苦労人の溜め息
美佐子は十和から受け取ったバッグを、何だかやけに平べったくなったと文句を言いながらゴソゴソと探る。
勿論、薄くした犯人は全力でしらばっくれた。相手は未来の姑であり、普一を軽く越えていくドS気質。あらゆる意味で不興を買うわけにはいかない。
それにしても、いったい何を探しているのだろうか。十和が横から手元を覗き込む。
「あった、あった。これこれ」
「くすり、ですか ? 」
聞く十和に「そうよ」と答え、目の前に小さな箱をかざす。良く見る商品名。大手薬品メーカーの解熱剤だ。半分が優しさで出来ているあれである。
その箱から出てきたのは、やはりどこにでもある錠剤状の薬。きょうびドラッグストアなら何処ででも取り扱っている物だ。--と言っても、それは未来の話だが。
「これを飲んどけば間違いないわ。やっぱ、持って来ておいてよかったー。江戸時代の薬って、いまいち効きが弱いのよねー」
「そ、そうですか」
美佐子の横で静かに微笑んでいるのは、その江戸時代の医者なんだが、目の前でそんな事を言って良いのだろうか。
ちょっとドキドキしながら十和が逆らえない相手に同意する。
けれどそんな心中などおかまい無しな美佐子は、アルミの包装を破り薬を手に転がす。
「そうだねぇ、やはり薬は先の世の物にかぎるよ」
仏の微笑みを崩さないままそう言い、善堂が水の入った湯飲みを美佐子に渡した。
特別、医者のプライドとかはないらしい。良かった。
「あ、水はやだ。お茶にして」
「はいはい」
薬の味が口に残るのが嫌なのだと、せっかく用意してくれた水を突き返してしまう。けれど善堂は嫌な顔一つせずに、温めのお茶を用意し始めた。夫婦の力関係が手に取るように分かる風景だ。
それを「サンキュ」と言って受け取り、薬を飲み込む。
横で、割れ鍋に綴じ蓋な夫婦を見ていた十和は、久し振りに他人の口から横文字が出た事に、少しドキリとして、思わず美佐子の顔を見た。
「ん ? なに ? ああ、もしかしてこの薬欲しいの ? いいよ、あげるよ。解熱剤でしょ、風邪薬でしょ、お腹の薬に………医者から貰った抗生剤もあるし。どれが欲しいの ? やっぱり、消化剤 ? 」
勘違いした美佐子が、アルミで包装された薬を束で寄こそうとする。
何がやっぱりなのだろう。何で消化剤なのだろう。不思議に思ったが、深く考えてはいけない気がして、十和は目の前の様々な薬のパッケージに目を走らせた。
本当に種類が豊富だった。中には医師から処方されたらしい、袋に入った薬もある。理解不能な薬品名が、何だかやたらと効きそうだ。
江戸時代の薬は、医者が使う物も民間薬も全てが生薬や漢方。決して効かない訳ではないが、今、美佐子の手にある白い粒に比べると即効性という点では、だいぶ落ちる。
電気も水道も無いこの時代では、衛生管理や体調管理はとても難しい。もしもの時のために、家に置いておけばきっと助かるし、心強い筈だ。きっと誰でもそう思うだろう。
だが十和は、何を思ったか伸ばし掛けた手を引込めてしまった。
「あーー、やっぱり遠慮しときます。もし誰かに見つかったら怖いし。キリシタンだーとか、抜け荷だーとか言われたりして」
「隠しておけばいいじゃない。もし見つかっても、お菓子だとでも言っておけばいいっての」
「んー…でも、止めて置きます。私、あんまり要領よくないし」
役人に痛い腹を探られるのは真っ平だった。もう二度と番屋になど行きたくない。
後ろ髪は引かれたが、便利な薬は早々に諦めた。
「そう ? 思ったより気が小さいのね。なら欲しい時に言いなさいよ。私が持ってるから」
ここならば、プライバシーゼロの長屋よりずっと安全である。善堂の医院なら鍵が掛かる頑丈な棚があるし。それに隠すなら木の葉は森の中へ。薬は薬の中へ、だ。
安心して美佐子の提案に礼を言う。
粗忽物の十和にしては慎重な判断だ。いつも振り回されている普一が、
(良し)
と、力強く頷く程に。
なんだか芸を覚えた犬を褒める飼い主のように満足そうだ。十和が聞けば「わんこと一緒にしないでよっ」と怒っただろうか。
けれど人の心など読めるわけも無い彼女は、投げ掛けられる物言いたげな視線に、何だろうかと細かく瞬きをし、小首を傾げた。そして、場の状況と普一の雰囲気で、彼は自分と美佐子の今のやり取りの事について何かを言っているのだと解釈する。
考えること数秒。
(あ、分かった ! 薬のことですね ! 大丈夫ですよ、薬は絶対に水か白湯で、ですよねっ ! お茶で飲んじゃいけないんですよね。私、知ってます ! )
正解をほんの少しかすり、はずれた。
本当は、持っているだけで命取りにもなりうる未来の物を、無闇に貰わなかった態度を褒められたのだが見事に誤解した。
(大丈夫、大丈夫 ! 実は薬って、ほうじ茶で飲んでもいいんですよ。知ってました ? )
自信満々に頷き返してている。
そんな見当違いな返答に普一は、
(そうだ。お前はやれば出来る奴だ。その調子だ)
こちらは誤解に正解で返している。
( 余裕です !! )
(よしよし)
お互いの心情が噛み合わないまま、うんうんと頷きあう二人。それを横で見ていた美佐子が「え、何こいつら。きもい」と眉を顰めた。それに「仲が良くて結構じゃないか。まあ、私達ほどではないけれど」と大仏の微笑みで美佐子の世話を焼いていた善堂が、庭に落ちる日差しが少し傾いているのに気が付く。
「美佐子、もうそろそろ休んだ方がいい。まだ体は弱っているのだし、先の世の薬だとて、霊薬ではないのだからね」
「ん、そうね。そうさせて貰うわ。なにせ明日から、やらなくちゃいけないことが一杯あるんだし」
ならば私達は御暇しようかと十和は普一と腰を上げた。だが、美佐子の今の台詞がちょっと気になった十和は、別れの挨拶がてら問うた。その質問に深い考えはない。何となくだ。
「やらなくちゃいけないこと ? 美佐子さん、明日からもう医院をお手伝いするんですか ? 」
高熱が続いたのだから、もう少し養生するべきだ。雪乃が産休でいない今、美佐子の手助けは医院にとって戦力になるだろうが、あと数日休んでいても善堂は許してくれるだろう。
十和からしたら当たり前のことを聞く。
すると、床に横になりかけていた美佐子が、ちょっと心配そうな十和の顔を見て「あ、そうだ」と何を思いついたか目を輝かせた。
「えぇと、十和だっけ ? あんたにも手伝ってもらうわ」
「え ? 医院を、ですか ? 」
「違う、違う。医院なんか善堂に任せておけばいいの。もとは一人でやっていたんだから。あんたに手伝ってもらうのは、人形泥棒の犯人探しよ」
「犯人探し ?! 」
驚き目を丸くする。それは普一も一緒だった、が直ぐに「ちっ、やっぱりさっさと帰っておくべきだったっ」と内心で舌打ちした。どうやら彼は、これを危惧していたようだ。心底、悔やんでいるのか眉間の皺がくっきり三本。
「犯人探しだなんて、いきなりどうしたんですか ? 役人さんが、ちゃんと動いてくれていますよ ? 」
なにも素人の自分たちが首を突っ込まなくても………。
普一ならば「全くそのとおりである ! 」と(無表情だが)力強く頷いてくれただろうが、美佐子は、違う。
「駄目。江戸の役人なんて信じられないって。だって、今、犯人扱いされている親子って、私を助けてくれた人だったんでしょ ? 私の恩人でしょ ? 二人の事は覚えていないけど、怪しい行き倒れを助けるような人が、泥棒なんかするとは思えないもん」
美佐子の意識は江戸に来て早々に途切れ、はっきり回復したのは善堂達と再会してからだ。それまで看病してくれていたお京達のことは、思い出そうとしても夢の中のように曖昧で輪郭を結ばない。あの時はただ、善堂のもとに帰らなければと帰巣本能だけで動いていた感じであった。
けれど、恩人は恩人。覚えていなくても、貰った恩はなくならない。
美佐子は鼻息荒く宣言する。
「使えない江戸役人に代わって、私がその親子の無実を晴らす ! だから、十和。あんたも参加するの、当然でしょ」
「と、当然なんですかーー」
「そりゃそうでしょ、あんた嫁なんだし」
「よめっ ! 」
美佐子の口から出た嫁の言葉に、なんだか認められたようで嬉しくなってしまう。
【厄介事には首を突っ込まない】普一に常々、言われている禁止事項だが、ふぉぉぉーー ! 私、嫁って言われたーー ! と舞い上がっている十和の脳は正常な働きが出来なくなっていた。
「で、手伝ってくれるわね」
「勿論です、はいっ」
(――な、わけにいくか。いかせて堪るか、この馬鹿者が。)
話しが纏まった二人に、否と割ってはいる人物。当然の普一だ。のっそりと十和の背後に近寄り、脇の下に手を入れた。
「にげ――いや、帰るぞ」
いっきに、どっこいしょと担ぎ上げる。またもやの、米俵抱きだ。
「えっ、えぇっっ、わぁぁっ !! 」
いきなり畳が遠くなって悲鳴を上げた。冷や汗がぶわっと手に滲む。しゃにむに普一の首と背中にしがみ付いた。
けれどこのパターンは何度か経験済みである。直ぐに我を取り戻し、傍若無人な男を非難する。
「ちょっと降ろしてくださいよっ。こんなところで何考えているんですかっっ ! 」
毎度毎度、人を何だと思っているのだろうか。何度抗議しても止めてくれないし。もしかして、この米俵抱きは彼にとってスキンシップだとでも言うのだろうか。だとしたら有り難いが、はっきり言って遠慮したい。どうしてもと言うのなら、家の中だけでお願いしたいものだ。それなら少しは付き合ってもいい。
ちょっと上から目線な十和が、ばたばたと手足を動かし畳への着陸を訴えた。
「………うるさい」
低く吐き棄てると問答無用で縁側へ出て行こうとする。勿論、肩には十和を担いだままだ。
「ちょい待ち。普一、あんたは帰ってもいいけど、それ、置いていきなさい」
「これは俺の持ち物だ。………持って帰る」
成人女性を担いだままでも、しっかりとした足取りで部屋を歩く息子に美佐子が言うが、普一は一切聞く耳を持たない。そのまま障子に手を掛ける。
担がれた本人は、
(いま、『俺の』って言った ! あらやだ、ちょっとっ ! この人、実の親に惚気ちゃって恥ずかしいね ! )
有頂天になっている。
幸か不幸か「俺の」の次に「物」と言う言葉が入っていたりするのには気が付いていないようだ。というか、美佐子にも「それ」扱いだ。
「おいてきな」
「ありえねぇ」
一瞬、鋭く睨みあう二人。なかなか迫力がある。
私を取り合って喧嘩なんかしないで下さいと、十和が半分ニヤケながら止めに入るが、普一に抓られて悲鳴を上げた。たいして痛くはなかったが、衝撃だったのだ。まさか尻の肉を……だなんて。
(あ、ありえない、ありえないっ。お、お尻っ、私のおしりっをっ、この人っこの人っ)
ぴしゃりと叩かれた事は以前にあったが、今度はつねられた。このままだと次は何をされるか分かったものじゃない。身の危険を感じ、抵抗を止める。暫らく米俵になっていることに決めた。
これで十和は大人しくなったが、まだ美佐子は収まらない。今にも布団から立ち上がり、米俵と化した十和を奪取しかねない雰囲気だ。
(………お袋を黙らせる方法。そんなことまったく見当も付かん。だが、気をそらす事は出来る)
考えがある普一が障子を開け、縁側に出ながら室内に向けて言い放つ。
「お袋、暫らく大人しくしていた方がいいぜ。なにせあんた、十年以上前に――死んでる事になってる」
「 は ? 」
思いもよらなかった台詞に虚をつかれた。けれど自分が江戸時代から失踪した後の扱いの事だと理解し、目を吊り上げる。
自分は不注意でつい、現代に戻ってしまっただけだ。なのに、どうして死んだなんてことになっているのか。
キッと睨み付けた善堂の仏像のような静かな笑顔が、何となく青っぽいような、緑っぽいような、とにかく「不味い」顔色になっている。
「善堂っ、どういうことっ ! 」
怒声を後ろに聞きながら、普一はさっさと家路につく。このまま肩の上の米俵が大人しくしていてくれれば、まだ、陽が高いうちに長屋へ辿り着けるだろう。
何となくほっとして空を見上げ、溜め息を吐いた。思いがけず重い一吐きが出る。母親との再会に知らず緊張しいてたようだ。
自分らしくないなと口の端だけで笑っていると、肩に担がれている十和がもぞっと動いて、聞こえないくらい小さな声で囁く。
「良かったですね」
何が、とは言わなかった。それは普一も、ずっと思っていた事だったから。
いつもはノートに下書きをしてからパソコンなんですが、今回は直接パソコンに入力してます。そのせいか、会話文が増えました。なんでかな。
そしてこれからのストーリーなんですが、全く不透明です。ここからラスト前まで、なんも考えていません。怖いですねー、恐ろしいですねー。