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妖精とクマ  作者: さぁこ/結城敦子
終 章 小野寺冬馬の決着。
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10-2 収穫したばかりの種を撒いてしまう男

 グシャグシャになった義父からの手紙はフランスに捨ててきた。

 何度読んでも不可解で、不愉快だった手紙の内容は、例のあの女からの伝言だった。


『なんでもお前に直接会って、謝りたいことがあるそうだ』


 あの女から、俺を引き離した当の本人である義父が、何をどうして、再会のお膳立てをしようと思い至ったのか、その真意を測りかねていた俺に、ヒントを与えてくれたのは真白ちゃんだった。


『気持ちが残っている以上、どちらも新しい道には進めない』


 真白ちゃんはエリィにそう言ったそうな。


 今となっては想像でしかないが、あの時、俺が納得して、あの女ときちんと向き合い、別れを告げていたら、もしかしたら、自分はこの年まで引きずらなかったかもしれない。

 だが、そんなことが出来るような精神状態ではなかったのも事実だった。

 それどころか、義父への反発心から、ますますひどい方向へのめり込む可能性の方が高かったくらいだ。

 俺の将来を憂えた義父が、無理矢理、縁を断ち切ったのも間違いではない。

 しかし、そのせいで、俺は中途半端に、あの女に未練めいたものを残してしまっていたのも認めたくない事実だった。


 義父はそのことに気づいていたのだろう。

 気付いていながら、どうすることも出来ないでいた。


 今だから分かる。

 今でなければ分からなかったことだった。


 そんな風に、俺の気持ちが変わったことで、義父も決心がついたのだ。

 あの女に、もう一度、俺を会わせることに。

 義父は『決着』と言うものを大切にしていた。

 それは古くから商売人の間で、大事にされてきたことだ。

 何事も決着を付けなければならない。


 丁度良く、あの女からも接触があった。


 そのことが、俺にとっては不安だった。


 病院で会った時、息子が病気だと言っていた。

 難しい病気だが、手術さえすれば良くなるはずの息子が、もし、そうではなかったら?

 さらに多額の医療費がかかるようになったら?


 小野寺の家は金持ちだった。

 その小野寺を継ぐことになった男の、過去の傷を握っていることに気が付いたら、それを使おうとしないだろうか。


 俺を脅迫する為に、会おうとしている腹なのかもしれない。


 そうであれば、やはり、俺は、あの女に会わなくてはいけない。

 これ以上、義父や、小野寺の家に迷惑はかけられない。

 たとえ、週刊誌に売ると言われても、あの女の言いなりにはならない。


 真白ちゃんはあの女とのことを全て知っている。

 他の人間に知られても構わない。


 俺は、今度こそ、あの女と縁を切って、そして、真白ちゃんとの新しい道に進むのだ。


***


 フランスから帰って、一番にすることは、そのことだった。


 そうは言っても、出来れば穏便に済ませたかったので、内密に帰国して、誰にも気づかれずに処理してしまいたかった。


 いつもは好きなものから食べるが、今回は嫌いな卵サンドから手を付けることにしよう。

 大好きなハム胡瓜サンドを食べたなら、もう卵サンドなんて、見たくもなくなってしまいそうになるからだ。


 関係者の目につかない様に、小野寺とも雨宮とも縁もゆかりの無いホテルのティールームで会うことにした。


 女は去年の冬に会ったのと同じように穏やかな顔で待っていた。

 旦那にも息子にも内緒で、昔の男に会いにくるなんて、と軽蔑しかけたが、自分も同じようなものと思い直す。

 結局、俺とこの女は同類なのかもしれない。

 でも、そうであるなら俺だって、この女が得た幸せを、得られるはずだ。


 息子はまだ通院が必要とは言え、病状は回復し、父親の元へと帰り、再び親子三人の幸福な家庭に戻った、この女か、それ以上の幸せを。


「ごめんなさいね。

息子が生まれて、気が付いたの。

もし、冬馬君が私の息子で、私があなたの母親だったら……そう思った瞬間、自分がどれほどのことをしたか、ようやく理解したわ。

あの時、誰でもいいから助けて欲しかった。

だけど、冬馬君はまだ高校生だったのに。

冬馬君は優しかったから、つい、縋り付いてしまった。

謝っても仕方が無いことだけど、どうしてもお詫びしたくて」


 金目当てではなかったことに安堵した。


 この女は、俺のことを好きだと言っていたくせに、連絡を断ち切られらだけで、すぐに別の男と結婚した。

 そのことを知っていたのは、アメリカに留学して初めての夏休みに帰国した時、会いに行ったからだ。


 昔のアパートは引き払われていて、親戚の会社にそれとなく尋ねてみたら、結婚して地方に引っ越したと聞いたのだ。


 ショックを受けたのは、やはり、俺はこの女のことを憎からず思っていたからだ。

 だから、これ以上、思い出を穢したくなかった。


 俺はこの女のことが好きだった。

 そう認めなければ、この女と『決着』を付けることは出来なかったのだ。


 これもまた、今更、分かったことだった。

 それを教えてくれた真白ちゃんと一緒に、新しい道に進みたい。


「お気になさらずに。昔のことなど、忘れました。

もう二度と、会うつもりはありません。

どこかで見かけても、話しかけないで下さい。

私とあなたは、他人です。

そうぞ、今の家庭を大事にして下さい。

私も、大事にしたい人が出来たので」


「ええ。約束するわ。

金輪際、二度と、冬馬君……いえ、あなたとは会いません。

これで最後。お別れよ。さようなら。

本当にごめんなさい。

その子と幸せになってね」


 十数年前に、すべきことだった。

 長くかかりすぎた。

 ようやく、俺の心の中から、目の前にいる彼女の面影を、追い出すことが出来る。


 伝票を持って立ち上がろうとすると、きっちり、自分の分の料金を置かれた。

 貸し借りはなしと言うことだ。

 支払を受け取ると、レジで精算をした。


 大した金額ではなかったが、急いで来たので、ユーロばかりで日本円が心もとなかったから、カードで支払った。

 帰る準備をする彼女と、一緒に店を出るのは避けたかったので、焦って汚い字でサインをすると、慌てて外に出た。


 扉をくぐると、そこは別次元のようだった。

 世界は何も変わっていない。

 変わったのは俺の心で、それが、目に映るもの全てを新しく見せていた。


 その視界に、最初に飛び込んできたのが、真白ちゃんだった――。


 ふわり、と、よく馴染む感触が腕に伝わる。


 世界がどう変わっても、真白ちゃんは変わらなかった。

 前より一層、可愛らしくなっていたけど、真白ちゃんは真白ちゃんだった。


 長く不在にしていたのに、俺をまっすぐ愛してくれていた。


 ああ、俺は彼女を試していたんだな、と改めて気づいた。

 アメリカに行った時、あの女は待っていてはくれなかった。別の男と結婚してしまった。

 今度のフランス行きでも、同じだろうと、と。

 真白ちゃんの為といいながら、エリィや自分にしていた説明は表向きの綺麗事で、本心では、俺を好きだと言うのなら、その証を見せて欲しかったのだと。


 こんなにも慕ってくれている真白ちゃん相手に、そんなひどいことをしていたのだ。

 彼女は一人の歳月を耐え、待っていてくれた。


 申し訳なくって、素直に再会の喜びに浸れなかった。

 それもまた、彼女に対して、不実な態度だと気付いてものの、罪悪感を抑えられない。


「お帰りなさい! 帰って来たんですね? いつ? どうして? 教えてくれたら迎えに行ったのに」


 怨み顔を微塵も見せずに、あどけなく聞いてくる。

 ぎゅうっと、すがりつかれて、前よりも尚一層感じる柔らかさに、動揺してしまった。

 のどかな片田舎から帰ってきた男には刺激が強すぎる。


 大体、真白ちゃんはこんなホテルで何をしているのだろう?


「どうしてここに?」


「若社長……こそ」


 その通りだ。

 ずっと日本に居た真白ちゃんより、俺がここに居る方が不審だ。

 まず、日本に居ること自体、おかしいのだから。


 『決着』を付けてきたと説明する前に、タイミング悪く、その相手が出てきてしまった。


「あら? なんて可愛い子! その子が、冬馬君のお相手なのね。

素直で純真そうで……羨ましいわ。

幸せにしてあげてね」


 悪気はなかったのかも知れないけど、余計な言葉だった。

 『決着』はついているのだから、他人のフリをしてくれればいいのに。

 真白ちゃんの爪が、俺の腕を責めるように、食い込んだ。

 彼女のことだから、嫉妬の嵐が吹きまくっているだろう。

 それを責めることは、当然、出来ない。

 まだ嫉妬してくれることに感謝したい気分だ。


 こっそりフランスから帰ってきて、こっそり曰くつきの昔の女と会っていたことを、知られてしまった俺の方が、責められるべきだった。


「真白ちゃん……」


 俯いて表情は見えなかったが、少女が傷ついているのも、それを必死で収めようとしているのも分かった。

 いっそ俺を「裏切り者」となじってくれればいいのに。その方が、声を殺して泣かれるよりもいい。


 絶対に、この子を泣かせないと決めたのに、帰国早々、その誓いは破られてしまった。


 もう、呆れ果てるほどの大馬鹿野郎だ。


 しかし、自分を責めている場合ではない。真白ちゃんになんとしてでも分かってもらわないと。

 放置した挙句に、こんな仕打ちをしてしまったことを、心から謝罪して、許してもらわないと。


 そっと肩を抱こうとした手を、別の声が制した。


「真白ちゃん?」


 涼やかな声は、雨宮一のものだ。

 その名を口にする声に、険が籠った。


 真白ちゃんと雨宮一が同じ場所に居るのは、偶然ではない。

 手紙では避けているように書いていたのに、雨宮一が彼女を呼ぶ声は親しげだった。


 ここに居る理由を問えば合コンをすると言う。

 それも真白ちゃんと。


「ちがっ……くないです。

ごめんなさい」


「真白ちゃんが謝ることじゃないよ。

そっちはそっちで、帰国早々、他の女の人と密会しているような人間に、何を責めることが?」


 素直に謝る真白ちゃんと、俺を牽制する雨宮一。

 この二人に、この場で会ってしまった運命が恨めしい。

 俺はただ『決着』をつけたかっただけだ。

 なのに真白ちゃんを悲しませ、雨宮一に口実を作ってしまった。


「違うんです! 違くないけど、違うんです!!」


 必死で無実を訴える真白ちゃんを、俺は疑わなかった。

 これから合コンをするのは事実らしいが、その事実の内容は、どうやら一般的なものではないらしい。

 このホテルは雨宮系列ほどの格式はないにしろ、大学生の合コンをするに相応しい場とは、規模からしてふさわしくなかった。

 どちらかと言えば、大きな親睦会みたいなレベルだ。

 人数が多くなればなるほど、一人一人の接触は薄くなるから、普通の合コンよりも、心配はいらなそうだ。

 それに、柱の陰で真白ちゃんを援護するように、首を振っている武熊さんの護衛もある。


 何か理由があるのだろう。

 俺には関係のない、彼女が大学に入って作った世界での大事な用事に違いない。


 邪魔をして、折角の計画を台無しにする訳にはいかないし、はっきり言って、俺はムカついていた。

 真白ちゃんにではない。雨宮一にだ。

 いや、やっぱり真白ちゃんにもだ。


 どんな理由があっても、雨宮一なんかと仲良く合コンなんて、俺の嫉妬心が平静でいられるはずがない。

 口を開けば、彼女を責めたててしまいそうになる。

 散々、傷つけた挙句、裏切るような真似をして、さらにそんなことをしたら、最低最悪の男にまで落ちる。

 少し時間を置けば、お互い、嫉妬心を落ち着かせることが出来るだろう。


 なるべく平静を保って、穏やかな姿勢で、俺についてくるという真白ちゃんを諭した。

 そのことが、どれだけ嬉しかっただろう。

 久しぶりに会ったのだ、話したいこともたくさんある。

 真白ちゃんは手紙で書き尽くしたかもしれないけど、俺は一通しか返していない。

 全部に返事をしてあげたかったし、上達したコーヒーも飲んで欲しかった。


 でも、今は駄目だ。


 真白ちゃんが可愛くて、いじらしければいじらしいほど、ここに置いていくしかなかった。

 下手に連れ出せば、言い争いか、もしくは、彼女を自分の欲望のまま貪るか……どちらにしても碌な結果にはならない。


 雨宮一に肩を抱かれて、連れ去られる姿を傍観するのは、胸が焦がれるほどの嫉妬を感じる。

 真白ちゃんにも、この苦しみを味あわせてしまったのが、たまらなく辛い。


 どうして、いつもと同じように好きなものから先に手を出さなかったのだろう。

 彼女に隠し事などせず、ちゃんと説明して、分かってもらってから、あの女と『決着』をつけるべきだった。


 そう言えば、俺は真白ちゃんに関することは、どうも判断を間違える傾向にあった。


 雨宮一なんかに彼女を触らせて、我が物顔で連れて行くのを見るしか出来ないなんて。

 俺は耐えきれず、駆け寄って、真白ちゃんを奪い取る前に、その場を立ち去ることしか出来なかった。


 明日、彼女は俺に会ってくれるだろうか。

 俺を好きでいてくれているだろうか。


 ようやく昔撒いた種から生えたものを刈り取ったと言うのに、また新しい種を撒いてしまった。

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