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妖精とクマ  作者: さぁこ/結城敦子
第一章 椛島真白の事情。
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1-3 出会いはゴミ箱前

 二日目の朝も、同じだった。


 十五階の作業も、他の階と大して変りない。

 大事な資料の類は、社員の中で、専門の人が外部に漏れないように処置した後、マニュアルに従って破棄されている。

 そうでない、食べ物や飲み物と言ったゴミも、わかりやすい所にまとめて出されている。自分達のスペースは、自分達で掃除することになっている。


 私達は、主にゴミの回収と共用スペースの掃除をすれば良い。


 社長室は篠田さん一人が掃除をし、その間、私はトイレ掃除に回っていた。

 単独行動を許されるのは、信頼されている証だけど……篠田さんは意図して、私と『若社長』を会わせないようにしているらしい。

 篠田さんに嫌われているとは思えないのだけど。


 その日も篠田さんの思惑通りか、若社長に会えないまま、朝の仕事を終え、清掃会社の制服から、学校の制服に着替える。

 勉強道具がいっぱいの鞄を抱え、エレベーターに乗って向かうのは最上階だ。

 この時間なら、十五階よりも、そこの方がまだ、『彼』に会える機会があるかもしれない。


 エレベーターの扉が開くと、そこは、見晴らしの良い社員食堂が広がっている。

 天気が良ければ、富士山まで見られる。

 偉い人が一番上に住んでいると思いきや、このビルの社長室は少し下の十五階で、社員食堂が最上階なのだ。

 安くて美味しい食堂だけでなく、お洒落なカフェに、マッサージ屋さん、そして、なんとネイルサロンまである。

 雑誌や新聞も豊富に置いてある。

 当然、小野寺出版の雑誌が主となっていて、華やかな女性がほほ笑む表紙のものが何冊もあった。


「『モデル喰い』って……本当なのかな」


 昨日の東野部長と篠田さんとの会話を思い出し、ちょっと悲しくなって呟いてみた。

 それこそが、篠田さんの態度の理由でもあるのだろう。


 休憩時間には、かなりの人が並ぶ場所だが、まだ営業時間前と言うこともあって、ちらほらと人が見えるくらいだ。


 私は初めて、ラックから雑誌を二冊ほど手に取り、それを小脇に抱えながら、財布から、この社食専用のカードを取り出した。

 社員の福利厚生の恩恵で、バイトでも、社食の自販機で毎日、一杯に限り、好きな飲み物を無料で貰えるのだ。


 なんて、ありがたい!

 このカードを取り出すたびに、拝まずにはいられない。


 ここのココアに、近所の美味しいパン屋さんから格安で譲ってもらったパン耳で作ったラスクを浸しながら食べるのが、毎朝の日課であり、心安らぐ時間になっている。

 そのまま食べても美味しいのだけど、毎日、パン耳だけ買いに行くのは気がとがめるので、ラスクにして保存性を高めてみたのだが、砂糖と、ちょっと贅沢してシナモンパウダーを振ったそれは我ながら美味しいと思う。


 お気に入りの席に座って、背伸びをする。

 『若社長』が現れるかも! と思って仕事していたせいか、普段より、少し、疲れているみたいだ。


 パン耳ラスクを食べながら、ぼぅっと自販機が並んでいる方を見る。


 バイトを初めてすぐも、こんな感じだったな。


 最初の担当は、まさにここの食堂だった。

 台車を任されたけど、操作に慣れなくて、いろんなところにぶつかりそうになっていた。


 そして、ついに、早朝の食堂で、あの自販機に台車をぶつけてしまったのだ。


 その衝撃で、台車に載せていたゴミや掃除道具が床にぶち撒かれてしまった。

 慌てて拾ったら、空きペットボトルの入った袋の結び目が甘かったのか、緩んだ口から、一気に中身が出てきてしまった。

 缶じゃなかったせいで、音はそれほどではなく、一緒に着た先輩作業員には気が付かれなかった。

 社員さんもいない。

 私は、誰かに見つかる前に、と、大慌てで散らかった空きペットボトルを広い始めた。


 その時だ。


 一番遠くに飛んで行ってしまったペットボトルを広い上げる大きな男の人の姿を見たのは。

 手も足も大きい。

 ダークブラウンのスーツで屈みこんでいる姿は、最初、クマがまぎれ込んで来たのかと思ったほどだ。


 両手に掴めるだけの空のペットボトルを拾って、私の方に向かってくる姿もクマみたいだった。

 女子の方でも身長は高い方と思っていた自分でも、見上げるほどの長身だった。

 多分、百九十センチくらいはある。

 その上、筋肉質でガッシリとした体格をしているから、ますます大きくクマじみて見えた。


 それだけども威圧感があるのに、顔つきは……古武士みたいに無骨で精悍な感じ。

 古武士にもクマにも会ったことはなかったけど、それ以外の比喩が思い浮かばなかった。


 怒られたら怖そうだ。


 でも、彼は怒らなかった。


 黙って、私が持っていた袋に、拾った空のペットボトルを入れると、さらに落ちているものを拾い始めたのだ。


「あ……あの、ありがとうございます」


 お礼を言いながら、自分も急いで残りのペットボトルを拾った。


 男の人は、近くで見ると、仕立ての良い、上等のスーツを着ていた。

 靴もピカピカに手入れされている。

 それなのに、飲みきれなかったペットボトル内の甘い液体で、手がベタベタしてくるのにも全く頓着せずに、黙々とそれを拾い続けてくれた。


 あっという間に、空のペットボトルは元の袋に収まった。

 その袋を握りしめ、私は改めて、心から感謝の意を述べた。


 怖そうだけど、親切な男性は、そんな私を見て……笑った。


「おはよう。

今日も一日、頑張ってね」


 その言葉、その声音、そして、その笑顔の破壊力と言ったら……!


 私の心を一撃でバラバラにしてしまった。

 心の形は元に戻っても、欠片全てに、繋ぎ目の全てに、あの笑顔の面影が染み込んでしまって、もう忘れることなど出来ない。


 それほどの衝撃だった。


 当の本人は、そんなこととはつゆ知らず、汚れた手を食堂の入り口の水道で洗うと、エレベーターに乗って、どこかに行ってしまった。


 姿が消えた後も、動けないままでいた私は、結局、先輩に叱られてしまった。


 その後、彼こそがこの会社の若き『社長』であることを知った。

 しかも小野寺グループの御曹司だと言う。

 だから、みんな『若社長』と呼ぶ。


 驚いた。

 だって、小野寺の若社長と言えば、『モデル喰い』として有名だと、バイトを始めてすぐに聞かされていたからだ。

 月毎に彼女が替わって、それが美人でスタイルの良いモデルばかりなのだと。


 『だから、気をつけなさい。真白ちゃんは、若くて可愛いのだから』と篠田さんに言われた。


 そんな噂を聞いていたので、てっきり、顔は綺麗な優男で、親の七光りで遊んでいる男なんだろうな、と決めつけてしまっていた。


 まさか、あんな無骨で、しかも真面目で仕事熱心な人とは。

 まぁ、美形ではある……と思う。贔屓目だけど。


 篠田さんと違って、吉野さんは若社長がお気に入りだ。

 十五階でよく会うらしいのだが、丁寧に挨拶をしてもらえるので、好感度が高いらしい。


 嬉しくなって、私が「笑顔が可愛いですよね」と言うと、首を傾げられた。


 挙句、「えー! 可愛い系? そうかな、クールな微笑だと思うけど。今の子は、なんでも可愛いって言っちゃうのね」と評された。


 私は納得出来ない気持ちだった。

 確かに可愛かったもの。

 屈託がない、少年みたいな笑顔。

 微笑ではなく、ニッコリとした笑顔だった。


 しかし、観察してみると、吉野さんの言うとおりだった。

 社内で見かける若社長は、微笑を静かに湛える、大人の顔をしていた。


 でも、その後も私に見せる顔だけは、あの時の笑顔だった。


 特別?


 正直に白状すると、そんな風に思ったこともあった。

 若社長が新しいモデルの彼女を連れて歩いているのを見るまでは。

 愛おしむような微笑は、大人の色気を感じさせた。


 その時、分かった。


 特別は特別でも、意味が違う。

 私が子供だから、子供のような対応をするのだ、と。

 

 それから期待するのは止めた。


 吉野さんにも釘を刺された。


「『若社長』って言っても、真白ちゃんとは親子くらいの年の差じゃない。

しかも、女関係は乱れてるし。

若社長のプライベートなんて、この会社の仕事さえちゃんとしてくれれば、口出すつもりないし、そんな権利もないけどさ。

真白ちゃんが、餌食になるのはダメ。

その年頃だと、恋に恋して、夢見がちになるのは分かるけど……私も、高校の時は、担任の先生に憧れたな〜。

新任だったから、二十代前半だったのよ。

結局、同級生と結婚したけど」


 年上だけど、親子ほどではないですよ、と反論したら、すかさず返された。


「私と若社長はほぼ同い年。

で、二十歳で生んだ長男が今年で中学一年生よ。

もう少し、やんちゃだったら、真白ちゃんくらいの年の子がいたかもね」


 そうか、それじゃあ、子供扱いされて当然だ。


 朝食用に持って来たパン耳ラスクを食べきると、近くの水道で手についた砂糖とシナモンパウダーを綺麗に洗い流し、私は借りてきた食堂の雑誌をペラペラとめくった。

 試験勉強をしなければいけないのに、やる気がおきない。

 目に映る美しいモデルたちの誰かが、今月の若社長の恋人かもしれない。

 そう思うと、泣きたくなる気持ちだ。


 十五階で会えないなら、せめてここで会えると思ったのに……。

 早朝、なぜかここの自販機にコーヒーを買いに来る若社長の姿が、最近、見えない。

 もともと、来たり来なかったりするので、毎日会える保障は無いのだが、社内で見かけるよりは確率が高いのだ。

 思えば、最初の出会いの時も、若社長はあの自販機にコーヒーを買うために来ていたのだと思う。


 うーん、我ながら、軽いストーカーっぽい?

 いやいや、ただ、窓辺の席で、コーヒーを飲みながら、新聞を読んでいる姿を盗み見ているだけだから、大丈夫よね。

 挨拶だって、社訓だもの。

 しない訳にはいかないじゃない。


 吉野さんにも約束したんだ。

 ただ、ちょっと憧れているだけで、何をどうこうしたい訳じゃない。

 若社長ほどの人間ならば、いずれ、それ相応の相手が隣に立つことになるだろう。

 それは間違っても、私ではない。


 朝にすれ違って、挨拶を交わすと、一日が、いや、一週間は、気持ちが明るくなるという、安上がりだけど、高価な幸福を、まだ失いたくないだけだ。


 グダグダと自分に言い訳している内に、自分がウトウトし始めたの気が付いた。

 いけない、このまま寝てしまったら、学校に遅刻してしまう。


 なのに、どうしても睡魔を払えない。

 昨日、遅くまで試験勉強をしていのがたたったらしい。

 朝日の溢れる静かな食堂内は、暖かくて気持ちが良すぎる。

 抵抗むなしく、私は、ついにテーブルに突っ伏して、意識を手放してしまった。


***


 と、不意に、背中を二回ほど叩かれた……気がした。


「んっ……うん……???」


 一瞬、自分がどこにいるか分からなかった。

 顔を少し上げると、白を基調に、オレンジ色とミントグリーンがポップな食堂内がぼんやりと見えた。

 しばらく瞬きを繰り返すと、視界とともに、意識も明瞭になってきた。


「えっと……ああああ!!!」


 しまった!寝ていた!!!


 しかし、見渡す食堂内は相変わらず閑散としていた。

 まだ朝食タイムが始まる時間ではないのだ。


 時計を確認すると、思ったほど時間は経っていない。

 十分くらい?

 少しの時間だったが、でも、かなりすっきりしたのも事実だ。


 大慌ててで雑誌を元の場所に戻し、ココアの空きカップをゴミ箱に入れると、学校に行くために、エレベーターで階下に降りる。

 エレベーターの行先表示板が、十五階を過ぎた時、そう言えば、誰かが私を起こしてくれたことに気が付いた。


 誰だったのか……それを知るのは、少し、先の話だった。

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