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「該当がない?」
翌日その地区警察の保護課へ照会をかけた常磐は、言われた言葉を繰り返した。照会画面の向こうで、女性オペレーターがもう一度言った。
「はい。現在所在不明になっている保護対象のエラーはいません」
「本当に?もちろん全国区で、対象全部、ナチュラル、デザイン両方調べてくれてんだよね」
むっとした声でもちろんですと返ってきた。すぐ保護者がみつかると思っていた。ナチュラルの、しかもエラーの迷子などそうそういないはずだ。それでナチュラルのエラーで最近行方不明の照会を頼んだ結果がこれだ。該当が無いとは思わなかった。
昨日保護した少女の特徴を、オペレーターが繰り返す。黒い髪、直毛、目は二重、性別女、年は見た目で17くらい、身長は160センチくらい、言葉を話せない。
「外見的特徴ではなんとも。タグはありませんでしたか?」
「あったら言ってる。ないよ。だいぶ徘徊してたみたいだから外れたのかもしれない」
保護対象のエラー遺伝子をもつナチュラルの人間は、生態情報が記されたタグをつけられている。生存権を保障するためという名目のもと、エラー具合によってはGPSもつけられる。常盤はレベルの低いオペレーターに合わせて、ゆっくりと伝えた。
「とりあえず引き取りを頼むよ。ただ仕事の都合上、いない時に家に入られるのは困るんだ。帰ってから連絡をいれるから、夜に引き取りにきて欲しい」
「わかりました。では都合がつき次第ご連絡ください。すぐ伺えるよう、手配しておきます」
通信を閉じインカムを外して、また常盤はため息をついた。さっさとケリをつけたかったのに、あのオペレーターはたぶん検索のやり方と要領が悪い。きっと対象を見逃している。
ピピ、とメールの着信を知らせる電子音が鳴った。無人からだ。私用の端末を開き、目を走らせた。
「………」
常盤は無言でその内容を胸中で繰り返した。
"マイクロチップの埋込はないよ"
その一言のみのメールだった。なにか釈然としないものを感じながら、常盤はメールを閉じた。あのレベルで障害を持ちながら、チップの埋め込みもないとは、にわかには信じられなかったのだ。
一体、どうやって生きてきたのか。
生まれてからの行動すべてが記録されるこの社会で、この少女の記録に何一つたどりつけないのだ。
仕事用のメールの着信を告げるポップアップが画面に表示される。担当プロジェクトが延期になった連絡だった。仕事も忙しいのに、面倒事が増えた。常盤は深いため息をついた。はやく、あの少女から解放されたい。
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家に帰りつき、騒がしさに常盤はどっと疲れを感じた。
ばたばたと床を転がる音、がたんどたんと色々な物にぶつかっている音。リビングで例の少女が這い回っていた。うめきながらうろうろしている。無人の姿は見えない。ため息をついて常盤は鞄を置くと、大型犬のような少女を後ろから捕まえた。
「こら!」
「うー」
捕まえて抱き上げた途端に。
"ぐうううううぅうう"
「うー」
うめきながら、彼女は訴えるように大きな目で見つめてきた。やはり無人は見当たらない。
「なんだ、腹減ってんのか」
ソファーに少女を降ろし、とりあえず、と栄養補給ゼリー飲料を渡した。これならこぼすことも少ないだろう。フタをあけて、ほ乳瓶でエサを与えるようにゼリーを飲ませる。よほど空腹だったのか、ぐいぐい吸い込んでいく。
「無人は何やってんだ、全く」
見れば服は昨日からそのままで、常盤のシャツは見事によれよれになっていた。袖は床を掃除して薄汚れている。
「あーあ、もう……」
パックがみるみるへこんで、空になった頃だった。
「ただいまー。あ、常盤帰ったの?」
無人が外から帰ってきた。やはり出かけていたらしい。常盤はもう怒る気力も無かった。無人は手ぶらでリビングへやってきて、常盤をみてやれやれと両手をあげた。
「あ、ごはんあげちゃった? アレルギーのこと伝えてないのにー」
「なんかあんのか」
「ないよ。アレルギー含め今日調べたからね。おれが世話してないみたいに思われたらヤダと思って言ったの」
パックから手を離して、常盤は無人を睨む。
「しょーがないじゃん。研究室行かないと検査結果でないんだもん。アレルギーとかすぐに関係しそうなとこだけ急いで調べてきたんだよ。その子、なんっにもないからさ。照会かけたけどわかんなかったんでしょ、身元」
ひらひらと両手を振って無人は説明した。タグもなければマイクロチップの埋込もない。食べ物一つ怖くて与えられないと無人は言った。少女は空のパックを両手で持ち、固い飲み口をかじっている。
「常盤、で、その子どうすんの」
「施設に引き取ってもらうよ。その方が保護者も見つかると思うし」
「親、探してるといいけど。わりと可愛い顔してるから育てられたのかなあ。ね、常盤」
「不細工ではないな。ナチュラルで検査もせず産んだ子だ。信念持って育ててるだろうさ」
無人は食事の支度をするためキッチンへむかった。少女はプラスチックの飲み口をかじるのに夢中になっている。常盤は端末を起動し、引き取りの依頼をすべく電話をかけた。
少女が騒ぎだしたら通話の邪魔になる、そう思って常盤は、履歴からリダイアルしながらリビングから出た。
昼間に連絡しておいたおかげで、スムーズに話が進んだ。引き取りの時間を確認し、常盤はリビングへ戻った。すぐにきてくれるようだ。
「……あいつは?」
料理をはじめた無人に聞いた。 少女がみあたらない。へ?と間抜けた声が返ってくる。リビングに、さっきまでいた少女の姿が見当たらない。机の下、ソファーの後ろなどを見て回る。が、いない。
「おい、あいついない」
部屋は殺風景で、そんなに隠れるところはない。キッチンの方へ行きがてら探したが、人一人隠れられる隙間はない。せいぜいダイニングテーブルの下くらいだ。
「え? ほんとに? あんまり動けないだろ、あの子」
無人はめんどくさそうに常盤の方を振り向く。そして本当に少女がいないことを認めた。
「音は? 無人おまえなんか音聞いてないのか?」
リビングとキッチンはつながっている。扉を隔てて電話をしていた常盤は無人に聞いた。
「いや特になにもしなかったケド」
「………」
常盤は思いつくまま、隠れられそうな所を探しはじめた。風呂場、トイレ、洗濯機の中、クローゼット、キッチン戸棚。どこにもいない。
「外は?」
「エントランスまでいくなら、おれがいる。おれの前を通らず出るのは無理だ」
無人に聞かれて常盤はそう答えた。満足に立って歩けないはずの人間が、ものの数秒で姿が見えなくなったのだ。それぞれの寝室も調べた。ベッドの下も。中も。しかしどこにも見当たらない。二人がかりで探したが、見つからない。そうこうしている間に、引き取りの担当者がやってきてしまった。
「いなくなった、ですか?」
怪しまれるが本当のことだ。無人と常盤が二人で事情を説明し、念のため周囲を探して欲しいと伝える。依頼を受けて来た引き取り担当者はしぶしぶと承諾し、帰っていった。
「おかしい! 絶対おかしい」
常盤は言いながらうろうろとリビングを歩きまわった。無人も考えこんでいる。沈黙がながれたのも束の間。こん、と何かが落ちる音がして、常盤ははっとリビングを出た。途端に、ドタンと物音が続いた。
「あうー……」
「おま、どこに……」
消えた少女が、そこにうずくまっていた。どこから現れて、どこから落ちてきたのか分からない。常盤は上を見た。が、そこは平らに天井が続くのみだ。彼女はひょこひょこと常盤の元に這ってくると、空のアルミケースをつきだした。
「あううぅ……」
半べそでそれをさしだしてくる少女を、常盤は茫然と見つめた。片手にこれをもったまま、一体どこにいたのか。まったくもって分からない。
「うっ、ふぁっ、あーー」
常盤がなにもしないせいか、少女は泣きだした。その泣き声に常盤は我に返った。
「あ、ああ足りないのか」
キッチンストックからパンを取って渡すが、少女は首をふり、ギャンギャン泣き始めた。無人がゼリー飲料を投げてよこし、常盤はそれを少女にさしだした。飲み口にパクリと食いついた少女は、途端におとなしくなった。
「見事なミュート」
無人が感心するが、何に感心しているのか分からない。
「泣きたいのはこっちだよったく。担当者帰っちゃったじゃないか。また呼ばなくちゃ……」
「まあちょっと待ってよ」
無人が薄く笑って言った。
「ちょっと気になるんだよねえ、その子。ちょっと預からせてよ」
「何言ってんだよ。こういうのはしかるべき場所で面倒みてもらうべきだろ。おまえの実験材料にしていいもんじゃない」
アタマ固いなあと言いたそうに無人が笑う。そのまま、腕を組んで常盤の座るソファの背に体重を預けた。
「切人が関わってる気がする」
キリト。その名前を聞いただけで常盤は顔がしかむのを感じた。常盤の返事を待たず無人は続けた。
「だっておかしいだろ。照会をかけても対象がヒットしない。おれは最低限のデータでだけど、生体データで照合かけたんだよ。それでも対象はいないんだ。それの意味するところはつまり。この社会の戸籍にないってコトだ。違う?
常盤言ってたろ、ナチュラルで検査もせず産んだ子だから親は信念持ってるって。タグもチップも埋め込まずって、相当だよね?」
常盤は黙ってそれを聞いていた。言い返す気になれない。無人はゆっくりと続けた。
「切人が関係しているなら、この子の出生にも納得がいくよ。こんな状態で生きているなんてね」
「だったら尚更通報するべきだろう」
歪んだ表情のまま常盤は振りかえった。無人は両手を広げて言った。
「本音を言うよ。おれはこの子のデータをとりたい。調べたいんだ。
もしかしたら切人がこの子を探してやってくるかも知れないしね!そうしたらどうしようおれは!願ったり叶ったりだ!」
しゃべる内に熱が入った無人は、頬を上気させていた。こみ上げる不快感を理性で抑えながら、常盤はうめいた。
「おれは切人とは会いたくない。あいつを見たくもないんだけど」
めげずに無人は常盤のまえに回り込んだ。目をきらきらさせて語る。
「だから調べるんだよ。この子の何かのデータが、科学省で管理されているものならおれに調べられる。そしたら切人に関係ないってわかるだろ。切人に関係あったらあったで、彼に対する切り札になるかも。ね、おれにまかせてよ。
大丈夫だよ。この子いなくなったってことになったんだから!ね?ね?常盤―、身元がわかっても分からなくても、おれたちにリスクはないじゃない」
めいっぱい身を逸らして無人から距離を取ろうとしながら、常盤は無言で目をそらした。無人がそのそらした目線の先へまたぱたぱたと動く。無人と目を合わせないように常盤は頭を巡らせる。それを無人が追う。
「あうあうあう!」
ゼリーを吸い終わった少女が常盤の袖を引く。次を催促するように。
「ときわときわー」
「ああもう!やかましい!」
声を若干荒げたが、少女は構うことなく常盤にすがりつく。
「あうあうあう」
「ほら。常盤にこんなになついてる」
「うるさい。ったく、こんなんばっかり食ってんじゃないっての」
少女の手から空のパックを取り上げ、常盤は無人を睨む。
「どうしてもって言うなら、おまえが世話しろよ。メシ!」
少女を指さして常盤は無人に言った。無人が嬉しそうに両手を打ち合わせた。
「もちろんだよ!」
そして無人はキッチンへ走っていった。料理を始めた。常盤はため息をついて、改めて少女を見た。何を考えているか分からない目が、ぱちぱちと瞬いて常盤を見つめている。
「……とりあえずでも名前がいるな」
その呟きを聞いた無人がキッチンから言う。
「あ、名前は常盤がつけていいよ。拾ってきたの常盤だし」
無視して常盤は少女を見つめた。可哀想な存在。きっと生まれる必要もなかったろうに、と憐れみの念だけが常盤の胸に湧きあがった。きっと長くは生きられないだろう。
「……ちとせ。字は千歳」
「まったく、まじめだね。コードナンバーふれないにしてもそんな真面目に考えちゃって。常盤らしいよ」
無人が笑う。フライパンから皿にチャーハンを盛りつけ、常盤の元に持ってきた。テーブルに置き、スプーンを添える。一人分のそれを見て、常盤は黙って無人を睨んだ。無人は悪びれることなくソファに掛けた。少女にはアルミパックのゼリー飲料をとりだす。少女、千歳の目がそれを見てキラキラと輝いた。
「その子ね、こういうのしか食べないんだよ。不思議だね」
昨日からそうなんだけど、と言いながら無人はキャップをまわした。たかたかと千歳は無人の方へ這っていく。
「ま、こういうとこも何か手掛かりになるかもしれないよね」
まったく腑に落ちないことだらけだ。言い知れない不安を感じたが、今のところ他にどうすることもできない。常盤はため息をついてチャーハンにスプーンを突っ込んだ。仕事用の連絡メール受信の着信音が鳴る。スプーンをくわえながらそれを見る。件名は延期になった案件について、だった。
まったく、仕事も私事もいそがしい。