9-3 波乱と恋人達の幕開け
「真白ちゃんの馬鹿――!!
なんで私だけ除け者なの!!」
「桐子ちゃんだけじゃなく、俺もなんですが……」
同好会の部屋で、桐子ちゃんが泣き喚いていた。
クッションを投げてくるから、埃が舞って、せっかく買ってきた、話題のお店のエクレアが台無しになりかかっている。
「真崎さんからの依頼なの――」
真崎企画は人気のあるフリーペーパーや、いろいろな冊子を作っている会社だが、社長のこだわりが強くて、経営状態がいつもカツカツだった。
その為、大手の出版社である小野寺出版の下請けのような仕事をすることがあった。
今回、小野寺出版と、そのグループ企業であるアパレル、モデル関係の会社が、国内最大規模のコレクションに参加することになった。
多くのブランドが集結するコレクションには、人気のモデルたちも数多く出演し、新作の服が発表される。
その上、あのジャン・ルイ・ソレイユが特別に参加するとあって、チケットはすでに完売御礼だった。
コレクションに参加をするだけでも大仕事なのに、小野寺出版には取材や関連事務所のモデル達のお世話をする必要があった。
人手が足りず、必然的に真崎企画にも声が掛かったが、こちらもそれほど人が居るとは言えない。
かくして、さらにバイトを募集することになったのだが、大人気のモデルやデザイナー達が集まる場だからこそ、「出来ればファッションに疎い子の方がいいな。バイトは下働きの使いっ走りだから、人気モデルやデザイナーにきゃあきゃあ目移りすると、仕事に支障が出る」と真崎さんに注文を付けられたのだ。
そうなると、『ピンクムーン&ブルースター』の熱狂的な愛用者である桐子ちゃんはバイトとしては不適格になってしまったのだ。
『ピンクムーン&ブルースター』もコレクションに出るのだから。
それで、桐子ちゃんの機嫌は一気に悪くなった。
ちなみに、成田さんも洒落者なので、声を掛けなかったのだが、桐子ちゃんの迫力に押されて、なだめる側に回っていた。
「友達だと思ってたのに! 私がコレクションのチケット買えなかったの、知っているくせに!
おまけに、真白ちゃんのコネでなんとかしてって頼んでいたのに!
使えない! 利用価値無し! 友達辞める!」
「うわー、桐子ちゃん、キツイ」
「――で、いつからバイトするの?」
「赤沢、この状況で、それ聞くの?
それより、時給は幾らなのかしら? 真白ちゃん?」
南さんも赤沢さんのことは言えないと思うけど、実に彼女らしい質問だと思った。
学祭で出す部誌の印刷代は同好会が出すのだ。サークルと違って、補助金が少ない同好会では、ほぼ自腹になる。
就職活動もあって、なかなかバイトが出来ない会長と副会長にとって、短期のバイトは歓迎されると思っていた。
「時給はいいですよ。
真崎企画の普段の時給の二倍はもらえます。
それから、期間は三日です。
コレクション当日と、その前日のリハーサル。
それから、三日前のジャン……ルイ・ソレイユのウェルカムパーティーです。
私は、その日はバイト出来ないのですけど」
私は意味ありげに言った。
「――そうなの?バイトの初日だから、真白ちゃんが居てくれると、助かるんだけど」
「すみません。
父が、そのウェルカムパーティーに来賓として招待されていて……私も友達と一緒に、お客として出席するんです。
ね、桐子ちゃん?」
桐子ちゃんは、泣き疲れてか、いつも持ち歩いているウサギのぬいぐるみを抱きしめつつ、それでも、憎々しげな眼だけはしっかりと私を見ていた。
私の言葉を、すぐには理解出来なかったのか、睨み返されたけど、その顔が徐々に緩む。
ついに、歓喜に目と口を見開いた。
「――……!! 真白ちゃん!!」
桐子ちゃんが抱きついてきた。
「それって、それって、私をウェルカムパーティーに連れて行ってくれるってことよね! そうよね!」
「そうよ。申し訳ないけど、それで精一杯なの」
「ううん! それだけでも、大健闘よ! さすが私の見込んだ子! 真白ちゃん大好き!!」
「桐子ちゃん、ヒデェ」
成田さんが、桐子ちゃんの現金な態度に、批判めいた、それでいて、面白そうに言った。
「……ごめん。さすがに悪かったわ」
照れたように桐子ちゃんが謝ってくれた。
「本当だわ。利用価値があるから友達になっているとは思ってたけど、少しは情があると思ってた」
「怒らないでー! でもでもだって、真白ちゃんよりも『ピンクムーン&ブルースター』の方が大事なんですもの」
「だから桐子ちゃん、ヒドイって」
「成田さん、うるさい! それに、真白ちゃんだって、ヒドイじゃない。
バイトでガッカリさせてから、そんなこと言うなんて!
みんな、この子のこと、素直でいい子! みたいに誉めそやすけど、意外と意地悪なのよ!」
うさぎのぬいぐるみで叩かれた。
綿がたくさんつまったフカフカのぬいぐるみでは痛くもない。
「うん、真白ちゃんは意地悪だ。
俺は? ねぇ、俺は? バイトが駄目なら、パーティーは?
エリィもくるんだろう? エリィ……会いたいんだよねぇ」
桐子ちゃんをパーティーに誘ったので、唯一、残ってしまった成田さんがぼやき始めた。
「ごめんなさい。成田さんは……男の人だから……」
父と桐子ちゃんが一緒だとしても、若い男の人を同伴してきたら、どんな憶測が乱れ飛ぶか、想像出来るけど、したくない。
「何それ――!!」
成田さんが大袈裟にソファーに倒れ込んだのを見て、南さんが頭をボンボン叩いた。
「成田ぁ、諦めな。
バイト代が減るのはもったいないけど、エリィ目当てじゃ、真白ちゃんだって、紹介し辛いし。
男なんか連れて来たら、恋人に叱られるんじゃないの?ねぇ」
「いえ、それは違います」
南さんの言葉を、私は慌てて訂正した。
そうだった! すっかり調子に乗って話していたけど、若社長はまだ恋人じゃない!
「――そうだよ、南。
真白ちゃんの恋人は、音信不通の行方不明なんだから」
「いえ、そうでなくて……」
「じゃあ、何よ! もったいつけないで、話しなさい。
時間の無駄よ! もったいない!!」
「恋人ではないんです……まだ。
いろいろ事情があって、予約中で……あまり大きな声で言わないで欲しいんです。
あの……そう! 父が! パーティーには父が来るので!!
父には知られたくないんです。
だって、予約って……あんまりいい感じじゃないでしょう?
正式に紹介出来る前に、変な印象を植え付けたくありません」
父だけではない。
ジャンのウェルカムパーティーは独占契約をしている小野寺グループが取り仕切ることになっているのだ。
小野寺家のみなさんも、小野寺出版の人達も来る。
若社長をもう自分のもののように大学で話していると思われたくないし、逆に、大学で別の恋人が出来たと思われても困るのだ。
「なので! パーティー会場では、絶対に! 朝日の君の話は禁止です!!」
「真白ちゃん……いろいろあり得ないよ」
桐子ちゃんが胡散臭そうな顔をした。
あり得ない?
そうかもしれない。
でも、仕方が無いじゃないの。
音信不通だろうが、危険人物だろうが、予約中だろうが、若社長のことが、好きなんだもの。
***
「真白? どこに行くんだ?」
パーティーの当日、もはやお馴染みになった雨宮ホテルのロイヤルスイートで、父が私を見とがめた。
「友達の所。
バイトをお願いした先輩達とリサ、それから、パーティーに誘った桐子ちゃんが待っているの。
それから、私の服も着替えないと」
過干渉に成り果てた父は、高校の時とは違って、私の一挙一動を見ているので、やり難い。
「ここで会えばいいじゃないか。着替えも運ばせよう」
「駄目よ。
バイトの先輩達はモデルにもデザイナーにも興味はないけど、お父さんには興味津々なんだから。
仕事にならなくなったらどうするの?
それに、お父さん、今から、ジャン・ルイ・ソレイユと対談の仕事があるんでしょ?」
すでに父は燕尾服に着替え……そう、このパーティーのドレスコードは燕尾服レベルなのだ。今日ほど若社長の不在を悔しいと思った日はなかった……小野寺出版のファッション雑誌担当の人も部屋の中で準備を始めていた。
父とジャンを迎えるとあって、ピリピリした雰囲気で、多くの人が出入りしていた。
それに紛れて出かけるはずが、父は目ざとかった。
「お前もジャン・ルイ・ソレイユとは面識あるんじゃないのか?
ここで対談を聞いていればいい。
とにかく、一人でフラフラ出歩くのは止めなさい」
「お願い、お父さん。
みんなと約束したの」
なぜか父は頑強に私を部屋から出そうとしなかった。
桐子ちゃんと二人で、ちょっとした『お節介』を計画していた私は、なんとしてでもこの部屋から出たかった。
にらみ合うこと数秒。後ろから声が聞こえた。
「よろしければ、私、武熊が真白お嬢様をお守りしましょう」
「武熊さん!」
小野寺家の警備隊長、武熊さんの懐かしい姿と、頼もしい言葉に、思わず手を取ってしまった。
「――おっ、お嬢様!」
「あっ! ごめんなさい。つい、嬉しくて。ありがとうございます」
「……お前は、本当にクマみたいな男が好きだな」
父が頭を横に振った。
そう言えば、武熊さんには他の男の人みたいな拒否反応が無い。
父は当然だけど、戸田さん、井上さん親子……青井部長あたりまでなら大丈夫。信頼出来ると確信しているからだ。
武熊さんは、動揺した様子で顔を赤らめていたが、一つ、咳払いをすると、再び冷静な顔を取りも出した。
「真白お嬢様をお守りするように、冬馬様より頼まれております。
特にこのようなファッション関係の集まりなどは、よくよく気を付けるようにと仰せつかっていましたので参りましたが、それで良かったようですね。
どこに行かれるのか存じませんが、くれぐれも私から離れませんように。
それだけ約束していただかないと、私といえども、真白お嬢様をお守り出来ません」
武熊さんの言葉に若社長の名前が出て来ただけで、私は懐かしさに泣きそうになる。
助けに来てくれない人だけど、見捨てられた訳ではなかった。
分かっていたことだけど、こうして具体的に目の前に見せられると、やはり嬉しい。
「浮かれてないで、ちゃんと武熊の言うことを聞くんだぞ」
「はい。心配かけてごめんなさい。
約束は守ります」
父も若社長も同じことを気にしていたのだ。
ファッション関係の集まり……国内最大規模のコレクションだ。
あの男、美園の事務所が関わっていないはずがなかった。
またあの男に絡まれることのないように、注意を払ってくれていたのだ。
本当に、ちゃんと自意識を高くしておかないといけないのに、つい目の前のことに気を取られてしまった。
私は心を引き締め直し、ようやく扉に向かった。
すると、勝手にドアが開いた。
武熊さんが警戒し、私を下がらせたが、外から入って来たのは、ジャンだった。
『やーあ! 私の妖精! 元気だったかい?』
私の頬に自分の頬を合わせる。
ジャンの挨拶なので、私もそれに倣う。
時間よりも早い登場に慌てたのは出版社の人達だった。
とにかく気難しいとか、扱い辛いとか言われているジャンを、完璧にもてなさなければならないと思っている社員さんたちは、のきなみ青ざめた。
先を急ぐ気持ちもあったけど、ジャンを足止めする必要がありそうだった。
『約束の時間にはまだ早いですよ』
『約束の時間? 私は自分がやりたい事をやりたい時にしかしない。
ところで、ソワソワしているね?
可愛いシンデレラはもう帰宅の時間かな?
……そんな粗末な恰好をしているのを見ると、もう魔法は解けてしまったようだね』
着替える前だったので、ごくごくシンプルなワンピースを着ていただけなのに、世界的なデザイナーに『粗末な』とばっさり切られてしまった。
『魔法にかかるまえなんです。
それで今から着替えに行くところです』
『なるほど! ではちょうどいいね。
私が君のゴットマザーになってあげよう!』
ジャンが執事の人に合図を送ると、恭しくも、やたらかさばる巨大な白い箱を出しだされた。
『開けてごらん』
中には見事なシルクのドレスが鎮座していた。
淡いローズ色で、ところどころに深紅と金の刺繍のアクセントが効き、キラキラした石が惜しげもなく使われた、とても贅沢そうなものだ。
『君の為に作ったんだよ』
その言葉を聞いた、フランス語通訳の女の人が感嘆のため息を吐いた。
そこから訳されて内容を知った、他の社員達からも羨望の眼差しが注がれる。
ファッション業界の若き帝王・ジャンの作る服を欲しい人間がどれだけいるのだろう。
デザインを頼んでも、ジャンが気に入らなければ、作ってはくれない。
『ほう、見事なものだね』
父が寄ってきて、ドレスを取り上げる。
こんな芸術品みたいな服を、ワゴンセールのそれを同じように扱うので、見ているこちらが冷や冷やする。
『ありがとうございます。貴方にそうおっしゃってもらえるとは光栄です』
父の作品のファンであるジャンは目を輝かせた。
今日の対談も、企画を立てた人間が我が身を疑ったほど、とんとん拍子に進んだのも、ジャン側がやる気満々だったからだ。
『いいシルクでしょう?
これは私が、ここ二年ほど執心している生地なのですよ。
日本のものでね。独特の光沢が素晴らしい上に、なんと! 取扱いも従来のものより易しいのです。
是非、お嬢さんに着せたかったのですが、生産の関係で数がそろわず、販路に乗せられないからと、広告には使えなかったのです。
最近は、スカーフとか小物は作られるようにはなったのですが、私の本懐はドレスです!!』
『なるほど。言われてみれば、わずかに黄金のような光沢があるね。
美しい生地だ。
真白、良かったな』
聞けば聞くほど、希少で高価そうなドレスだ。
小野寺出版の人にドレスを用意されているのも、いくら衣装部にあるものだから、と言われても気になるというのに、こんなものを貰ってもいいのだろうか。
『私はこのシルクをもっと世界中の人に知って、使ってもらいたいと思っている!
それには妖精! 君が着て、じゃんじゃん宣伝するのだ!』
受け取るのを躊躇している私に、ジャンは南さんや桐子ちゃんみたいなことを言った。
またマネキン扱い?と 思ったけど、マネキンだって勝手に動き出して着替えてしまうほど素敵なドレスなのには違いない。
『そうそう、それからこれもね』
ジャンはなぜか香水の瓶を渡してきた。薔薇の模様が入った美しい小瓶だ。
ドレスに合わせた香りを付けろということなのだろうか。
『そして、これも』
立て続けにバッグを渡された。
ドレスとバッグと香水……私はハッとした。
ジャンの人差し指を自分の唇に当てた。
『いい子にしているご褒美だよ』
父からドレスを奪った。
抱きしめると、滑らかで、どこか温もりのある手触り。
『これは……『私』からだよ。
シンデレラには靴が必要だろ?』
これまたガラスの石が散りばめられた眩いばかりのハイヒールが渡された。
『シンデレラに一番大事な王子様は無理だったけどね〜』
ウィンクされた。
ジャンは若社長の『行方』を知っているらしい。
それどころか、直接会っていると思われる。
『ありがとうございます。
……元気……なのですね?』
『ああ! 勿論! 元気さ!』
まるで自分のことのように胸を張る世界的デザイナーに、私は心から感謝した。
***
武熊さんの申し出を断って、ドレスとバッグと香水を抱きしめて廊下を移動する。
剥き出しの靴だけは武熊さんにお願いすることになった。
靴にびっしりついている石は、外国製の有名なものだったはず。
リサが鞄につけていたストラップにも使われていたし、桐子ちゃんが『ピンクムーン&ブルースター』限定の、その石を使ったウサギのチャームを持っているけど、たまに石が落ちることがあって、その度に、無くなった分を一粒数百円もかけて補充しているのも知っていた。
桐子ちゃんは乱暴に扱っている訳ではないけど、ほんのはずみで落ちてしまうらしい。
このハイヒールもそうなったら大変。
ヘンゼルとグレーテルじゃあるまいし、光る石を落として歩くなんてもったいないことは出来ない。もしかしたら、もう、何粒か落ちているかも。
ドレスにもたくさんついているし、これ、本当に着ないといけないのかしら。
小野寺出版の人が集まっている部屋について、そう、相談したら、里崎さんに「何のたまってやがるのよ、この子!」と罵られた。
ジャン・ルイ・ソレイユのオートクチュールを拒否するなんて、冒涜なのだ。
ファッション業界にいられなくなるわよ、とまで脅された。
パーティーにまで出席出来なくなるらしい。
それは困る。
私は何か言い争う声が聞こえる隣室を見やった。
それから、すでに『ピンクムーン&ブルースター』のドレス、今年の初売りで買ったものの、着ていく所がなく、ずっとトルソーに飾っていたというピンクとブルーのすごいドレスを着た桐子ちゃんと、ドレスアップ済のリサを見た。
二人は初対面だったので、お互いを観察し合っている状態だった。
「真白! 久しぶり〜! バイトのお誘い、ありがとう!
しかも、こんな素敵なドレスまで着せてもらって、本当にいいの?」
「感謝の言葉は真崎さんの下で働き終わった三日後に聞きたいわ」
「……噂は聞いているけど、そんなに大変なの?」
オレンジ色のホルタ―ネックのドレスはリサに似合っていた。
髪の毛もアップにして、眼鏡もいつものピンクではなく、銀の細いフレームで、もともとそうだったけど、さらに大人っぽく見えた。
「私は、バイトじゃなくって、招待客だもん〜、来賓よ!」
桐子ちゃんは自慢気にリサに言った。
「つまり役立たずってことね」
「ふっ……なんとでも。バイト組はあくせく働くがいいいわ」
おっほほほ……という笑い声が聞こえそうだった。
「あんたの新しい友達、すごく性格が悪いのね」
「性格が悪いんじゃなくって、思ったことをそのまま口に出しちゃうタイプなの」
「良く言えば素直ってことね。でも、その思っていることが剣呑だわ。
裏表が無さそうなだけ、安全だけどね。
でも、雨宮のお姫さまには刺激が強そうだから、会わせるなら、真白が側に居てあげないと。あの子は泣くかも……と思ったけど、意外とあの子もしぶといからなー」
コレクションには雨宮家も関わっているので、雨宮兄妹も招待されていると聞いた。
今日のパーティーには私の知り合いが大勢来る。
居ないのは若社長ぐらいだ、という勢いだった。
「雨宮のお姫さまって、あの真白ちゃんに律儀にも毎週水曜日に言い寄ってくる色男の親戚?」
「妹よ、妹。
てか、真白〜。やっぱり雨宮の御曹司と付き合ったら?
あんな音信不通のおっさんより、条件も顔もいいと思うけど〜?」
「おっさん? おっさんって! 真白ちゃんの恋人って、おっさんなの??」
「桐子ちゃん! 恋人じゃないって……!」
「あら、お父さんに秘密にしたいんでしょ? でも、ここには居ないもの。構わないんじゃなくって。
私も、聞くだけで曰くありげな恋人、しかも、おっさん? よりもまだ、あの色男の方がいいと思うわ。
少なくとも若くて美形! 金持ち! 洋服とかいっぱい買ってもらえそう!」
この部屋に居る小野寺出版の人は里崎さんだけではない。東野部長も、永井秘書も居るのだ。
案の定、今日も素敵なドレスの企画・戦略部部長が進み出る。
てっきり、からかわれると思ったけど、そうではなく、若社長を擁護し始めた。
「真白ちゃんの恋人予定の方もお金持ちよ。
雨宮ほどではないけど、雨宮ほどお金があっても、使い切れないから、同じことよ。
顔は……まぁ、雨宮一の方がずっと綺麗だけど、性格は……かなりいいわよ」
「そうです! とっても優しいんですから!」
永井秘書も援護に加わった。
「音信不通なのに……ですか?」
大人の女性に口々に言われて、桐子ちゃんは、普段の物言いを控えて、聞いた。
「音信……不通でもないわよ。
真白ちゃんは手紙を貰ったわよね」
「はい、貰ってましたね。
真白ちゃん、真白ちゃん、ああ、真白ちゃん! ……しか書いてない手紙を!
羨ましいくらい!
いつの間に、そんな関係になったんですか?」
「「はぁ?」」
リサはなんだかんだ言って、誰とでも仲よく出来るタイプなのだ。
桐子ちゃんと声を合わせた。
私は恥ずかしさに消え入りそうになる。
手紙の一枚目だって、これを貴方の母親に見せるの!?と思わずにはいられないものだったのに、その内容が広く知れ渡っている。
武熊さんを見れば、目を逸らされた。
警備上必要ない噂には疎そうな人も、内容まで把握している。
それに予約のことまで知っている。
この会社の人は、秘密という概念がないのかしら?
と思ったら、予約の件は、私がみんなの前で口走ってしまっていたことに気が付く。
それにあの手紙が加わったら、私を予約している人物が若社長だとは容易に分かるだろう。
「わ、私、もう着替えないと! これ、着ますから!
里崎さん、手伝って貰いますか?」
話を無理やり打ち切る為に、着替えをすることにした。
しかし、里崎さんに止められる。
「まだ先客が終わってないわ。
バイトの友達までドレスアップして欲しいなんて、どういうことなの?」
うっかりしていたが、そうだ、隣室で戸惑いの声を上げているのは、南さんなのだ。
バイトのリサが、招待客の桐子ちゃんと同じようにドレスアップしているのも理由がある。
真崎さんからの命令なのだ。
どういう意図かは、まだ明らかにされていないけど、私と桐子ちゃんはそれを利用して、別な企みをしている。
仕掛けが終わったのは、女性よりも支度に時間がかからない赤沢さんだった。
夏樹さんが赤沢さんを連れて部屋に入ってくると、リサと桐子ちゃんが小さく歓声を上げた。
「なになに? この人もバイト組なの? イケメンじゃん!」
「嘘! 赤沢さん、恰好良かったんですね!」
いつもシャツとジーンズ姿で、髪の毛もボサボサの同好会の部長が、きっちり髪の毛を整え、燕尾服を着ている。
それだけでも新鮮で目新しく映るだろうに、よく似合っていた。
初めて燕尾服を着るというのに、気負った様子もなく、淡々としているのが、着なれている雰囲気を醸し出しているからだろう。
若くて朴訥な顔だから、新人の指揮者に見えなくもない。
失礼ながら意外に思った。こういう反応をおこすのは南さんの方だとばかり。
その南さんも続けて、部屋から出てきた。
こちらは目論見通り。それ以上だ。
「へぇ〜、綺麗な子じゃないか! 男の方も見違えたよ。
これならパーティーに紛れ込んでも、大丈夫だな」
様子を見に来た真崎さんが素直に感嘆の声を上げたほどだ。
東野部長も、今にも自分の名刺を出しそうだ。
フワフワの茶色い髪の毛を結い上げ、しっかりと化粧を施し、金色の刺繍が星のように散りばめられた夜空のようなロイヤルブルーのドレスを着た南さんは、思った通り、美人だった。
元から美人だったけど、赤沢さんは身近すぎて気づかないのだ。
だから、ちょっと気分を変えてみたら、南さんが女の子だって、気づいてくれるかと思ったら、当の赤沢さんが見事なまでに変身したので、驚くのは南さんの方だった。
幸いにも、赤沢さんも、そこまで鈍くはなかった。
二人とも見慣れた幼馴染の変わり様に、驚いて声も出ない様子で見つめ合っていた。
恥ずかしそうに首に手をやる南さんは、本当に可憐で可愛いのだから、「似合っている」の一言くらいあってもいいのに。
若社長といい、赤沢さんといい、「似合っている」や「可愛い」を出し惜しみしすぎだ。
「やった、成功じゃない?」
桐子ちゃんが私を突っついて、小声で言った。
「そうね。これで互いに意識してくれれば、進展するかも!」
「あの二人、そういう関係なの?真白もついに人の恋路に口出しするようになったか」
事情を悟った、リサが腕組みをして、したり顔で頷いた。
「口出しなんて、大袈裟なものじゃないわ。
ただの切っ掛け。それ以上は、傍観者に戻ります」
「えー? つまんない。もっと引っ掻き回そうよ!」
「――嫌。人の恋路に口を出されて、面白がられるなんて、する方はいいけど、される身にもなってみてよ」
「……真白ちゃん、何、その、実感の籠った台詞は?」
「面白がっているのじゃなくって、心配してるのよ」
最後に「多分」が付かなければ、リサの言うことも受け入れられるけど、どう考えても面白がられている。
早速、バイト組を招集して、『真崎企画』の名刺を配り、仕事内容を説明している真崎さんも若社長からの手紙を知っている。
『あの男のことだから、読まれてもいい手紙をフェイクで入れてくると思ったのに、よくもまぁ、恥ずかしげもなく、真白ちゃん、真白ちゃん、とはね。
ここまでド直球だと、言葉を失うね』
真崎さんは知らない。みんな知らない。
あの特に内容のないド直球の手紙がフェイクなのを。
若社長は知っている。みんなのことを知っていた。
当たり障りのない手紙をフェイクにしても、すぐに見抜かれて、本物の手紙にはどんなことが書かれているのか、根掘り葉掘り、『私』が探られるだろうことを。
そして、あれほどド直球に書いた手紙を見せられたら、真崎さんの思ったように、それ以上の追及する気を無くすことを。
でも、本当の手紙は、もっと詳しくド直球だった。
私は、手にしていた『いい子へのご褒美』を抱きしめた。
ご褒美のドレスは、やはり若社長のご褒美だった。
と言うのも、あのジャンをどう言い含めたのか、露出が少ないデザインだったのだ。
スカートは足首まで覆い、その下は、身体の線を消し去る幾重にも重なるパニエに、いわゆるズロースという下着。
ヴィクトリア朝!? と突っ込みかけたけど、あの時代のドレスは確か、デコルテは大きく開いていたはず。
それに引き替え、肩は出ているものの、首も背中も薄手とはいえ、しっかり覆われている。
「これじゃあ、真白ちゃんの綺麗な背中が隠れちゃうわね」
里崎さんは惜しそうに言ったが、私はホッとしたのも事実だ。
首筋は弱いのだ。そこをしっかりガードしてくれるこの布の存在はありがたい。
「でも、よくよく見ると、うっすらと背中のラインが見えて、逆に、えろ……っと、セクシーな感じかも。
それに、背中の黒子が見えなくていいわ。
真白ちゃんは、まだ『妖精』だってこと、隠しているんだものね。
あれ、画像処理ソフトで消しちゃえば良かったんだけど、修正なし! ってのもウリだったから、写真はそのまま加工なしで出しちゃったから、見る人が見れば気づいちゃうかもしれないのよね。
今度は化粧で隠しちゃおうか?」
「そうします」
私は真っ赤になったのを里崎さんに気付かれないようにするのに、必死だった。
若社長の言葉を思い出していたのだ。
『真白ちゃん、君のここに黒子があるの、知ってた?』
正確に言えば、その時の手つきとか息遣いとかを……だ。
ああ、若社長に会いたくなった。あれほど近くなくてもいい、けれども、姿が見えるくらいは近くに居て欲しい。
南さんは贅沢だ。いつも赤沢さんに会えるんだもの。
赤沢さんもそうだ。
お互いがお互いの大切さに気付いていないなんて、もったいない。
***
「真白ちゃん、私、ちょっと調子に乗ってた自分が恥ずかしいわ」
「――想像はしてたけど、思った以上にすごいね」
「真白ちゃぁ〜ん! もう台無し! すごい綺麗!!!」
「あんた言ってることがハチャメチャよ。
真白! すっごいよく似合ってるじゃん! 友達として鼻が高いわ〜」
着替えて部屋から出ると、口ぐちに感想を言われた。
とりあえず、みんな褒めてくれているようだ。
ただ気になることがあった。
こういう時、真っ先に何かしら言うだろう、夏樹さんと東野部長、それから真崎さんが、いつの間に来たのだろうか、秋生さんと牧田さんを交え、隅の方で深刻そうな顔で話し合っていたのだ。
武隈さんも加わっているので、警備の関係で何か問題があったのだろうか。
私は何か、すごく気になったけど、パーティーの時間が来てしまい、追い立てられるように会場へと移動させられてしまった。
若社長が居ないまま、日本最大規模のコレクションに関わる三日間は、幕を開けた。