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参拾四夜 封印

 未希は返り血を浴びることで、相手を倒した気になる。血に染まることを気にしたことはない。但しそれは、自分や妖の血であれば、の話だ。知人の、しかも親友の血で染まるなど、彼女の中では想定していない。だから、自分の上で力無くあかを流して倒れている少女が、自分の親友だと信じたくなかった。

「……ぇ……、あ……結美……?」

『な……、あ……主……?』

『哀れよな。その身を盾に、この愚か者を庇うとは』

 嘲笑を含んだ声色に、未希の身体が跳ねる。静かに親友の身を横たえた彼女の足が、玉藻前目掛けて飛び出したのだ。その瞳は烈火を宿し、真っ直ぐ長短一対の刃を突き出そうとする。ニヤリと笑った玉藻前はその分かりやすい攻撃を弾きあげ、がら空きの胴体を鉄扇に仕込んだ刃で斬り払う。しかし、その刃が巫女の身に当たることはなく、差し出された矛に阻まれ高い音を奏でるに留まった。

『ちっ、邪魔を……!』

『我が主! 今は錯乱している場合ではありません!』

「……こ……勾……陣……?」

『ここは私が預かります。早く、行ってください』

 勾陣は玉藻前から目を離さず、背後で怒りに狂う主人に忠告する。烈火を宿した瞳から憎悪の炎が僅かに引く。しかし、未希の足はなおも止める勾陣を越えようともがく。その傍らに、虚ろな目で虚空を眺める少女が横たえられている。

「だが……!」

『貴方なら、貴方なら、親友を呼び戻す術をご存知でしょう!! その為の状況も、手段も、既に手元にあるはずです!!』

 声を荒げることが少ない勾陣に怒鳴られ、未希がたじろぐ。しかし、従者が言っていることは確かであり、彼女が取るべき行動も既に分かっていた。

「……勾……。後を、任せる……。空狐、来い!」

『貴様!! 今更何を!!』

「お前の主を呼び戻す!! 来い!」

 虚ろな目の親友を両腕に抱え、実体を保つ空狐を無理に呼び寄せ、神社の裏側へ向かって走って行く。彼女の後ろは、矛を構えた勾陣が守る。

『これより先に行くなら、私を倒してからにしてもらおう』

『人に従いし紛い物の神ごときが、妾を止められるか?』

 二つの刃のぶつかり合いを背中で聞き、未希は社殿の影に飛び込んだ。たった一人の親友を自分の迷いから死なせ、物言わぬ屍とした。自分のふがいさなを呪い、虚ろな目を閉ざす。彼女の眼下には、緋色の彼岸花が、さながら緋い川のように群生している。

『主を呼び戻す、と言ったが、如何なる真似をするつもりだ?!』

「……禁術を……使う……」

『禁術……! 時を違える罪を主に犯させるつもりか?』

「違う!! その罪は! ……その罪は……私が背負う……!」

 たった一人の親友を失った、それは未希にとって大きな痛手あり、苦しみだ。そして、一度罪を犯した彼女にしても、二度背負うことに恐怖はない。

「禁術、道反しの術。二度、違えることに恐怖はない……」

 小さく呟いた未希は、胸に風穴が空いた結美の遺体を緋色の川にそっと沈めた。そして、袖口からなにも書かれていない白い札を取り出し、その胸の上にそっと乗せた。それは瞬く間に緋に染まっていく。それを眺めながら、口許に手を当てて小さく、本当に小さく術式を呟く。風が術式を掻き消し、その音は誰にも届かない。しかし、それはこの世に座する方々のための祝詞ではない。

「空狐、今は私の霊力を渡す。……結美は……必ず戻る……」

『くっ……、致し方あるまい……』

 一人と一匹、彼女らが臨む最初で最後の戦闘へ、迷いを置き去りに走り出した。


 町の中を走る二人は、暗闇の町の中で一際明るい場所に出た。そこは彼等もよく知る建物だった。

「あれ? 事務所?」

「結界が張ってある。そういえば、お茶運びが妖だったような……?」

 二人が事務所に近付くと、結界を壊しにかかっていた狐達が一斉に彼等の方を向き、牙を剥いた。

『貴仁と拓人か。すまぬ、結界が不完全でまるで機能せぬ』

『お、まさか茨木童子か?』

「……ぐっ……、おま、酒呑童子……。突然、出てくるな……」

「あ~……半分原因は俺にあるからな……」

 かつて未希を呼び戻すために対価として、貴仁の総霊力の三分の二、拓人の総霊力の五分の四を引き換えた。その結果、拓人は霊力をそんなに使わない式神召喚でさえ霊力不足で苦しむ羽目になってしまった。しかも、拓人が従えているのは、世間でもよく知られている酒呑童子。霊力の消費は悲惨なものである。

『おぉ、懐かしや。頭領ではないか!!』

『やはり茨木童子だったか!! 久方ぶりに暴れようではないか!!』

「暴れるのは、構わないけど……。霊力不足、補えよ……?」

 苦しそうに呟く拓人を放っておき、貴仁は結界を張ってある事務所を見上げた。結界は良くできているが、恐らく張り主が戦闘へ入ると維持出来ないだろう。そう思いつつ目線を下に下ろせば、足元に桜の花が付いた一輪の枝が落ちていた。確かにそれは、今最も必要な力をもつ式神で、しかし最も喚びたくない式神である。

「あぁ~くそっ、なんでこんなに良いタイミングで一番嫌なのが来るかな!! 仕方ない、喚びたかないが、来い! 朧櫻おぼろざくら!!」

 持ち上げた桜の枝を地面に叩きつけると、その枝から桜色の衣を来た美しい女性が桜の花びらと共に現れた。その美しさとは裏腹に、性格はかなりおかしなもので。

『ようやっと喚び出したか、我がいとしの君! さあ、妾を嫁に!』

「しねぇよ! 嫁とかおかしいから!! いいから結界張り直せ!! お前に戦闘は無理だから!!」

 イカれた花の精に怒鳴り、貴仁は拓人を引っ張って結界の中へ連れ込む。一息付いた二人は、恐らく神社である方向を見上げる。

「二人とも……」

「……俺達は……、行けそうにない……な……」

 悔しげに唇を噛む拓人を見ずに、貴仁は桜吹雪の結界を見つめる。結界の向こうでは二匹の鬼が、愉しそうに狐を屠っていた。


 一寸先も見えぬ暗闇の中に、彼女は浮いていた。上も下もわからない、音も聞こえない、静寂に包まれた闇の中。

(私……何をしてたんだっけ……?)

『あぁ、貴女が未希の友人ね?』

(……え? 誰……? 未希って……?)

 闇の中に現れた一条の光、その中から声がする。彼女はその声の主が出した名前に反応出来ない。知っている気がするのに、わからない。その様子を見ていたらしい誰かは、その光で少女の回りを照らして言う。

『貴女は、あの子の力で本来の力を封じられている。私は、その力を解き放つことができる。その力で、貴女は貴女の役割を思い出すと良いわ。私はやさしい――ではないから……』

 何を言っているかさっぱり理解できなかったが、彼女は自分の中に流込んでくる懐かしい気配に身を委ねた。身体の奥から、力が沸き出してくる。それと同時に、誰かが語りかけてくる。彼女はその声に頷いた。

『さぁ、我らの誓いを果たしに参ろう……』


 玉藻前と終わらぬ舞を舞う未希は、急に力が沸いて来るような感覚を覚えた。それと同時に、彼女の首から、巻いていたチョーカーが裁ち切れ、地面に落ちた。それは、玉藻前の仕込み刃が当たった訳でもなく、ただなにもなくはらりと落ちたのだ。それを感じた未希はフッと口角を上げる。空狐はそんな未希の様子を確認し、目を細めて札に戻って神社の住居区に飛んでいく。

「遅いぞ……、待ったんだ……」

(……っふふ、おかえり……待ってたよ、忍)

「今、今……戻ったよ……!」

『我今、千年の誓いを果たさん!!』

『くっ……! 己、九尾の狐が!!』

 彼岸花の花弁を散らしながら、白銀の髪を風に揺らす少女が、髪と同じ色の九尾の狐を従えて飛んで来た。それらを確認した勾陣は、満身創痍の悪狐に一発矛で攻撃を加えて笑う。

『我が主、今ならば……』

「あぁ、そうだな……。結美、九尾シノブ、力を貸してくれ……!」

「了解!!」

『我が力、受けよ玉藻前!!』

 ほどけたポニーテールをそのままに、結美は九尾の狐に指示を出す。その指示に応え、九尾は拘束の霊力を満身創痍の玉藻前へと放つ。それを避けられなかった悪狐は、鎖にその身を絡まされ、動きを封じられる。それに合わせて未希が喚び出したのは、十二支と方角が浮かび上がる十二角形の陣。

「陰陽八卦……十二陣!!」

 左手を前に出し、右手で支えた少女は、奇怪な陣を悪狐の足元を中心に展開する。そして、その十二角形の頂角に十二天将が喚び出される。更に彼女の眼前とその向かいに鏡が現れた。

「これでいい。これで終わりだ……」

 合わせの封印に必要なのは、ウツリミとウツシミの鏡を合わせて、合わせ鏡を作ること。未希は目の前にあるウツシミの鏡を掴んで、光に眩む向こう側の鏡に向けた。しかし、邪の鏡であり陰の力を持つ鏡を闇の側から合わせられない。

『ようやく、我ら全員を喚び出すこと叶いましたね。しかし、貴方だけでは、封印出来ませんよ?』

「分かっている……。だが、影は光を呼べない。気付くまで……」

 一向に鏡を合わせられず、未希は徐々に焦り始める。結美が気づけば、と思うが、他力本願にはなりたくない、とも思う。天将の一人主神、貴人に言われても、未希は親友を呼べなかった。

「えっと、どうすれば良いの?」

『我らが陽の鏡を支えるのだ。でなくば、永劫封印は完成せぬ』

 一方の結美は、自身の分身たる九尾に諭され、陣の中へと飛び込んだ。親友を助ける為なら、如何なる痛みをも耐えられる、ただそれだけで、結美は何が起こるか分からない陣中に飛び込む。十二天将の一人、水干の少女が、鏡を指差す。それを見ずに鏡を支え、暗闇が横たわる向こう側を睨む。

「未希、こっちを!!」

「結美……! ぁ、見えた……!!」

 たった一つの声かけで、二つの鏡は互いの姿を合わせた。鏡が映し出したのは、鎖を断ち切った玉藻前の姿。それを見た勾陣は十二天将全員の力を何とか封印に向けようとする主人の命を守る為に、悪狐が作り出した黒の刃を叩き落とした。

『勾陣、貴方……!』

『九尾の少女よ、鏡から手を離せ! 手が吹き飛ぶぞ!!』

『未希、てめぇも同じだぞ!』

「分かっている。だが、痛みがなければ、封印は出来ない。初代は……それで失敗した……」

 勾陣の矛が、悪狐の攻撃を落とす。それは、力を制御する少女の身体に異常な流れとなって、その身を内部から引き裂いた。耐えきれない衝撃に吐血した未希を見た玉藻前は、好機とばかりに陣内部に衝撃波を撒き散らす。

『ははは……、妾の……、勝ちじゃ……』

「いや、お前の敗けだ……」

『……?! な、なんじゃ、この鎖は……!!』

 血霧の先に現れた赤い鎖、それはより強固に玉藻前を縛り付ける。それを操る巫女の左腕は、肩から存在を無くしている。

「我が血を対価に、悪狐の封印を……。十二天将よ、九尾の白狐よ、かの封印の力を……!」

 無くした利き手と引き換えに、合わせの封印は完成する。二つの鏡が回りだし、玉藻前の力と姿を纏い取る。悲鳴も残さず奪い取り、残ったのは穴が開いた境内と、合わさったままの鏡、そして依り代となっていた雪斗。

「大丈夫、未希!」

「……あぁ……、大丈夫、だ。だが……すまない、本来なら……」

「良いの!! 私は、未希の力になりたかったから!!」

「……っ、すま……ない……」

 無駄と思える問答を中断し、未希は取り戻した左腕を押さえて俯いた。本来なら、未希は己の全てを掛けて結美の中にある九尾を抑え続ける積もりだった。しかし、それは彼女自身の迷いから果すことが出来なかった。

「あ、雪斗先輩。気が付きましたか?」

 勝手に行き来し始めた意識は、結美の、雪斗を気遣う声によって現実に呼び戻される。意識を取り戻した彼は、なぜ自分がここに来たのかから理解出来ていない様子だ。

「あれ、なんで俺……」

「……ここの……階段は……、足腰鍛えるのに……丁度良いから……来たの……では……?」

「あれ、そうだっけ……? あ、佐伯? しんどそうだが、大丈夫?」

「……平気……です……」

「あ、あ! 未希ちょっと風邪気味なんですよ! 休むよう言うんで大丈夫です!」

 結美のフォローに、雪斗は首を傾げつつ、気をつけて、と言って階段を下りていく。結美はその後ろ姿を見送るように階段へと駆け寄っていく。未希はチラッとそれらをみて、落ちている鏡を見下ろした。そしておもむろに刃を取りだし、鏡へ向かって降り下ろした。鏡の割れる音と共に、未希の意識が薄れていく。

(……そう……、これで……、終わり……)

 僅かに微笑んだ彼女の姿は、誰の目にも止まることなく木枯らしの中に溶けて消える。結美が振り返った時には、そこに誰の姿もない。ただ、バラバラになったブレスレットが落ちていただけだった。そして、佐伯未希という少女の記憶は、この町に住むほぼ全てを人の記憶から消え去った。

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