弐拾八夜 真実
ふふふ同時進行です!いっしょに読んで頂けたら嬉しいです。こちらも軽くグロ注意です。
夏の午前は、暑さがまだやわらかい。そんな時間を見計らい、結美は携帯を握りしめてサンダルを履いた。出かけるための準備は、すべて終えている。
「おはよう、結美ちゃん。出かけるの?」
「あ、おはようございます、拓人兄さん。ちょっと……、貴仁さんに呼ばれて……」
同居している従兄、拓人は、彼女の返答に眉をよせた。突然神妙な顔をした兄に、結美は首をかしげる。貴仁に呼ばれたことが、そんなに妙なことなのだろうか。
「……結美ちゃん。もし貴仁と話をするなら、未希ちゃんは同席させた方がいい。もしくは、絶対に帰って来ない時間を選ぶんだ。俺からの忠告」
いつになく真剣な顔をする拓人に気圧されるも、既に時間は向こうが指定している。多分、未希は部活中だろう。
「え? どうしてですか?」
「なんでって……う~ん……。俺なりのお節介」
真剣な顔をしたと思ったら、いつもの朗らかな笑顔を向けてくる。一体どうしたのか、と思いながら、結美は家を出た。見えなくなる従妹の背中に、拓人はぽつりと呟く。
「その間が壊れるか、結び付きが強くなるか、お前はどっちが望みなんだ……貴仁……」
昨日よりも日差しが弱い石段を登りきり、神社の影にある住居のチャイムを鳴らす。開いた玄関の向こうには、紺色の浴衣を着た貴仁が立っている。
「やあ、結美ちゃん。早かったね、どうぞ」
「おはようございます、貴仁さん。お邪魔します
貴仁に促されて家に入る。フローリングは思ったよりも冷たい。通されたリビングは、少し冷房が効きすぎている様で寒い。
「テーブルに座ってて。外は暑かったね。冷たい麦茶しかないけど、ごめんね」
貴仁の背中越しに、氷がグラスに当たる音がする。程なくして結美の前に、麦茶が入ったグラスが差し出される。それに手を伸ばすより、彼女はあのメールの意味を知りたかった。
「貴仁さん、未希の秘密って……。どういう意味なんですか?」
「……読んで字のごとく、だよ。あいつには、結構秘密が多くてね。例えば……」
一旦言葉を切った貴仁は、ちらっと結美の後ろに目を向けてから僅かに唇を上げた。
「あいつが、化け物、とかね」
未希が化け物? 貴仁の言葉が結美の頭の中に響く。かっとした結美は思わず、テーブルの上をかなりの力で殴っていた。その音は自身の後ろから聞こえた音と重なり、思った以上の音となって部屋の中に響いた。思わず身をすくませた結美とは違い、貴仁は引き戸の向こう側にいる人に涼しい顔を向けている。
「あぁお帰り、未希。案外早かったな」
彼の言葉に返答はなく、未希はうつむいたまま通り抜けていく。その背中に掛ける言葉をなくす結美は、未希が小さく呟く言葉を拾っていた。
「所詮、守るこの世界に居場所はないんだ……」
(……そんなこと……無いのに……)
彼女の背中が引き戸の向こう側に消えたのを確認した貴仁は、ようやく結美の方へと向き直る。笑っているその顔には、表情の割に感情が見えない。
「さて、それじゃあ話をしようか」
「未希が化け物だって話ですか?」
言葉の端々に苛立ちが混じるも貴仁は気にすることなく、むしろ愉しそうに笑みを浮かべて否定した。
「未希だけじゃない、俺もだよ。というか、この家の人間は皆そうだ」
「どういう……意味ですか……?」
ふとした疑問をぶつけた少女に、彼はは微苦笑を浮かべて答える。
「佐伯家の役割上、人より妖に近いからさ」
肩をすくめた男は、自分用に入れた麦茶で口を湿らせて話し始める。それは未希や貴仁に繋がる佐伯家のルーツの話だった。
「佐伯家の初代は、流れの陰陽師だったらしい。ここにあった村人に助けられて、その恩義に報いる為にここを守ると誓ったそうだ。そして、子々孫々守らせる為の呪いをかけた」
「呪い、ですか?」
「そう。どんな呪いなのか詳しくは知らないが、その一つに、女が女児を生んで魂を繋ぐってのがある」
よく分からない呪いだ、と苦笑する貴仁に、結美は少々顔を青くする。それが事実なら、未希が母親を知らないことの理由が分かるのだ。母親は、未希に魂を預けて死んだということになる。そして、子供を産むまで死ぬことは許されない。自分の子孫に、そんな呪いをかけたのか。だが、その考えだと未希の父親がいない理由がつかめない。家庭の事情だろうか。
「なんで、そんなことを……」
「初代の力を、来るべき日まで維持するためって俺は思ってるよ。それが守る為に必要だと思ったんだろう」
「そうまでして、守りたい場所……?」
「少なくとも、初代はそう思ったんだろうね。そしてそのおかげで、お袋は命を長らえた」
貴仁が一瞬だけ、懐かしい何かを思い出したという顔をする。だがその表情はすぐに隠され、憎悪の光が瞳に宿る。
「お袋は生まれつき身体が弱かったらしい。そんな身体で俺を、九年後にあいつを産んだ。ただ、あいつを産んだ時期が悪かったそうだ」
貴仁の表情に悼みが走る。それでも、彼は言葉を切ることをしない。彼らの両親が、いかに悲惨な最期を遂げたか伝える為だろうか。
「お袋はここで出産したんだ。あの時は、なんで病院に行かなかったんだ、と思ったよ。親父が俺を立ち会わせて、手伝いの式神が取り上げた。その時は、感動したよ。その直後に……、産まれた赤子を怨むことになったけど」
懐かしさと悼みと僅かな憎しみ。異なる感情に支配され複雑な表情を見せる彼の、話す内容は悲劇だ。そうなるとは思わなかったが、結美に引き返すことは許されない。
「取り上げた直後、親父が張った結界に境内のドアがぶつかってきた。親父もお袋も分かってるような顔して、俺に赤子を預けて。そこからは怒涛の展開。親父の胸に風穴が開いて、お袋の首が飛んでった。術を習ってても、動けなかった」
「…………え……?」
青い顔をしたまま声も出せない彼女の傍で、グラスの氷が音を立てる。奇跡的に倒れなかったそれは、涼しげに氷を揺らしている。
「近付くそいつは、ゾッとするくらい綺麗な女だった」
「その……妖……、名前は分からないんですか?」
「うん、結局分からなかった。殆ど覚えてないからかもしれない。あの時は、目を開けた赤子の単純で強力な霊力で追い払ったから」
苦しそうに笑う貴仁は、再度グラスに口を付けて間を置いた。結美もようやくグラスの麦茶に手を付ける。そしてふと、疑問に思った。何故赤子だった未希の力で、妖怪を撃退出来たのだろう。
「なんで赤ちゃんが、妖を追い払えたんだろう……?」
「さあ。それは、今でも分からない。ただ、あいつは術の覚えが早かったよ。たった三歳で、強固な結界を完璧に張れたんだから」
幼い頃は物覚えがいいと聞くが、幾らなんでも早すぎる。遊びよりも先に、戦い方を仕込むなんて聞いたことがない。もしかしたら佐伯家特有なのかもしれない。ただし、それは未希にとって最大の悲劇だったのは間違いない。その力が、更なる厄介事を持ち込んでしまった。
「それは、未希にとって運がなかった。この町を守る為の結界補強に、その全霊力を使われたんだからな。だが、俺にとって、これ程の幸運はなかったよ」
「幸運?」
「俺にとっての妹は、家族を奪った存在だ。こいつがいなければ、お袋は、親父は、あんな死に方しなかったのにってな。だから、俺はあいつを憎むように愛してた」
その時を思い出すように目を細め、しかしどこか思い出したくない様子で、貴仁は話を進める。上弦町を覆う結界は、幼い未希の命で補強ではなくより強固な結界へと張り替えられたこと。その対価に、未希は身体ごとこの世から消えたこと。そして、貴仁が拓人を巻き込んで未希をこの世へ呼び戻した事を。
「拓人を巻き込んだのは、原因の一部が拓人にもあるからだ。神崎家が余計なことを吹き込まなければ、あいつが一回死ぬことはなかった。それに、禁術の対価が、俺一人じゃ届かなかったのも理由だ」
そして、未希を呼び戻す為に、貴仁と拓人はその霊力の大半を奪われる形で禁術を使った。禁術については詳しく教えてくれなかったが、命懸けなのだろうと予測はつく。
「あいつを呼び戻す時に、俺は佐伯家の使命を完全に果たすまで死ねない呪いをかけといた。いかに絶望しても、死ぬことを許さないように」
その結果霊力の絶対値が低くなったんだ、と嗤う貴仁は愉しそうだった。それが自分の復讐、そう呟く声を拾った結美この話をした本心に気付く。ずっと抱えてきたモノを、彼は吐き出したかったのだ。例え憎いと言っていても、彼は確かに妹を愛している。結美は少なくともそう思った。
「貴仁さん、なんで私にこの話を?」
「ん~……。結美ちゃんのおかげで、あいつが変わったから、かな」
いつもの笑顔だが、少し違和感を覚える。どこか、貴仁らしくない雰囲気を纏っている。グラスの中身を見つめたまま、彼は囁くように告げる。
「俺はあいつを、道具として愛した。道具に心は要らない、人としての感情は不要なんだ。佐伯家の当主、佐伯の姫はただ妖を絶つ存在でなければ危うい」
口元だけで笑い、彼は結美を見た。その目が狂気を孕む。
「呼び戻した時に心を無くしてたことに、正直喜んだよ。余計な怪我をしなくて済むと思った。でも、結美ちゃんに会って、無い心を理解しようともがいてる様が憎らしくてね。……あぁ別に結美ちゃんを責めてる訳じゃないけどね」
冷たく嘲笑う男の目を見れず、彼女はテーブルの下で自分の両手を握りしめた。肩に力が入ったのに気付いた彼が、苦笑しながらフォローする。俯く彼女は一旦目を閉じ、自分とは違う誰かの手に触れる感覚に戸惑うことなく握りしめ、今度は目をそらさないように、ぐっと貴仁の目を真正面から見据えた。その強い目を見た貴仁は、ふっと表情を和らげる。
「これであいつの秘密は全て伝えたよ」
目の前の少女の強い瞳を見据え、貴仁は挑むように言う。少女と妹の絆を試す彼の目が、一旦外れて再度少女を見る。
「道具としての生き方しか教えず、壊れない鋭利な武器にした。感情も友情も知らないあいつに、人として接せれるか?」
「どんなことを言われても、私は未希の傍にいます」
「……あいつが、望まなくても?」
「それでも……、それでも私は……」
僅かに言葉を切った結美は、微笑を浮かべて彼に告げた。その眼差しに迷いの色は一切見られない。
「私は未希の居場所になります 。私は未希の、友達ですから」
強く強く言い切った結美に、貴仁は一瞬呆気にとられた顔をしたが、すぐにいつもの笑みがこぼれた。何もかもから解放されたように、彼はただ静かに優しく、引き戸の向こう側にいる者に声を掛けた。
「良かったな、未希。お前の居場所はここにあるって」
「え……?! 未希!!」
貴仁の言葉に振り返った結美は、僅かな隙間から血に染まったぼろぼろの未希が、茫然と涙を流しながらこちらに来ようとしているのを見た。咄嗟に椅子を蹴倒し、未希に向かって手を伸ばすと、紺色のマントが落ちるのも気にせず未希が倒れ込んでくる。しっかりと抱き止めれば、彼女が小さく呟くのが聞こえた。
「ありがとう……。傍にいてくれて……」
それきり意識を失った未希を、結美は静かに強く抱き締めた。今までの孤独を埋めることはできないだろうが、これからの寂しさは消していける。ただそれだけを信じて。
病院に妹を送り、ついでに結美も家に送ってから、貴仁は一人居間に佇んでいた。すっかり日が暮れている。不意に何か違う気配が彼の傍にきた。口角を上げ、彼はその者の名を呼ぶ。
「久しぶりだな、天空。お前、勝手に出てこれるんだな」
『よぉ、さすがに気付くか』
十二天将の一人である天空は、キセルをくわえて貴仁の背後に寄る。彼の者が危害を加えない事が分かっているからこそ、貴仁は何も言わないし何もしない。ふっと煙を吐き出し、天空は椅子に座ってぼおっとする貴仁を見やる。
『別にお前の生き方を、あの小娘が否定した訳じゃ無いだろ? 何が気に入らない?』
「……気に入らない……か。違うかな。あの子供が眩しいんだ。俺には、あんな生き方できない」
その光景を思い出したらしい貴仁は、否定せずに受け入れるなんて、と呟く。それに、天空は笑いながら違うだろ、と返す。
『嬉しかったんだろ? 肯定されたことが。素直に受け取れないヤツだな、相変わらず』
「……かもな……。それにしても、物凄いメンタルだよ、結美ちゃん。壊れると思ったのに」
『はっ、初めて呼び出された日から変わらねぇな、貴仁。お前の妹より面白い』
軽く笑う天空に、貴仁はかなり嫌そうな顔をした。彼はこの式神があまり得意ではない。好かれるのはありがたいが、正直関わりたくない。
「笑うな、天空」
『ふっ、わりぃわりぃ。妹思いなお前が可笑しくてな』
眉をひそめた貴仁の顔に煙を吐き出し、天空は何も言わずに消え去った。残された男は苛立たしそうに舌打ちし、椅子から立ち上がる。彼が伸ばした手の先には、一輪の桜が咲いた枝が落ちていた。
「とりあえず、夏休み終わるまで未希は入院だな」
桜の枝を折れば、それは虚空に溶けて消えていった。