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妖精とクマ  作者: さぁこ/結城敦子
第五章 椛島真白の不安。
30/60

5-6 痩せ狼の襲撃と階段と、優しいクマ。

 呼び出し音が何度も鳴るが、一向に出る気配はない。


「二泊三日じゃないかったの?」


 よくよく思い出してみれば、『短くて』とあった。

 つまり、長くなる可能性があって、そして、そうなったのだ。


「夏休み中、ここに居ればいいよ。

うちの家族は大歓迎!」


 リサの家族にはすっかりお世話になった。

 さすがに二泊もしたら、帰らなくてはいけないだろう。

 それなのに、父は帰ってくる様子が全くないのだ。


 連休は最後の日だったけど、学校はそのまま夏休みに入った。

 家に居る時間が必然的に長くなる。

 帰るのには躊躇するが、かと言って、このままリサの家に居続ける訳にはいくまい。


「ありがとう。

でも、申し訳ないから」


「そんなことない!

真白が怖い目に合う方が申し訳ないわよ!」


「うん。だから、若社長にお願いしようと思うの。

前から会社が持っている部屋を使ってもいいって言ってくれていて……。

最初から、素直にそうすればよかった。

子供だと思われたくなくって、一人前だと思われたかったんだけど」


 もう連絡はしてあった。

 若社長はすぐに電話に出てくれる。

 大事な仕事がたくさんあるから、連絡が途切れないように気を付けているのだろう。

 そう思うと、私の電話で邪魔をしている気もするけど、今日は、ありがたかった。

 即座に部屋の用意をしてくれて、車で迎えに来てくれることになった。


 リサとも検討したんだけど、例の人影は、移動手段が徒歩か公共交通機関のようで、自転車や車で移動すると追いかけらない。

 代わりに、よく行く場所に検討を付けると、そこで待ち伏せするようなのだ。

 線ではなく、点で動く男だ。


 見つからないように動けば、追いかけてこれないはずだ。


「そうね、引っかかるところはあるけど、小野寺冬馬に頼るのが一番よね。

警察は、相談にはのってくれたけど、人影を見る、だけじゃ動きようがないって言うし。

追いかけられる訳でもないし、変な電話も手紙もメールもないから、証拠もないしね。

だけど、危害が加えられてからじゃ遅いわ!」


 相手がどういう思惑なのか分からず、不安になる。

 ただ見ているだけで幸せ……と言う気持ちは、若社長を見る私のようでもあるけど、こんな風に隠れてコソコソしたりはしない。


「でもさ、真白」


 洗濯物を取り込みながら、リサは明るく言った。


「最初に私を頼ってくれて嬉しかったわ。

前までは、なんでも自分一人でなんとかする! って意地になってた所があったから」


 友達にも意地っ張りだと思われていたか……。

 確かに、片意地はっていたかもしれない。

 『妖精』プロジェクトの時も、それで失敗しかけた。

 誰かに助けてもらうことは恥ずかしいことじゃない。


「うん、頼ってみようと思うの。

だから、リサも何かあったら相談してね。

……あ、でも、出来れば、若社長に恋をしたとかいう話は……」


「ないないないない!」


「姫ちゃんもそう言ってた!

でも、若社長に二回会ったら、変わったのよ。

リサだって……!」


「どんだけ、大好きなの若社長。

世の中の女が全員、小野寺冬馬を好きになると思ったら、大間違いよ。

って言うか、あの男、面倒臭そう。

絶対、止めといた方がいいわ。

……洗濯物、これで全部?忘れ物ないようにね」


 リサは手早く、ハンガーから私が初日に着てきた衣服を外して、手渡してきた。


「ありがとう。お世話になりました。

ご両親にもお礼をしたいんだけど」


 自分の服を畳んで小さなバッグに押し込みながら言った。


「大丈夫、言わなくても分かってるから!

逆に、こんな時に留守にしてごめんね。

町内会の行事に顔を出さないといけなくって。

終わったら、すぐに戻ってくるから。

それに、ここは大丈夫だったでしょ?」


「……うん」


「真白?」


 歯切れの悪い私に、リサは訝しげに聞いた。


「そうだと思うんだけど」


 あの不安が、昨日の夜からまた頭をもたげてきていた。

 ただし、何度外を見ても、人影は無いのだから、気のせいかもしれない。

 けれども、若社長に頼ろうという決意を後押ししたのも事実だ。


 いずれにしろ、もうすぐ若社長が来てくれて、新しい場所に移る。

 オートロックの玄関に、管理人さんが常駐していて、警備システムも入っているから、安心な部屋だ。

 しかも、「永井が一緒に住むよ。昼間は仕事に行くけど、夜に一人にならなくて済む」とまで配慮してくれた。

 その時点で、すべて若社長の言う通りにしようと決めていたので、素直に従ったにも関わらず、「永井が君に恩返しをしたいって言うから、気にしなくていいよ。もともと一人暮らしだし。それに、その部屋の方が会社に近いから、遅くまで寝られるって喜んでいたし、あ、あと、夜景が!高層マンションの上の階だから、夜景と、花火大会も見られるって……だから、気にしないでいいからね」と、念を押されてしまった。

 いかに、私はこれまで、若社長の言うことを聞いていなかったか、反省することになった。


「花火大会! いいね。私も呼んでよ!」


「私の部屋じゃないから即答は出来ないけど、聞いてみるね。

きっと、許可してくれると思う。

だって……」


「若社長は優しくて、真白に甘々だから! でしょ」


「…………」


「もう、真白ったら、顔が真っ赤よ」


「すぐにこうなるの。

私の気持ち、だだ漏れよね、きっと」


「告白済なくせに、そんなこと気にしなくてもいいんじゃない?

それにしても、結構、大胆よね」


 それは私も思う。

 あの時は、もうこれで最後だと思ったら勇気が出たのであって、まさか、付き合いが続くとは思いもしなかった。


 充電させてもらったスマホにその若社長からのメールが入る。


「もう家の前まで来ているって!」


 その言葉が聞こえたかのように、玄関のチャイムが鳴った。


「ちょっと待ってて、確かめるから」


 リサが階段を駆け下り、玄関脇に設置された液晶画面のついた端末を操作すると、玄関前の映像が写った。

 そこには間違いなく若社長の姿があった。

 今日もお休みのはずなのに、堅苦しい白いワイシャツ姿でスーツの上着を手に持っていた。


「オッケー、開けるわね」


「リサ、ありがとう」


 靴を履くと、リサがドアを開け、バッグを渡してくれた。


「気を付けてね」


「うん」


 名残惜しい気持ちでしばらく見つめ、小さく手を振って玄関の外に出た。


 すると、若社長は険しい顔で庭の方を見ていた。

 どうかしたのか、気にはなったけど、どうしてもお願いしたいことがあって、その横顔に声を掛ける。


「若社長、一度、家に戻りたいのですが」


「なんで?」


 ようやく、こちらを見てくれたが、聞き届けてくれる雰囲気ではなかった。

 それでも、事情を説明する。


「母を……母の写真を取りに行きたいのです。

少しの間、出掛けるつもりだったのに、こうなってしまったら私も、父もいつ戻るか分かりません。

誰もいない部屋に、一人には出来ません」


「真白ちゃん……」


 若社長が私の手を掴んだ。


「君の望みは出来るだけ叶えてあげたいけど、それは駄目だ。

逃げる時は、身ひとつで逃げないといけないんだ」


 実感の籠った言葉に、私はそれ以上、要求を通すことが出来なかった。


「ごめんね、でも、君の母上は、自分のことよりも娘の方を心配していると思うよ。

きっと許して……」


「若社長? ……どう……」


 俄かに口を噤んだ若社長を不審に思った瞬間、よく茂った木々の間から、人影が飛び出してきた。

 リサの家は、ガレージとなっている一階から上がる外階段が真っ直ぐにではなく、直角に曲がって玄関につく。

 その角が、ちょうど階段の壁になって庭と玄関の間で死角になってしまっていたのだ。

 いつから居たのか分からなかったけど、若社長がここにつく前には潜んでいたのは間違いない。


 階段の下から井上さんが叫び声が聞こえた。

 それに対して、若社長が警察を呼ぶように指示して、私に中に入るよう促したのだけど、その瞬間、勢いよく男が突進してきた。

 咄嗟に、私を脇に突き飛ばし、若社長が玄関のドアを背に男を受け止めてくれたが、結果的に逃げ道が塞がれてしまった。


 なおも、こちらに来ようとする男を若社長が必死に押しとどめていた。


 男は……多分、この人が例の人影の正体だ、何度も見た面影があった。

 ごく普通の若い男の人に見えた。

 でも、若社長の拘束を振り切ろうと身をよじらせながら迫ってくる様子は、恐ろしかった。


「離せ。お前誰だよ!

僕の真白ちゃんをどこに連れていくつもりだ!

彼女は僕のものだぞ!!

馴れ馴れしくするな!

僕と一緒に行こう、僕の真白ちゃんだよね……ねぇ!」


 男運がないかもしれない。

 こんな緊急時なのに、私は思わず自分の運命を呪った。

 あの美園といい、この男といい、私に言い寄る男ときたら、碌なのがいないのはどうしてだろう。

 それどころか特上に気持ち悪い。

 考えてみれば、父だって、嫌いではないけど、変わっている。

 好きになって欲しい人は、誰も好きになれない、優しいけど、面倒な男の人だし。


 その面倒だけど、優しい男の人は、迷惑な男のセリフに、能面のような顔になって、発言者を玄関ドアに押し付けた。


「彼女はお前のものじゃない。誰のものでもない。

もう一度でも言ってみろ……ただで済むと思うなよ」


 叫ぶでもなく、怒鳴るでもない、平坦な声なのに凄味があった。

 人影の男が怯えるのが分かった。

 私も怖くて動けなくなるほどだ。


「真白ちゃん、早く逃げて」


 そう言われても、足がすくむ。


「真白! こっち!」


 リサが庭に面した窓から飛び出てきて、私に抱きついた。


「ごめん、私、つけられていた。私のせいだ」


「違う、リサのせいじゃない。私が悪いの」


 原因は分かっていた。

 男は線ではなく点で追ってくる。

 リサの学習塾が行う模試は、通塾生ではない高校生も受けられて、志桜館の特進科の生徒ならほとんど受けて当たり前とされていたものだった。

 私が志桜館の特進科の生徒だと分かっていたら、男は模試の会場を狙っていたはずだ。

 最近、模試があった。

 その後で、リサと私は連れだって、あのファミレスに行ったのだ。

 その時、男はリサが私の友人だと知り、帰りに私ではなくリサを追って行った。

 役に立つ情報だと思ったのだろうし、男の目論見は当たった。

 いつまでも帰ってこない私の行先を探して、友人の元に来た。そして、見つけた。


「私がファミレスなんか行かないで一人で帰っていれば、リサにこんな迷惑を……」


「馬鹿、迷惑なのはこの男で、真白じゃないわよ」


「だって、私、私だって、友達とお茶とかしておしゃべりしてみたかったの。

やっと余裕が出来たから……だから」


「分かる、分かってるよ。

私も真白とお茶したり、買い物に行きたかった。

お泊り会だってしてみたかった。

そんなの当たり前じゃない。

それが悪い訳ない、悪い訳ないよ!」


 混乱と恐怖で、二人で抱き合って、泣いてしまった。


「いいから、早く中に入って!」


 ドアに男を押し付けながら、若社長が怒鳴った。

 その声にようやっと未だに現状が安全ではないことに気が付く。

 慌てて、二人で家の中に入った。

 ガラス窓を閉めたものの、気になって、隙間を開けて覗いてみると、私の姿を見て男がこちらにこようとなおももがいていた。


 男が暴れるものだから、プランターが倒され、綺麗に咲いた花が踏み荒らされていた。


「ごめんなさい」


「だから、真白のせいじゃないの!

それにしても、若社長ときたら、見かけによらず、弱くない?

あんなひょろい男一人、叩きのめせないなんて」


 リサがやきもきしながら言った。


「違う……と思う」


「えっ?」


 実はさっきから私も同じことを思っていた。

 夢の中で見たクマさんのように一撃で、あんな痩せたオオカミなんか倒せるはずだ。

 だけど、若社長は優しい森のクマさんなのだ。


「もしも大怪我をさせてしまったら大変だから、本気を出せないんだ」


 なんと言っても彼は小野寺グループの御曹司なのだ。

 社会的地位がある。

 下で犬が吠える声がする。

 そろそろ人が集まってきたのかもしれない。

 一般家庭の家の前で、こんな騒動を起こしたなんて、また週刊誌に悪く書かれたらどうしよう。


「うわっ……そうか。そう言われてみれば。

しかも、うちの家、玄関前が狭い上に、すぐに階段だから、下手すると落ちちゃいそうだもんね。

足場が悪すぎるわ。

あと、あのプランターは親に言って撤去してもらう。

人目を隠していたのね。空き巣とかに狙われそう。

……だから、早く警察が来て、あいつ連れて行ってもらわないと!」


 私も祈るように警察が早く来てくれることを祈った。

 それか、男が自発的にいなくなることを。


 なのに、その願いはむなしく散った。


 夏の太陽を反射して、何かがまぶしく光った。


「若社長!」


 若社長の大きな身体が、その光を遮り、一層、激しく揉みあったと思ったら、男と一緒に階段を落ちて行った。

 その瀬戸際までも、若社長が男を庇って、自分が下になるように受け身を取ったように見えた。


 色とりどりの花びらが飛び散った。


「いや! 若社長!!」


 リサと同時に玄関前に飛び出すと、階段の下を見た。


 若社長と男が重なるように倒れていたが、上になっていた男の方がいち早く起き上がった。

 何かにおびえたように、その場から走り去る。


 その男を追いかけようとした井上さんが、若社長の様子を見て駆け寄る。

 それを振り払うような仕草をした若社長が半身を起こして、振り絞るように声を上げた。


「俺はいいから、井上さん、真白ちゃんを……真白ちゃんを!」


 二度、私の名前を呼んで、若社長は気を失った。


 お腹に、さっき見た光が刺さっていた。

 糊が効いた白いワイシャツに赤い血が広がって、アスファルトが黒く染みになっていく。


「救急車を呼んだ! 真白、大丈夫?」


「大丈夫……私は……」


 どこも怪我なんてしていない。

 若社長が守ってくれたから。


 お母さん、お願いだから、若社長を連れていかないで。

 もう大切な人が目の前からいなくなるのは嫌……。

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