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国防省、国土防衛部、本部
聞かされた話に、常盤は思わず眉がしかんだ。担当案件延期の理由を知らされたのだ。それのスタートは先般技術研究課からで、お披露目し軌道にのせるのが常盤の仕事だった。やっと骨子がまとまり、常盤のいる本部へお披露目がされるところだったのだ。
長机が二脚だけはいる狭い会議室に、常盤は上司に呼び出されていた。二人だけの部屋で、上司であり部長である壱岐から告げられた内容を、常盤は繰り返した。
「つまり延期の理由は、モノ自体を奪われたから、ということですか」
「そうだ」
「それを、部内、つまり表向きのは延期というこということにするんですか?延期とごまかしている間にドロボウを捕まえる?いくらなんでも無理がありませんか」
常盤は課やチームには属していない。時期部長候補として、壱岐の下で仕事をしている。課やチーム間の取りまとめや、部を超えた情報のやり取りを仕切っていた。今回の案件は、次期部長となる足掛かりとして重要なプロジェクトだった。壱岐は難しい顔をしたまま、口元で手を組んだ。
「奪われたこと事態を、部内ですら知られるわけにはいかない。
これは新規開発案件として発表されたものだということは知っているだろうが、実は計画自体は水面下でずっと進められていたプロジェクトなんだ」
「それが公開できる目処がたったから、今回各部署に連絡がまわり、それについての意見交換会および事業計画が練られるという手筈でしたよね」
常盤の確認に壱岐は重々しく頷いた。
「水面下で、と言った。予想される反発が大きすぎるせいで、秘密裏に進められていた計画なんだ。延期理由はおまえが考えてくれ。それで周知し、この件に関する口を封じたうえで、モノの奪還を遂行してくれ」
常盤は厳しい表情のまま、一度口をつぐんだ。指示された内容に、得心がいかない。さらなる説明を求めて常盤は、三十以上歳の離れた上司を見た。彼は退役が近い。
「君は次期防衛部長として期待されている身だ。デザインで初めての、な。このくらいのことはやってのけて欲しいというのが上の意見だよ」
「……奪われたモノが何か、も教えては頂けないんですか」
不満そうにそう口にした常盤に、壱岐は小さく笑みをもらした。前のめりになっていた背をそらし、しか声量はおさえて壱岐が言った。
「殺害能力に特化されたデザインだよ。君のように掛け合わせだけではない。遺伝子操作も加えられた、最強のデザインだよ」
壱岐の笑みには皮肉が交じっていた。壱岐はデザインではない。
「期限は一カ月。伝えられるのは以上だ。」
くれぐれも内密に、と言い残し壱岐は部屋を出て行った。常盤はしばらく考え込み、目を閉じて思考をまとめることに務めた。言われた内容が重い。
命令は、開発された戦闘型デザインを一カ月で奪還すること。
戦闘型デザインの特徴も、奪った側の情報は与えられなかった。技術研究課が戦闘型デザインを開発していたことは、他に知られてはいけない。つまり一人でやらなければいけない。
それから常盤は、奪った対象に思考を向けた。奪った、ということは少なからずその研究内容、成果を奪った者は知っているということだ。壱岐の口ぶりから、このことは部内のみならず省内にも公にはされていない。つまり技術研究課から漏れた、あるいは課内部から反対派が出たか、だ。
奪った側の勢力として考えられるのは、政治派閥か倫理委員か、あるいはその両方か。
生命倫理にうるさい勢力が戦闘型デザインの情報をつかみ、国防省の敵対勢力へ情報を流した。またはその逆。
そこまで考えをまとめて、常盤は席を立ち会議室を出た。
席へ戻り、常盤はさっそく技術研究課を訪ねるべくスケジュールを組んだ。今回の件で連絡を取り合っていた技術研究課の担当者へ、訪問の連絡を入れる。返事はすぐに返って来た。意外にも、すぐ来て構わないという返答だった。
「……」
何か不穏な空気を感じながらも、常盤は手早く出かける準備を整えた。まだ外は明るい。今日、どこまで話を進められるだろうか。
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技術研究課は国防省の管轄で、国土防衛部の下に置かれているが、他部署はおろか他の課との交流もない。無人の属する科学省とはまったく別の指揮下で研究が進められる場所だった。
「戦闘型だなんて、そんな」
担当者の蛭間は常盤から戦闘型デザインと言われて笑った。少し太り気味だが人の好さそうな下がり眉が印象的だった。会うのは初めてだ。彼が技術課の課長であり、今回の件を担当している。
「壱岐部長からはそのように伺っていましたが、やっぱりそんな…」
「ええ、そんなのは目じゃないですよ。001-Xは戦闘特化だなんてそんなもんじゃない」
常盤を遮って、ははは、と蛭間は快活に笑った。まあこちらへ、と蛭間は常盤を奥の会議室へ案内した。窓がなく、監禁部屋のような何もない部屋だった。ぽんとおいてある椅子に常盤が座ると、蛭間は壁をスクリーンにして資料を投影する準備を始めた。
「001-Xは、戦闘に関わらず何でもできるタイプです」
「……なんでも?」
常盤は椅子についたテーブルに肘を置いた。蛭間は30歳くらいに見えた。彼はもみ手で誇らしげにうなずいた。壁にデータが並びだす。細かく複雑なデータに、常盤は目を細めた。
「ええ。まあ、開発のきっかけは戦闘用でしたが……、国防省の管轄ですしね。結果として素晴らしいモノができました。001-Xには遺伝子操作を施しています。その結果、より"良い"人間が出来上がったのです」
「……」
壱岐が言っていたことは本当だった。常盤は表情を殺して説明を聞いていた。
「神経細胞の強化に成功し、五感は今の人間の数倍、いや比べ物にならないほどの成果があります。これを戦闘型だけなんて、とんでもない。我々デザインをしのぐ存在ですよ、これは」
「法律上、遺伝子操作は禁止されているはずでは」
常盤の指摘に蛭間ははあ、と呆れたため息をついた。
「だからここで開発がすすんだんですよ。科学省ではできないでしょうからね」
「それで完成まで存在が伏せられていたということですね」
無表情を装って常盤は言った。目の前のスクリーンでは、データがチカチカと並ぶ。
「そうです。それを見てしまえば、軍の上層部も国も納得します。世論も恐れるにたらない」
「それが盗まれた、というのはつまりそのプロトタイプ自体が盗まれたということですか?それともデータが?」
「001-Xです。ええ、それそのものが盗まれたんです」
盗まれた話になると、蛭間は途端に顔を歪めた。悔しくてたまらないらしく、温和な顔に憎しみの皺が深くなる。
「でも色々すぐれているんでしょう?反射神経とか。普通の人間に盗みだせるようなものとは思えないご説明でしたが、心当たりがおありなのですか?」
「それが複雑なのです」
蛭間が手元のタブレットを叩き、研究員リストが表示される。各人の性格や生い立ちなどのバックグラウンドも合わせて表示された。常盤は黙って壁を眺めていた。皆コードは1000番台一桁から二桁の、まさに少数精鋭だった。
国の出生管理によるコード管理は管理チームの世代によって番数が区切られている。1000番台は、常盤たちを生み出した一つ前の出生管理チームによって生み出された人間だ。そのひと桁台というのは、特に優れた遺伝子が表出したものに与えられるナンバーである。常盤を生み出すために掛け合わされた者たちは彼の1103の下に副コードが与えられ、管理されている。つまり11003-××××というコードになる。
戦闘型に係わった技術者は、副コードのない1000番台のひと桁、つまり常盤と遜色ないほどの秀才ぞろいだった。
蛭間の研究員一人一人の説明は続く。ひたすら常盤はそれを聞いていた。