3-2 恋心とは、時に無鉄砲
私、若社長に嫌われていると思う。
だって、すごい目で見られているから。
これは……なんというか、化け物を見るような目と言うのが一番しっくりする。
仕方がないよね。
大事な仕事に、こんな小娘が頭を突っ込んだ挙句、ひっかきまわしているんだもの。
もう、泣きそう。
「エリィではご不満ですか?」
「いいや、彼女は彼女なりに気に入っている。
でも、真白ちゃんはもっと好きだ。
トーマは不満か?」
「少し……彼女と話をさせてもらえますか?」
「なんで?」
「……そう……ですね、実は日本語が話せるくせに謀っていたお詫び?」
「君がフランス語で話しかけてきたら、ああ、話せるんだ……と思って使っていただけだ。
ちなみに英語でも良かったのに。
存外、見栄っ張りだな。
手紙に書いてあった『若社長』とは大違いだ」
きゃーーー! 止めて下さい!
思わずその軽い口を手で塞いでしまいたかった。
『お願いします、その話はしないで下さい』
フランス語で訴えてみたけど、若社長も話せるんだから意味はないかも。
『ああ、私と君との秘密にしたいのだね。
そういうことなら承ろう。
男女の間の秘密とは……なんだかドキドキするね』
しませんから! まったく!
私の書いた手紙を若社長の前でヒラヒラさせるのも止めて下さい。
うっかり文面が見えてしまったらどうするんですか!
でも、若社長は私の書いた手紙なんて、もう興味はなさそうだった。
「ちょっと来て」と、私をジャンから引き離すと、誰かのディスクの椅子に座らせた。
若社長は側の机の上に手を付き、上から見下ろす。
さすがに怖い。
押し殺したような低めの声も怖い。
「君、フランス語出来るんだね……」
「はい。
父が……教えてくれました」
「お父さん? あの?」
「ええ、あの……」
「何者なの? 君のお父さんって?」
答えにくい質問だ。
言いよどんでいると、この空気に耐えられなくなったのか、永井秘書がコーヒーを提案したが若社長は丁重に断った。
「父は……その、作家なんです……」
「……っ!? 作家!?」
「はい」
言えない。
鳴かず飛ばずで十五年。
たった一度、小説が雑誌に載っただけの売れない作家だとは。
それでなくても、文壇に拒否されているとしか思えないのに、今や娘は大手出版会社の社長に嫌われている身なのだ。
完全に潰されるかもしれない。
「父は関係ありません!
嫌うなら私一人にして下さい!
お詫びになんでもしますから!」
「駄目よ! 真白ちゃん!
若い子がそんなこと言っては!」
東野部長が大慌てでキャスター付きの椅子ごと、私を手元に移動させ、後ろから抱きしめた。
「真白ちゃん、貴方って子は、なんて無防備なの!
その年頃の女の子は、隙を見せちゃダメ!
本気で食べられちゃうわよ!」
「……東野部長……俺のこと、なんだと思っているんですか?」
「悪く思わないで下さいな、社長。
でも、去年の会社のクリスマスパーティーが終わった後、うちの五歳になる娘の夢がパパのお嫁さんから、若社長のお嫁さんになったんですよ。
父親の添い寝を拒否して、毎晩、若社長からもらったクマのぬいぐるみを抱いて寝るんです。
うちの旦那の嘆きようったら……その内、責任取らされますよ」
それは、何と言うか……私と趣味があいそうなお嬢さんだ。
「とにかく! 若社長は無意識に女の子をたらしこむ癖があります。
それでもって、来るものは拒まず、去る者は追わず。
食い散らかしすぎです。
娘を持つ母親としては、心配にもなるでしょう?」
事の成り行きを見守っていたジャンが大笑いしている声が聞こえた。
「面白い話だが、悠長に聞いている時間はないぞ。
早く結論を出せ!
真白ちゃんを使うか、それともプロジェクトから潔く撤退するか……だ!」
「分かっているよ……」
そうだ、若社長は本題について話していない。
そうよ、私がフランス語が出来るとか、父が売れない作家だとか、若社長になんの関係があるって言うの?
姫ちゃんみたいに出会いの印象が悪い方が良かったかもしれない。
それ以上、悪くならないでしょう?
「困ることなんてありません。
さっきも言いましたけど、お詫びになんでもします!」
「真白ちゃん……」
耳元で困ったような東野部長の声が聞こえたけど、私の決心は固い。
「プロジェクトに必要なら使って下さい。
助けてもらった恩もあります。
椛島家の人間は、決して恩を仇で返してはいけないって、母の遺言ですから」
「君は何をするのか分かっていないんだ!」
うわ、怒鳴られた。
ひどい。
協力するって言っているのに、なんで怒られるの?
「冬馬社長に賛同したくはありませんが、これに関しては同感です。
残念ですがプロジェクトは諦めましょう」
「井上常務、いくら我々兄弟に思うところがあるとは言え、こんなチャンスを逃せと?」
「でも、俺もどうかな〜って思う。
素人のお嬢さんには無理だよ。
冬兄だって、そう思うから反対してるんだろ?」
「それもあるし。
君の通う志桜館学園では、芸能活動は禁止のはずだ。
それは例外を認められているバイトとは違う。
特例のバイトだって、なるべく人前に立つような接客はしないように、とされているんじゃないのか?
だから君は掃除の仕事を選んだ。
そうだろう?」
忘れていた。
そうだった。
バイトを認めてもらう時に、厳しく言われたのだった。
「退学になったらどうするの。
ジャンとのプロジェクトのイメージモデルの仕事をすれば、日本全国に君を使ったポスターやCMが溢れかえることになるんだ。
見つからないはずがない」
心配そうに言われると、先ほどまで感じていた反発心が薄れてくる。
それどころか、プロジェクトの成否がかかっている局面ですら、私のことを気遣ってくれるなんて、どれだけ人がいいのかしら。
「だけど……」
「でも、だっては無しだ。
この話はこれで終わり。
……残念だがジャン、君とは縁がなかったようだ」
あっさりと結論を出されてジャンも、周りの人間も唖然としていた。
「ふーん。
本人はやる気なのに、君に断る権利があるの?
なんで君が真白ちゃんの事を決めるの?
真白ちゃんは君の所有物なの?」
「……っ!」
「ジャン、いくら君でも冬兄に対して、そこまで言う権利はないよ」
これまで陽気な雰囲気を崩さなかった夏樹さんが、ひどく真剣な声音だった。
この人、もしかすると見た目と違って、深刻な人なのかもしれない。
そして、若社長はなんだか辛そうに見えて、申し訳なく思う。
昨日からずっとだ。
ずっと、若社長を悲しませている気がする。
困らせているのではなく、悲しませているのだ。
私は喜んで欲しいのに。
「私、やります。
大丈夫ですよ。
他人のそら似ってことで押し通しますから!」
「いや、それ無理だろう」
「それでもやります!
やらせて下さい!!!」
「君って……本当に、なんでそんなに頑固な訳?」
うう……でも、いいの。
どうせ嫌われるなら、最後に役に立って消えたいじゃない。
私にだって意地がある。
「モデルになりたいからです!」
「はぁ?」
「女の子の憧れじゃないですか! モデル!
綺麗な服を着てみたいし……あと、うーんと、お金も稼げそうだし……それから……」
「それから?」
ジャンが言った通り、若社長は意地悪だ。
信じてもらえないような理由を言っている私も悪いんだろうけど。
こうなったら、言うしかないじゃない、本当のことを!
「お役に立ちたいんです! 若社長の!
いい加減、諦めて下さい!
私と小野寺グループの未来とどっちが大事なんですか!?」
立ち上がって叫んだ。
どうだ、ここまで言わせておいて断るなんて、絶対に、絶対に許さないんだからね!
「どっちも……大事だから困ってるんじゃないか……」
落ち着け自分。
多分、意味が違うのだ。
若社長は優しいから、前途ある高校生を退学にさせたくないだけだ。
それが大事と言う訳で、特に私に好意があるとかいう意味では決してない。
あり得ないから。
私はすごーく冷静よ。
ただちょっと倒れそうだから、椅子には座るけど。
口に手を当てながら、長い間、考え込んでいた若社長が何かをひらめいたようだ。
「どうしてもやる……やってくれるの?」
「はい、やらせてください!」
「だそうだ、ジャン。
君の望み通りになりそうだよ」
座っていたジャンは、だが、すぐには喜ばなかった。
「で? 条件は?」
「顔を写さないこと。
出来るだろう?
君は手紙だけで彼女を妖精だと思った。
つまり、顔は必要ない。
そうだろう?」
目の前が暗くなった。
若社長が手を私の前にかざしたのだ。
大きな手だから、顔の半分以上は隠れているはずだ。
「ジャン・ルイ・ソレイユが日本で初めて見つけた妖精の正体は謎。
その方が、世間も注目するかもしれない。
どう思う?青井広報・マーケティング部長?」
これまで黙っていた青井部長が進み出た。
「いい考えだと思います。
真白ちゃんの事も守れますし、世間的にも耳目を集めることでしょう。
もっとも、最後まで種明かしがないことはしっかり明示しておかなければ、いらぬ反発を受ける可能性があるので、注意が必要です」
『見る人間の想像を掻き立てる存在。謎めいた妖精』
ジャンに向けてなのか、フランス語になった。
『いいね。
ネーミングセンスは良くないが、コンセプトは素晴らしい』
視界が遮られているが、発言の主の静かな興奮が伝わってきた。
それから、歓喜が爆発した。
『見事だよ!トーマ!』
『ご満足いただけて光栄です。
……キャッチフレーズは、専門家に任せるからご安心下さい』
「そうだな! いずれにしろ、今夜は祝杯だ!
私は日本の居酒屋に行ってみたいな。
そこでおでんとかほっけとか食べながら、日本酒を飲もう。
行くぞ! 案内するが良い!」
「まだ日が高いですよ」
「それに……」と、若社長が私を見た。
「今度こそ、君のお父上に許可を頂く必要がある」
そんな……いいですよ、と言いたかったが、意外なことにジャンも同意した。
未成年者を保護者の許可なく使うのは、やはり良くないと言う見解なのだ。
「後々、問題になるといけません」
広報の責任を担う青井部長が仕事モードに入り、契約の条件などを秋生さんと話始め、東野部長は不安そうに「本当にやるの?読モとは違うのよ」と気を変えるように説得し始めた。
井上常務と夏樹さんは不服そうだ。
でも、もう後には引けない。
大事なのは、父をどう納得させるかだ。
それは……なかなか大変なことだと思うけど。