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懐かしい香り

やっと順番が回ってきた三人は、どきどきしながら暖簾を潜り店に入った。

 ここは、値段の設定がちょっとお高めな鴻巣屋、しかも今から買い求めるのは、今日だけしか販売しない特別な菓子。滅多に入れない場所。そして、滅多に口に入れられない高級品の並ぶ場所。

 今、三人は非日常の真っ只中にいた。


「な、なんだか、私ら場違いじゃない ? 」

「気にしたら駄目だっ。今はあの菓子箱の中のことだけ考えてろ ! 」

「う、うんっ」


 三人は緊張のあまり、今まで白色だった暖簾の色が、春の若草色に換えられている事にすら気がつかない。それほど期待と緊張に胸を高鳴らせていた。

 そして事前に貰っていた順番札を店の者に手渡し、目当ての物を手に入れる。

 その際、鴻巣と染め抜かれた羽織を着た店の入り婿が、十和の顔を見てポーーーっとなり、鼻の下を伸ばした。

 白粉をはたいていても分かる肌理が細かい白い肌。黒目がちの瞳。黄色の着物は鮮やかで、思わず目を奪われたのだ。

 だが直ぐに、目敏い若女房に気付かれて、後ろから思いっきり背中をつねられ悲鳴を上げることになった。

 菓子屋の若夫婦の間に小さな波風を立てていたなど思いもしない十和は、意気揚々と店を出て子供二人に声を掛けた。


「さぁ、どこで食べる ? 」

「そうだなぁ、じゃあ・・・・ほら、あそこ。あの橋の袂んとこが良いだろう」


 町の中を横切り流れる川に架かる橋の袂をニノ助が指差す。その場所は少し拓けていて、柳の木が一本植えられていた。根っこの辺りに座ったら居心地が良さそうだ。提案された二人は異議無しと連れ立って移動する。

 木の下に車座になり、十和が手に持った小さな箱の蓋に手を掛けた。

 固唾を呑む三人。


「よ、よし。開けるよ」

「おう」

「うん」


 逸る気持ちで、えいやっと蓋を開け、


「おおっ ! 桜餅っ !! 」


 小さな箱に可愛らしく並ぶ四つの桜餅。わぁっと三人から歓声が沸いた。

 辺りに、塩漬けにされた桜の独特の香りが漂い、十和が鼻を鳴らす。


「いーーー匂い・・・・春って感じだねぇ。何だか目が覚めるよ」

「それはどうだかわかんねぇけど、美味そう。・・・・でもさ、桜餅。これって長命寺の前に在る山本やのまねっこだよな ? 」


 ニノ助は、焼いた白い薄皮で漉し餡を包み、塩漬けにした桜の葉を巻いたこの上品な菓子に見覚えがあった。


「まね ? へぇ、そうなんだ」

「ああ。寺と山本やが元祖なんだぜ」


 歳のわりに色々な知識を持っているニノ助に十和が感心する。


「まねでも何でも美味けりゃいいよ、もが」


 二人に向って、今まで静かだった三之助が何故かくぐもった声で言う。

 その意見に十和が「まぁ、そうだけどさ」と顔を向けたとたん目を見張る。三之助が自分の小さな口に、めいっぱい桜餅を押し込んでいるのを目撃したからだ。

 三ノ助の膨らんだ頬を見た十和が、フライングだよっ ! と、思わず叫びそうになり、慌てて口を噤んだ。その際、舌をしたたかに噛んでカエルが鳴いた様な奇声が飛び出す。でも、カタカナ文字は言うのも書くもの禁じられている。踏み止まった自分に安堵した。


「ぁががっっ、ちょっちょっと、ずるいよ ! 」

「おい、三之助。何、一人で食ってんだよー」


 と、文句を言いつつ二人も箱に手を伸ばす。そして、恐る恐る口を付けた。


「あ、あまっ ! あまいっ !! 」

「------っっっ !!! 」


 こんなに甘い物は食べた事が無いと驚愕の表情のニノ助の隣で十和は、


 (かーーっ ! これこれ ! この甘さこそ、私が求めていた甘さっ ! ああぁ、いったいどれくらいぶりかしら・・・・・・・・) 


 脳天を突き抜ける久し振りの本物の甘さに身悶えていた。


 ( 糖分万歳 ! 桜餅万歳 ! 暴れん坊様、万歳 !! )


 十和が頭の中で、桜餅が誕生するきっかけを作った八代目の将軍様に涙で万歳三唱。 

 急激に血糖値が上がったからかハイテンションだ。

 傍から見ると、十和はどこまでも食い意地が張った女に見える。甘い物一つに大袈裟だとも。

 けれどこの時代、甘味と言えば主に果実のことで、饅頭や団子はさほど甘くなかった。

 サトウキビから作られる砂糖は貴重品で、当然庶民には回ってこない。甘葛、天草、麦芽糖、代替品はいろいろあるが、到底、砂糖の甘さには敵わない。

 今まで食べた江戸の甘味は、物が溢れていた平成育ちの十和の欲求を満たすまでにはどれも至らなく、まぁ、こういうものか・・・・と、何時もしょんぼりしていた。

 けれど、今、三人が食べている菓子はサトウキビの砂糖が入っているらしく、十和は(うまっ、あまっ、あっまっー)我を失い、ニノ助達は目を剥いて(何じゃこりゃ !! )驚いているのであった。

 「甘み」と書いて「うまみ」と振り仮名がふられた事を考えると、三人が大袈裟なだけとも言えないのだ。


「あーー、美味かった ! 」

「うん。でも、あっと言う間に無くなった」

「小さかったしな」


 あっと言う間に一つ目を食べた終えた三人。目は、もう次の獲物――――最後の桜餅に。

 けれど残っているのは後一つ。金銭的理由から、四つ入りの一番小さな箱しか買えなかったのだ。

 ごくり。

 三人が生唾を飲む。そして皆、一斉に同じ事を考えた。

 

 ――――最後の一つ。・・・・これ、誰が食べるんだ ?


 緊迫する空気に汗を滲ませた十和は、

 

 (私が一番多くお金を払ったんだし、これは私に権利があるよね。それに今日、祝言じゃん自分。こいつ等から御祝儀貰ってないよね自分。つまりこれ、私の物だよね自分 ! )


 十和の頭には、年長者だから下の者に譲るという一般的な大人の考えはケンミジンコほども入ってはいない。

 一方、名残惜しそうに指を舐めるニノ助は、

 

 (どうすっかなぁ。こんな小さいの三等分にしたら、小さ過ぎて何食ってんのか分かんねぇよな。でも、お十和も食いたいだろうし、三ノ助だってそうだろうし。そうだ、三すくみ拳【じゃんけん】でもすっかな)


 と、三人が等しく納得する方法を考えていた。日頃のヤンチャぶりが嘘の様に、意外とその思考はまとも。

 そして三人目、三ノ助はと言うと、


 ( きっと、お十和は一番多く銭を出したのは自分だとか言って、あれの所有権を主張してくる筈。その時は大人の分別というものを耳元で囁いてやろう。いくら食い意地が張ったお十和でも怯む筈だ。それでも駄目な時は上目づかいで涙でも浮かべてやればいい。これで一発だ。そして、兄ちゃん。兄ちゃんは何にでも白黒付けたがる性質。この場合、三人の納得する形で決着を付けたがる筈。あみだ・・・・いや、きっと三すくみを提案してくる。運試しとなると俺も手が出ないが、三すくみなら心配ない。あれの勝敗を決めるのは運じゃない、何故なら三すくみ拳は心理戦なのだ。相手が出す手を読んでしまえれば、あれほど簡単なものは無い。兄ちゃんは最初、かなりの確率でグーをだす。そこを押さえておけばいい。ちなみに、パーしか出さないお十和は問題外。恐れるに足らず )


 他の二人を見る三ノ助は・・・・鷹の目をしていた。

 あどけないなりをしていながら、とんだ策士であった。

 

 束の間、柳の下に清々しい風が吹いた。風ですら春を告げているようだ。だが三人の内心は、それどころではない。


 (あれはっ)十和が顔を引き締め、

 (絶対にっ)ニノ助が一歩前へ、

 (俺のだっ)三ノ助が勝利を予感し顔を上げる。

 

 まさに睨み合いの三すくみ。

 その張り詰める均衡を、最初に崩したのはニノ助だった。


「なぁ、ここは三すくみ拳で勝負を決めようぜ」


 三すくみって何ぞな ? 首を傾げた十和が一瞬考えた後、ああ、じゃんけんのことかと思い付き、「よし、やろう ! 」と頷く。

 その横で、三ノ助が片頬だけで笑う。

 やっぱりな・・・・と。


「よーし、今日はちょっと本気出すよ」


 ほぼ一年ぶりの甘味、もう一度堪能したいっ ! 十和は気合を入れる様に言い放ち、柳の木の根の上に菓子箱を置き、着物の袖を捲り上げた。


「よしっ、いくぞ」

「うん」


 ニノ助の言葉に場が引き締まる。

 何を出そうか。いつも二人は何を先に出すんだったか・・・・。十和が周りを見ながら考えを巡らし、戦の火蓋が切られるのを待った。


 (パーか、グーか・・・・やっぱパーだっ ! )


 最初に出す手が決まった。だが何故だろうか、待っていてもなかなかニノ助の掛け声がこない。


「 ん ? 」


 どうしたのっと目で訴えた。するとニノ助の目は、覗き込んだ十和を映してはおらず、十和の後方を見ていた。隣の三ノ助も同じ方を見ている。


「え、なになに ? なんかあんのーーー・・」


 十和が二人の視線を追うように、後ろを振り返った瞬間、視界が暗くなる。


 ( あ ? )


 と、思った時には体の上にずっしりとした重み。焦る頭で、誰かが倒れこんできたのだということは分かった。

 

「うわわっ、なにっ ? なにっ ? 誰っ ? これ誰っ ?! 」

「お十和 ?! 」

「お、おいっ」


 三人の悲鳴が重なる。

 倒れ込んできた人の重みに耐え切れなくなった十和は、バタバタとたたらを踏んだ。辺りに土埃が立つ。

 倒れこんで来たのは女だった。顔は良く見えない。だが、まだ若い人だということは分かる。

 体を抱え込んだ時に、十和の鼻を女の髪がかすめた。

  

 (ん ? 今、何か・・・・・花 ? この香り・・・・なんだけっけ  ? )


 微かに感じた香り。なんだろう、懐かしい気がする。


「おい、ぼーっとすんな。そっち、もっと力いれろ」

「あっ、ごめんっ」


 子供二人の助けを借りて何とか倒れずにすんだ。女は気を失ってしまっていて酷く重かったのだが、ゆっくりと地面の上に女の体を横たえる事にも成功する。


「ね、ねぇ、大丈夫ですか ? 」


 声を掛けながら女を観察する。

 着古した着物。何処にでも有るような古着だ。いつも十和が着ている着物とそう変わらない。だが、何故だろう。その人は草履も履いていないし、髪もざんばら。しかもその髪が、江戸ではありえないほど赤かった。


「異人か ? 」


 見慣れない赤い髪に、ニノ助が問う。

 けれど分からないのは十和も同じ。さぁ、と言うしかなかった。


 ( うーん、髪の毛は赤いけど、顔は間違いなく日本人だよね。・・・・これ、染めている ? )


 現代ならば良く見る茶髪。何も珍しくは無い。

 が、ここは江戸である。黒髪こそ美しさの条件である江戸時代、わざわざ赤く染める理由が分からなかった。


 (それにこの人、どっかで・・・・)


 苦しげに横たわる女に何かを感じた十和が、女の顔をしげしげと見詰めていると、どこからか走って来た小さな童女が十和達の前で立ち止まり、大声を上げた。


「おっかさん、いた ! いたよ ! 」


 十和達三人が、少女が「おっかさん」と呼ぶ方向に目を向けると、まだ若い女が走ってくるのが見えた。そして彼女は少女の隣に立つと、十和に向って頭を下げた。


「ああ、よかった。すみませんねぇ、この人、熱で朦朧としているらしくって、勝手にふらふら動き回っちまうんですよ。まだ、とてもじゃないけど起き上がれる状態じゃないのに」

「え、朦朧と ? --本当だ、凄い熱」


 意識の無い女を背に担ごうとするその人に、お医者を呼びましょうかと言うと、「ありがとうね、でも、大丈夫。さっき、お医者に診てもらったばっかりなんだ。それに宿の隣は皆木屋さんだしね」と、言われる。


「皆木屋・・・・ああ、薬屋さんの。なら、安心だね」

「そういうこった。それに私は薬の行商をやってるからね、解熱剤くらい山ほど持ってるのさ。さぁ、お文手伝っておくれ」

「うん」

「あ、私もっ」


 皆で力を合わせ、気を失っている女を抱き起こし子供の母親の背に乗せる。それがすむと、じゃあ、面倒掛けたねと女が後ろを向いた。

 その時、背負われている女の腕がだらりと落ちて、体が少し傾いた。これでは収まりが悪いだろう。十和が駆け寄り、赤髪の女の体を元に戻す。

 はい、どうぞ。女の背から手を離すと、背負われている女の口元が微かに動いた。


「ぜ・・・・どう」


 (今、何か言った ? ぜ、どう ? なに ? )


 意味を成さない言葉に十和が首を傾げる。

 その間に女の人は子供を連れて立ち去った。


「あー、吃驚した。一体なんだったんだ」


 今まで余計な口を挿まず場を見守っていたニノ助が言う。


「凄く熱が高かったよ。風邪でもひいたのかな」


 かつて自分も高熱で苦しんだ経験のある十和が、同情を隠せない顔をする。


( 熱って怖いよなぁ。あの時の記憶、いまだに無いもんなぁ)


 十和が、この江戸時代に来た頃の病床の自分を思い出していると、つんつん。三ノ助が下から十和の着物の袖を引っ張った。


「お十和、餅は ? 桜餅はどこ ? 」

「あー、そうだったそうだった。俺達、病人どころじゃなかったんだった。で、どこだ ? 桜餅」

「え、それは柳の下にちゃんと――――・・・・あれ ? ない。どうしてーー」


 目を辺りにさまよわせた。

 そんな十和に、ニノ助三ノ助の二人が一緒に指を差す。


「お前・・・・それ・・・・」


 深刻な表情の二人の指の先を追っていけば、それは十和の足。の、裏。


「あ、ああ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」


 べったりと草履にくっついた桜餅と対面した十和が、江戸の町中に響き渡りそうな悲鳴を上げた。


――――ああ、いつだって思い通りにいかない。

 さようなら甘味。こんにちは、非難の眼差し・・・・・・・・。


 

 

 



 

 私なら一年も甘味を我慢できない。きっと山へ入り、蜂蜜を狙うでしょう。そして熊に食べられる・・・・。

 

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