D2
時は一週間ほどさかのぼる。
「あっ常盤さん今日はもうお帰りなんですか。あっあの……」
「常盤ー!仕事終わったんならあたしんち……」
「これあのホテルのチケットなんだけど、ちょっとやめてよ私が」
騒がしく勝手に喧嘩をはじめた女たちにひらひらと手を振り、常盤はネクタイをゆるめながらエレベータから降りた。スッと背後で扉は閉まり、一人になれた。常盤の属する部署の占有フロアを抜けて外へ出た。夜風がゆるめた首元から流れ込む。
国防省内、国土防衛部に勤める常盤は、夜も遅くに職場を離れた。まだ今日は早い時間に帰れた方だ。政府の重要な機関へ配属されてまだ2年だが、常盤は幹部候補生としての待遇を受けている。将来は保障されている。
家路を急ぐ。待遇として与えられたマンションは職場の近くで、歩いて通勤できる。同居人の無人からのメッセージを通話用移動端末機で確認し、常盤は街灯の煌めく路地を急いでいた。
頼まれたものを買うため、マンションの近くにあるコンビニに寄る。住宅街に近づくとさすがに灯りは少なくなり、暗くなる。オーガニック食品を始めとする高級食材を扱うコンビニは、今夜は不相応に騒がしかった。コンビニの外のゴミ集積に若い男が集まっているのを、店主らしき男がおろおろと見ている。すぐに殴る蹴るの暴行と分かった。
舌打ちをして常盤は静かにそちらへ歩みよった。軍人ではないが、それに準ずる職業柄、音を立てないクセがついている。
「むかつくっ」
「ったく出来損ないのくせに!」
頭を抱えてうずくまっている人間を、靴のまま踏みつけ蹴りつけている。罵声ははっきり聞き取れない。常盤は後ろから手を伸ばしひとりの襟ぐりを掴んだ。
「ぐ!?」
「何やってんの。夜中だ。静かにしろ」
「うわなんだおまえ!」
「……コード1103」
コードナンバーを伝えれば、優位性は伝えられる。1100番台ひと桁は、頭に血がのぼった若者たちを黙らせるのに十分だった。急に大人しくなった彼らを、蹴りつけていた者から離れされて常盤は聞いた。
「で、なにごと」
「こいつが! ここから飛び出してきておれの買ったものひったくったんだよ!」
「しかも中身全部ぐちゃぐちゃにされたんだ!」
言われて常盤は改めてゴミ袋に埋まるそれをもう一度みた。
(……なんだ。こいつ)
思わず常盤はまゆをひそめた。異臭を放ち、うめきうずくまっているのは薄汚れた少年のようだった。髪は脂で固まって束になって絡まっている。着ている服は元の色が良く分からず、嫌な色が染みついている。それは、攻撃が病んで、うー、うー、と唸り、指を噛んでた。幼くはない。10代後半にさしかかったくらいだろうか。
「おい、名前は?」
「うあー、うー」
「……」
そして呻きながら這い、またごみを漁り始めた。どうするんだ、と言わんばかりに、暴行していた男たち、そこに店主もまざり、常盤をみる。常盤がどうにかするしかない雰囲気がその場を支配する。それを覆すことはできなかった。
「うーわー、なーに持ってきたの常盤」
「……なりゆきで」
汚れた浮浪者を背負って帰ってきた常盤に、無人が抑揚のない声でいう。たいして驚いていなさそうな雰囲気に常盤はいらついた。
「で、アイス買ってきてきれた?抹茶のやつ。うわっくさ!」
「買えなかった!いーからまず風呂沸かしてくれ」
「うー」
無人がそれをまじまじと見て「ん?」とまゆをよせる。常盤は背中から担いできた人間を下ろし、シャツを脱ぎながら常盤は言った。
「エラーだろうな。多分ナチュラルの」
「へええ。そうだよねえ!ナチュラルじゃないとここまで大きくなれないよなあ」
生物学者である無人は興味をそそられたらしく、薄汚れた人間をなめるように見つめた。腕組みをし、人差し指がトントンと腕を叩いている。
「可哀想だから連れてきた。ケガしてるし一晩泊めて、明日しかるべきところに連絡するよ。
いつまでも見てんなって。ったくバカ。早く風呂場に連れてってやってくれ。おれが風呂がてら洗うから」
「アイスも買ってきてくれなかったのにおれに命令すんだ。相変わらず真面目だね、常盤は」
「おまえこの状態で買ってこられたアイス食いたいか!?」
無人の状況を読まない嫌みを聞きながら、常盤はバサバサと服を脱ぎ捨てた。臭いが身体に染み付きそうで気持ち悪い。常盤が風呂支度をしている最中、無人はそれを観察していた。緊張からか、それは自分の指を全部口に突っ込んでいた。
「名前は?どこに住んでたの?んー、意味は分かるのかなー」
常盤は観察しつつも、常盤に言われた通りそれを風呂場へ運んでいった。それから脱がせた服は、生ゴミの袋に捨てた。常盤は自分の着がえを用意して、続いて風呂場へ入ろうとした。
「あ、ときわ、あの子……」
「アイスか!一晩くらい我慢しろよ!」
不快でたまらない。そそくさと常盤は風呂場へ入りバタンと扉を閉めた。目の前にいるそれを見て、思わず目に力がはいった。心細そうに風呂の床に座りこむそれは、なめらかな肩にくびれた腰、そして胸がやわらかそうにふくらんでいた。
「おっ、女っ!!?」
常盤の上ずった声を、無人は風呂場の外で聞いていた。ぬがせた服を突っ込んだゴミ袋の口を固く縛る。ふん、と憤る。
「自分で風呂いれるって言った癖に」
なんとか風呂を済ませた常盤はバスローブをひっかけてソファーに座っていた。仏頂面で口をへの字に曲げているため、仕方なく無人が少女の頭を拭いている。少女はおとなしく従っていた。
この国は古い歴史を持つ国だ。海に囲まれて周囲からは孤立しているが、長い歴史と卓越した先進技術、高度な文明をもつ豊かな国だ。国の出生管理機関で生まれたものはデザインと呼ばれる。より優秀な遺伝子を掛け合わせ、生み出された者達はやはり優秀だった。自らの子を持ちたいと思う人も一定数おり、もちろんそれは権利として認められている。しかし、個の人生を重視する風潮に推され、またデザインたちの優秀さは明らかで、あえて自ら産んで育てる人は少なかった。
「ナチュラルで、エラーか。初めて見た」
無人がめずらしそうに呟く。出生管理機関以外で生まれた人はそのまま、という意味を込めてナチュラルと呼ばれた。
「だからそんなんなんだろ」
デザインは受精卵のころから産まれるまで管理され、異常が見つかればその時に排除される。だから無事生まれることのできたデザインたちに先天性の不具合はほとんどない。自由に生み出されるナチュラルには、母体の意志によって検査項目頻度もちがうため、遺伝子異常を発見できずに生まれることがあった。常盤はムスッとしたまま、ソファの肘掛けに頬杖をついていた。
「あーあー」
「ときわー!なんか言ってるー!」
「なんでおれにふるんだよ!?」
「だって常磐を見てる」
イライラしながら目を向けると、ブカブカのシャツを着せられた少女は常磐を見てわあわあ言っていた。シャツの袖から手が出ず、余った袖をぶんぶん振っている。
「おいそれおれのシャツ。無人てめ」
「だって他に服ないし。あ、お腹減ってるのかなあ。けどアイス無いなあ」
無人はそそくさとたち上がってキッチンへ向かった。すると少女はベタベタと床をはって常磐の方へやってきた。黒く丸い目があどけなく常盤を見上げる。
「ああ、おれのシャツ……」
常磐は半ばあきらめて、ナチュラルの少女が袖を口に入れるのをみていた。そのまま袖をしゃぶりはじめ、ダメになっていく自分の服を、常磐はため息をついて見つめた。仕方ない。常盤はソファーから床へ座りなおすと、ナチュラルの乾きかけの髪へドライヤーをかけてやった。ハサミでざっくり切ったような髪型だった。しかし風呂上がりの髪はしっとりと黒く、よごれて絡まっていた時とは見違えてきれいになっていた。
「ったく、どっから来たんだおまえは」
ナチュラルの少女は袖を噛みながらも、おとなしくされるがままになっていた。