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参拾参夜 狐

 それは神の使いであり、有名な妖怪であり、人を化かす。可愛らしい容姿に、倉の守護を任された獣。見る事が少なくなったかの獣に、先人達はなにを見たのだろう……。


 秋も深まり、紅葉した木々の間を木枯らしが吹き抜けていく。舞い散る木の葉が境内に溜まり、鮮やかともいえぬコントラストを描いている。そしてその境内の東西には、彼岸花が群生している。これらはさながら、赤い川のように見える。

「これは……、一人で掃除はするのは大変だね……」

「この辺は山だからな。落ち葉は酷い」

 背中を向け、落ち葉を掃き集める未希に表情は無い。結美も背中を向けて、箒で落ち葉を集めて山にする。傍には落ち葉の山がいくつも出来上がる。巫女装束の二人は黙々と落ち葉を山にしていく。

「……結美は、兄さんから大体の話を聞いたのだろう?」

「え? そうだけど……?」

「なら、初代が何故子孫に呪いを掛けてまで、この地を守ろうとしたかは知らない……だろうな……」

「……? そうだね、知らない。貴仁さんも知らないようだったけど」

「この土地は……、神に見離された忌み地だ」

「忌み地……?」

 こちらを向く結美を、未希は見ていない。ただひたすら、箒を動かして落ち葉を集めていく。やがて山になったそれを、袋に入れて口を結んで彼岸花を潰さない位置に放る。興味を擽られたまま放っておかれた結美は、友人に対し少し苛立たしげに問いかける。

「未希、忌み地って何?」

「神に見離された地と言ったろ? ここには、守護神がいない。土地神がいないせいで、この地は妖怪が蔓延るようになった。助けられた恩に報いるために、彼女はこの地を忌み地から解放しようとした」

「……? だから、一族に呪いを?」

「そう。土地と同じだけの歪みを、一族が魂に背負って、然るべき手段を持って歪みを正す。……だが、その前にやることがあるな……」

 箒を動かしながら話す音に混じって、別の音が聞こえる。それは階段を上がる靴音で、徐々にこちらに近付いて来る。それに混じって聞こえてくるのは微かな鈴の音。音に気付いた未希が箒を止め、階段に背を向けたまま呼び掛けた。まるで、その人が来ることが分かっていたかのように。

「トレーニングにこの階段は最適ですね、雪斗先輩」

「え……? 佐伯? あれ? なんで神社に……」

 トレーニングウェアを着た雪斗が、社殿を見上げて困惑したように未希に問いかける。明らかに混乱した様子の雪斗のもとに、未希がスタスタと歩み寄る。彼女は殺気を隠すことなく、雪斗と微妙な距離を取って足を止めた。

「そういえば。……今日でしたね、両親の命日は。でなければ、兄さんが仕事をとる訳がない……」

「佐伯……? 何を言ってるんだ?」

「両親を殺し、かつてその力を奪った相手……。紛らわしい気配のせいで多くを迷ったが、ここにわざわざ来るとは思わなかった……」

 箒を手放し、彼女の殺気が霊力を伴って膨れ上がる。共にいることが多かった結美でも、この殺気と霊力は初めて感じる。未希の意味不明な言動に物申すよりも、彼女の身から溢れ出る力に圧倒され言葉を出せない。

「久し振りだな……、初代ですら勝てなかった最悪の妖怪……。大妖たいよう、九尾の黒狐いや、玉藻前たまものまえ

 殺意を込めて紡がれた言葉に、雪斗が声を上げて笑い出した。その顔は、声は、雪斗のものとは思えない程不気味で。

『流石は我が力を奪いし佐伯の姫。擬態した妾に気付くとは……。力が戻るまで、実に長かった』

「……え……、えぇ……!? ゆ、雪斗先輩は……?」

 結美が狼狽えたように声を出す。彼女の疑問に答えたのは、雪斗に擬態している玉藻前だ。曰く、消滅の危機にあった大妖が、病弱な子供に取り憑き、健康な肉体の代わりに力を回復させる依り代としたのだという。

『時は来たのだ! 今この場には、我が宿業の敵が“二人も”揃っている! その魂、この地に住まう者共毎食い荒らしてくれる!!』

 ケタケタ笑う雪斗、いや、玉藻前の身体から霧の様に瘴気が溢れ出す。それは瞬く間に神社を、町を覆い尽くしていく。咄嗟に踏み出し、玉藻前のもとに飛び出そうした二人も瘴気に押され、石燈籠を境に社殿側と階段側に分断されてしまう。

『さぁ死合おうぞ“佐伯の姫”、我が怨念の敵よ。もう一人は貴様の魂を食らいし後、ゆっくり相手をしよう』

「……我が身の宿命、千年ののろい、今果たさん……」

 雪斗よりしろから本性を現した、九つの尾を持つ黒い体毛の狐、大妖玉藻前。その美貌を睨み付け、未希は赤い太刀を振り抜いた。


 仕事中だった二人は、突如町を覆い尽くした黒い瘴気に仕事を投げ出し、会社から飛び出していた。会社があるビルの中では、同僚や上司といった社員や商談相手のバイヤーが瘴気を吸って倒れ、気を失っている。

「なんだってこんな急に……!!」

「……しまった……、今日は命日だった……!!」

「誰の?!」

 貴仁が答える前に、黒い狐が群れを成して襲い掛かって来る。しかし獣達は、二人の息があった攻撃に何も出来ずに切り刻まれた。駆け抜ける先々には、人々が倒れ臥していて、痙攣している人もいる。

「俺の両親の命日だ! くそっ拓人、止まれ!!」

 貴仁の警告する前に走る二人の足は止まり、一分の隙を見せることなく背中合わせになる。二人は周囲を、黒い狐の大群に囲われていた。

「何だか……、楽しくなりそうだな、貴仁……?」

「……はっきり言って、面倒以外のなにものでもないがな。……俺の両親の仇討ちだ。皆殺しにしてやるから覚悟しろよ……」

 背中合わせの状態で、どちらからともなく愉快そうな声色で話し、互いに得物を構える。二人の顔に浮かぶのは狂気に似た喜色。大体のことを思い出した貴仁にとっての仇討ち、付き合う拓人にとっての暇潰しは、まだ始まったばかり。


 社殿側に閉ざされた結美は、凪ぎ払っても沸いてくる狐の大群に苦戦していた。傍らに呼び出した空狐も狐火で応戦するが、数が減る様子は一切ない。

「どっから、沸いて、出て、くるのよ!!」

『主! 集中せねば要らぬ傷を追うぞ!』

「分かってる!」

 蒼いリボンをつけた槍を振り回し、彼女は周囲を観察し続ける。階段側は黒に遮られて、何が起こっているか分からない。そのせいで、未希は無事だろうかという不安が生まれる。その思いは、雑念となって彼女が振るう刃を鈍らせるだろう。戦闘の最中に雑念はいらない。それを分かっているからこそ、彼女は自分の不安を槍と共に振り払う。斬撃に巻き込まれた狐が、何匹か彼女の槍に突き刺さった。気にせず再度振り払った刃の軌跡を、突き刺さったままの死体が辿って飛んでいく。それらは、別の狐達に当たって黒い瘴気の中に消え去る。

「キリが無いよ!! もう消し飛べ!!」

『……何故……。濃すぎる瘴気の中で、そんなにも身軽でいらっしゃるのか……』

「何か言った?」

『いや、主が気にすることはない。それよりも、来るぞ!』

 逆立てた尻尾に火の玉を宿し、空狐は縦横無尽に駆け回る主の顔色を窺う。そこに変化は全く見られず、むしろ普段より良いとさえ思える。彼女の、その動きに無駄な隙はなく、キリが無いと叫びつつも狐達を圧倒している。通常の戦闘より動いているはずなのに、息の乱れが一切見られないのも異質だ。同様のことが空狐にも言えるのだが、空狐は妖。瘴気の中の方が強い。

「鬱陶しいな、しつこいなぁ!!」

『えぇい! 近付くでない!!』

 燃やし、引き裂き、突き通し、切り刻んでは投げ飛ばす。繰り返す攻撃は、最早単調なものでしかない。それでも怪我を負わないのは、一人と一匹の連携が素晴らしく隙がないからだ。しかし、疲労はじわじわと結美の身を侵し、槍を振るう腕はを鈍らせる。ふとした拍子に、悪狐の爪が服を掠める位は隙が生まれている。

「このままじゃジリ貧だよ……!」

『だが、打開策など……!』

 叫ぶ主従の事など気にかけず、黒い狐の大群が襲い掛かる。息つく間もない攻勢に、主従は体勢を整える。地平の彼方から均衡を乱す声が響くまで、呪われた遊戯は終わらない。


 階段側では、赤い太刀と銀の鉄扇が、黒い瘴気の中で舞っていた。回る赤が燻る黒を捉えれば、赤を弾いて銀が揺らぐ。翻った銀が白を裂けば、軌道を追ってあかが飛ぶ。負けじと赤が黒を突けば、新たなあかを赤が纏う。ぶつかり、弾き、掠め、またぶつかる。それは組変わり、石畳を踏む足音と合わさって争いの輪舞曲ロンドを奏でる。

『ククク、流石は当代最強……、いや歴代最強だな。妾の力を奪っただけはある』

「それは……、どうも……!」

 鍔迫り合いから距離を取り体制を立て直す。未希の服のあちこちには斬られた跡があり、薄く引いた線から緋色あかが滲み出る。それは相手も似たようなもので、しかし、未希より傷は多くない。玉藻前が両手に鉄扇を構えば、未希は一旦太刀を振って構え直さす。二回目の演舞が、合図もなく始まった。

(……当たらない……。何故……? 避けられている?)

 翻る身体に合わせて太刀が踊る。しかしそれは、何故か相手の身に当たることはない。対照的に、巫女を狙う狐の鉄扇は的確に、服を、肌を、急所を当てて来る。鉄扇の動きに合わせて身体を捻り、攻撃をいなしてはカウンターを狙う。再度鍔迫り合いから距離を取り、睨み合う両者の間を大型犬の幻影が駆け抜けた。

『どこぞの邪魔か……! 忌々しい……!』

「狼……? あの日の恩返しか? つがいになったのか……」

 巫女の背後から襲い来た黒狐達は、獲物を狙って口を開けた二匹の狼の牙の餌食になった。背後の心配をする必要をなくした未希は、唇の上に笑みを浮かべて敵を見やる。

「勝負はこれから、らしいな?」

『ちっ……、まぁ良い。所詮、貴様では勝てぬさ』

 互いに微笑を浮かべ、相手目掛けて飛び出した。


 瘴気に閉ざされた社殿側では、相も変わらず狐に囲まれた結美と空狐が苦戦している。体力も霊力も無尽蔵等ではない。戦闘が続けば疲弊する。肩で息をする結美の身体には、火傷と引っ掻き傷が増えていく。

『そろそろ……限界…………!』

「狐の……数が……減れば……!!」

 主従は決して同じ場所に留まらず、入れ替わり立ち替わり攻撃を避ける。しかし、数で攻められては回避も何もあったものではない。次第に増えていく傷と磨り減る気力に足が止まりかける。その足目掛けて牙を剥いた狐を、どこからか駆けてきた狼が引き裂く。現れた獣は、茫然とする主従を見ずに狐達を食い荒らしていく。

「え……、えぇ……!! な、なに、どっから?!」

『敵ではない……? あやつのえにしか』

 混乱する結美を他所に、空狐は冷静に狼の様子を観察する。群れなす狐を番の狼が蹴散らしている。彼等には最早、主従を襲うことができない。天敵から逃げるのに精一杯だ。但し、その狼達がどこから来たのかは空狐にも分からない。

『主、今を逃さば好機は無いぞ!』

「え、あ!! そうだね! 境界を破らないと!!」

 散り散りに逃げ惑う狐の群れを斬り分け、一段黒い場所へと駆け寄る。しかし、槍で叩こうが突こうが破れる気配がない。周囲に黒狐はいない。追い回していた狼もろとも姿を消したのだ。誰にも邪魔されず、結界崩しに専念できる。

「……っ崩せない……!!」

『落ち着け、主! 冷静にならねば見えるものも見えなくなる』

「でも……!」

 結界の向こう側で戦っている親友を思うと、彼女は冷静になれない。刃を振り回し、ひたすらに砕こうと必死になる。しかし、結界にひび一つ入らない。

「なんで……、なんで壊れないの……?!」

『主! 結界の張り方は複数あろう?』

「……? そうだけど……?」

『ならば、叩くべきは結界自体ではなかろう?!』

 そこまで言われて、結美はようやく理解できた。結界は、結美達が普段使う簡素なものと、しっかりとした媒体を介して作られるものとがある。強固なものは一対の媒体が必要になり、それは結界の起点と終点を繋いでいる。それらを思い出した結美の目は、石燈籠に真っ直ぐ向かう。起点と終点、一対の媒体にはちょうど良いものがそこにある。

「空狐!!」

『承知!!』

 結美の指示に空狐が応え、主従は息を合わせて石燈籠を破壊した。


 長短一対の双刀で舞う未希は、攻撃を当てきれない状態に苛立ちを覚えていた。敵の鉄扇を弾いてできた隙を狙い双刀を振り降ろすも、両の刃がその首を掻ききることはない。

『ククッ……、らしくないな“佐伯の姫。まだ赤子の方が強かった』

「くっ、黙れ……!!」

『その様子では気付いていないか』

 愉しそうに嘲笑わらう玉藻前に、未希は苛立ちの籠った一撃を放つ。しかしそれは、明らかに玉藻前の方には行かなかった。自分自身の手で、方向を変えていたのだ。それに気付き愕然とする巫女に、大妖は鉄扇を振るって攻撃を加えつつ嘲りを唇の上に乗せて笑う。

『やはりな。好いたか、器たるこのよりしろを!』

「好い……た……?」

 答えることが出来ず、弾き返した未希の手から力が抜ける。好いた、好き、それは彼女には理解できない感情の一つ。しかし、薄々感づいていた。妙な胸の高鳴りも、息が苦しくなるのも、それが原因ではないかと。だがそれを否定し、妖の気配がするからと見ない振りをした。それが今、彼女の攻撃が攻撃を躊躇う理由となってその刃を鈍らせる。

『いっそ哀れよ。ならばいっそ好いた男の手にかかって、一思いに……死ね』

 無情な言葉と共に、黒い斬撃が動かない少女を襲うために飛んで来る。項垂れる少女を、社殿側から飛び出してきた少女が突き飛ばす。どこかで酷く高い、不快な悲鳴が、巫女二人の間を駆け抜けた。


 遠く離れた場所を走る二人は、唐突に足を止めて振り返った。彼等の耳には、酷く高い、不快な悲鳴が聞こえていた。

「今の……?」

「誰か……死んだ……?」

「お、おい……!」

「あの悲鳴は……、死生縁ししょうえんの鈴の音だ……」

 妖縁の鈴、力縁の鈴と並ぶ霊力を持つ鈴だが、人の生死に関わり、生まれれば笑い声が、殺されれば悲鳴を上げる。空間を伝うことのない音は、縁のある者にも聞こえるという。

「未希ちゃん、結美ちゃん、無事で……」

 瘴気の中を二人は神社へ向けて走る。妹達の無事を信じて。

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