6-6 好きなサンドウィッチと嫌いなサンドウィッチと、苦手な人
それにしても、いつもより屋敷内の朝が早い、と思っていたら、義父がゴルフに行く日だったようだ。
階下で人が動く気配を感じる。
どうせ眠られないので、着替えて仕事をする。
『妖精』プロジェクト以来、ほぼ休みなしで働いてきたので、ちょうどいい夏休みですよ、と社員には言われるが、さすがにそうはいくまい。
病院や家で出来る仕事も多いし、会社に戻った瞬間、仕事攻めは勘弁して欲しい。
少しでも量を減らすべく、しばらくの間、奮闘した。
それから、思い立って、玄関ホールのある本棟の方に移動する。
昨日、素直な気持ちを取り戻したのだから、磨き直しをを兼ねて、義父を見送ることにしたのだ。
吹き抜けの玄関ホールを巡る回廊から下を見ると、すでに、母、秋生と瑠璃子さん、双子達、それから真白ちゃんが居た。
今日の真白ちゃんもやっぱり白いワンピースだった、
胸元のリボンが可愛いけど、清楚と言えば聞こえが良いが、かなり保守的な感じのする服だ。
父親の受賞記念パーティーの時に俺が選んだワンピースが、一部で大不評だったのは知っていたが、それよりも……それと同じくらい野暮ったく見える。
推察だが、今日の服は、母さんが選んだ気がする。
せめて、瑠璃子さんがフリフリ好きじゃなかったら、彼女の歳に近いこともあって、年相応の今風の恰好を選択させられるのに。
瑠璃子さんは、自分が着ないくせに、双子達にはやたらフリフリした服を着せる趣味があって、その延長線上に真白ちゃんも置かれているのだ。
彼女はなんでも似合うし、フリフリも可愛いから、それはそれでいいんだけど。
「ちょうど良かった、夏樹、真白ちゃんの服、なんとかならない?」
どういう風の吹き回しか、夏樹までやって来たのを見て、声を掛ける。
「おはようございます。
挨拶そっちのけで、真白ちゃん、真白ちゃん、ですか?」
寝不足のせいか、夏樹は不機嫌だったが、白ばかり着ている上に、古風な服しか着せられていないことを訴えると、渋々ながらも改善を約束してくれた。
「出来れば、彼女自身に選ばせてあげてくれ」
「はいはい。でも、それは無理かなぁ〜。
あの子、ファッションセンスがまだ未発達だから、選んでも、却下すると思う。
意地悪じゃなくて、俺のスタイリストとしてのプライドの問題だから」
「分かった、頼んだよ……あ、おはよう、夏樹」
***
二人で手すりに身体を預け、義父の準備が出来るのを見ていたら、気づかれたようで、下まで降りるように求められた。
そうだよな。
見送りするつもりなら、階下に降りなければ。
まだ素直さの磨きが足りない俺は、階段に苦労して、ゆっくり降りていく。
夏樹が居て良かった。
もしかすると、それを見越して、珍しく早起きしてきたのかな。
聡い弟を持つと、助かることもある。
「急がせてしまってすまないな」
義父は俺が階段を下りるのが大変な状態なのに、呼んでしまったことを気にしていた。
それでも、俺を呼び寄せたのは、みんなで見送って欲しかったからだろう。
ただゴルフに行くだけなのに大袈裟かもしれないが、今日は、小野寺家にとっては大きな前進かもしれない。
椛島真中こと小野寺文好が居れば、完璧だったろうが、その大事な一人を欠いてすらも、義父は嬉しそうに俺たち全員を見渡した。
「いってらっしゃい。お気をつけて」
誰も何も言わないので、どうしたのだろうと思ったら、俺が口火を切らないといけないことに気付く。
普段は秋生がしているのだろう。
俺の後からみんな、口々に挨拶を交わし、義父は車に乗って出かけた。
運転手は井上さんではなかったが、忠実な彼は、荷物を積み込に、お見送りする為に、身なりを整えて侍っていた。
「ちょうど良かった、井上さん」
夏樹に続いて、俺の意に叶ったように居た運転手に声を掛ける。
「なんでしょうか?」
「今から出かけたいから、車を回してくれる?」
そう言った途端、母から怒り似た声があがった。
「退院早々、その身体で、こんな朝早くにどこに行こうっていうの?」
まさか女の所に行くと思われてはないだろうな、とチラっと真白ちゃんの方を見ると、彼女もひどく怪訝そうな顔になっていた。
行いが悪いとこういう時、不利になるものだ。
「大事な用事があるんです。
井上さんが付いているから大丈夫ですよ。
準備して貰えるかな?」
「畏まりました」
あの一件から、井上さんは俺に見違えるように親切になった。
怪我人だからかな? と思ったけど、なんのことはない、大切な若様の大切なご令嬢を命がけで守ってくれた人間だからということが判明した。
おかげで、俺への評価がストップ高らしい。
そんな夫を窘めたのは、妻の井上夫人だった。
「せめて、朝ごはんを食べて行って下さい。
珠洲子様が、早くから起きて、冬馬様のお好きなものを作って差し上げたんですよ」
昨日の退院お祝いの膳が、まだ続いているようだ。
母を見ると、隣の真白ちゃんも、手を胸の前で組んで、熱心に頷いている。
おそらく、彼女も手伝ってくれたのだろう。
それは……とても魅力的な朝ごはんだ、
結局、「なんの用事か知りませんが、この時間に開いている所なんですか?」と言う秋生の指摘にのっかった。
確かに、こんな早朝では用は足せない。
***
好きなメニューと聞いていたから、それなりに期待して食卓に着いたら、白いパンに黄色もあざやかな具が挟まれたサンドウィッチが出されたので、思わず声を出してしまった。
「え? 卵サンド?」
「はい……お好きじゃないんですか?」
真白ちゃんの問いかけに、さらに思わず答える。
「どちらかと言うと、積極的に嫌い」
卵は嫌いじゃない。ゆで卵がスライスされて、他の具材と一緒に挟まれているのも大丈夫だ。
だけど、潰されてマヨネーズに和えられた、この形状のものは、苦手だった。
真白ちゃんは俺の返事を聞くと、驚き、慌てふためいた。
「えええええ!!」
「いや、大丈夫、食べられない訳じゃないから。
頂くよ、せっかく……作ってくれたんだし」
彼女が卵の殻を剥いたり、潰したり、マヨネーズで和えたり……想像しただけで可愛いな……して作ってくれたサンドウィッチを邪険には出来ない。
皿を引き寄せて、食べようとしたら、母に取り上げられた。
「あなた卵サンド嫌いだったの!?
だって、遠足の時は、いつも卵サンドがいいって、言ってたじゃないの」
「それに、ミックスサンドに入っていたら、必ず最後に卵サンドを残しているよね?」
秋生もそう言うが、それは誤解だ。
サンドウィッチを頼んでいたのは、それでお弁当箱を埋めれば、それだけでおかずなしでも、真っ当な『お弁当』に見えるから、ご飯のお弁当よりもかかる手間も材料も少なくて済むと思ったからだ。
具も卵にすれば、安く済む。
小学生の自分は、その考えに満足して食べていたけど、中学になって、もしかして、苦手かも? と思うようになった。
そう、卵サンドが最後まで残っているのは、嫌いだからだ。
好きなものは、秋生か夏樹が横から手を出して食べてしまう前に自分の口に入れる癖がついている。
その事を教えると、弟二人が、申し訳なさそうに、しかし、不満を口にした。
「俺たちのせいってこと?
冬兄は分かり辛いんだよ。いろいろと!」
「本当ですよ。
一体、何が好きで、何が嫌いなんですか?」
しかし、秋生に抗議ついては、瑠璃子さんより意義が出た。
「秋生だって、好きな食べ物を美味しくなさそうに食べるじゃない!
初めてデートでお弁当を作ってあげた時、すごく不味そうな顔をするから、私、嫌われたんじゃないかって、冷や冷やしたの、今でも忘れられないわ」
「美味しい顔してご飯食べていると、夏が『あきにいにぃ? それおいしい? おいしいの? なつもたべるぅー』って横取りするからだ」
「うっわ、全部、俺のせい?
昔はそうだったかもしれないけど、今は、分別がついた大人だよ。
いい加減、その人迷惑な癖、止めてくれない?」
いつも上の兄達に昔のことをからかわれる末の弟は不本意そうだが、俺は秋生による小さい頃の夏樹の真似が、やけに似ていて、つい笑ってしまっていた。
秋生と夏樹は、静と動、クールさと陽気さと、真逆の印象なのに、やはり兄弟なだけあって、根本が似ているのだ。
「秋生も似たようなこと言ったよ。
お前たちは、小さい頃は、本当に可愛かったなぁ」
「「今も可愛いですよ」」
二十歳過ぎて、一人は二人の子持ちだと言うのに、その双子みたいな息の合わせ方で、おかしなことを言うので、ますます笑ってしまった。
「腹が……腹が痛い」
「兄さん笑い過ぎです」
そういう弟達も笑っていた。
「で、結局、なんの具材が好きなの?」
母さんは少し傷ついた顔で、俺に尋ねた。
改めて聞かれると、気恥ずかしい。
なんでも好き嫌いなく食べるのが美徳だと思っているので、明確にするのに躊躇われる。
「べにこはねー、サーモンクリームチーズ!」
「みどりこは、エビとアボカド!」
「また小洒落たものを……。
俺は、ツナマヨですっ!
はい、秋兄!」
「えっ? 私は断然、瑠璃子の作ったグリルチキンかな」
「あら、嬉しいわ。
私も同じのが好きです。
でも、自分で作るのよりも、他人が作ったものの方が好きです」
なぜか好きなサンドウィッチの具発表大会が始まってしまった。
この流れに乗れば、俺も言い出しやすいと思ったのかもしれないが、どうしても恥ずかしい。
すると、井上夫人も怒ったように言った。
「教えて頂かないと困ります。
もしかすると、昨日の食事も、お好きなものじゃなかったですか?」
「……大丈夫です。嫌いなものは出ていませんでした」
好きなものもなかったけど。
口に出さなくても、気持ちは伝わったらしい。
そうだよな、わざわざ手を掛けて作るなら、好きなものを美味しく食べて欲しいよね。
「わっ……私はピーナッツバターが好きです!」
真白ちゃんにまで、告白させたら、俺も言わなくてはいけない。
「えっと……ハムかな。出来れば胡瓜とマヨネーズで」
母と井上夫人はなんとか、俺の希望を叶えてあげたかったようだ。
しかし、ハムはパルマのなんとかハムと言うのしかなかったので諦めた。
一般的なロースハムは、小野寺邸には用意されていないものだった。
俺はやっぱり卵サンドを食べて出かけた。
真白ちゃんが作ってくれたと思うと、単純にも、大好物になりそうになくらい美味しく感じた。
それなのに、同じく彼女が関わっていると言うのに、どうしても得意になれない事もある。
それが椛島真中との会談だ。
真夏の太陽の下、手負いの身体で歩き回るのは、本当にキツイ。
挙句、椛島真中と面と向かって対面するなんて、どんな苦行かと思ったが、彼を呼んだのは俺だった。
例の中華料理屋、今となっては、小野寺文好だった椛島真中が資金提供した店で、待ち合わせた。
井上さんは、今回は、車を降りて、店内の隅のテーブルに座っていた。
真白ちゃんと来た時は、例の男が彼女を追ってついてくるか、確認して欲しくて、残ってもらったのだ。
今日は、美味しい中華を食べてもらいたい。
店は休憩時間として閉まっていたが、俺達が到着した時には、椛島真中はテーブルにつき、優雅に食事をしていた。
普通のメニューではなかった。
たくさんの小皿の上に、高級な材料を使った料理が、何種類も載せられている。
それを少しずつ美しく口に運ぶ様は、井上夫人の教育の賜物だ。
芸能人のマナーを試す番組でも、絶賛されていたのを思い出す。
その人の前で、俺は食事をする勇気がなかった。
店の主人が、俺の為にも、新鮮なレバーを仕入れてきたので、それでレバニラ炒めを作ろうと張り切って提案してくれたのだが、暑さと傷の影響で、食欲が無いことを理由に断ってしまった。
申し訳ないが、実際、その有様だし、椛島真中は上品すぎる。
真白ちゃんの父親なだけで厄介なのに、小野寺の真の御曹司なのだ。
侮られる訳にはいかなかった。
それでは、と出されたマンゴープリンを丁寧に食べる。
難易度が低そうだったのに、絶妙な硬さで固められたこの店のマンゴープリンは、俺の技量をあざ笑うかのように、スプーンから逃げ出す。
「ところで、何の用だ?」
いろんな種類の高級中華料理の中から、自分の好きな料理のみ食べ終わった椛島真中は、口直しのジャスミン茶を飲みながら、悠然と問うた。
俺はマンゴープリンと格闘するのを諦めて、鞄の中から資料を出した。
「物件の候補です。全て下見をしてきました。
考えたのですが、貴方の望む家賃と防犯は釣り合いません。
しかし、小野寺の物件は嫌となれば、別の視点から探す必要があると思いまして」
入院中から密かに情報を集めていたおかげで、今朝からの行動にも関わらず、迅速に事が運べた。
明らかに出過ぎた行為だったので、下心を見透かされそうで怖いが、こうでもしないと、いつまでも部屋を決めそうな気配がないから、こちらが動く羽目になってしまったのだ。
もし、本当に下心があったら、部屋なんかいつまでも見つからないようにして、真白ちゃんを引き留める算段をする。
「どんな?」
椛島真中はデザートのマンゴープリンを事もなげに口にしていた。
「この近所の物件はいかがですか?」
「犯人が住んでいるのにか?」
「母方の祖父母の家に引っ越すらしいですよ」
本人の代わりに病院に謝罪と見舞いにきた両親が教えてくれたのだ。
常識のありそうな夫婦は、息子の凶行に動揺し、やつれ、疲れ果てていた。
それでも、しかるべき措置の後、のんびりとした環境で子供と向かい合うことを誓った。
「貴方は関知していないようですが、ここの町内会は奥さんと真白ちゃんのことをよく知っているようです。
気にもかけてくれます。
今後、不審な人間が周りをうろつくようなら、また、力になってくれるでしょう」
俺の言葉に、店の主人と奥さんが頷く。
「近所の目は、五月蠅いぞ」
「それは、今までも同じじゃないですか。
部屋は移っても、思い出深い場所に居続けられることも真白ちゃんにはいいと思います。
この物件なんか、セキュリティも良いし、築浅で、綺麗な部屋でしたよ」
気づいたことを出来るだけメモにして一緒にした資料を、めくって見せる。
「考えてみるよ」
俺の午前いっぱいの努力を、簡単にあしらうと、椛島真中は資料を受け取って立ち上がった。
ここまでやった以上、あとは彼の気持ち次第だ。
口ではそっけないものの、感触は悪くない気がした。
立ち去る椛島真中に声を掛けた。
「もう一つ、お願いがあるんですが」
「何?」
「出来たら、私を自宅に連れて行ってくれませんか?
真白ちゃ……娘さんが、母親の写真を持っていきたいと言っているんです。
部屋に一人では寂しいだろうからって。
貴方も今はホテル住まいなんでしょう?
それを取りに行かせて下さい」
「断る。
そういう理由ならば、私が妻の写真を持っていこう。
君に私の妻の写真を触らせるつもりはない」
なるほど。
無下に断られた時は、腹が立ったが、理由を聞けば納得出来た。
「お好きなんですね、奥様のこと」
「愛しているんだよ。今も、これからも、ずっとね」
椛島真中は俺の方に顔を寄せると、耳元で囁いた。
「君もようやく執着と言うものが分かってきたじゃないか」
それから、身を離すと「そう言えば真白は、すっかり小野寺の色に馴染んでしまったかい?」と聞いたので、「いいえ、毎日、白い服ばかり着ているみたいに、いつも変わらず、真白ちゃんですよ」と答えた。
「それはいい。
白は染まりやすいが、あの子はすぐに漂白してしまう。
なるべく早く、迎えに行くから、待っているように伝えてくれ」
すぐってどれくらいだろう。
明日? 明後日?
真白ちゃんの居る幸せが俺から、椛島真中に移るのか。
父親だから当然だし、俺から申し出たことだけど、なぜか納得出来ない気持ちで、テーブルの上に残された料理を見た。
見事なまでに、好きなものだけ食べきり、嫌いなものには箸もつけていなかった。