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妖精とクマ  作者: さぁこ/結城敦子
終 章 小野寺冬馬の決着。
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10-4 魔法使いを出し抜く方法

 母は俺が手で自分をガードする姿を見て、一瞬、何かを思い起こしたように留まったが、次の瞬間、まなじりをキッと上げ、わに革で出来た仕事用のごっつくて、重い鞄を振り下ろした。


「真白ちゃんから離れなさい!!

この……馬鹿息子!!

今日という今日は、許しません!!

あなた、自分が今、何をしようとしているか分かっているの!

よりにもよってこんなまだ何も分かっていないような幼い子を毒牙にかけようだなんて!」


 二、三回殴られたあたりで、真白ちゃんが止めようとしてくれたが、俺はそれを抑え込んだ。


「どうやって入って来たんですか!?

なんで! ……っ痛」


 鞄の金属が付いている角が眉間に入った。


「どうやって?

ここは私名義のマンションよ!

鍵は持ってます!!」


 そうでした。

 俺は、小野寺邸から逃れるのに、義父が母の為にという名目で買ったマンションの一室に住んで居る甲斐性無しですよ。


「だからって、チャイムくらいは鳴らしてくれてもいいじゃないですか!

息子とは言え、プライバシーはあります!!」


「チャイムなら鳴らしたわよ! 何度も!!

その前に、携帯にも、固定電話にも何回もしたのに……!!

全然、出ないから、心配して……!!」


 鞄が力なく下ろされ、母が涙ぐんだ。


 言われてみれば、さっきから、なんだか音がしていた。

 あれはチャイムだったのか。

 真白ちゃんに夢中で、聞こえていたはずなのに、聞いていなかった。


 それから、電話!

 フランスからずっと携帯の電源は切っていた。

 部屋の電話は……寝ていて気が付かなかったらしい。


「何か用だったんですか?」


「何か用って……!!」


 絶句した母に代わって、顔に赤みを残した秋生が進み出た。


「兄さん、今、自分がどんな状況に居るか分かってます?

小野寺文好が小野寺邸に戻ってきたんですよ!

……それを、井上さんはともかく、他の、今まで兄さんの味方だと思っていた役員達まで歓迎して。

おまけに、小野寺邸の人たちも、全員、大喜びですよ」


 赤みが濃くなったのは、羞恥ではなく、憤怒のせいだ。

 秋生は俺のために怒ってくれた。そして、悲しんだ。


「ずっと小野寺の為に頑張って、尽くしてきた兄さんを、こんなあっさり見捨てるなんて、悔しくないんですか?

私は悔しくて、やるせなくって……」


 母に続いて絶句した秋生の代わりは夏樹だった。


「兄さんが絶望のあまり自暴自棄になっているんじゃないかって、母さんが心配して、居ても立ってもいられず、駆けつけたんだよ。

それがなんだよ。全然、平気そうどころか、真白ちゃんを連れ込んでお楽しみ中とはね」


 まだ楽しんでねぇよ、と口汚く心の中で夏樹を罵ったが、みんな、俺を心配して駆け付けてきてくれたと思うと、申し訳なさと感謝の気持ちが湧いてくる。

 特に母に泣かれるのは弱い。

 真白ちゃんも泣かせてしまったし、母もそうだ。

 いよいよもって、そうさせた若様に対して苛立ってくる。

 もっと普通の解決方法があるのに、敢えて、平地に波乱を起こすような真似をするのは悪趣味だ。


「悪かったよ……今、起きたばかりで、事情、よく知らないんだ。

母さん、心配をおかけしてすみません」


 腕の中の真白ちゃんを一層、強く抱きしめた。

 そうしないと、今にも「自分のせいだ」と訴えそうだ。

 そうだとしても、母さん達に、知らせる必要はない。

 特に、「俺を自分のものにしたい」と父親にお願いしたという事情は。


「冬馬、正直に言いなさい。

あなたはどうしたいの? 小野寺に残りたい?」


「秋兄は、小野寺邸を出て行ったよ。

ついでに、会社に辞表も出してきたって」


「はぁあああああ??

なんで会社まで! いくらなんでも、それはやりすぎだろう?

お前には家族が居るんだぞ! 家族を守るためなら、少しぐらい納得がいかないことぐらい、我慢しろ!!」


 思いもかけぬ展開に、俺は声を荒げた。


「兄さんはいつもそうやって私たちの為に、自分を殺してたんだね。

私はそんな兄さんの力になりたかった。

でも、小野寺文好は帰ってきて、兄さんを追い出そうとしている。

周りの人間も、それをよしとしている。

そんな会社に、居る意味なんてないし、小野寺邸に留まって、邪険にされるなんてお断りですね。

新しい住まいがみつかるまで、瑠璃子の実家を頼ることにしましたので、ご心配なく」


 真白ちゃんがもがく。

 ここは、ある程度、事情を説明しないと、面倒なことになりそうだ。


「分かった……とりあえず、ここじゃなんだから、居間に移動しないか?

コーヒーとお菓子があるんだ。フランス土産のね」


 荷物の大半は、空港から宅配にお願いしたので、まだ手元になかったが、マリー夫人が持たせてくれた、オリジナルブレンドのコーヒーと焼き菓子は、真白ちゃんと食べようと別に持って帰って来ていたのだ。


 俺の提案は、全員に受け入れられたが、夏樹だけは皮肉っぽく言った。


「ここじゃなんなのは、話し合いだけじゃないよね。

いくらなんでも、玄関先ですることじゃないよ。

寝室に連れて行く余裕もなかったの?

こんな固い場所で、真白ちゃんもよくやるよ」


「うっさいんだよ!」


 当の真白ちゃんを抱きしめたまま、気恥ずかしさもあって、ついに怒鳴ってしまったら、母からも厳しい口調で言われた。


「夏樹の言うとおりよ! あなた、いつもこんなことを女の子にしていたの?

それから、真白ちゃんを離しなさい!」



 真白ちゃんは抱き心地がいい、と言うか、自分の身体の一部みたいにしっくりと馴染むので、抱いていることを忘れがちになるのだ。

 俺はしぶしぶ、彼女を離すと、コーヒーを淹れに、久しぶりに自分の部屋の台所に立った。

 すると、真白ちゃんもついてきた。


「コーヒー淹れるから、あっちで待ってて」


「私に淹れさせて下さい」


「いや、俺が淹れるよ。俺の淹れたコーヒー、真白ちゃんにも飲んで欲しいし」


 そう説明したのに、彼女は動こうとしなかった。


「真白ちゃん?」


「だって……あの、恥ずかしくって」


 居間の方には、すでに母と弟達がソファーに座っていた。

 なるほど、あんな所を見られてしまったというのに、一人では居辛いだろう。


「ごめんね……」


 謝ると、真白ちゃんは俯いたまま、側に寄り添ってきた。

 収めたばかりの熱が、ぶりかえしてきそうだ。


「ごめん、もうちょっと離れて」


「あ……」


「玄関の次は台所で、それも、母さん達に見せつけたい?」


 無自覚で誘ってくる困った女の子に、俺は少々、きつめに窘めないといけなかった。


「居間に一人で行きたくないなら、そこに座って待っているといいよ。

コーヒーを運ぶの、手伝ってくれる?」


「……はい!」


 邪険にされた訳ではないと知って、真白ちゃんは嬉しそうに、俺が示した椅子に座りかけたのだが、様子を覗きに来た母に見とがめられて、結局は居間に引きずられていってしまった。


 まぁ、いいけどさ。

 いいけど……なんか、納得出来ない。


 一刻も早く、真白ちゃんとの関係を後ろ指さされないものにしたい。


 決意を新たに、コーヒーを運んだ。


 コーヒーと焼き菓子は、場の雰囲気をなごますには絶大な効果を生んだ。

 俺は遠い空の向こうに居るマリー夫人に感謝した。


「冬兄がこんな美味しいコーヒーを淹れるようになるなんて」


「だろう? カフェの構想も決まったんだ」


 得意げに言うと、秋生の表情が曇った。


「その話ですが……」


「ああ、駄目になったんだろう?」


「知ってたんですか?」


「いいや。でも、最初からカフェ出店の話はダミーだったみたいだから」


「えええええええっ!!」


 弟二人の驚きを、真白ちゃんが代弁した。


「嘘! ひどい! 小野寺出版の社長を辞めさせられて、フランスまで行って、それが最初から無駄足だったなんて!!」


 真白ちゃんの一声が終わると、居間は沈黙に包まれた。

 それぞれの思いにふけっているようだ。


「あなたはそれでいいの?

そうやって『小野寺』に人生を振り回されて、それで納得しているの?」


 母がその場の全員を代表して、俺に聞いてきた。


「私は自分が守さんと結婚したことは後悔していない。

愛し合っているんですもの。

でも、それであなた達を、特に冬馬の人生を狂わせたんじゃないかと心配だったの。

あなたは責任感の強い子だから、我慢しているんじゃないのかって。

だけど、小野寺の跡継ぎの地位は、あなたにとってもいいものなんだって、自分に言い聞かせていた。

最近までは……」


「そうですね……その話、さっき真白ちゃんともしたんですが……」


 ああいう体勢になる前に、ちゃんと真面目な話もしていたことを強調しておく。


「俺は小野寺家を出ていくつもりはありません。

カフェの企画も頓挫させるつもりもないし、勿論、真白ちゃんとも結婚します」


「えっ……」


 あれほど責任は取ると言ったのに、真白ちゃんは驚きの声を上げた。


「俺は真白ちゃんと結婚します。

でも、それは小野寺家の跡継ぎになる手段じゃありません」


「どういうことですか?

現状を考えれば、兄さんがそう思っても、周りはそうは思いませんよ!

あっちはそのつもりで、兄さんを徹底的に自分の支配下におこうと、手ぐすね引いて待っているんです。

気に入らなかったら、それすらも叶えられないかもしれない。

私は確かに、真白ちゃんと結婚すれば兄さんの地位を固めるのに役立つとは言いましたが、それは小野寺文好が椛島真中であり続けることが前提です。

あちらが主導権を握った以上、もう、小野寺なんかにこだわる必要ないですよ。

小野寺なんかのために、我慢するなんて、しなくてもいいんですよ」


 秋生が割り込んできた。思えば、今回のことで、夏樹よりも秋生の方が動揺が激しく感じる。


「お前は、勘違いしている」


「何をですか!」


「俺はそんなに、惨めに見えるか?」


 問いかけると、弟は黙った。


「俺は、そんなに、惨めに見えるか?」


 もう一度聞いた。

 真白ちゃんは、また泣きそうになっていた。

 おっと、いけない、真白ちゃんを泣かせるつもりはなかったんだ。

 慌てて、真意を打ち明ける。


「そうだな。小野寺の跡継ぎになったのは自分の意思じゃない。

家族の為に犠牲になったと言われたらそれまでだけど、それが俺の性分なんだ。

仕方が無いだろう?

誰かを守りたいんだ。お前たちも、母さんも、真白ちゃんも、それから、小野寺の社員もだ。

真白ちゃんの前では言い難いけど、小野寺文好に、そのどれも渡すつもりはない。

あの人にそんな資格も能力もない」


「兄さん……」


「そんな訳で、お前はとっとと辞表を撤回してこい。今ならまだ間に合う。

それから、小野寺邸に戻りたくないのなら、ここに住め。

せっかく立派な家の、確かな男に嫁がせたと思っている瑠璃子さんのご両親がびっくりしてるぞ。

自慢の婿殿がいきなり仕事を辞めて、家も捨てて出てくるなんて。

お前らしくない、短絡的な行動だったな」


 いつになく自信満々の兄に蹴落とされて、秋生は二の句が告げなくなっていた。

 そんな弟を横目に、もう一人の弟に声を掛ける。


「夏樹は……」


「何? どうすればいいの?」


 夏樹は身を乗り出して俺の指示を待った。


「特に無い。大人しくしてろ」


「ええー」


 がっくりする末の弟は放っておいて、母にも声を掛ける。


「母さんはどうしますか? こちらの部屋に住みますか?

一人で住むには広すぎる部屋です、秋生家族に母さんが住んでも、問題はありませんが」


「いいえ、私は小野寺邸に戻ります。

私は守さんの正式な妻ですもの。

文好さんが戻って来たからと言って、追い出される所以はありません」


 毅然と宣言する母に安心し、もっとも厄介な人物に声を掛ける。


「真白ちゃんは、お家に帰りなさい」


「……!! 嫌です!! 父の所になんか帰りたくありません!!」


 思った通り、真白ちゃんは駄々をこねる。


「君のお父さんは小野寺邸に居るようだから、あのマンションに帰ればいいよ。

とにかく、ここに居ても仕方が無いよ。秋生一家が越してくるからね」


 暗に二人っきりになれないことをほのめかすと、先ほどの続きを想像してか、真白ちゃんの頬が染まる。


「そういうつもりじゃ……」


「ねぇ、真白ちゃん、必ず迎えに行くから、俺を信じて、もう少しだけ待っていてくれる?」


 真白ちゃんは母にしっかりガードされて座っているので、母越しで会話しないといけないのが辛い。


「……もう十分すぎるくらい待ちました!!」


 俺も君をこれ以上、手放していたくないよ。

 この心の叫びを、真白ちゃんにだけ、伝える方法があればいいのに。


「もうちょっとだけ。ほら、約束の日まで、まだ間があるだろう?

待つと言っても、それくれいの間で決着はつくはずだから」


「その約束を破ったのは若社長じゃないですか!!」


「真白ちゃん。俺のことを名前で呼べるようになるまで、ここ、出入り禁止」


「えええええええっ!!」


 母越しの説諭を諦めて、真白ちゃんがなかなか出来ないことをあげつらって、無理やり納得させた。

 成功したけど、その方法と、どうしても俺の名前を呼ぶ気になってくれない彼女に、複雑な気分にならざるを得ない。


「絶対、迎えに行くから。俺のことを信じて、今は黙って、何もしないで、待っていて欲しいんだ。

そうしないと、上手くいくのも、いかなくなってしまう」


 相手は初対面の頃から苦手意識の強い、妖怪・椛島真中こと、若様・小野寺文好なのだ。

 俺は俺の仮定を証明して、あの小野寺文好に対して一撃を加えなければいけない。

 それは、一筋縄ではいかないのだ。


「この計画には、真白ちゃんの協力が不可欠なんだよ。

何があっても一言も口をきかないで、俺を信じて待っていること。

そうすれば、きっと願いは叶うよ」


「分かりました。イラクサの上着でも編んで待っています」


 真白ちゃんは俺の分からない例え話をして、承諾した。


 名残惜しい気持ちで、彼女を見送り、秋生一家を迎え入れた。

 なぜか夏樹まで越してきた。

 途端に狭く、騒々しくなった自分の部屋に、ふと昔の生活を思い出した。


 俺は母や弟二人を守っているつもりだったけど、心配ばかりさせていたんだな。改めて反省した。

 それから、真白ちゃんとの生活を手に入れるために、気を引き締めて事にあたることにした。


 もう、誰にも、俺が何かの犠牲になっているなんて思わせない。

 俺は、俺の欲しいものを手にするのだ。

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