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妖精とクマ  作者: さぁこ/結城敦子
第四章 小野寺冬馬の葛藤。
23/60

4-5 妖精の残り香

 隣に座ったエリィの注文したカクテルが、よりにもよってモヒートだった。

 グラスの中に浮かぶミントの葉を見ると、どうしても真白ちゃんを思い出してしまう。


 思わず凝視してしまったのだろう、エリィが訝しげに見返した。


「何?」


「いや……ミント好き?」


「嫌い。これ、雑草よ。

一度、根付くと、そこから恐ろしい勢いで繁殖するの。

抜いても、抜いても、根を完全に駄目にしないと、また生えてくるのよ」


 顔を顰めながら、モヒートを飲む。


「じゃあ、なんで……」


「世の中では、お洒落な飲み物だから」


 悪気もなく言う。

 エリィは、本当は、居酒屋で日本酒や焼酎を飲む方が好きなタイプなのだ。

 初めて二人っきりで会った時、夜八時以降はものを食べないと言っていたのも、実は嘘で、深夜二時に焼肉も食べる。

 ただ、自身を『エリィ』として売り出している以上、あまりイメージと違うことが出来ないのだ。

 ジャンと俺と三人で居る時は、いつも被っている猫を取り外しても良い、と思っているのだろう。

 とにかく、食べるし、飲む。そっちの方が、面白いのに、とジャンは言うが、「仕事をくれるのは、貴方だけじゃありませんからね」、とエリィは怒る。


 今日は、ジャン抜きなので、世界的モデルのエリィとして、お洒落なバーで、気取った飲み物を飲む姿を他人に見せる方を選んでいる。


「そうそう、ミントって元は妖精なのよ、知ってた?」


 ミントの葉を摘みあげながら、エリィは言った。


「なんでも、とても綺麗で可愛い妖精だったせいで、神様に目を付けられて、草に変えられてしまったらしいわよ。

香りが良いのは、他の草の中でも、自分を見つけて欲しいからなんですって」


 余計な知識を仕入れてしまった。

 今度は俺の眉間に皺が寄った。

 これで、ますます、ミントと真白ちゃんがむすび付いてしまうじゃないか。


「あら、怖い顔ね。妖精の騎士さん」


 いつものようにからかう口調だったが、俺は頭を抱えてしまった。


「その呼び方やめてくれない?」


「どうして? みんな貴方のこと、恰好良いって思っているのよ。

ほら、あの子達も」


 エリィが言い終わるやいなや、二人組の若い女性が近寄ってきた。


「あ、あの、小野寺の若社長ですよね?

私たち、すごいファンなんです。

握手して下さい!」


「サイン下さい。

写真撮ってもいいですか?」


 この所、出掛けるといつもこんな感じになってしまう。

 許可を求めてくれるだけ、彼女たちはマシだ。

 中には、勝手に写真を撮ったり、触ったりしてくるので、辟易してしまう。


 サインと言われても、契約書や決済以外に、簡単にするものではないし、彼女達が求めるのが、そういった類のものではないのも知っている。

 が、そういう類のサインは、持ち合わせていないのだ。


 バーテンダーがやんわりと引き離そうとした時、エリィが彼女達に声を掛けた。


「ごめんなさいね。

今、プライベートだから」


 邪魔されて怒るかと思いきや、エリィの姿を認めた彼女達は盛り上がった。


「うそ! エリィ!? やだ、本物?」


「すごい、綺麗、細い、可愛い、美人、スタイル良い!!」


「ありがとう」


 まんざらでもなく、お礼を言うエリィに、二人組はますます調子に乗った。


「えええ、やっぱり、小野寺の若社長と付き合っているんですか?」


「えええ、ショック! でも、お似合いー!」


「そう? そんな風に見えて? でも違うのよ。

仲は良いけど、付き合ってはいないの。

私とは、ただのお友達。

だって、冬馬さんには、『妖精』さんが居るでしょ?」


 「「そうですよねー」」と声を揃えて同意された。

 違うから。

 そんな風に思われるくらいなら「やっぱりエリィと付き合っている」と思われた方がいい。

 しかし、それを言ったとしても状況が改善するとは思えなかったので、黙ってエリィに任せることにした。


「写真撮ってもいいですか?」


「あら? 私でいいの」


「はい! 私達、エリィの大ファンなんです」


「ありがとう、嬉しいわ」


 写真を撮らせた挙句、サインもし、自ら進んで握手を求めたエリィに、二人組のテンションは上がり、俺の存在は綺麗さっぱり忘れられた。

 きゃあきゃあ言いながら、去っていく二人組を見ながら、礼を言う。


「助かったよ。

君はすごいな」


「そうでもないわ。

私、程度の差はあっても自分に憧れている人間には優しいの……って、どうしたの? 顔が怖いわよ」


「憧れている人間に冷たくされるのは……嫌だろうな、と思って」


「まぁ、そうね。そうだけど、私は客商売だから余計に気を遣うだけよ。

あの子達、あれで私の事、本当に大ファンになると思うし」


「だよね……優しくすると、そうなるよな」


 俺は再び、頭を抱えた。

 病院ではどこにも異常はない、おそらく過労からくるものだろうから、きちんと休暇を取るべきだ、と診断された動悸がする。


「何? 雨宮のお姫様のこと?

なら、悩む必要ないわよ。

はっきり断ったんでしょ?

冬馬さんは優しいから、気になるだろうけど、こと、男女の恋愛に、そういう情けは無用よ。

その気も無いのに優しくなんかするから、そういうことになるのよ。

それで、また罪悪感から、優しくしたら、意味ないでしょ」


「優しくした覚えはないんだけどね、雨宮のお姫様に関してだけは」


「ああ……妖精の騎士のせいね?」


 エリィの言葉に頷きはしたが、実は、その前兆はもっと前にあった。


 真白ちゃんが招待された秋のお茶会のせいだ。

 あの時、俺は真白ちゃんを心配するあまり、お姫様の前で、彼女を甲斐甲斐しく世話をしてしまった。

 それで、お姫様は、俺をそれほど怖くない人間と認識したらしい。

 おまけに、「どうして真白ちゃんにするみたいに、私にも笑ってくれないのですか?」という謎の問いかけをされた。


 そんなことがあって、三か月前、そう、あれから三か月以上も経ったのだ。

 雪の季節は終わり、桜が日本中を真っ白に埋め尽くし、散っていった。


 『妖精』のクリスマスパーティーで、エリィが警告したように、美園はいやがらせを仕掛けてきた。

 自身の手下の女性を使い、衆人の目の前で、真白ちゃんの正体を暴こうとしたのだ。


 エリィの目配せで、怪しい女の動きを察知した俺は、その女が舞台に乱入し、『妖精』から隠れ蓑とも言える仮面を引き剥がした瞬間に、間に合った。

 以前、美園から守ったように、彼女を抱きしめ、人の目とカメラから素顔を守りきった。


 こんなこともあろうかと、準備させていた予備の仮面を受け取り、顔を見せない様に慎重に付け直してあげた。


 突然の出来事に、固まってしまった真白ちゃんと、何事が起きたのか興味津々で見守る招待客の前で、いかにも、それが演出の一部であるかのように振舞おうと、決めた。

 『妖精』の目の前に回り込み、膝をついて、茫然とする真白ちゃんの手を取った。

 咄嗟に、振りほどこうとした手を、強く握り返した。

 「大丈夫」、その思いを込めて、彼女を見つめた。

 その瞳にいつもの輝きが戻るのを確認して、俺は彼女の後ろに回り、背中を押した。


「行っておいで、俺の可愛い妖精さん」


 ――思い出すと、あまりの恥ずかしさに、穴を掘って入りたくなる。

 出来れば、いっそ、その穴ごと埋めて欲しいと思う。

 こんな男、世間的に存在が許されるはずがない。


 百歩譲って、『可愛い』は、まぁ、良い。良いことにしよう。

 あの子は、いろんな人間から同じことを言われ慣れているはずだ。

 でも、『俺の』は無いだろうよ、『俺の』はさ。

 よりにもよって所有格。俺の一番嫌いな所有格だ。

 そうでなくとも、俺の香りをつけた時点で、まるで自分の印をつけてしまった気分だったのに、言葉でも自分のもののように扱うなんて、最低だろう。

 いくら、真白ちゃん以外には聞こえていなかったにしても、俺は、そんなふざけた台詞を言った自分を三か月過ぎた今でも、許せないでいる。


 なのに、世間では、その時の俺の行動が『とても恰好良い』と評判になってしまったのだ。

 『妖精』のお披露目は、年末の特番をぬって、様々なメディアで紹介された。

 それと同時に、俺が彼女に仮面をつけ直してあげる姿や、跪く姿、後ろから肩を抱く姿も公開されることになったのだ。

 それが、『妖精』を守る『騎士』のようで『とても素敵だった』らしい。

 雨宮のお姫様も、他の若い子たちにも非常に受けが良かった。

 俺には滑稽にしか見えないけど。

 秋生と夏樹には、「冬兄は恰好良いよ。体格も良いし、燕尾服も似合ってるから、王子様みたいに見えなくもないし。それに優しそうに見える。もともと、女性にはもてていたじゃないか」と当然のように受け止められてしまった。

 厳しいあの東野部長や、青井部長も、「よい宣伝になりましたね」と喜ぶ有様だ。

 極めつけは井上常務まで、賞賛はしないものの、嫌味も言わないという不気味な沈黙を守った。


 年が明け、世間が通常運行を始めるにつれて、その映像はますます広まった。

 様々なTV番組や週刊誌、月刊誌、自社だけでなく他社からも取材依頼が舞い込んだが、『妖精』関係は全て断った。

 品薄商法ですね、とまた叩かれた。

 でも、俺は芸能人ではないし、『妖精』の事は話したくなかった。

 しかし、相手も引き下がらなかった。

 ならば、と、経済関係の取材申し込みが増えた。

 経済界の新年会で邪険に出来ず、ある程度、取材に応じたせいもあった。

 出版業界の今後、とか、もっともらしい話題の合間に、『妖精』の話をねじ込まれた。

 百戦錬磨の記者達は、話のもっていきかたが、上手い。


 おかげで、いつまでも『妖精』から離れられないのだ。

 もう、俺のものではない……もともと、俺のものではない『妖精』を、忘れてしまいたいのに。


 思い悩む俺の隣で、美容にいいからと頼んだナッツ類をつまみながら、エリィは訳知り顔で慰めてくれた。


「そうねぇ、あの妖精の騎士っぷりを見たら、女の子だったら、惚れちゃうのも分かるわ。

私もあんな風に守って欲しいもの。

冬馬さんは気づいていないみたいだし、そこがいい所だけど、何があっても守りきる! って感じですごい好感度高いのよ。

特に背中を押して、歩きだす『妖精』さんを見守る表情とか、頼りがいがあって、優しくて……恰好良かったわ。

貴方を振ったモデルの女の子たちが、悔しがることと言ったら、見苦しいほど。

……ねぇ、雨宮のお姫様からの縁談が断りきれないなら、私と結婚しない?」


「俺も君の素晴らしいモデル人生を飾るアクセサリーにしたいのか?」


「そうよ。妖精の騎士と結婚したら、私も『妖精』になれそう。

それは冗談としても、悪くない話だと思うけどね。

私、あの妖精の騎士っぷりを見て、あら素敵、とは思っても、恋愛感情は湧かないのよね。

なぜかしら?」


「それは君が他に好きな人がいるからじゃないのか?」


 エリィに指摘すると、腹いせに、モヒートをもう一杯、注文された。

 どうやら、ミントにいい思いをしていないのに、気づかれたようだ。

 それに、誰かを本気で好きになれないことも、薄々、感づいているようだ。

 彼女は俺を『訳あり』と評したが、実際、その通りだ。


「意地悪ね」


「意地悪なのは君だよ」


「じゃあ、どっちもどっちね」


 新しく作られたモヒートのグラスと。氷だけになったグラスが合わさり音を立てた。

 自分ももう一杯注文しようとしたら、エリィに止められた。


「辞めた方がいいわ。

それよりも帰って休みなさいな。

ここ数か月、女遊びをする暇もないくらい忙しいくせに」


「そう……だっけ?」


「そうよ。

その代わり、私と付き合って、そう見せない様にしている。

もう十分、ゴシップ誌にネタを提供したことだし、今、帰ったとしても、今日の分は、彼らが面白可笑しく記事を膨らませてくれるわ」


 エリィがチラリと見やった先に、ここずっと俺に付きまとっているお馴染みの顔が見えた。


「雨宮のお姫様にははっきり断ったのに、一体、誰に向けてこんなことしているの?」


「ごめん。迷惑だね」


「いいえ。こちらも助かるから。でも、可哀想ね」


「誰が?」


「知らない。私の知らない子……それから、私の知っているあの人よ」


 ミントの香りが漂ってきた。

 あの子は、頑張ったご褒美に、俺の使っていた香水をねだったらしい。

 だから、今、あの香りをつけているのは俺ではなく、あの子だった。

 俺は、あれ以来、すっかりあの香水をつけるのを止めてしまった。

 使っていなければ、俺の香りではなくなるし、真白ちゃんのことを思い出すきっかけにならないと思ったからだ。


「忙しいんだ。実際。

君も知っているだろう?椛島真中を」


 それなのに、忘れたいのに忘れられない理由は、『妖精』ブームだけではなかった。

 新年最初に発行された『晴嵐』に、椛島真中の書いた短編が載った。

 それは、当初は知る人ぞ知る、傑作だった。

 彼と、彼の妻の物語だった。

 切々と描かれる別れは、読む人の涙を誘った。

 これほど、人の心を揺さぶる話をかけるとは思わなかった。

 俺自身は、あまり好きな話ではなかったが、社内の、特に女性陣からの支持は絶大だった。

 そんなものか、とエリィに読ませてみせたら、今日と同じバーで泣きだしたので、次の週刊誌に『別れ話か!』と言う見出しが躍ったほどだった。

 エリィはいたく感激したらしく、モデル仲間にも勧めたらしい。

 自身の発言として、今、一番ハマっているものとして、紹介もした。

 時期を同じくして、何人かの評論家も絶賛の書評を、各新聞や雑誌に載せはじめた。

 ジャンまで乗った。

 まるで昔出会った『妖精』の物語を読んだ時のような感動を覚えると、ところかまわず言った。


 結果、『晴嵐』二月号は、売れ切れた。

 またもや、自社工場は、フル回転をした。

 彼らは奮闘し、三度目の品薄商法になる前に、数は間に合わせた。

 しかし、十数年前、一度だけ掲載された椛島真中の短編も読みたいと、古い『晴嵐』にまで問い合わせがきた。

 いつの間にか、図書館でコピーしたと思われる、該当の短編がネット上に出回り始めた。

 著作権を管理する部署はやっきになって、削除依頼を繰り返したが、いたちごっこになった。


 早急に対策を立てなければならなかった。

 取りあえず、正規のデジタル書籍として発売した後、かつての短編と最新作を合わせて、単行本化しようと言うことでまとまった。


 それに伴い、装丁にすでに引退したはずの『妖精』を引っ張り出すことになったのは誤算だった。

 ただし、俺だけ。


 椛島真中の最新作も、かつての短編も、『妖精』である真白ちゃんの母親の話だった。

 つまり、ジャンが感じた様に、『妖精』めいた雰囲気を持った小説だったのだ。

 だから、是非、『妖精』に表紙を飾って欲しいと言う意見になったのは当然の成り行きだった。

 単行本が発売される前に、すでに大量のデータがネット上に出回ったし、デジタル書籍の売れ行きも良かった。

 その中で、遅れて発売される紙の書籍には、加筆修正だけでなく、さらなる売りを付け加えたかったのだ。


 ジャンと真白ちゃんの契約は切れていたが、ジャン自身も大好きな小説の為に、と頼みもしないのに、服を作ってきた。

 真白ちゃんも、父親の小説が念願の本になると知り、再び『妖精』になることに同意した。

 本は刷り上がって、ベストセラーになった。


「ねぇねぇ、椛島真中ってどんな人なの?

あんなお話を書く人だものね、きっと素敵な人よね。

会ったことある? サイン欲しいのだけど」


 エリィはさっきの二人組と大差のない反応をした。


「もうすぐ、インタビューが載った雑誌が発売されるよ。

写真つきでね。

お買い上げ、ありがとうございます」


「ちょっと、献本とかないの?

単行本も並んで買ったのよ、私」


「……言ってくれれば良かったのに」


「言わなくても、そこは気づいて欲しかったわ。

だからせめてサイン!」


「苦手なんだよね……椛島真中」


「えっ?」


 俺は嘆息した。

 初めて会った時から、あの人は苦手だ。

 何と言うか、底知れない。

 『妖精』の母親が『妖精』なら、『妖怪』の父親は『妖怪』だ。

 真白ちゃんは『妖精』の母親と『妖怪』の父親の間に生まれたから、あんな風に人を惑わすような子なんだ。

 あちらも俺が嫌いなのか、それとも見下されているのか、いくら社に呼んでも顔を出さない。

 文芸部の戸田部長を介してのみの付き合いだ。

 ちなみに、真白ちゃんとのやりとりも戸田部長が請け負ったので、俺はクリスマスのお披露目式の、あの舞台上を最後に、長く本人に会うことはなかった。

 お疲れ様会をしたらしかったが、その頃には、『妖精の騎士』と椛島真中の仕事に忙殺され、顔を出すことも叶わなかった。

 いや、無理をすれば参加することは出来たのだ。

 まぁ、案の定、合わせる顔がないので、仕事を言い訳に、断ったと言うのが真相なんだけどね。


 今でも彼女は俺の事を想っているだろうか。

 それとも、もう呆れ果ててしまっているだろうか。


 一度、直接会って話したかったが、バイトも辞めてしまった彼女に連絡を取れる方法は一つしかなかった。

 しかし、それで連絡を取って、なんと言えばいい?

 俺にとっても彼女が他の人間とは違うことは、さすがにもう自覚している。

 過去にもいろんな女の子に好意を向けられたことがあったが、ここまで、突き放すのが惜しいと思った子は初めてだ。

 よりにもよって、自分の半分くらいの年の子なのに。

 だから、それは男女の好意ではないのだと思う。

 妹か、姪に対するような気持。

 守ってあげたい子であり、幸せになって欲しいと望む子だ。

 冷たくも出来ないけど、希望も持たせたくない。

 こうなれば、エリィと結婚して、強制的に『可能性』を断ち切ってしまうのが一番いい方法かもしれない。


 そうしてしまおうか。

 思い立ったが吉日と言うか、目の前に当の本人がいるわけだし。


 こんな簡単に将来のことを決めてもいいのかと思わない訳でもないが、今のこの状態が辛い。

 真白ちゃんとのことを中途半端にしているのが耐えられない。


 エリィに向かって口を開きかけた。

 そんな大事な時に、携帯が鳴ったので、俺は舌打ちをして、着信を切ろうとした。

 切ろうとしたが、着信表示を見て、固まった。


「出ないの?」


 エリィが不審そうに聞いてきたので、我に返り、電話を取ろうとして、携帯を落としてしまった。

 拾い直して、もう一度、落として、やっと出た電話の向こうから、生真面目な声が聞こえた。


「もしもし?

お忙しい所、すみません。

私、椛島真白です。

あの……この電話番号ってどなたのですか?」


 真白ちゃんに携帯を預けるにあたって、いざという時の連絡用に、と短縮番号を三つ記憶させたおいた。

 一番が俺の電話番号だった。名前を入れなかったのは、気を遣ってかけてよこさないかもしれないと思ったからだ。

 気を遣っても、結局、誰にも連絡してくることはなかったんだけどね。

 ちなみに、二番は秋生で、三番は夏樹に繋がる。

 長男で、本当に良かったと思った瞬間だった……って、なんでだ?


「俺のだよ。小野寺冬馬」


 名乗ると、電話が切れた。

 結構、ショックだった。

 掛け直したのに、全然、繋がらないのも。


「なんで出てくれないんだよ」


 繋がっていない電話に向かって話しかけても意味はない。


「出かたが分からないとか?」


 焦る俺に、エリィが言った。


「はぁ?」と言いかけたが、思い直した。


「そうかも」


 彼女は今まで携帯を持っていなかったし、持ってからも、使うのは初めてのはずだ。

 少なくとも、真白ちゃんの携帯料金を基本料金以上、支払った記憶はない。


 今度はエリィが「はぁ?」と言った。


「悪いけど、今日は帰るよ。

じゃあ、おやすみ」


「えっ……ええ、おやすみなさい」


 そそくさと、自分の部屋に帰って、電話を掛け直そうと思ったが、しつこいかな、という気持ちが頭に浮かんだせいで、それは出来なくなった。

 真白ちゃんから、電話がかかってくるのを待っていたら、ショートメールが届いた。

 取扱説明書を見ながら作ったらしいメールはたどたどしくって、読みづらかったが、要は、「お話があるので、明日の朝、会いに行く」というものだった。

 どこで、とは書いてなかったが、なんとなく分かったので、俺も簡単に了解する旨を返信した。


 その晩はゆっくり眠れる気分ではなく、深夜二時に起きだし、シャワーを浴びると、会社に向かって、黙々と仕事をして時間を潰してしまった。

 早朝六時に真白ちゃんに会いに、最上階に昇った。

 今朝は曇っていて、眺めが悪かった。

 五分もしない内に、真白ちゃんがやって来た。

 学校に行く前に寄ったのだろう、いつもの白いセーラー服姿だった。胸元のポケットの線が三本に増えていた。高校三年生になっている。

 決意に満ちた瞳で、やけにさっぱりした様子を見ると、あの例の強気の真白ちゃんらしい。


 彼女は俺よりもずっと強い子なのだ。

 俺みたいに、グズグズ言い訳して逃げたりしない。


 真白ちゃんの為にも、俺も覚悟を決めた……はずだった。

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