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春の約束

桜の開花にはまだ少し早い日の早朝。昨晩の雨が嘘のような晴天の日に、今、町で一番と評判の菓子屋、鴻巣屋の店の前に、何処までも続く長蛇の列が出来ていた。

 本日は春の新作披露の日。それに、桃の節句や潅仏会の祝いもかねて、今日だけしか売り出さない特別な菓子が並べられるのだ。

 当然、初物に目がない江戸っ子達は飛びついた。皆、競い合って朝も早くから列を成す。

 その列の中ほどに並んでいる利発そうな少年が、前に並んでいる若い女に声を掛けた。


「なぁー、お十和さぁ、今更なんだけど、こんな所に居て良いのかぁ ? 」


 後ろから利発そうな少年、ニノ助が呆れた声で言うと、首を列の横から出し店の入り口まで後何人か数えていた十和が振り返り「うん、いいのいいの」と、空返事を返す。

 いつもはしていない白粉と紅を施した十和の顔に、ニノ助は目を見張りドキリとした。だが口を開けばいつものお十和。直ぐに、一瞬でも胸を高鳴らせた事を後悔する。


「いいの・・・・ってよぅ」


 (お前が良くても普一が良くねぇだろうがよ)


 ニノ助の脳裏に、隣人である普一の鉄の無表情が浮かぶ。

 普一は滅多な事では声を荒げたりはしないが、こと、十和が関わると人が変わったようになってしまう時があった。

 いつだったか、十和が役人に疑われ番屋に連れて行かれそうになった時、暴れる普一を垣間見たニノ助は「へー、こいつも江戸っ子だったんだな」と驚いたほどだ。


 (一緒に暮らしているんだし、普一は怒らせたら怖ぇって、分からない筈がないだろうになぁ)


 他人事だが、ニノ助は何だか心配になってきてしまう。

 やっぱり、こいつは帰った方がいいだろうな。もし、とばっちりがこっちに来ても大変だし。

 ニノ助がもう一度、十和に進言しようと口を開きかけた時、横から着物の端を引っ張られた。


「兄ぃちゃん無駄だよ。お十和の目には、もう菓子しか映ってねぇもん。ほら、見てみろよ、あの目・・・・・・・・」


 一つ歳を重ね、しっかりしてきた三ノ助が指を差すと、そこには目を爛々と輝かせた身体は大人、頭脳は子供の困った女、十和の姿。


「・・・・・・・・・・・だな」


 弟の的確な言葉に、ニノ助が大きく頷き溜め息を吐く。

 一方、十和は後ろに並ぶ子供達の生温い視線には気付きもせず、店から出て来た客の一人に手を振っていた。


「おおーい、中井さん、中井さん。ねぇ、どうでした ?! 今年のお菓子は何でした ?! ちょっと見せてくださいよっ ! 」


 十和が長羽織の役人らしき人物を呼び、手を前に出す。呼ばれた男は、にこやかに近付いて来たのだが、手に提げた小さな菓子箱を十和に渡す事はせず、背に隠した。


「駄目だ。これを開けるのは茶の時間のお楽しみと決めているのだ。だいたい、私のを見なくとも、お前だって同じ物を買い求める気なのだろうが」

「へへ、まぁそうなんですがね。でも、ちょっと待ちきれなくて」


 今、十和と話している年配の男は、先の騒動で知り合った役人で名を中井と言う。歳も身分も違う二人だが、無類の甘味好きという共通点があり、時々、最新の甘味情報を交換する同志となっていた。


「まぁ、その気持ちは分かる。何せ今日は新作披露の日。しかも、この菓子は今日だけの特別な品。これは気が浮き立つというものっ」

「そうそう ! うんうん ! だよねだよね ! 」


 ( やっぱり中井さんなら分かってくれると思ってた、この熱いパッションをっ !! )


 同意を得た十和が手を叩いて喜びを表現する。その拍子に、十和の着ている鮮やかな黄色の着物の袖が、ひらひらと揺れ、中井の目に留まる。


「お十和よ、良く見れば今日は随分とめかし込んでいるな。まさか、この菓子のためにか ? 」


 さすがにそこまではしませんよ。これはですねーーと、十和が理由を話そうとする横から、


「お十和は今日、祝言を挙げんだよ」


 ニノ助が二人の会話に割り込んだ。


「祝言 ? なんだ、やっとか」

「そうだよ、やっとなんだ。それなのに、こいつはそっちを放って置いて、朝っぱらからこんな所に居るんだよ。なぁ、おじさん。こいつってちょっと可笑しいよな ? 」

「うーむ。まぁ、祝言は殆ど一生に一度の事だからなぁ。だが坊主よ、鴻巣屋のこの菓子も一生に一度の物なのだぞ。これは比べられんぞな」


 非難を滲ませるニノ助に、中井が胸を張って言う。その尻馬に乗るように「だよねー」と十和がはしゃいだ。

 そして中井と十和は顔を見合わせ、頷き合いながら結束を強める。そんな大人二人を、ニノ助が真っ黒な目で見ていた。


 (・・・・お十和も変だけど。このおっさんも変だ)


 自分の周りには変な大人が多いな。と、うんざりとするニノ助の頭を、十和がポンと叩いて心配しないでよと笑う。


「あのね、祝言は夜なのよ。私達は雪乃さん達みたいに大々的にはしないで、川向こうの大木屋って知ってるでしょ ? あそこで御飯を食べるだけなの。だから夕刻までに家に帰っていれば良いんだよ」


 雪乃の家は庶民だが、父親はそこそこ名の知れた医者。そして相手の虎二はと言うと自信は文無しだが、実家が繁盛店の蕎麦屋。

 つまり二人には式を挙げるための出資者がいた。余裕があったのだ。

 だが、十和達にはそれが無い。普一は父親に頼るのはあまり好きではなかったし、十和の両親は「平成」の世の現代にいる。誰も頼る事は出来なかった。

 その上、何だかんだで拵えた借金がまだ少々残っている。とすれば、一回着て終わりの高価な白無垢や、大勢の客を呼んで振舞う酒代に回す金銭的余裕は何処にも無かった。


「別にこだわりとか無いし、何でも良いですよ。あー・・でも、三々九度のお酒買うの勿体無いですよねぇ。私、お酒ってあんまり好きじゃないしなぁ。そうだ、甘酒じゃ駄目ですか ? 甘酒にしませんか ? 」

「・・・・・・・・・あんたの好きにすればいい」


 そんな会話を交わしつつ、最初、二人は長屋の自宅で三々九度の杯を交わすだけで終わりにしようとしていた。

 かなりの地味婚だが、この時代では特に珍しくも無かったのだ。

 だが、極度の面倒臭がり男と己の興味のあること以外にはてんでどうでもいい女の二人に、普一の父親である善堂が待ったをかけた。


「それじゃ、あまりにも味気ない」


 そう言って、十和には一生縁遠いだろう、リッチな料理茶屋を予約してくれた。なんと、餞別だよと奢りでだ。


「そういうわけだから、約束の時間まではかなり余裕があるし。それまでは鴻巣屋の新作を堪能できるってわけよ ! 」


 十和が調査したところによると、この日のお菓子はたいそう美味しいと皆、口々に言っていた。それに、毎年、菓子の種類が変わるから、今年の菓子は今日しか味わえないのだとも。

 

 (これまさに一期一会っ ! )


 例え子供達に馬鹿にされようと構わない。十和は自身の信念(食欲)に基づいて、この長蛇の列に並んでいるのだった。

 祝言の日に。

 朝っぱらから。

 ニノ助に呆れられながらも。


 (・・・・それに、普一さんと二人でずっと家に居るのが居た堪れないってか、むずむずするってか、落ち着かないんだよね)


 十和は赤みを帯びた自分の頬を、そっと手の平で押さえた。

 実は、今回の婚礼は半月ほど前の朝、普一に急に言い出されたことだった。


「・・・・おい、約束どおり春になったら直ぐ祝言を挙げるぞ」


 十和の、滅多に口を開かない同居人が、その日初めて喋った言葉がこれだった。

 あまりに一方的でいきなりの内容に、ぼんやり顔を洗っていた十和は意味を理解できず、


「 は ? 」


 寝ぼけ顔から水滴を滴らせ、口は半開きでポカーン・・・・・だった。


 (まさか、雪乃さん達の祝言の日に言っていた、春に係わる「俺と、あんたのこれからの話し」が 、自分達の祝言の事だったなんて、普通分からないって ! 本当に普一さんは言葉が足らないよなぁ)


 残念無念、何時の間にか終わっていたプロポーズ。それを思うと無意識にか、唇の先が尖る。

 十和には、もう一度やり直して下さいと意見する事も出来た。だが、その時の普一の瞳に、真摯な思いを感じた十和は「否」と言う気が起きず、とりあえず喜んでその申し出を受けたのだった。

 嬉しかった。それは本当のことで、今でもその気持ちは変わってはいなかった。

 けれど十和は半月程度の短い時間では、どうにも頭を上手く切り替えることが出来ないでいた。


 (だって、だってさ、今晩から私達って夫婦ってことでしょう ? じゃあ、普一さんの事、あ、あなた。とか呼んだ方がいいの ? もしくは江戸っぽく、お、お、おまえさん。とかっーー ?! )

 

 ぶるるるるるっと、十和の体に震えが走る。そして、


「ぎゃぁぁーーーーーっっっ ! いやーーーーーっ ! こっぱずかしいっ !!! 」


 くねくねと身もだえ喚く十和を、「こっぱずかしいのは、お前だよ」と、周りの人間達が迷惑顔で冷たい視線を送る。

 その中で十和の同志である中井だけは、全くお前は相変わらずのようだなと楽しげに笑い、宜しくやれよと手を振って仕事に向う為に列に背を向け歩み出した。

 が、すぐに足を止め笑いを引込めた顔で、


「さっき会食は夜だと言ったな。行き帰りには充分に気を付けろよ。昨晩の押し込み強盗の下手人は今だ捕まってはおらぬのだからな」


 と言い、今度こそ踵を返して去って行った。

 うん、分かった。じゃあ、またねと彼を見送った十和が、後ろをクルリ振り返る。


「――――で、押し込み強盗って、なんのこと ? 」

「何の事って、昨日の夜、ぴーぴーぴーぴー呼子が鳴ってたじゃねぇかよ」

「ああ、そうなの ? それは気付かなかったな。だってほら、ここに来るのに早起きしなきゃいけなかったじゃん ? だから早めに寝ちゃったんだよね。私、一度寝ちゃうと、ちょっとした音じゃ起きないし」


 昨晩の、耳をつんざく呼子の笛の音を、「ちょっとした」と表現した十和に、ニノ助が口を開いた。


「・・・・・・・良かったな、ちゃんと起きられて・・・・」

「うん ! 」


 十和が、ニノ助の言葉に潜む呆れに気付かず、力いっぱい頷く。

 心から今日、この日に、ここに並べる事を嬉しく思っているようだ。きらきらと輝く瞳も雄弁にそれを物語っていた。


「ま、それはいいとして、昨日の捕物は俺らもあんまりしらねぇんだ。ただ、うなぎ長屋の方に恵比寿屋ってあるだろ 。 そこに泥棒が入って、下手人がまだ逃げてるらしいってのは聞いた」

「へぇーー・・怖いねぇ」


 口ではそう怖がって見せていても、その声色は、まったく呑気なものだった。首を伸ばし前を向いたまま、くるくると手に持った巾着を振り回して弄び、質問に答えたニノ助を見もしない。


「おい、ちゃんと聞けってば」


 危機感の無い十和を、10歳近く歳が離れているニノ助が口を尖らせ咎める。


「だってね、ほらっ ! もう直ぐ私達の番なんだよ ! 」


 首を伸ばし、列の最前線を指差す十和。もう、気もそぞろだ。


「お十和は、しょうがねぇなぁ。でも、本当にもう直ぐ俺等の番だな」


 何だかんだ言っても、ニノ助だとて今日が楽しみで仕方がなかったのだ。だから昨日の泥棒のことは、いったん頭の隅に置いておき、飛び跳ねる十和の横に並ぶと、後何人で自分達の順番が来るのか数えることにした。


 


 



 






 



 


 


 子供達、ちょっと育ちました。

 ヒロイン、ちょっと退化しました。

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