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妖精とクマ  作者: さぁこ/結城敦子
第九章 椛島真白の忍耐。
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9-4 妖精と『熊』

 パーティーってそもそも何をする場所なのかしら?


 私は、いつも疑問に思っていた。


 でも、真崎さんは言う。

 「人脈を作る場所だ!」と。


 いろいろな人に会って、新しい知り合いを作って、自らの仕事をしやすくする為のものらしい。

 真崎企画のバイト組は、明日の最終リハーサルの時に、正規ではないコメントなりインタビューなり出来るように出席者に挨拶しまくっていた。

 かと言って、大事なコレクションを目前に、そんなほぼアポなしみたいな仕事を受けるには余裕が無いモデルやデザイナーばかりで、苦戦は必至だった。

 それでも、仕事の成果を求められるのが、真崎さんが『鬼』たる所以だ。

 私も部屋を出る間際に名刺の束を渡された。「椛島ぁ! 分かっていると思うが、あのジャン・ルイ・ソレイユから使えるコメントを取って来いよ。それくらいしか取り柄がないんだからな」


 大事なイベントにはお馴染みの雨宮家のホテル。

 今日は踊り場に王座のような椅子が設置されている。ジャンを意識しているのかしら?

 でも、当の本人は、一所に落ち着いている訳もなく、あっちにフラフラこっちにフラフラしている。

 その周りを、近づくのは不可能なほど、人が囲み、付きまとっていた。

 みんな人脈を作りたくって必死だ


 真崎さんにああ言われたけど、ジャンのコメントはすでに小野寺出版が押さえているはずだから、必要ないと思う。

 別な方を向けば、やはりこちらも同じような考えの人たちに囲まれる雨宮兄妹の姿。

 おかげで、一さんが近寄ってこないのはありがたい。

 私は武熊さんが睨みを効かせているいるせいか、挨拶はされるものの、長々と話をしていく人はいない。

 しかし、それでは、パーティーに参加している意義がないかもしれない。


 意義がないと言えば、桐子ちゃんだ。

 あれほど意気揚々と乗り込んだくせに、当の本人を前に……どころか、遠目で見ただけで、緊張で固まり、話しかけるどころか、近づけも出来なかった。

 部屋の隅に置かれた椅子に、意気消沈で座り込んだ桐子ちゃんの側に私も居た。

 所謂、壁の花ってものかしら?

 若社長が居ないから、別にそれでも構わないけど。


「真白ちゃん……私って、意気地なし?」


「好きな人の前でそうなるのは不思議じゃないわよ」


 こんなに弱気な彼女を見るのは初めてだ。可愛い、と思ってしまった。


「私が話しかけてみようか?」


 『ピンクムーン&ブルースター』のデザイナーも若い子には大人気だ。

 顔を売っておけば、明日の仕事がやり易くなるかもしれない。


「え! 駄目! 真白ちゃんったら、私を彼から奪うつもり!?」


 気色ばんで言われたけど、意味が分からない。

 いや、意味は分かるけど、桐子ちゃんは『彼』と恋人同士でもないし、おそらく、桐子ちゃん自身もそういう関係は求めてないと思う。

 それに、私は誘惑するつもりなど全くないんですけど。


 しばらく無言でたたずんでいると、意を決した桐子ちゃんが立ち上がった。


「やっぱり行く! せっかく真白ちゃんが用意してくれたこの機会。

もう二度とないかもしれないもの。

当たって砕けろ! 俺の屍を越えて行け! 骨は拾ってね!」


 支離熱烈な言葉を残し、両手と両足をギクシャク動かしながら、桐子ちゃんは歩いて行った。

 傍から見れば滑稽な動きかもしれないけど、私は、桐子ちゃんの気持ちが痛いほど伝わった。


「頑張って! 桐子ちゃん!」


 後ろ姿にエールを送っていると、武熊さんに微笑まれた。

 

「何かお飲み物をお待ちしましょうか?

私が側にいると、悪い虫は近づきませんが、良い虫も近づいてきませんから、少々、離れてみたいと思いますが」


「えっ……?」


 親切な申し出だったが、不安がこみ上げる。


「大丈夫ですよ。目は離しませんから」


 そう言って、武熊さんは本当に離れて行ってしまった。


 視線が会場中をさまよった。

 一さんは相変わらず着飾った美女たちに取り囲まれ、うんざりした顔をしていた。

 目線が合うと、こちらに来たそうにしたので、慌てて移動する。

 美園は……と見ると、驚くことに秋生さんと話していた。


 なぜ?


 小野寺グループは例の一件以来、完全に美園の事務所とは決別していた。

 その二社をこうしてまた組み合わせるほど、何か異常な事態が出来しているというのだろうか。


 気にはなるけど、美園の近くには行きたくない。

 若社長にバレたら、「君は警戒心がない」と説教されるに違いない。

 帰って来て欲しいけど、説教の為に戻ってこられるのはお断りだ。


 武熊さんが居なくなっても、私に話しかける人はいなかった。

 遠巻きに見つめられていて、居心地が悪い。


 桐子ちゃんの首尾は上々のようだった。

 火照った顔をきらめかせた彼女は思いの丈を必死に訴え、聞く側もそんなファンの様子を微笑ましく見つめていた。

 よさそうな人で良かった。

 けれども、これで彼女が私の元に戻ってくるのは大分先のようだ。


 そうなると、次に頼るべき人間として私が思い浮かべたのがエリィだった。


 私と同じ、ジャンのドレスを着たエリィは、人々の間を蝶のように舞っていた。

 そう言えば、彼女は独立し、モデル事務所の社長になっていたのだ。

 彼女も人脈づくりに明け暮れているようだった。


 迷っていると、思わぬ方向から声を掛けられた。


 赤沢さんと雰囲気が似ているような、そんな男の人だ。

 学者肌っぽいな、と思ったら、渡された名刺を見れば、実際に博士号を持つ研究者だった。

 名前は星野満顕。繊維を研究している研究所の所員らしい。

 武隈さんの言う『悪い虫』と『良い虫』のどちらかと言えば、『良い虫』のように感じられた。

 もっとも、『警戒心』は忘れないように身構えた。


「突然、話しかけて申し訳ないです。

無礼があったら謝ります。

自分はこういう場所は不慣れで、作法を知らないのです」


「私もあまり慣れているとは言えませんので、ご心配なく。

それで、何かご用でしょうか?」


 背は高いようだけど、私が高いヒールを履いているせいか、見下ろすようになっていた。


「そのドレス……に使われている絹が、私どもの開発したものなのです。

それで、大変美しく着て頂いているので、是非、お礼を申し上げたいと思いまして、失礼を承知でこうやって声を掛けさせて頂きました」


「……!! そうなんですか! とても素敵な絹地ですね。

父も、あの、私の父は椛島真中という小説家なのですが……その父も感嘆しておりました」


「椛島真中!! 貴女は椛島真中氏のお嬢様なんですか?」


「はい、娘です」


「――そうですか、『妖精』かと」


 警戒警報が鳴った。

 これだから若社長に説教ばかりされるのだ。

 人を見る目がない。


「……すっ、すみません!

そういうつもりで言った訳ではないんです。

そうか、そうですよね、秘密でしたっけ?

ああ、いや、私の勘違いだったようです。謝ります」


 一人で慌てふためく姿に、やはり『悪い虫』ではないとの意識を持ち直す。


「お父上の小説、読みましたよ。

絵里が……いえ、エリィが絶賛してたので。

私もとても感動しました。その椛島先生にまで認めて頂くとは、感動です。

頑張った甲斐がありました」


 私を、正確に言うと、私の着ているドレスの、さらに生地を見て、男の人はうっとりした。

 その表情に、自らの作りだしたものへの限りない愛情と自信を感じる。


「エリィとお知り合いなんですか?」


「い! いいえ! ただの一ファンです」


 そうだろうか。

 彼の言葉に、初めて嘘の匂いを感じた。


「でしたら、エリィとお話していきませんか?

私、知り合いなんです。僭越ですが、ご紹介出来ると思います。

彼女も私と同じ絹地を使ったドレスを着ていますよ」


「はい。知っています。

ですが、遠慮しておきましょう。

私はこれでおいとまします」


「待って下さい」


 引っかかるものがあって、思わず呼びとめてしまった。


「なんでしょうか?」


 彼は足を止め、こちらを見たが、後が続かない。


「ご用がなければ、これで失礼したいのですが」


 相手は明らかにこの場を去りたがっていた。


「取材を……取材を申し込みたいのです」


 苦し紛れに言ったわりに、いいアイディアだと思った。


「取材?」


 先ほど渡された『真崎企画』の名刺が役に立った。


「はい、私、この会社でアルバイトをしていて。

アルバイトといっても、この会社の社長さんは独特で、アルバイトの意見や企画も良ければ汲み取ってくれる人なんです。

この絹地のこと、ジャン……ルイ・ソレイユからも聞き及んでいます。

なんでも随分前からご執心のようで。

あのファッション界の太陽王と呼ばれた人間を、そこまで惚れこませた絹に興味を持ちました。

星野満顕さん? 貴方がこの布帛に使われている絹を開発した人なのですね?

そのあたりの話をお聞きしたいです。

今すぐではなくてもいいのです。

後からでもいいので……上手くいけば、小野寺出版の方にまで話がいくかもしれません」


 ジャンのコメントなんて、小野寺出版がとっているし、どうせ、人を煙に巻くようなことしか言っていないだろう。

 それよりも、そのジャンが気になっている生地の開発話の方が、有意義で実のある記事になりそうな気がした。

 星野さんの絹にかける情熱もひしひしと感じられるし、絶対に、いい企画に出来るはずだ。


「本当ですか!?

そこまで興味を持っていただけるとは嬉しいなぁ。

日本の繊維業は海外のものに押されていますが、品質は高いんですよ。

もっと多くの人に知ってもらいたいと思っていました。

資料を……あっ! クロ―クに預けてしまっていたか!」


「後日で大丈夫です! この名刺の会社に送って下さい」


「そうですね。分かりました。声を掛けて下さってありがとうございます」


「……あの、ただ、必ず―――」


「分かっていますよ。私もいろんな所にPRで持ち込んでいますから。

少しでも目を掛けてくれる人には、積極的に売り込むようにしているんです。

たとえ空振りになってもね」


 笑うと目じりにしわが寄って、愛嬌があった。


「ご期待に添えるように努力します。

……私は一目で気に入りました」


「その言葉だけでも、今日、ここに来て良かった」


 それなのに、どこか寂しそうな表情が、やはり気になる人だ。

 もっと話したいけど、これ以上は引きとめられない。

 武熊さんも戻って来たようで、星野さんが明らかにビクついた。

 大げさなほどだった。

 それに気づいてか、星野さんも弁明を始める。


「すみません。自分、高校生の時、熊に襲われたことがあって――ああ! いや、決して、この方が熊に似ているとかそういう意味では――」


「お気づかいなく。クマっぽいのは承知しております」


「……熊に襲われたことあるんですか?」


 熊と言えば若社長……か、エリィだ。

 この人はエリィを知っているのに避けようとしている。

 若社長の病室で

聞いた話を思い出した。

 名刺を見直すと、研究所の住所がエリィの出身県だった。


「あなた、もしかしてエリィのストーカーだった人!?!?」


「ちっ! 違います!! 誤解です!! てか、なんでそんなこと知って――!!」


 ストーカーという単語に武熊さんが私を庇うように前に立った。

 さらに、周囲からの視線が一斉に向く。


「違います。ストーカーじゃありません。私は絵里の……エリィの――」


「幼馴染よ。家が隣だったの」


 カツカツとヒールの音を鳴らして、エリィが助け舟を出しに来た。

 私は飛躍しすぎたようだ。


「ごっ! ごめんなさい!! 私、とんだ失礼を!!」


 頭を何度も下げた。

 失礼にもほどがあった。よりによって、こんな善良そうで、自らの仕事に誇りを持っているような人を捕まえてストーカー呼ばわりなんて。

 短絡的過ぎた。どうかしている。

 

「絵里、じゃなかったエリィ! 助かったよ」


「どうせ満顕が余計なことを言ったんでしょ」


「本当にごめんなさい。よくよく思い出せば、エリィのストーカーは熊には襲われていなかったですよね」


「そうよ。ストーカーですら熊避けの鈴を付けてたのに、こいつときたら、生まれた時から熊の生活圏で育ってきたくせに、ボーっと歩いているから――!」


「いや〜。あの時も助けてもらったねぇ。

エリィが犬の散歩で通りかからなかったら、危ない所だったよ」


 犬と言っても、エリィの連れていた犬は、熊とも互角に戦う猟犬だったのだ。

 おそらくその犬が熊を退治してくれたのだろうと思ったら、星野さんにはそうは見えなかったらしい。


「君が鉈で熊を倒してくれなかったらと思うとぞっとするよ。

あの時の君の迫力と言ったらさすがあの――!!」


「黙れ!! 誰が熊を倒した!! 八郎丸はちろうまる辰子丸たっこまると一緒に、追い払っただけだ!!

あんたが大げさに言うせいで、村中に『熊殺しの絵里』なんて悪名が轟く羽目になっていうのに、まだ悪評を広めるつもりか!!

――っ!! ――――――!!」


 ものすごい美人が凄むと、実に迫力があるものだ。

 おまけに、後半になるにつれて、何を話しているか分からなくなった。

 昔馴染みに会ったせいと、興奮したせいで、どうやらお国訛りが出ているらしい。

 対応する星野さんも、同じような言葉で返しているが、調子は穏やかだった。

 それに諭されてか、エリィも落ち着いてきて、周りを見る余裕が出来たようだ。


 真っ赤だった顔が青ざめた。

 彼女はお洒落で都会派の自分を人に見せようとしていた。

 それがモデルの『エリィ』に周囲が望む姿だと思い込んでいるのだと思う。

 美園あたりに、そう刷り込まれた可能性が高い。

 だから、お国訛り丸出しで、男を罵倒する姿を大勢に見られたことに、自らのモデル人生が終わったかのような気持ちになっているのだろう。


 それを見て、意地悪な人間が、意地悪そうに嘲笑し、意地悪な言葉を吐きかけた。

 しかし、その気勢を制して、見事な振袖姿で装っていた姫ちゃんが、左手を胸に、右手を頬に当て、うっとりと言った。


「エリィ姉さま素敵!」


 雨宮財閥のお姫さまの影響力は強い。

 本人が意図しなくても、黒を白に替えることが出来る。

 まして、白を白と主張するのに、なんの問題があるだろう。


 さらに、桐子ちゃんも感嘆の声を上げた。


「うん、格好いい!! あんな美人なのにワイルド! ギャップ萌だわ! ギャップ萌!」


 それだけで大勢が決しただろうに、加えて、ジャンが止めを刺した。


「素晴らしい! エリィ! 君は知れば知るほど奥深い、スルメのような女性だ!

ちなみに、その興味深い言語も教えてもらいたい!!

ミツアキ! 君でもいいよ!

そうだ、このシルクの故郷に連れて行ってくれる約束をしていただろう?

今から行こう! すぐ行こう!!

私は君達二人が実に気に行った! 一緒に行くぞ! 実家に案内しろ! 熊鍋が食べたいぞ!

鬼も住んでいるんだろう? その鬼にも会わせろ!」


「えっ? いや今すぐは無理です。

私はコレクションに出ますので。この絹の販路をもっと開拓するためには、絶好の機会ですから。

あ、貴方も! 居ないと困りますから、居て下さい!」


 幼馴染の女性を窮地に追い込んだと思った星野さんは、エリィと同じように青ざめていたけど、我儘を言うジャンをピシャリと窘めた。

 自分の絹を売り込む為なら、ファッション界の王様にも一歩も引かない気概がある人らしい。

 まぁ、見た目は完全に童話の王子様なジャンは、当然、熊っぽくないから、怖くないだろう。


 その普段、誰の言うことも聞かないはずの見た目は王子様、権力は王様なジャンはあっさり引き下がった。

 思えば、この場に多数を占める日本人に分かるように日本語で話したことから、エリィの為にわざと言った、はったりだったのだと思う。

 姫ちゃんと桐子ちゃんは、まごうことなき天然だけど、世界を舞台に活躍しているジャンはそうではない。

 喰えない人なのだ。


 冷静になったように見えるエリィだったが、未だ動揺を収まらないようで、ジャンに礼を言った後、会場を出て行ってしまった。

 それを見送る星野さんは、やっぱり悲しそうな、辛そうな顔をしていた。


 ただの幼馴染ではない感じがした。

 赤沢さんと南さんの関係がこじれまくった果ての姿にも見えた。


 つい、首を突っ込みたくなって、エリィの後を追ってみた。

 武熊さんが困ったようについて来る。


 ――と、悲鳴が上がった。


 その声はエリィのものに聞こえた。


「エリィ!?!?」


 後ろから星野さんが血相を変えて走って来た。彼もまた、エリィを追って会場を出ていたのだと気付いた。

 私も走った。

 ドレスの裾が長すぎるので、両手で摘みあげたけど、ボリュームがありすぎて、走り難いことこの上ないし、靴からガラスの粒が何個か落ちたかもしれないけど、気にしている暇はなかった。

 駆け付けた先の階段の途中で、エリィが手すりにしがみついて、しゃがみ込んでいた。


 右足を抑えて痛そうにしている。


「どうしました?」


 声を掛けると、顔をしかめながら答えた。


「ちょっと足を踏み外しちゃった。馬鹿ね」


「足、痛むんですか? 医務室に行きましょう。

立てますか?……武熊さん、手伝って……あれ?」


 武熊さんの姿が見なくなっていた。

 代わりに星野さんが手を差し伸べたが、エリィは私を手招きした。

 肩を貸してエリィを立たせ、医務室に向かう。

 星野さんは付いてこなかった。


「いいんですか?」


「何が?」


「星野さん……」


「いいのよ」


 素っ気なく返されると、次の言葉を失う。

 立ち入って欲しくないのだとは思うし、私も周りからいろいろ言われる身なので、介入したくないけど、星野さんとエリィの関係が、赤沢さんと南さんの関係がこじれきった果てだとすると、外からの刺激がないと活性化しそうになくってやきもきする。

 若社長と私の関係は、外からの刺激がなくっても十分に活発だから拒否権があると信じている。


 途中で武熊さんが合流してきて、エリィに向かって微かに首を振った。

 怪しい。自分で踏み外したんじゃないの?

 医務室でお医者さんを待っている間、私は武熊さんを問いただした。


「何か隠してますよね? さっきからみんなでコソコソしてましたが、何があったんですか?」


「真白お嬢様には関わりのないことです。何もご心配せずに」


 頑なに拒絶されてしまった。

 その対応に、私は不信感を抱いてしまう。


「私に関わりのない何かは起きているってことですか?

だったら教えてくれてもいいじゃないですか。

だって、関わりがないんでしょ?」


「それは屁理屈というものですよ、お嬢様」


「……ただちょっと聞いてみただけのに、そんな過剰に反応しなくたって」


「真白お嬢様は、ああ見えて、厄介ごとに首を突っ込む、と言うか、巻き込まれがちなので、出来る限り面倒事からは避けるようにと、冬馬様からの、これまたご指示ですから」


「――!!」


 若社長の馬鹿ぁ!!

 まるで私がお節介なお転婆娘みたいに吹き込んだのね!!


 一瞬、頭に血が上ったが、悲しいかな、そんなに厄介事に巻き込まれた訳ではない! ……と言い切れないかもしれない。

 一度は小野寺グループを危機に落とし込んだし、二度目は若社長を病院送りにしてしまった。


 うう、もしかしなくても、トラブルメーカーかも。


 武熊さんが警戒心丸出しで、私を遠ざけようとするのも分かる。


 落ち込むあまり黙りこくってしまった私を、武熊さんが懸命に宥めてくれている間に、お医者さんがやってきて、エリィの足を診察してくれた。


 お医者さんが足首を動かす度に、小さなうめき声がした。


「軽い捻挫ですね。歩かないように――」


「無理です。私はモデルで、明日は大事なコレクションの最終リハーサルで、明後日は本番なんですよ。

歩いてなんぼの商売なんですから」


「そうは言っても歩けないでしょう。それも、そんな高いヒールでは」


「いいえ、歩けます。歩いてみせます。必ず。あのドレスを着て、絶対に、私は歩きます!!」


 エリィがプロのモデルとしての信条を持っているのは当然だけど、それ以上にもっと別な理由がありそうだた。

 お医者さんは患者の主張を聞きつつも、足首にテーピングをしながら、通り一遍の対処を伝えた。


「明後日のコレクションに出られないと意味が無いんです。

どうしても、あのドレスを着ないと……」


 熊にも真っ向から立ち向かったというエリィが弱々しく呟く姿に、私は気がついた。

 そうだ、熊!


「星野さんの絹のドレスだからですか? どうしても着たいのって??」


 俯いて居たエリィの耳や首筋が朱に染まった。

 当たりだ。

 伊達に恋する乙女じゃない。

 私がもし、このコレクションに『妖精』として出演することになったら、若社長の為に、何がなんでも舞台を歩いただろうと思えば、エリィの反応は頷けるし、冷静沈着で、いつも飄々としている彼女が、星野さんが絡むと、途端に感情がだだ漏れになるところなんかもそっくりだと思う。


「違うわよ。ジャン・ルイ・ソレイユ国内専属モデルとしての面目があるのよ。

足を捻って歩けませんじゃ、モデル失格よ」


「それは……そうですけど。でも、星野さんの絹も大きな要因ですよね?」


「真白ちゃん。勘違いしないで。私は、あの男のこと、別に好きでもなんでもないから!!」


 その表情は明らかに「好きだ」と叫んでいるようだったけど、口ではあくまでも否定し続けていた。


 結局、私はエリィからそれ以上の言質を取れず、医務室を後にした。

 こうなったら、星野さんから話を聞くしかない。

 黙って従ってくる武熊さんを引きつれて、ずんずんと歩いて行くと、エリィが足を踏み外した階段の近くで、星野さんが何かを調べるように動いていた。

 私が近づいてくるのを見て、顔を上げた。


「やぁ。これ君の?」


「――! そうです。すみません」


 靴についていた石を三粒、手渡された。

 恐れていた通り、光る石を落としながら走っていたらしい。

 それにしても、なんて華奢で脆弱な靴なのだろう。

 シンデレラだって、こんな靴じゃ、階段に落とす前に王子様に捕まってしまいそう。


「何を探していたんですか? まさか私の靴の石を拾うためじゃないですよね」


「ええ。エリィを突き落とした犯人を――おおおお!」


 武熊さんが熊っぽさを全面に押し出して星野さんに迫った。

 その背中を左右に避けながら、声を掛ける。


「突き落とした? 犯人? やっぱり何かあるんですね?

星野さんは知ってるんですか}


「いや〜、私は何もー」


 こちらにもシラを切られたが、どうやら、エリィは自分から階段を踏み外した訳ではないことは確かなようだ。

 誰かに押され、そのせいで、どうしても出たいと望む、コレクションのランウェイすらも歩けなくなりそうなのだ。

 許せない、と思った。

 そんな卑劣で卑怯な真似、一体、誰がしたのだろう。

 それに狙われたのはエリィ一人なのだろうか?

 首を突っ込むつもりはないけど、何が起きているのか、起きようとしているのかが知りたかった。


 私は、誰か本当のことを教えてくれそうな人物の顔を思い浮かべた。

 誰もが大人で口が堅そうな人ばかりだ。

 ただ、一人だけ、大人だけど口が軽そうな人物を思い出してしまった。

 そう、『思い出してしまった』のだ。


「分かりました。

どなたも教えてくれないのなら、美園社長に聞きます」


「いけません! ――はぁ、そんな出来もしないことで、私を困らせないで下さい。

美しい上に賢い真白お嬢様ならお分かりでしょうが、美園が素直に教えてくれるとお思いですか?

引き換えに、どんな卑劣な見返りを要求されるか分かりませんよ。

それに、あの男こそ、怪しいのです」


 武熊さんの言葉は真理だ。

 しかし、私はなぜだか、美園を弁護してしまった。


「で、でも――美園社長だって、モデル事務所の社長です。

このコレクション全体に関わることなら、自分の不利益になるはずです。

あの人は悪い人だけど、だかこそ、自分がやり込められるのは嫌いなはず。

エリィだけが狙われたのならともかく、もし無差別にモデル達が狙われているなら、自分の財産を守るために協力的になるはずです。

だから秋生さんだって、美園社長と話していたんでしょう?」



「違うな、お嬢ちゃん。

あいつは、俺を疑って、探りを入れてきたんだよ」



 噂をすれば影というか、美園が来た。

 身を引くあまり、今度は私が階段から落ちそうになったのを、武熊さんが留めてくれたが、その顔には「ほら、言わんこっちゃない」と書いてあった。


 そんなことない! ――ちょっとだけ、驚いただけ。


「つまり、俺を信じてくれているのは、今のところ、可愛い掃除のお嬢ちゃん

一人、ということだ」


「あら、私も信じていますわよ。

美園社長の犯行にしては、リスクが大きすぎるって」


 いつの間にか、松葉杖を借りたエリィも加わった。

 さっきもだけど、エリィは星野さんが気になって仕方がないんだと思う。


「おやおや、こんな綺麗所二人に信用されているなんて、嬉しいねぇ」


 私とエリィを交互に見て、美園はビニール袋を取り出した。

 中には手紙らしき封筒と、ガラスの小瓶。

 香水じゃないみたい。

 もっと剣呑なものならしく、私を除く三人は身構えた。


「さっきホテルの部屋の前に置いてあったらしい。

残念ながら中身は水だったよ。

男には無駄遣いしたくないらしい。

欲しい?」


 それを餌に、釣り上げられると思ったら、意外なことに、美園はそれを床の上に置くと、去って行った。


 松葉杖をつきつつ、エリィが取り上げた。


「美園社長もあれで可愛い所があるのよ。

まさか真白ちゃんに擁護されるとは思ってなかったから、嬉しいんでしょう。

ああ、だからって、近づいちゃ駄目。

危険なのには変わりがないんだから。

冬馬さんが帰ってくるまでいい子にしていなさいな」


 美園が可愛いとはとても思えないけど、今回に限り嫌がらせをする気はないらしい。

 それにしても、美園まで殊勝な気持ちにさせるほどの事態など、そうはない。

 私はコレクションのために、きっと頑張ったであろう小野寺出版の人の顔を、まだ見ぬブランドの人達の顔を想い、そして、エリィと星野さんの顔を見た。


「何が起きているかくらい教えてくれますか?

知らない方がうっかり近づいちゃうかもしれませんよ。

ちゃんと理解して、巻き込まれないように注意しますから」


「そうですね。すでに十分、巻き込まれかけていますよ、真白お嬢様。

仕方がありません。私からお話しましょう。

ですが、約束してください。

でないと、冬馬様が……泣くと思います。

あんな図体のデカい熊みたいな大の大人に、泣かれたら、困るでしょう?」


 武熊さんがよく分からない脅し文句を言ってきた。

 若社長は泣くと可愛いのを知らないのだ。

 だからって、積極的に泣かせたくはないので、いかにも同感だという顔を作った。

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