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妖精とクマ  作者: さぁこ/結城敦子
第九章 椛島真白の忍耐。
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9-6 合コンと彼の帰還と、魔法使いの囁き。

 エリィはすごい女性だ。

 前々から思っていたけど、そんなものじゃなかった。


 バスルームから出ると、そこには大勢の人が居て、私はエリィとの会話を聞かれたんじゃないか、短く切られたスカートから見える足が出すぎじゃないかと、冷や冷やしていた。

 硫酸がかかったのは、膝から下なのに、こんなに短くするつもりはなかったんじゃないかしら。

 なのに彼女は満座の中で、自ら切り落とした私のドレスを、なんと、繕い始めた。

 その手際の良さたるや、本職のお針子さんもビックリだった。


 モデルとして美しいだけじゃなく、銃を構えれば狙った獲物は外さない、その上、裁縫まで上手なんて、多才すぎる。


「ホント、君はスルメのような女性だねぇ」


 ジャンが感心と、半ば呆れた風に呟いた。


「スルメじゃなくって、『妖精』のようだね、と言って下さらないかしら?」


「それには、残念ながら、足りないものがある」


 つと、神業のように動かされていた針が止まった。


「なんでしょうか?」


「うーん、なんだろう? 図々しさ??」


 敢えてそこに居るのだろうか、入り口付近に腕を組んで立っていた真崎さんが吹き出した。

 つまりジャンに『妖精』と認められた私は『図々しい』ということを立証したようなものだからだ。

 なんだか悔しいので、反論したくなった。


「なんでですか! エリィは図々しいじゃないですか!

貴方のデザインしたドレスを勝手に別な形にしているんですよ」


「そうだけど、この丈は、バランスが良いね。

横入りが入らなければ、私もこのデザインにしたはずだ」


「自分のデザインに、口出しをさせる人間だとは思っていませんでした」


「普通はね。でも、そのドレスは別。

面白かったからね。

さらに、想像もしていなかったけど、この展開は実に興味深い。

本当に君たちと関わると面白いことばかりだね」


 そう言うや、世界的なデザイナーは、今度こそ、自分の思い通りのデザインにするべく、エリィに次々に注文を付け始めた。

 その指示に、難なく従うエリィの技術は、本物だった。

 「もっと布があればいいのに」と呟けば、星野さんがクロークからサンプル用に持ち込んできた例の絹を取り出してきた。


 かつて洋服を買いに行くのに、片道二時間以上かけていた女子中学生は、そのことを親に咎められた。

 洋服なんかにうつつを抜かして……とお小遣いを減らされた少女は考えた。

 買えないなら自分で作ってしまえ。

 保守的な父親は、ちゃらちゃら着飾るのは眉を潜めても、裁縫をすることは女の子らしい趣味として歓迎した。

 その為の資材なら買いに行くのも許されたし、家には、地元産の正絹で造られた祖母の着物がたくさんあった。

 それらを駆使し、雑誌を見ながら、針を動かし、ミシンを踏み続けた。


「その内、写真を見ただけで、型紙をおこせるようになったわ」


「うわっ、洋服屋泣かせねぇ」


 いつの間にか、エリィの助手になっていた、小野寺出版の里崎さんが呻いた。


「昔の話よ。

今はそんな必要ないもの」


「絵里はうちの母の洋服も作ってくれたんだ。

卒業式とか入学式とか用にね。

みんなビックリしていた」


「父は熊か猪しか見ないような場所で、着飾ってもしかたがないだろう、ってムカつくこと言ったけどね」


「嘘はいけないよ、絵里。うちの山に猪は生息していないよ。

君はお父上に厳しすぎる」


「いちいち、揚げ足取らないで!

真白ちゃん、動かないでくれない? 針刺すわよ」


 星野さんとのやり取りが微笑ましくって笑ってしまったら、エリィに怒られた。


 そんな二人だったが、「『妖精』じゃなくて、お針子としてスカウトしたいくらいだよ!」というジャンの賞賛は、あまり嬉しいものには聞こえなかったようだった。


 その内、硫酸を掛けられてボロボロになってしまったドレスは急ごしらえだったけど、見事に甦った。

 ずっと良くなったと言っても過言ではない。


 もっとも若社長の願いもむなしく、私の足は、大部分が人目にさらされることになったけど。

 過保護な子供扱いを嫌いつつも、大人扱いされると怖気づいてしまう私のいけない性格が出てしまった。


「これでパーティーに戻るんですか?

と言うか、パーティーってまだやってるんですか?

あんなことがあったのに?」


「だけど犯人は捕まったじゃない。

もう一人か二人はいるかもしれないけど。

せっかくだから、『私の』力作をみんなに見てもらいましょう!

絶対、こっちの方が真白ちゃんに似合うわ!

大丈夫、大丈夫。ここに居ない人間が、とやかく言ったりは出来ないもの」


 『宣伝』に協力しろ、ということらしい。

 でも、協力するのはそれだけでは済まないのだ。


 専門家も驚嘆する腕で、エリィはその晩のうちに、自分の着る予定だった、ジャンのドレスを一枚残して、全て私の身体に合わせて直した。

 次の日の朝、部屋を訪ねたら、目の下にクマを作った里崎さん以下、腕に覚えのあるスタッフと、肌も髪も艶々したエリィが、徹夜の成果を私に着せた。


「背もウェストもほぼ同じか、私の方が高くて細いのに、胸だけは真白ちゃんの方が大きいとはね……。

直すの面倒だったわよ」


 ここ最近、気にしていたことを人前で言われてしまった。

 『妖精』の仕事をしたあたりから、栄養が良くなったせいか、発育が良くなったのだが、そのせいで、妙な邪推をしてくる人がいて困っていた。


「好きで大きくした訳じゃありません」


 そりゃあ、あの女の人に対抗して、若社長に喜んでもらうため……男の人って、大きい方が好きって聞いたから、成長して欲しいとは望んだけど、こんな面倒なことになるとは思わなかった。


「本当よね。モデル体型としては、そんな自己主張の激しい胸は不利だもの。

あやうく、ジャンに却下される所だったわよ。

もっとも、冬馬さんは喜んでくれるかも……って、まさか、冬馬さんが!?」


 エリィが両手を私の胸の前で開いたり閉じたりした。


 ほた、また!

 そういうことを言われるから、若社長がフランスに逃げる羽目になったのだ。

 もう、本当に嫌!


「エリィ! 代役の件、断ってもいいですか?」


「もう、ちょっとからかっただけよ。

でも、確かに失礼だった。女同士とはいえ、セクハラだもんね。

謝るから、代役の件は断らないで。

この服、日本で着て宣伝出来るの、私とあなたしかいないんだから。

真白ちゃんに断られたら、私が痛む足を引きずって、全部のドレスを着て歩くわよ。

可哀想でしょ? 痛々しいでしょ? 健気でしょ?」


「自分で言いますか?」


「……それに、見たいでしょ? 私が当たって砕け散る姿」


 こんな自信満々な弱気な発言、初めて聞いた。


「ええ、骨は拾って差し上げます」


「ホント、可愛げがなくなっちゃって」


「砕け散ったりしませんよ。

明日、エリィは、世界で一番輝く『妖精』になれます。

ジャンのじゃなくって―――」



 星野満顕の。



 コレクションの最後はウェディングドレスが飾る。

 ジャンがエスコートして、白いドレスを着たエリィが長い長いランウェイを歩いた。

 足の怪我など微塵も感じさせない優雅で軽やかな歩調は、『妖精』のようだった。

 そのまま真っ直ぐ歩いて、彼女は一人の男性の前に立った。


 そのウェディングドレスの生地を開発した男性の前に。


 かつて恋して、今でも恋しい男性の元に。


 そして、腰を落とすと、ほっそりとした手を差し出して、「私と結婚してくれますか? 幸せにしてあげる自信はないし、すぐに失敗しそうだけど」とプロポーズをした。


 会場を埋め尽くす観客よりも、小野寺出版の配慮によって、関係者席でも、一番前に用意された場所で、星野さんが一番驚いていた。


「ちょっと! 返事は!?」


 気恥ずかしいのか、柄にもないことをしている照れ隠しか、怒ったように返事を催促した。

 そんな昔馴染みの女の子に、星野さんは目を潤ませた。


「私でよければ何度でも」


「何度でも!?」


「そう、一度失敗しても、何度でも結婚してあげるよ。

研究者は一度や二度の失敗では挫けないんだ。

成功するまで、何度だって、試してみよう?

だから心配しないで、嫁いでおいで」


 エリィの告白もひどかったけど、受ける星野さんも相当だった。

 大体、結婚式じゃないけど、それに近い状況で、『失敗』とか『何度も』とかって、よくない言い回しに聞こえる。

 だけど、エリィは満足そうに微笑み、舞台の上から、星野さんの胸に飛び込んだ。


 ジャンが花嫁を引き渡した父親のような顔をした。


「私の『妖精』を幸せにするんだぞ」


 コレクションの最後のウェディングドレスを利用してプロポーズをする『図々しさ』が認められたのか、ついにエリィはジャンの『妖精』になった。

 その喜びは、でも、星野さんとやっと結ばれた喜びに花を添えても、それ以上にはならなかっただろう。


 演出用の金と銀の紙吹雪と紙テープが、二人を祝福するかのように一斉に、噴出し、万雷の拍手と歓声の中、エリィは星野さんにキスをした。


 美しいモデルの結婚は、意外な素顔とともに紹介され、エリィは一躍時の人になった。

 その前に歩いた『妖精』の話題は霞んで、それほど注目されることはなかった。


 悔しいけど、これが本当の実力の差だと思う。

 もっと鍛錬して、本物の『妖精』になろう。

 小野寺冬馬と言う人の『妖精』にだ。


 照明に反射して、紙吹雪がダイヤモンドダストのように煌めく中で、星野さんがエリィを抱き上げ、微笑み合う姿に、私は猛烈に若社長に会いたくなった。

 会って、私もプロポーズするんだ。

 ずっと一緒に居てもらうのだ。


 そう決意していると、エリィがこちらを向いて、手にしていたブーケを掲げた。


 手招きされて、舞台の上に進み出ると、それは弧を描いて、私の手の中に納まった。


『やぁ、次は君の番だね』


 隣に立つジャンが、フランス語で囁いた。


***


「はぁ、素敵よね、エリィ!

やっぱり私もコレクションに参加したかった!

パーティーは面白かったけど、エリィの逆プロポーズも生で見たかった!!」


 同好会で使っている部屋で、桐子ちゃんが雑誌を見ながら、何度目かのため息をついた。


「なんて幸せそうな写真! 何回見てもいいわ〜。

って、ねぇ、聞いてるの? 真白ちゃん!!」


「えっ? 聞いてるわ。

羨ましいよね」


 あれ以来、ホームシックならぬ、若社長シックになってしまったらしく、ふとした瞬間に、ボーっとしてしまう。

 フランスに行ってすぐは、私も慣れない大学生活で忙しかったし、気も張っていた。

 でも、もう限界だ。

 そろそろ帰って来てくれないと、夏休みを利用して、こっちから押しかけて行きそうだ。

 追いかけられるのが嫌いな若社長の為に、それは避けたいので、あちらから帰って来て欲しいのに、あの手紙以来、またもや音信不通になってしまった。


「真白ちゃん! また! ボーっとして!!」



「暑いからね……ボーっとしたくもなるよ」



 どこからか声が聞こえてきて、私と桐子ちゃんは飛び上がった。


「だ、誰!?」


「俺だよ、桐子ちゃん。

さっきからずっと居たんだけど。

俺ってそんなに存在感薄い?」


 暑いからか、床に置いた扇風機の前で、さらに団扇を仰いでいる成田さんが目に入る。


「い、いつから居たんですか!?」


「全然、気づかなかった」


「ひでぇよ二人とも」


 恨みがましい目で見られたが、成田さんの恨み節はここからだった。


「まぁ、もっとひどいことされちゃったけど」


 就職活動中なのか、リクルートスーツを着ているようだ。

 上着は脱いでるし、ネクタイはせず、胸元もだらしなく開けているから、そうはすぐに分からなかった。

 これだけ着崩しているのを見ると、企業回りを終えた後だろう。

 その結果が芳しくなかったのか、と最終学年の先輩の機嫌の悪さを推測したが、そうではなかった。


「二人ともさ、俺が南ちゃんのこと、密かに惚れ込んでいたの、気づいていたくせに、赤沢の野郎に協力しちゃって。

あのコレクションのバイト以来、二人とも意識し合って、なんつうの、大学生のくせに、中学生みたいに甘酸っぱい雰囲気になってるんですけど」


 コレクションで出来上がったカップルはエリィと星野さんだけじゃなかった。

 私達の目論見通り、南さんと赤沢さんも、互いの好意を隠そうとしなくなった。

 亀の歩みみたいに、ゆっくりだけど、着実に関係は進みつつあって、それを微笑ましく思っていた所だった。


 しかし、絶妙なバランスで成り立っていた三角関係が崩れ、成田さんが割を食うことになったのは、申し訳ないことだった。


「でも、私達、ちょっと背中を押しただけです。

そこから先は南さんと赤沢さん次第です」


「そうですよ、成田さん!

もとから眼中になかったんだから、さっさと諦めた方がいいですよ」


 桐子ちゃんの率直な物言いは嫌いじゃないけど、この場でその発言は火に油を注ぐだけだ。


「簡単に諦められるような、軽い気持ちだと思った?

見た目がこうだからって、俺のこと、軽々しく扱ってさ!」


「ごめんなさい。

ただ、終わった恋、と言うかスタート地点にも立てなかった恋をいつまでも追いかけるよりも、新しい恋をした方がいいんじゃないかと思って」


「だから! そういう言い方やめてくれないか!!」


 真剣に怒鳴られて、私たちは意気消沈した。

 自分達では良い事をしたと思っていたけど、一方で、こんなに傷つく人がいたなんて、想像力が足りなかった。

 成田さんの南さんへの気持ちは、こちらが思っているよりずっと強くて確かものだったのだ。


「お詫びに真白ちゃんが付き合ってくれる?」


「……うわっ、最低」


 私も声には出さなかったけど、同感だった。

 さっきまでの、罪悪感が吹き飛びそうだ。


「桐子ちゃんでもいいけど? 彼氏いないんだろう?」


「いませんけど、お断りです」


「即答やめて……まじ、凹むから」


 本気で落ち込んでいるみたいだ。

 だからと言って、ようやく実りそうな南さんの恋心を邪魔する訳にもいかない。

 南さんと星野さんが運命の相手ならば、成田さんにだって、運命の相手はいるはずだ。

 それには出会いが必要で――。


「……そうだ!」


 いいことを思いついた。

 両手を合わせて立ち上がると、二人が怪訝そうな顔で見る。


「合コンしましょう!」


 その時は、我ながらいいアイディアだと思ってしまったのだ。

 もっと他にも解決方法があっただろうに、短絡的で、安易すぎた。


 誰か止めてくれれば良かったのに。

 桐子ちゃんも成田さんもノリノリになってしまった。


 こうして初めて私は合コンに参加することになった。

 発案者で主催者だから、仕方がないのだ。


 ごめんなさい!

 ああ、でも、バレないで!

 若社長がフランスに行っている間で良かった―――はずだったんだけど。


 いつだって、悪いことは出来ないのだ。


***


 合コンは私が思った方向とは全く別のものとなった。

 それと言うのも、雨宮兄妹が聞きつけて、参加することになったからだ。

 姫ちゃんは、雨宮家のお茶会を主催するようになって、すっかりイベントごとに目覚めたらしい、合コンのプランナーを買って出た。

 お兄さんの方は、芳しい花のような人だったから、そこに居るだけで、美しい蝶々が寄ってくる。


 かくして、合コンのチケットは、チケット販売会社に委託して、ネットで売り捌くほど大規模なものになり、会場も居酒屋とかではなく、ホテルの宴会場になった。


 姫ちゃんは小野寺家とも縁の深い、例の雨宮系列のホテルを使いたがったが、私が断固反対した。

 そんな所を使ったら若社長にバレてしまう、って、こんなに大々的になってしまっては、隠しようがなかったけど。

 一部では、雨宮家の御曹司のお相手を探す『シンデレラのパーティー』と囁かれていたが、実態は違う。

 雨宮一さんが、なんで参加する気になったのか……桐子ちゃんは「真白ちゃん目当てに決まっている」と言うが、実際、そうなのかは不明だ。

 私は、どうも彼の真意を測りかねていた。

 ただ言えるのは、出来れば遠慮して欲しかった。

 だって、これは成田さんの為に企画した合コンなのに、みんなの目が一さんに集中したら意味がないじゃない。

 「そんな中、俺に目を止めてくれる子が居たら、それこそ、運命だろうね〜}と成田さんはすでにやけっぱちになっていた。

 合コンに賛成したのも、なにがあっても絶対に参加したことがなかった鉄壁の身持ちの私が言い出したことだから、と言う。


 もはや、私の意図も、手からも離れた合コンに、空恐ろしくなりながら、準備に駆けずり回ることになった。


「真白ちゃ〜ん! お花が足りないの。ちゃんと手配したと思ったのに。

どこかに間違って届いているかもしれない。

だからうちのホテルにすれば良かったのに。

こんな手違い、絶対、起こさないわ」


「分かったわ、見てくるね」


 兄のお相手を探す『シンデレラのパーティー』と噂されているのに着想を得て、今日の合コンのテーマは『シンデレラ』に決まった。

 白と、まだ珍しい青のバラで会場を埋め尽くす予定なのだが、白い方が足りないようだ。


 おっとりとしつつも、てきぱきと会場の準備を進める姫ちゃんの為に、様子を見に行くことにした。


 雨宮系列とは違うが、それなりに豪華な高級ホテルのロビーに出てみた。

 花が届くなら裏口だろうか。

 こういうに慣れていないせいで、要領がつかめていない。

 姫ちゃんに教えてもらっておくべきだった。


 無駄にウロウロしてしまった私は、ふと、あり得ない姿を目撃することとなった。

 見間違いか、幻想か、それともドッペルゲンガーかもしれない。


 だって、あの人はフランスに居るんだから。


 そう、自分の言い聞かせてみたけど、私があの人を間違えるはずがない。

 一階のティールームから出てきた、背の高い、がっしりとしたその姿。



 ――若社長だった。



 帰って来たんだ!

 思う所はいろいろあるはずだけど、そんなことよりも、帰って来てくれた事実の方が嬉しくて、嬉しくて、急いで駆け付ける。

 準備中だったから、ペールブルーのサマーセーターとジーパン……以前、夏樹さんに安易と却下された服に、ヒールの低いパンプスを履いていたから、身軽だった。


「若社長!!」


 私は、とっても嬉しくてたまらなかったのに、声を掛けられた若社長は違っていた。

 ひどくバツの悪い顔をしていた。

 それでも、それは私に黙って帰ってきたから、気まずいのだ、程度の認識で済ませてしまった。


「――真白ちゃん?」


「お帰りなさい! 帰って来たんですね? いつ? どうして? 教えてくれたら迎えに行ったのに」


 無意識に腕にすがりついていた。

 もう、逃がさない、という意思表示だったのかもしれない。


「どうしてここに?」


「若社長……こそ」


 久しぶりの再会なのに、待ち焦がれた時なのに、若社長はちっとも嬉しそうじゃない。

 お互い、あまり縁のない場所に居る不自然さ。

 私は若社長に隠し事をしているからだけど、もしや、彼もそうなのだろうか。


 不安がよぎった時、それを裏付ける人物が、ティールームから出てきた。


「あら? なんて可愛い子! その子が、冬馬君のお相手なのね。

素直で純真そうで……羨ましいわ。

幸せにしてあげてね」


 私を見て、ニッコリと微笑む女性は、あの人だった。

 高校生だった若社長を絡め取って、自分のものにした女の人。


 ヒールを高らかに鳴らしながら去っていく後ろ姿に、私は眩暈がして、強くすがりついた。

 私を裏切った、当の男の人の腕に。

 そうだ、若社長は私を裏切ったんだ。

 黙って帰国して、こんな小野寺の人も、雨宮の人も使わないようなホテルで、あの女の人と密かに会っていた。

 それが裏切りじゃなかったら、なんだと言うのだろう。


 おまけに、あの女の人はなんと言った?

 「幸せにしてあげてね」ですって。

 何それ。なんでそんなに上から目線なの。

 昔の男を下げ渡すみたいな言い方。


「真白ちゃん……」


 それでも、私は若社長の腕を離さなかった。

 何か誤解があるのだ。

 今は怒りで冷静さを欠いているけど、落ち着けば、真実が見えてくるかもしれない。

 若社長が私を裏切るはずがないもの。あの女の人のこと、かつては好きだったとしても、苦しい思い出しかないって、言っていたもの。


 落ち着いて、落ち着くのよ、真白。

 ここで、我を忘れたら、一生、後悔する事態になる。


 それでも、やっぱり裏切られた気持ちは大きい。

 たとえ、どんな理由があろうとも、帰国した最初に私に会いに来てほしかった。

 一番に「お帰りなさい」って、迎えたかったのに。

 思えば、誕生日の時も、あの女の人に先を越された。


 悔しいし、悲しいし、やるせない。


「真白ちゃん?」


 別の男の人の声がした。


「雨宮一?」


 若社長が険のある声で名前を呼んだ。


「なぜここに?」


 誤解されているような気がする。

 それはそうだ。

 系列ホテルを何個も抱える雨宮財閥の御曹司が、全く関係のないホテルに居るんだもの。


「なぜって? これから合コンなんですよ。

真白ちゃんと」


「……合コン??」


「ちがっ……くないです。

ごめんなさい」


「真白ちゃんが謝ることじゃないよ。

そっちはそっちで、帰国早々、他の女の人と密会しているような人間に、何を責めることが?」


 若社長の身が固くなったのが分かった。

 図星を指されたからだ。


「違うんです! 違くないけど、違うんです!!」


「分かるよ、理由があるんだろう?」


 変わらぬ優しい声だったけど、裏に「俺にもあるから」と聞こえる。

 激しく頷く私に、微笑みかける顔に、懐かしさで泣きそうになった。


 ほら、若社長は優しい。

 大丈夫、信じているから。

 なのに、なんで「じゃあ、俺は帰るから。またね、真白ちゃん」と、私を置いていくような真似をするのだろう。


 いくら束縛や執着が嫌いでも、ここは強引にでも、連れて帰って欲しいのに。

 ここは、必死になって誤解を解こうとする場面のはずだ。


 それに、若社長の「また」は信用出来ない気がする。

 「また」音信不通になりそうな予感がするのだ。


「一さん、みなさんに宜しく伝えて下さい!」


「まさか合コンに出ないで帰るつもり?

それって、ちょっと責任感がなさすぎると思わない?

君が参加するからって、出席する人間も多いんだよ。

私もその一人だし。

君が出ないなら、私も欠席する。

―――言いたくないけど、そうしたら、この合コンは台無しになるだろうね。

一所懸命準備した姫が可哀想だし、何より、自分勝手だよ」


 正論だったけど、優しさが無い言い方だと思った。

 半年ぶりに恋人に会えたんだから、そこは、「私に任せて、行っておいで」と見送って欲しい。


「――真白ちゃん。自分で決めたことはちゃんとやり遂げないと。

俺は、しばらくは日本に居るから、また後でゆっくり話そう?」


 若社長まで正論を吐く。


 その通りだ、その通りだけど、納得はしても、感情が追い付かない。


「若社長! 私を……置いて行かないで!」


「置いて行ったりはしないよ。でも、君はここに残るんだ」


「『いい子』で待っていなかったから、罰ですか?」


「違うよ……少し、時間が必要だと思うんだ」


 時間!? 半年も待って、これ以上、どんな時間が必要だというのだろうか。

 まさか、あの女の人と寄りを戻そうとしているとか?

 嫌な思いが頭を巡る。


「真白ちゃん、そろそろ戻らないと。

姫も心配しているよ」


 一さんがさりげなく、私の肩を引き寄せた。

 振り払う気力も無く、なすがままにされているというのに、若社長はそのまま私を見るばかりだ。


「行こう?

では、冬馬さん、失礼します」


 肩を抱かれたまま、会場に連れて行かれてしまった。

 何度も何度も振り返って、助けを求めたのに、若社長はフイッと後ろを向くと、そのまま本当に帰って行ってしまった。


***


 初めての合コンは、耐えがたい苦痛だった。

 頭の中は若社長のことでいっぱいで、『信じる』『信じない』を行ったり来たりしていたのに、絶え間なく人に話しかけられる。

 男の人だけじゃなく、女の人にも、たくさんの声を掛けられた。

 顔に笑顔をはりつけて、全て無難にこなせたのは、奇跡のようだ。


 瞬間的に涙が出そうになったけど、あの女の人のことを思い出し、怒りで引っ込めた。


 長い、長い、果てしもなく長いと思われた合コンが終わった後、桐子ちゃんと成田さんに打ち上げに誘われたけど、「頭痛がひどい」と言って、断った。


 やっとの思いで辿り着いた自宅の玄関に、私は座り込んだ。

 これ以上、泣くのを我慢しないで済むと思ったら、涙が止めどなく溢れてきた。


 次第に、声を上げて号泣し始めると、それを聞きつけて、父が書斎から出てきた。


「どうした! 真白!

今日は合コンだったんじゃないのか……まさか! また変な男に……だ、大丈夫なのか?

武熊からは何も連絡はなかったぞ!」


「お、お父さん……」


 年甲斐もなく、父親の前で泣くのは恥ずかしいが、もう動けなかった。

 父は困惑し、武熊さんに電話し始めた。


 ああ、姿は見えなかったけど、武熊さんを護衛につけていたんだ。

 小野寺家に忠実な警備係は、熊っぽい同士、親近感があるのか、若社長に友好的だった。

 父にあのことを報告しないでいてくれたのだ。

 しかし、それも父に問いただされれば隠しきれないだろう。


 私は父を止めた。

 せめて自分の言葉で説明しないと、若社長が誤解されちゃう。


 けど、どう説明したって、若社長が不利にしか思えない。


「若社長はどうしてあんなことするの!?

私のこと、好きじゃないの!?

ずっと我慢して、待ってたのに!

我慢してたのに!!」


 自分を制止出来ず、泣きじゃくる娘に、父は逆に冷静になった。


「そんなに辛いのなら、もうあの男のことは忘れなさい。

お前ほどの女の子になら、もっと相応しい男がいるはずだ」


「嫌! 嫌よ!!

お父さんは、すぐそうやって若社長を否定するのね。

信じてあげたくないの? 私は……信じたいもの。

何か、何か、理由があるの。きっと、あるから……だから」


 わななく手で顔を覆った。


「理由があっても、私の真白をこんなに泣かせるなんて、許されることじゃない。

お前はいつも、あの男のことでばかり泣いているんだぞ。

もういい加減にしないさい。

あの男は真白には相応しくない」


 父は慰めるように、私の頭を撫でながら、冷たい言葉を吐いた。


 そう言われても、あんなひどい裏切りを、目の前で見せられても、若社長を嫌いになれない。

 今だって、恋焦がれて、気がおかしくなりそうだった。


「嫌ぁ!!

若社長のことを嫌いなお父さんなんか嫌いよ!

……お母さん! お母さんはどこ!?

お母さん、助けて!!」


 父を押しのけると、居間に駆け込み、飾ってあった写真を抱きしめた。

 こんな時、母が居てくれたら、もっと親身になって相談に乗ってくれたかもしれない。

 いいえ、そんなことはなくて、父と一緒に、反対したかもしれない。


 私はただ、誰でもいいから肯定して欲しかったのだ。

 「そんなことはないよ。若社長が好きなのは君で、あれは些細な誤解にすぎないんだ」と慰めて欲しいのだ。

 自分では言い聞かせられなかったし、一番、そう言って欲しいのは、若社長自身だけど、彼は弁解せずに去って行ってしまった。


「なぜ? なんであの人はそうなの!?

なんで、私のものになってくれないの!?」


 肩にそっと手を置かれた。

 突っ伏した顔を上げると、父は見たこともないほど真面目な顔をしていた。

 その真面目な顔で、私の両肩に手を置くと、まっすぐと目を見た。


「真白、よく聞きなさい……お父さんは実は魔法使いなんだ」


「――お父さん」


 妖精の国の王子様の次は、魔法使いですって?

 お父さんの本性は小野寺の御曹司じゃない。

 こんな深刻な時に、与太話を聞いている余裕なんか無い。


 私が父の話を上の空で聞いていると思ったのか、念を押された。


「お父さんは魔法使いなんだよ。

真白の願いを、一つだけ、叶えてあげよう。

そんなに小野寺冬馬が欲しければ、お父さんが魔法を使って、真白のものにしてあげよう」


 魔が差す、というのはこういうことを言うのかもしれない。

 父のやけに説得力のある声音と現実味のない内容は、私の心の隙に忍び込み、目の前の欲望に判断力を失わせる。

 それに、これは一種の肯定だ。


 オトウサン ハ ワカシャチョウ ヲ ワタシ ニ クレル――。


「欲しいの。

若社長が欲しいの。

他になんにもいらないから、ずっと一緒に居て欲しいの」


「いいよ、可愛い私達の真白。

お前がそう望むなら、お父さんが叶えてあげるからね。

さぁ、立って。

今日は疲れただろう。

もうお風呂に入って寝なさい。

朝、起きたら、望みが叶っているよ」


「――はい」


 昔、忙しい母の代わりに父はよく本を読んでくれた。

 その話の多くでは、魔法使いにお願い事をするには、代償が必要で、大抵は、自分の望みとは裏腹な結末を迎えたものだ。

 願いとは、ただ、人の努力によってのみ、叶えられるものだからだ。


 知っていたのに。

 魔法使いだと名乗る父に、教えられていたのに。

 私は、魔法使いにお願いをしてしまった。

 代償は、望みに比例して、大きくて重い。

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