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妖精とクマ  作者: さぁこ/結城敦子
第五章 椛島真白の不安。
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5-4 ときめきの杏仁豆腐

 若社長に指摘されてから、注意深くなった。

 そうなってみると、明らかに不審な人影をみかけるようになった。


 学校の周辺にはいない。

 私の通う高校は雨宮財閥のご令嬢が通うような学校なのだ。門扉は高く、内外を守衛さんが常に巡回している。

 夜も警備システムが稼働している。


 問題は家だ。

 父のファンの件で近くの交番の警官さんが、気にかけて見回ってくれるし、古い町は、町内会の活動も活発で、母と私に関しては近所づきあいも悪くなかったので、時には町内会の人が、不審な人に声を掛けて追い払ってくれたりもしていた。

 なにしろ、母の葬式を取り仕切ってくれたのは、近所の人達なのだ。

 部屋の壁も薄いから、叫べばアパートの全部屋の住人に聞こえるかもしれない。

 だけど、不安だ。


 もう夏も盛りに入り、窓を開けない訳にはいかない。

 この家にはクーラーは無い。

 レースのカーテンの向こうに、こちらを見る男の人の視線を感じる。


 最近ではスーパーにも現れる。

 私と同じチラシを見ているのだ。

 たとえば、卵の特売がある日に、そのスーパーに行くと、必ず視線を感じる。

 逆をはって、違うスーパーに行くと、いないのだ。


 行動を読まれている。日を経つに連れ、その精度が高まっている気がしていた。


 そして今日、家に帰ると、信じられないことに、父の書置きがあった。

 突然、思い立って、取材旅行に行くとあった。

 『短くて二泊三日』の文字が涙で滲んだ。


 怖い。一人でこの部屋には居たくない。

 若社長に助けてもらいたかったけど、自力で出来るところまで頑張ろうと思った。

 まだ日は高い。

 今の内なら、対処できるはずだ。


 私は若社長に買ってもらったスマホを取り出すと、予め連絡先を交換してあったリサの番号にかけた。


 事情を軽く話して、泊めてもらえないか頼み込むと、リサは承諾してくれたけど、これから塾に行かないといけないと言う。

 それからだと、日も暮れてしまうけど、近くのファミレスで待っていれば危険なことは無いだろうと思い、そのように告げた。


 厚いカーテンを閉めると、手早く着替えて荷物をまとめる。

 母の写真に手を合わせ、友達の家に出掛けることを報告してから、父の書置きに返事を書いた。

 じっとりと汗を掻いたせいで、外に出ると空気が涼しく感じられるほどだった。


 階段を駆け下りた所で、大きな人影が私の前に立ちふさがった。


 驚きのあまり、悲鳴をあげそうになった。


「真白ちゃん!?」


 幸い、正面から肩を掴まれ覗き込んできた男の人の声も顔も、知っていた。


「わ……わかしゃちょぉお」


 安堵で力が抜ける。


「やっぱり大丈夫じゃないじゃないか!

こんなに怯えて」


「だって……」


「とりあえず、車に乗って!」


 車には井上さんが居て、青ざめた顔で私を心配してくれた。


「どうして?」


「戸田部長が教えてくれたんだ。

君の父親が旅行だって。

だから心配で様子を見に来たら、この有様だ。

どこに行くつもりだったの?」


「リサの……友達の家に。泊めてくれるって」


 自分でもなんとか出来るんだって、少し自慢気だった。

 若社長も納得してくれたけど、それが塾が終わる夜の九時だと知ると、険しい顔になった。


「今、十八時前だよ?」


「リサの通う塾は、有名な進学塾なんです」


「そうじゃなくて、君はその間、どうするつもりだったの?」


「近くにファミレスがあるから、そこで待ち合わせする約束です。

私だって、考えているんですから!」


「どうして、君は俺に頼らないのかなぁ」


 苛々した感じで言われた。


「頼りがいがない?」


「いいえ。でも、だからって、いつも助けてもらう訳にはいきません。

若社長だって、しょっちゅう頼られていたら、うんざりしますよ。

いい加減にしろって思う時がくるかもしれませんよ」


「そんなことは……」


 「ないよ」とは言い切れないのが、今の若社長だ。


「でも、今回のことは相談して欲しい。

分かるだろう? この状況は普通じゃないんだ。

自分の身に危険が迫っている時に、意地をはらないで。

お願いだから」


「そうですよ、真白お嬢様。

御身は大事になさらなければ。

亡くなったお母様が悲しみますし」


 若社長だけでなく、井上さんにまで、そう説得された。

 確かに、今回のことはすごく怖い。

 心配して駆けつけてくれたことは、もっと嬉しい。


「ほら、泣きそうだ」


「言わないで下さい。

だって、怖いんです……怖いんですもの。

若社長が助けに来てくれなかったらと思うと。

来てくれなくなったらと思うと。

だから、自分一人でなんとかしたいんです」


 泣きながら訴える私に、若社長は無表情のまま、しばらく黙っていた。


「そうだね。

だけど、本当に、今回のことは別だから。

それは理解出来る?

必ず助けに来るから、ね」


 涙を流しながら、私は頷いた。


「少し泣く? それとも……」


「美味しいお店、知ってますよ」


「えっ?」


 私は若社長の意表を突いた。

 こういう時は、何か食べに行こうと言うに決まっている。


「中華料理はお好きですか?

近所に、昔、よく行っていたお店があるんです。

今日は、私がおごります!」


「えっ……いや……」


「嫌ですか?

いつも美味しいものをごちそうになっているし、お世話になっているお礼もしたいので、もしお時間があれば。

高級なお店じゃないんです。安いけど美味しいお店なので、私の手持ちでも支払えます」


「時間もあるし、お腹も空いているけど、おごってもらう訳にはいかないよ。

一応、男だし、大人だし……お金も君より持っているから。

ねぇ、そこも依怙地になるつもり。

ニッコリ笑ってごちそう様ですって言ってくれれば、申し分ないよ。

……はい」


 若社長が手で合図をした。


「はい?」


「笑って」


 納得した訳ではないけど、若社長の望み通りにしたくなるもの、私だ。

 恋愛は、恋した方が負だ。

 私は精一杯笑って言った。


「ごちそう様です」


「はい、良く出来ました」


 頭を撫でられた。

 悔しいけど、嬉しいなんて、おかしな感情だ。


 おかしな感情と言えば、私は若社長がご飯を食べている姿に、見惚れてしまった。


 家族三人で通っていた小さな中華料理屋さんの味を、小野寺の若社長が気に入るか不安だったけど、その心配を余所に、目の前の大きな男の人は、その体格に相応しい食べっぷりを見せた。

 最初は酢豚定食を頼んだのに、追加でレバニラ炒めとマーボー豆腐を注文して、私と一緒に頼んだ餃子も、平らげた。


 父は量より質の人だったけど、一般の男の人がたくさん食べるのは知っていたし、うちの学校はスポーツも強く、学食ではお腹を空かせた生徒たちが、スポーツ盛りと呼ばれる特別大盛りの定食をがっつく姿を見るのは珍しいことではなかった。

 若社長もそう言った意味では同じだけど、箸とレンゲを使ってつぎつぎと料理を口に運ぶ姿が、なにかとてつもなく色っぽい。

 ご飯を食べている姿を見て、こんな気持ちになるのはおかしい。

 ご飯を食べるのに、色気は関係ないと思うのに、身体が熱くなる。


 ぼうっと見つめていると、それに気が付いた若社長と目があった。

 見惚れていることがバレてしまった、と気恥ずかしくなったが、顔が赤くなったのは若社長の方だった。


「ごめん。あんまり美味しくてがっついてしまった。

つい、育ちの悪さが出ちゃうんだよね。

気を付けているんだけど。君の前だと、気が抜けるのかな。

でも、同席者がこんなんだと恥ずかしいよね」


「そ、そんなことありません!

すごく……その、すごく美味しそうに食べてるなって、思って見ていました」


 本当にそう思っていた。気持ちの良い食べっぷりだと好感は持っても、下品だとは思えない。

 なのに、それから若社長は、ゆっくり丁寧に食べるようになってしまった。

 私は物足りないけど、若社長はそうしなければいけないと思っているのだ。

 嫌な思いを何度もしたのだろう。


 過去に捕らわれすぎていなければ、もっと幸せになれるはずなのに。

 他人に対する優しさを、自分に向けてあげればいいのに。


 若社長は私のことを頑固だの、依怙地だの言うけど、それは自分のことじゃないかと思う。


 助けてあげたいけど、力不足は否めない。

 大人になったら、この人を助けてあげられるかしら?

 今できるのは一緒にご飯を食べるだけだ。


 私は自分の中華飯を口に運んだ。

 どんな時でも、美味しい物は美味しい。


「デザートはどれにする?」


 空になった皿の上で、若社長がメニューを広げた。

 デザートを頼むのは確定事項なんだ、と思うと笑ってしまう。


「マンゴープリン一択です」


「そうなの? じゃあ、真白ちゃんのお勧めのマンゴープリンと、あと杏仁豆腐も……あ、あとゴマ団子も捨てがたい」


 真剣な顔で、そんなことを悩む姿も可愛らしい。

 もう、若社長だったら、なんでもいいのかも。


「若社長……さすがに食べ過ぎかと」


「秋生みたいなことを言うね。でも、その通りかも。

ゴマ団子はなしで。また来ればいいよね」


 メニュー越しに微笑んで言うセリフは、私に向けてですか?

 相変わらず、思いっ切りよく振り回してくれる。


***


「お待たせしました、マンゴープリンと……杏仁豆腐です」


 デザートを運んできてくれた人は、ここの大将さんで、小さい頃から知っている人だった。

 だからなのか、杏仁豆腐を置くついでに、若社長の顔を覗き込むように見た。


「真白ちゃん、この男は誰だい? お父さんは知っているの?」


 それに答える前に、逆の方向から、今度は、この店の息子さんが声を掛けてきた。

 私に、ではなく、若社長に。


「あっれ、小野寺の若社長じゃないですか!

親父、この人、小野寺の若社長だよ!」


「何をぬかす、小野寺の若様は……ああ、新しい方か」


「ちょ……! そういう言い方すんなよ!

この人、俺が修行時代に世話になったんだからさ。

すみません、うちの親父が。

お久しぶりですね!」


「君は……ここに?」


 若社長は呆気に取られていた。


「そうです。ここ俺の家の店です。

ちなみに、うちの親父も昔、あそこで働いていたんですよ。

それで、独立する時に、小野寺の若様から資金を提供してもらったらしく……」


 後半は耳打ちするように言っていた。

 そう言えば、小野寺家には正当な後継ぎが居た、と言う話も聞いたことがある。

 全部、週刊誌の受け売りだけど。

 それも、若社長を苦しめている過去なのだ。


 若社長はそんなそぶりはちっとも見せず、懐かしそうに、「どうりで美味しいと思った!」と言うと、私に修行先だったと言う中華料理屋さんの名前を教えてくれた。

 とても美味しいと有名で、小野寺は勿論、雨宮でも行きつけにしているほどの高級店でもあった。


「おじさん、そんなすごいお店で働いていたんですね!」


「いやぁ、真白ちゃんに、そんな風に言われると、おじさん照れちゃうね。

最近、ちっとも顔を見せないから、心配してたんだよ。

相変わらず……いや、なんだかしばらくみない内に、綺麗になったねぇ」


「親父、きもい」


「なんだと! お前だって、さっき厨房で可愛い子が来た、可愛い子が来たって、大騒ぎして、気の抜けた料理作りやがって!」


「ばっ、何言ってんだよ!」


 料理人親子が揉めはじめたので、どうしようかと思ったら、奥さんが出てきて、二人を厨房へ追い返してしまった。


「うちの馬鹿親子がごめんなさいね、真白ちゃん。

お父さんのこと、おめでとうね。

お祝いにご馳走したいから、今度、連絡ちょうだいね。

電話したんだけど、繋がらなくって」


「すみません、電話番号変えてしまったのです。

今度、父と伺わせてもらいます。

でも、お代は払いますから」


「はいはい。待ってますよ」


 これはおそらく、ご馳走されてしまう。

 お店の奥さんは、若社長を一瞥すると「真白ちゃんに変な真似したら、うちの旦那と私が許さないからね」と明後日の方向の脅し文句を言って、戻っていった。

 そういうことを言わないで欲しい。

 若社長に嫌われてしまうじゃない。


 けれども、それは杞憂で、若社長は笑いながら「いい人達だね」と、厨房の方を見た。


「はい。小さい頃から知っているんです。

父は、あまり外食は好まなかったのですが、ここは別で」


「だろうね。ここだけの話……本店よりも美味しいかも。

俺の舌が……庶民的なのもあるだろうけど。

この杏仁豆腐も本格的な味がする」


「そうなんですか?」


「食べたことないの?」


「いつもマンゴープリンを頼むので……って、結構です!」


 若社長が当然のように、自分の杏仁豆腐を差し出すので、私は慌てて断った。


「そう?」


 厨房から親子三人が見ているし、ほぼ満席の店内にいるお客さんの中には、近所の人の顔もあるのだ。

 ここで、若社長の差し出したスプーンから杏仁豆腐を食べるなんて、どんな辱めですか!

 それに、お茶会の時と違って、そのスプーンは若社長がすでに口をつけているのだ。

 それって、いわゆる間接……うわぁあああ。


 自分で考えて、自分で居たたまれなくなった。


「ごめん、そんなに嫌だと思わなくって。

もう一個頼む? ねぇ、真白ちゃん?」


 言い終わる前に、杏仁豆腐が飛んできた。

 店の奥さんが、「これはうちからの!」と勢いよくテーブルに置いたのだ。


「ありがとうございます。だって、真白ちゃん」


「頂きます」


 このお店に誘ったのは間違いだったかも。


 杏仁豆腐だけでなく、もしかしたら、他のもご馳走になってしまったのかもしれない。

 先に車に戻るように言われた私が、店内の様子を伺っていると、レジの前で、若社長と奥さんが押し問答をしているように見えた。

 しばらくすると、大将と息子さんも出てきて、なぜか、顔見知りのお客さんまで加わって、取り囲むまでになった。


「井上さん、若社長大丈夫でしょうか?」


「冬馬さんなら大丈夫ですよ。

真白お嬢様が心配することはありません」


「でも……」


「ここに居て下さい。

それから、出来れば、お友達と約束したファミレスの場所を教えて頂きますか?

冬馬さんが戻り次第、出発したいので」


 気になったものの、みんないい人達だし、若社長に危害が及ぶとは思えなかったので、私はリサの塾の場所を教えた。

 何度か無料模試を受けに行っていたので、場所に迷うことはなかった。

 若社長も手にゴマ団子のお土産を持って、無事に戻ってきた。


「やっぱり頼んだんですね、それ」


「これ? これは真白ちゃんのお友達と、そのご家族に。

お泊りするのに、ご挨拶代わりだよ。

杏仁豆腐とマンゴープリンの味を鑑みると、このゴマ団子も絶品に決まっている。

見た目は地味だけど、手土産としては喜ばれると思う」


「あ……りがとうございます。

全然、考えていませんでした」


「仲が良い子なんだから、そんな気を回すことはないんだろうけどね」


「いいえ、親しき仲にも礼儀あり、と言いますから!」


「喜んでもらえて良かったよ。

そろそろ出発しようか。

場所、分かります?井上さん」


「当然です」


 「じゃあ、出して下さい」と言いながら、若社長は後ろを振り返った。

 私も同じ方向を見ようとしたら、やんわり止められた。


 でも、見えてしまった。

 あの人影が、電柱の傍に立っていた。

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