない男だ。

 むしろ、このまま言いなりになったら、ガッカリさせそうだ。


「では、私が立候補しましょう」


 涼やかな声で、手を上げたのは、雨宮一だった。


 驚いたのは、他でもない父親の雨宮家当主・一成だ。


「何を言っている、一! お前は雨宮家の跡継ぎだ。

それが小野寺家の婿になるなんて、出来るはずがないだろう!」


 この親子の間で、どういう取り決めがあったか知らないが、父親の思惑に、息子はすっかり外れてしまっていた。

 これでは本末転倒だ。

 どちらかと言うと、従兄に似た息子は、父親を振り回す方に回った。


「でも、私は真白ちゃんが欲しいのです」


 かつて、星野満顕は『自分に靡かない女の子に初めて会った好奇心をこじらせている気がする』と評したが、まったくもって、こじらせている。

 しかし、雨宮財閥を投げ打ってでも欲しがるとなると、ほぼ本気と言っても過言ではないかもしれない。


「雨宮家は姫が婿を取って継がせればいいでしょう。

そこに良い相手が居るじゃないですか。

小野寺家から追い出されたんだろう?ちょうどいい、雨宮家を継げよ」


 雨宮一が俺を指差した。

 俺が返事をする前に、妹が兄に答えた。


「お断りです」


「姫。お前は小野寺冬馬が気に入っていたじゃないか」


「そんなの、昔の話です。ちょっとした熱病にかかったようなもので、今はすっかり熱も下がってしまいました」


 この台詞を真白ちゃんに言われたら、人生に絶望するね。

 それを昔の俺は彼女に言わせようとしたんだから、本当に馬鹿げた行いだった。


 俺がばっさりきっぱり雨宮のお姫さまに振られたのを、変わらぬ無表情で、真白ちゃんは見ていた。


「ただ、その経験は悪いものではありませんでしたわ。

今でも冬馬さんのことは良く思っています。ですから、どうぞお幸せになって下さい」


 すっかり自意識を確立した女性が、そこには居て、俺に微笑みかけてくれた。


「ありがとう。君の幸運も祈っているよ」


 こちらの関係も『決着』がついたな。


「じゃあ、雨宮と小野寺を合併するとか?

真白ちゃんと一緒になれないのなら、雨宮家も継ぎません」


 往生際の悪い兄の方の提案は、両家のトップが異を唱えた。

 特に雨宮会長は厳しく孫を叱責する羽目になった。

 なにしろ、ここには小野寺側の人間が多いのだ。

 合併と言いつつ、雨宮と小野寺とは、明確に差がある。こちらが格下である以上、吸収合併にしかならない。

 経営が悪化しているならともかく、そうでない小野寺にとっては、若い雨宮の我儘のせいで、なぜそんな目に合わされないといけないのか、と言う反発しか生まない。

 雨宮一は納得しなかったが、絶大な権力を誇る祖父の反対と、何より、心どころか、眉すらも動かさない真白ちゃんの様子に、引き下がるしかなかった。

 思うに、雨宮一は彼なりに雨宮家の御曹司という立場に含むものがあったのだろう。

 椛島真中に興味津々だったのも、自分と同じような立場にありながら、全てを捨て去った行動に惹かれるものがあったからだ。

 それが、高じて真白ちゃんへの想いに繋がってしまった。

 可哀想だけど、同情はしない。逃げたかったら一人で逃げればいい。

 真白ちゃんを口実に使うな。


「しかし、小野寺と雨宮の間の縁は結びたいと望む気持ちはある」


 雨宮会長は、俺に向かって、真白ちゃん争奪戦に加わるように促した。

 彼女は雨宮家に連なる娘だから、俺と真白ちゃんが結婚することに異論はないのだ。

 掌中の珠であり、最強の持ち駒である直系の内孫・雨宮姫を温存しつつ、同じ効果を得られるこの展開は大歓迎でもあろう。


 雨宮家の会長の後押しを受けた男の存在に、周りの男達はしり込みし始めたが、一人の若手実業家が手を挙げた。


「私がお嬢さんを幸せにしてみせます。どうか、その美しいお嬢さんを私に下さい」


 年の頃は、俺と変わらない、新進気鋭のIT企業の創設者だ。

 その声を聞いて、一斉に、我も我もと、男達が続いた。


 それでも俺は動かなかった。


 真白ちゃんは泰然とした様子を崩さなかった。父親もだった。

 代わりに慌てたのは、周りの小野寺の重役達で、俺と椛島真中の顔を交互に見て、ざわめいた。


「はっ、話が違います。文好様が小野寺家に戻って、真白お嬢様と冬馬社長の結婚のお膳立てしてくれると言うから、賛成したのです。

他の男を小野寺家の跡取りになんかするつもりはありません!」


 重役の中でも、俺に良くしてくれた人が、意を決して声をあげた。

 その言葉に、何人もの役員達が頷く。


「こう言ってはなんですが、私は『若様』よりも『若社長』こそ、小野寺家の跡継ぎに相応しいと思っております。

ただ、女性関係だけはどうにかしていただきたいと、常々思っていた所に、若様のお嬢様が現れたのです。

誠にピッタリのご縁組な上に、お嬢様のおかげで、それまでのひどい女性関係もすっかり鳴りをひそめ、さすが、真白お嬢様と、皆で感心していたというのに、肝心の若社長が妙に愚図愚図しているというか……それを後押ししてくれるというなら、それならば、と今回の件に加担したのです。

真白お嬢様と若社長の結婚をお許し下さったのではないのですか!?」


「そうです。小野寺家の次代は冬馬様です。それに添うお方は真白お嬢様以外にはおられません。

真白お嬢様ほどのお方を他家に譲り渡すなど、小野寺の損失です!」


「――冬馬社長は真白お嬢様と結婚出来なかったら、おそらく、二度と結婚出来ないと言うのが、我々一同の意見です。

それではあんまり可哀想です。どうか、お気持ちを鎮めて、お許し下さい」


 自業自得とはいえ、耳が痛いことを言われているが、総じて、俺の……と言うか、真白ちゃんの味方のようだった。


「……そういうこと?」


 側で秋生が囁いた。


「そういうことだろう? 冬兄は、秋兄と違って、人望があるんだよ。実績も」


 したり顔で答える末っ子に、秋生はムッとした顔をした。


「ここで喧嘩するなよ」


「しませんよ。兄さん、知ってましたね」


「俺が人望厚いって? どうだろう? 聞いてみるか?」


「えっ?」


 秋生と夏樹が戸惑っている間に、俺は敢えて井上文守新社長に声を掛けた。


「小野寺の家は、私が跡を継ぐべきだと思うのですが、どう思います?」


 よりにもよって、若様派の筆頭に聞いた俺に、周囲は蛮勇だと思ったに違いない。

 ギャンブルは嫌いなのに、最近、大きな賭けばかりしている。

 でも、俺は賭けに強いのだ。

 『冬馬』の名前の由来は、年末に行われる大きな競馬の重賞に由来する。

 なんのことはない、その頃にはギャンブルに溺れつつあった父が、最後に残ったなけなしの交通費の全てを一頭の馬に賭けて、万馬券を当てたのだ。

 懐に大金を持って、散々、飲んで、酔いつぶれて帰ってみれば、俺が生まれていた。それでも、出産費用を払った上に、正月も豪勢に迎えられたほどの大当たりだった。

 だから、冬の馬で冬馬なのだ。

 はっきり言って、嬉しくともなんともない由来の名前だが、あの父親に大勝ちを引きよせた俺だ。

 自分にだって引きはある。

 第一、人事は尽くしてあるはずだ。


 俺の、弟達に『犠牲』とまで見られた小野寺家への献身を、評価してもらいたい。

 認めてもらいたいんだよ、俺は、みんなに。


 真白ちゃんに出会ってから、あらゆる欲望が俺を苛むんだ。

 困った女の子は、口を真一文字に閉じたままだ。


「――――うですね。

小野寺の跡継ぎは冬馬さんしかいないと思います」


 井上文守新社長は答えた。

 もっと嫌々渋々言われるかと思ったが、意外と、きっぱり言い切ってくれた……ところを見ると、既定路線だったかも。

 なかなか大した役者だった小野寺出版の新社長は、悲劇的な演技をした。


「私は! 若様!

あなたのお帰りをお待ちしておりました。

しかし、今回のことで分かりました。

若様は、小野寺家にお戻りになるつもりはないのですね」


「もう、若様って年じゃないからな。

それに一度捨てたものに未練はないんだ」


「つまり、小野寺はあなたのものじゃないってことですよね。

あなたは、自分のものじゃないものを、他人に譲ろうとしているんですよ。

小野寺も……真白ちゃんも、あなたのものじゃない。

――――俺の……ものです。

俺のものを、あなたが、どうこうする権利はないんですよ」


 井上新社長と同じくらい言い切れればよかったのに、少しだけ間が空いてしまったのは、こちらは演技じゃないからだ。


 椛島真中に、初対面で見せられたのと同じように、口の端を上げて笑われた。

 美しい顔なのに、やけに似合った。悪役を演じているのを楽しんでいるのかもしれない。


「なるほど、小野寺の総意はそうらしい。

いつまでも煮え切らないお前に真白との結婚を決意させ、小野寺家の正式な跡取りにしたいと持ちかけたら、全員に賛成されたからな。

でも、真白はどうかな?」


 当然、真白ちゃんだって、俺のものだ――――と言いたいところだけど、不安がよぎる。


 なぜなら、真白ちゃんとはあれ以来、一言も、話していないからだ。

 俺はただ自分を信じて欲しいと言って、その通り、彼女を手に入れる寸前まで来ている。


 けれども、檀上の真白ちゃんの表情は変わらない。

 何も感情を浮かべない。


 なぜだろう。

 俺は考えて、思いついた。


 彼女は俺を試している。

 俺が彼女を試したのと同じように。


 何も恐れることはないのだ。

 言えばいい。


「真白ちゃん。――――おいで。君は、俺のものだよ」


 伸ばした手に、真白ちゃんの笑顔が重なった。

 ふわり、と白い裾を翻して、真白ちゃんが降りてきた。


「冬馬さん!」


「――――えっ? 誰?」


 感動的な場面だったのに、ついぶち壊してしまった。

 小野寺冬馬、俺の名前じゃないか。


「もう! 若社長が名前で呼べって言ったんじゃないですか!!

すっごい頑張って呼んだのに!!

誰? ってなんですか!」


「ごめん……君が呼ぶと、自分の名前が自分じゃないみたいだ」


 微笑みかけると、真白ちゃんは頬を赤らめて、身体を俺に預けた。


「文守、どうだよ、この天然タラシ、信用出来るか?」


 娘の婿の失態に、さっそく舅からのきつい言葉が浴びせられる。


「ですから、反対しましたのに。

若様、どうか小野寺にお戻りください。

失礼ながら、今からでも新しい跡継ぎは作れます。

再婚なさって下さい」


「ど、どういうことですか!!」


 井上新社長の前言撤回とも思える意見に、隣の牧田が叫んだ。

 秋生も一歩前に出て、説明を求めた。


「私の大事で大切な娘と、それほどでもないけど、一応、生まれた家である以上、それなりに愛着のある小野寺家を、人望と実力があったからと言って、自信も、自負心も、執着心も、独占欲も、所有欲も、出世欲も自己顕示欲もないようなつまらない男に任せる訳にはいかないんだよ。

女への欲望すらありそうでなかったしな。

ふとしたことで、全てを捨て去って、山にでも籠りそうな危うさだったぞ」


「兄さんはそこまで……」


「冬兄はそこまで……」


「冬馬はそこまで……」


 弟達と親友は、俺を庇いかけたが、言葉に詰まった。


「「「かもしれない」」」


 三人が観念したようにうなだれた。


「だろう?」


 椛島真中が勝ち誇ったように言った。結局、この茶番劇はこの人が勝つように仕組まれているのだ。

 でも、最後まで、おそらく、これが最後と思われる段階まで、持っていけた以上、少なくとも俺の負けじゃない。


「まぁ、でも、どうやら真白と小野寺を任せられるほどには、欲が出てきたようじゃないか」


「おかげさまで」


 真白ちゃんを横に抱きながら、俺は認めた。


「えっと、じゃあ、この騒動は何だった訳?」


 小野寺グループの中枢企業の小野寺出版で秘書室長をしているせいで、大変な仕事になっていたのだろう、牧田が頭を抱えた。


「芝居。私は大学生の頃、演劇部に入っていてね。脚本を担当していたんだ。

そこの情けない小野寺冬馬を奮い立たせるためには、これくらいの芝居を打つ必要があると思ってね」


「ちなみに、私は同じ演劇部で役者をしていました」


 どうりで達者だと思った井上新社長が告白した。


「私は冬馬さんが嫌いですが、若様が認めると言った以上、全身全霊をかけて支持させていただきます」


「悪いな文守。

恨むなら、真白を泣かせるような真似ばかりする、そこの小野寺冬馬を恨め。

ああ、あと、思い出した。

元凶がいたな……なぁ、一成兄さん」


 一介の小説家が、世界でも名の知れた、日本有数の大企業群の当主の名前をぞんざいに呼んだ。

 一体、どんな弱みを握られているのか、それとも、小さい頃からの刷り込みなのか、呼ばれた方は、怯えていた。


「知りませんよ! 何も!!」


「では、カフェ出店の件、継続してもよろしいですか?」


 この従兄弟の関係は気になるところだが、それは置いといて、ここぞとばかりに、雨宮の当主からの言質を求めた。

 フランス行きは真白ちゃんを泣かせるためのケチな策だった。

 それを否定するのならば、俺を渡仏させた目的はカフェ出店計画しかない。

 せっかく、アイディアとやりがいを得たのだから、ここで頓挫はさせたくない。

 真白ちゃんを泣かせたお詫びに、資金援助はして頂きたいものだ。

 何しろ雨宮財閥は銀行と不動産を持っている。


「そうだ! トーマ! 私もやる気になったからな! やるぞ! カフェ!!」


 ジャンが歌うように加勢したので、雨宮一成は、頷くしかなかった。


「大丈夫。後悔はさせませんよ。よければ息子さんもいかがですか?」


 茫然自失気味の雨宮一は、悔しそうに唇を噛んだ後、「勉強させていただきます」と答えた。

 雨宮から逃亡する気持ちは一旦、棚上げにするようだ。それがいい。


 「まだ諦めた訳じゃないですからね」とも、付け加えたけど、真白ちゃんが舌を出して、拒絶してしまった。

 俺がその行為を窘めると、不服そうだったけど、「舌を出すのは、俺にだけでいいよ」と耳元で囁くと、耳まで真っ赤になった。


 こんな大勢の前で、真白ちゃんを苛めている場合ではないのに、ついついからかってしまうんだよなぁ。

 腰に手を回して、がっちり捕まえている彼女が、ついに、自分のものになった実感が、じわじわと湧き出てくる。


「そう言う訳で、彼女は私のものなので、今後、一切、手出しは無用です」


 俺は子供の頃から、怖いと言われ続けた顔で、真白ちゃん争奪戦に加わった男達にすごんだ。

 椛島真中のせいで、思わぬ夢を見せられ、茶番に参加させられてしまった人たちには申し訳ないが、これだけははっきりさせておかないと。

 エリィが満座の観客の中でプロポーズをしたと聞いた時、よくやるよ、と思ったが、自分の権利を主張し、認めさせるには、証人が多いほど良い、と言うことが分かった。


 離れていてよく見えなかったが、義父と母は微笑んでいるようだ。

 それから、義父は、本当の息子に目を向けた。


「お前と言う子は、どうしてそう、人騒がせなことを敢えて選ぶ?

他にやりようがあっただろうが」


「――面白いから?」


 少しは考えたものの、悪びれもなく、椛島真中は答えた。


 全然っ! 面白くねぇよ!!


 真白ちゃんを抱く腕に、力が籠る。

 しかし、思いもかけず、その腕の中の娘の父親に褒められた。


「父上はいい跡継ぎを選びましたね。

私と違って、真面目で、あなたに似ている。

これで心おきなく、私は小野寺を捨て去れます」


「そうだな。

だが、たまには戻ってくるといい」


「――? そうですね、気が向いたら、そうします」


 ぎこちなさの残る、それでも親子の会話に、秋生が呻いた。


「気まぐれに帰ってくるのかよ、あの人が……」


「そうか……秋兄は、小野寺邸に戻ることになるんだもんね。大変だぁ」


「――いや! 私はあの部屋を借り続けます!

小野寺邸には兄さんが戻ればいいじゃないですか!

どうやら家庭を持つみたいだし」


 秋生が必死の形相で、俺に振ったから、こちらもそれ以上に必死になった。


「冗談だろう!?

……お前だって、新婚の時は、別に賃貸のマンションを借りてたじゃないか」


 周りに聞こえないように、顔を突き合わせ、口元を隠して話す。


「あんな人の多い場所で、どうやって真白ちゃんに手を出すんだよ」


「隙を見てなんとかしてくださいよ。

得意でしょ? そういうの。

大丈夫、小野寺邸の壁は厚いですよ。

玄関先じゃなければ、なんとかなります」


「おまっ!! ―――痛っ!!」


 後ろから母に、今度はクラッチバッグで殴られた。

 真白ちゃんが引きずられていく。


「返して下さいよ! その子は俺のもの……」


 今度こそ、自分の権利を主張したのに、一喝に伏された。


「お黙り!! この子は、私が責任をもって預かります。

私の許可なく、二人で会うことは許しません」


「その許可って、いつ出るんですか?」


「私の気が向いたら?」


 それっていつですか!!


「新しい義母上は、よく出来た方のようだ。

そう言えば、お前たちは私の義理の弟達だったな。

改めて、よろしく。お義兄さんと呼ぶがいい」


 気まぐれな椛島真中が俺達に衝撃の事実を投げかけた。


「兄さん、良かったですね。兄さんにもついに、お兄さんが出来ましたよ」


「うわー、なんかヤダ。……呼ぶなら文兄? それとも、好兄?」


「夏、お前は本当に、適応能力高いな……真中兄、と言う呼び方もあるぞ」


 二人の弟がこちらの様子を伺うので、俺は言った。


「お義父さんと呼ばせて下さい」


 それなら納得出来るし、覚悟していたことだった。

 しかし、思った通り、椛島真中に拒否された。


「お義兄さんだ」


「お義父さんでしょ!」


「お前にお義父さんと呼ばれる筋合いはない!!」


「あるでしょうがっ、思いっきり!!」


 真白ちゃんは好きだけど、この父親との関係は、これからどうしたものか。


 小野寺文好の復帰お披露目式は、俺と真白ちゃんの婚約披露パーティーになった。

 名実ともに、彼女を手に入れたと言うのに、婚約者にまったく近づけないどころか、ジャンやらエリィやら、真崎さんやら、東野部長やら、牧田やらに、散々にからかわれ続けるという、なんとも情けない時間となってしまった。


 俺って本当に、人望あるのかな?

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