面倒と仕方ないは、いつも一緒
「じゃあ、俺達は行くから、お十和は寄り道しねぇで真っ直ぐ帰るんだぜ。わかったな ? 」
「・・・・・・・・うん」
まるで小さな子供に言い聞かせるように注意され、十和が不満げな顔をする。
眉をよせ、口を尖らせたその顔は、とてもではないが二十歳を過ぎた大人のする表情ではなかった。
「いくぞ、三ノ助」
「うん」
十和の大人らしからぬ顔を見たニノ助が、近くに居た三ノ助に「速く来い」と言い急かす。彼は速くその場を離れたいらしく、珍しく弟の手を引いたりなんかしている。のろのろしていたら、十和に付いて来られると思っているようだ。
ニノ助は、なるべく速く十和を長屋の普一の元に帰したかった。いつまでも帰って来ない十和に、怒った普一が怖いのだ。朝からずっと一緒にいる自分たちに、とばっちりが来ないとも限らない。そう考えいてた。
「またね、お十和」
「・・・・んー」
自分達の身の安全を最優先に考えた子供達は、その場から足早に立ち去ってしまった。後ろを見ようともせず、さっさと。
そして一人残され、ふて腐れた十和は、
「なんだよニノ助の奴、夕方までに帰れば問題ないって言ってるのにー。あいつって子供のわりにちょっと頭固いんじゃないかな」
一人、道端で不満を洩らした。
ニノ助兄弟は、これから近くの神社へ桜のつぼみを見に行くのだと言う。
そこは壮観なほど何本もの桜の木が植えられていて、まだ花が咲いていなくても、膨らんだつぼみのピンクが枝を染め、きっと綺麗だろうと思われた。もしかしたら何輪かは開花しているかもしれないと、想像しただけで十和の心も弾む。
なのに、十和は二人に連れて行ってもらえなかった。「お前は、今晩、祝言なんだから速く帰れよ」その一点張りで突き放された。おだてても下手に出ても駄目だった。
「けち」
自分をおいて、とっとと行ってしまった子供らの消えた方向へ向けて、また悪態を吐く。
そして何気なく視線をそらした先にあった食べ物の屋台に、結構な人だかりが出来ているのを見て、今がまだ昼時なのを知る。派手な溜め息が洩れた。
料理茶屋で食事を共にする善堂と合流するのは夕刻。辺りが暗くなってからだ。それまで、まだかなりの時間があった。今帰ったら、その時刻まで狭い長屋で普一と二人きり。ずっと顔をつき合わせていなければならない。
十和は、その時間が気恥ずかしくってたまらない。どんな顔をしていればいいのか分からなくなるのだ。
だが、避けて通れない道なのは分かっている。が、その針の筵の様な時間は、なるべくなら短い方が良かった。
「しゃぁないな・・・・」
どこで時間を潰そうか・・・・と考えながら、十和がとぼとぼ歩き出した。
すると踏み出した足元に、紫色の紐が落ちているのを見つける。
あらら、綺麗な紐。立派な飾り房まで付いているし。十和が人差し指と親指で、少し太めの紐を摘まみ上げ、目の高さまで持ち上げる。
紐に土の汚れは無く、今、落としたばかりの物のような感じがした。
(もしかしたら、さっきの女の人の落し物かな ? )
先ほど見送った、赤い髪の女の顔が頭に浮かぶ。
この時代、布も貴重品だが紐だって同じ事。なにしろ紐の専門店があるくらいだ。たかが紐1本とは言えない。
それに十和の目にも、その紐は色から手触りからして結構な上等品だと感じられた。落とした人は、さぞ困っているだろう。
(だから、これは届けた方がいいよね。届けるべきだよね。いや、届けなければいけないよね ! )
これは良い暇つぶしが出来たと十和は、いそいそと巾着の中に紐を入れる。ぎゅっと口を絞り、よし、準備は出来た。
「ええっと、たしか、どこだかに泊まっているって言ってたよなぁ・・・・」
ぶんぶん巾着を振り回すこと数秒。(ああ、そうだそうだ、確か、気を失った女の人を担いで行った人が、宿の隣は皆木屋さんだと言っていたっけ)女の言葉を思い出し、ついでに皆木屋の住所があやふやなのも思い出す。
大体は分かるのだが、皆木屋は薬問屋で、十和とはあまり関わりの無い店だったから、正確な場所があやふやなのだ。
だが、たぶん行けば分かるだろう、何とかなるよの精神で生きている十和は、巾着袋をカチャカチャ鳴らし軽い足取りで歩き出してしまった。その先に待っているものが何かも知らずに。実に気楽なお散歩気分での、短い旅路へ。
* * * *
道沿いの店先から漂う、食べ物を揚げる匂いや焼く匂いに誘惑されたり、撫で付けても撫で付けても風にそよぐ頭のアホ毛を気にしながら十和が皆木屋を目指し、江戸の町をそぞろ歩いていた頃、夜には十和の夫になる(であろう)普一は、住処である甚平長屋の家の土間にて、仁王立ちしていた。
辺りには怒りのオーラが漂い、もしここに十和がいたら「ひぇぇぇぇ」と脱兎のごとく逃げ出していただろう立ち姿。
彼は、いつもと同じ無表情の眉間にくっきりとした皺を寄せ、土間の隅を見詰めていた。
そこには女物の一対の下駄。一目でまだ新しい物と分かる。
それは足元の悪い雨天の時用にと、いつだったか普一が十和に買ってやった物だった。だが十和は新しい下駄を「もったいない ! 」と言い、自分の葛籠(宝箱)に仕舞い込んでしまった。
それがここに出ていると言う事は、今晩の会食に履いて行くつもりなのだろう。
土間に下駄。
が、その下駄を履く本人がいない。
「・・・・・・・・・・あの馬鹿め」
普一が吐き捨てるように言い、ついっと外に視線を投げる。
影が短い。陽が高い。
それはそうだ。もう、とっくに昼を過ぎてしまっている。
なのに、あの鉄砲玉は帰って来ない。朝ふらりと出て行ったきりだ。普一は最初、近所に散歩にでも行ったのだと思っていた。だがどうやら、その予想は外れだったようだ。何故なら、いつも散歩に行く時は持っていかないガラクタ袋が文机の上にない。
あの巾着袋の中には細々としたガラクタと共に、幾らかの銭が入っている筈だった。チャラチャラ言わせているのを良く聞いた。
それが無い。と、言う事は、行き先はこの長屋周辺ではないと言う事。
(あいつ、こんな日にどこ行きやがったんだ・・・・・・・・)
普一は首の後ろを軽く揉むと、中断していた仕事を再開するために、小さな切っ先のノミを手に取った。
トットットットッ ――。
室内に響く金物の音。甲高い音が響く度、銀色の小さな板に細かな模様が刻まれていく。
緻密で繊細な仕事はとても気を使う。だが普一の頭の中は、朝出て行ったきりの鉄砲玉女のことばかり。
いつもは気にならないような事まで気に掛かってしまう。それは今日が自分達ににとって特別な日だから。だから十和が今どこに居るのか、何か気に入らない事でもあるのか、まさか今日の祝言に乗り気ではない ? などと、いらぬ事まで頭を過ぎる始末。おかげで普一にしては珍しく、なかなか仕事に集中できないでいた。
「・・・・・ちっ」
駄目だ。仕事が進まない。
普一が手を止め、ノミを板の間に広げた手拭いの上に置く。すると何時の間にか視線は下駄のある方に引き寄せられていった。
「はぁ、めんどくせぇな」
口癖を呟き、振り切るように視線を戻すと鉄粉を洗い流すための水が無いのに気付く。立ち上がり手近にあった桶を摑むと、草履を突っかけ、中庭にある井戸へと向った。
そこで見知った人物の後姿が目に入る。隣の家の長男、新介だ。井戸端でしゃがみ込み、何かをゴソゴソやっている。その仕草は、はためにも周囲を窺っているように見えた。
普一は無口で無表情だが、けっして他人と意思の疎通が出来ないわけではない。明らかに困っている人間がいれば声をかける(時もある)し、相談されれば(時には)聞く(事もある)。
だが、どうやら今はその時ではないようだ。
声を掛ける必要は無い。むしろかけない方が良いだろう。
普一はそう結論付け、素知らぬ顔で新介の横を通り、反対側からつるべを井戸の中に落とした。
ばしゃんっ !
「ふっ、普一、さんっ ! 」
目を白黒させながら、わなわなしている新介を、ちらりと普一が一瞥する。
バシャバシャ。新介が飛沫を跳ねさせながら盥の中の白い布を掻き集め、底に沈める。見ないで下さいと言うように。
「ち、違うんですっ。こ、これは別にそっそっそっ粗相をしたわけじゃなくて、いい天気だし、たまには自分で洗濯でもーーと思ったんですっ。本当ですからっ」
「・・・・そうか」
せっかく知らぬ顔をしてやろうと思ったのに、どんどん墓穴を掘る少年に、普一は「いいから、それ洗っちまえ」そう言い、つるべにくくり付けられた縄を引き上げる。
「は、はい」
消え入りそうな声で返事をした新介は顔を真っ赤にして、ふんどしを洗うのを再開する。
少しの間、井戸端には水音だけが響いた。
その中、意を決したように新介が口を開く。
「これ、内緒にしていてもらえますか・・・・」
問われた普一は、無言のまま深く頷く。
男には、どうしても一人にならなければならない時がある。時にはふんどしを自ら洗う道もあるだろう。
新介に言われなくても、普一は誰かにこの事を言うつもりは無かった。
それにしてもこの少年は、下の弟達に比べると、随分と羞恥心が強い。他者との隔たりが全く無い長屋で生まれ育った子供とは思えないほどだ。きっと色々と不便もあるだろう。だがそれは、今の年頃を越えてしまえば落ち着くのが常だ。
ふと、自分がこの位の年の頃はどうだったかと、普一が自分の子供時代を振り返った。
(―――― ん ? )
思い出せない。自分も人の子。子供時代は確かにあった。あった筈だ。
けれど探っても目当ての記憶が出てこない。
飛びだして来るのは比較的新しい日々の、ごたごたや、ばたばたの記憶ばかり。しかも、そのどれにも十和がいる。
( まさか、あいつが五月蝿せぇおかげで、俺の古い記憶が翳んじまっているのか )
十和のおかげで仕事は進まず、記憶すらあやふや。
普一には、自分が先の世から来た十和に、振り回されている自覚があった。
「・・・・まいったな」
十和の性格はこのまま死ぬまで変わらないだろう。そういう性分なのだ。当然、近くにいる人間は振り回されることになる。そして本人は、けろりとした顔で笑っているのだろう。まったく厄介で困った奴だ。
けれど普一は思うのだ。その、振り回される気の毒な人間は、このままずっと自分であればいいと。厄介なのも面倒なのも大の苦手だが、それが十和の傍にいる条件ならばしょうがないと。
「・・・・ふっ」
女一人にあたふたと、自分も大概父親に似てきたな。自嘲的に苦く口元だけで笑う。
水を汲み終わった普一が、言葉無くその場を離れようとすると、その背に洗濯を終えたらしい新介が声を掛け引き止めた。
「あ、あのっ、本当に黙ってて下さいねっ ? 男と男の約束ですからね」
振り返った普一に、新介が居た堪れなさそうな顔をして、手に持った布をぎゅっと握る。
ぽたぽたと滴が落ちた。
「ああ、わかってる。それより、それ。速く干してこいよ。今日中に乾かねぇぜ」
「う、は、はいっ」
硬い返事をして、小走りに干し場へ行こうとした思春期の少年を、今度は普一が「おい」と呼び止めた。
「なぁ、うちの馬鹿を見なかったか。朝からいねぇんだ」
「え、お十和さん ? ・・・・さぁ、俺も見てませんけど。あ、そうだ、うちの子鬼達も朝から居ないんですよ。もしかしたら一緒なのかもしれません」
子鬼とはニノ助と三ノ助を指す言葉。小さいながら邪悪な存在と言う意味だ。
「二人はどこに ? 」
「鴻巣屋ですよ。だって今日は、春限定の菓子の売り出しの日ですからね。あいつら昨日からはしゃぎ回って大変でした」
まったく五月蝿くてかなわなかったとブツブツ文句を言う新介に、普一は「そうか」とだけ低く返事を返し別れる。そして一度家に戻り、桶を置くとまた外に出た。
(本当に手のかかる奴だな、あいつは)
自分の祝言の日に、ガキどもと遊び歩いているとは。普一は軽く憤りを感じ、がりがりと首の後ろを掻いた。
だが「しょうがねぇ」とか「まったく」とか言いながらでも、こんな平坦で平凡な日々が、この先もずっと続いてくれるといいとも思っている。
薄水色の空を見上げ、普一は春の空気を大きく吸い込むと鴻巣屋へ足を向けた。もちろん、十和捕まえに行くために。
三人称ってなんなんだろう。考えると熱がでそうです。




