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弐夜 虎

 深夜。町が、人が、動物が寝静まり返る時間。その中を歩く、奇妙な影。その影に名を付けるとすれば、それは虎。



 女郎蜘蛛を封じた翌朝、結美はいつもより少し早く家を出た。昨日、こんな遅い時間まで何をしていたのか、と母親に怒られそのまま喧嘩になったのだ。バイトは許されていても、バイトと部活以外で遅く帰って来ることは許されていない。昨日は急きょ入った為、連絡を入れそびれたのだ。

「おはよう、神城さん。今日は早いのね」

「おはよう、佐藤さん。今日は家に居づらかっただけ」

 佐藤(さとう)明日(あす)()は結美のクラスメイトだ。おしとやかと言う言葉を体現したような人で、大抵誰よりも早くに学校へ来る。部活はしていないらしい。結美は彼女と少々話をする程度で、友達という程ではない。そんな彼女が結美に、言いづらそうだが話し掛けてきた。

「神城さんは、この近所で虎を見たことがある?」

「虎?!」

突拍子もないことに、結美は思わず素っ頓狂な声を上げた。すぐに、明日花が静かにするようジェスチャーで言う。

「ご……ゴメン。でも、何で虎? 犬や猫ならまだしも、虎は普通見ないよ」

「だよね……。でも昨日の深夜、変な声がするなって起きてみたら、道路に結構大きい虎がいたの」

「? 寝ぼけてたんじゃないの?」

「違うよ。母さんも、父さんも見たって……。神城さんの家って私の近所でしょ? だから聞いてみたの」

 確かに、結美の家は明日花の家の近くだ。だが、深夜まで起きている程夜更しはしないし、昨日はバイト疲れから早く寝た。特に変な声はしなかったはずだ。

「分らない。疲れて寝てたから……」

 そう、と明日花が言ったのを聞いたかと思うと、今度は教室のドアが勢い良く開いた。誰が来たのか、と二人はドアの方を見た。そこには、

「あ、おはよう、中条君」

「あ、おはよう中条君。バスケ部、朝練無かったの?」

「ねぇよ。あったとしても今日は行かねぇ。それより佐藤、神城、昨日の夜虎見なかったか?」

 入ってきた中条(なかじょう)(ゆう)()は、突然二人にそう聞いた。彼は、上弦高校のバスケ部副部長。結美と未希の通う上弦高校はスポーツがさかんだ。その中で、バスケ部は全国で優勝した経験のある強豪。その副部長が朝練を休みたくなるほどの事件のようだ。

「やっぱり! 中条君も昨日の夜見たんだ!」

「え? なに? 結局見てないの私だけ?」

「なんだ、佐藤は見たのに神城は見てねぇのかよ……」

 若干落胆したように佑都は言った。やはり、彼等にしてみれば重大な事件のようだ。それから次々と登校してくるクラスメイトは口々に、昨日の夜虎を見たか、と話をしだした。中には、結美と同じように見ていない者もいたが、殆んど全員がそのことを知っていた。朝のSHRが始まるまで、少なくとも結美は、話に入れない孤独を味わっていた。

 一時間目終了後の休み時間に、未希が教室に来た。いつも通りの無表情に結美は少しだけホッとした。

「おはよう、未希。珍しいね、休み時間に来るなんて」

「おはよう、結美。クラスに居づらくて……。みんな、虎の話で盛り上がってるから」

 やはりそっちも同じか。結美は少し嬉しくなった。一人では無かった。

「せっかく来てくれたのに悪いけど……、私の次の授業、体育なんだ」

「……体育か……。なら帰る。居づらいが……。後で話そう」

「うん! じゃ、後で」

 未希が教室から出ていく。結美も、体操服を持って更衣室へと向かった。彼女達は二年で、廊下には中庭が見えるよう窓が付いている。その窓に、同級生たちが張り付いて中庭を凝視している。

「……ウソ……。本当に居たの……?」

「本当にいたんだ、虎……」

 口々に漏れる、感嘆の呟き。結美も窓から校庭を見た。確かに、虎がいる。だが虎は、結美が見た途端霞みのように消えた。周りの生徒は、あっと声を上げ、消えた、と呟いた。

結美は、遠目で虎と見えたモノに多少の不気味さを覚えながらも、更衣室へと駆けて行った。その後結美は、昨日の未希同様、昼休憩まで心ここにあらず状態だった。体育の授業でも、怒られたのは言うまでもない。


昼に来た未希に、校庭で見た虎の話をすると、案の定彼女は渋い顔をした。

「……消えたって所が気になる……。でもなんにも起こってないなら、仕事にもならないな。でも、気になる……」

「気になる、しかさっきから言ってないよ、未希。とりあえず、所長にはメールしてみた。返って来ると思うよ、そのうち」

うん、と気のない返事を返してきた未希に、若干不安に思いながらも結美は、未希と共に弁当を食べ終わった。

「今日、部活だから、先帰ってて」

「了解」

 未希は陸上部所属している。週五の部活だ。一応、結美も部活に所属しているが、書道部は週一の部活である。しかも基本、未希と共に帰れない。分かっていても、必ず未希は部活の有無を結美に言って行く。中学校からのクセのようだ。

 六時間目の授業の最中、メールが入った事が分かった。バレないように携帯電話を開く。メールの返信、修司からだった。虎に関する依頼は来ていないが、調べるのは構わない、と書いてあった。詰めていた息を吐くと結美は、当たらないことを祈りながら化学の問題に取り掛かった。


 SHR後結美は、未希が部室に走って行くのを遠目で見てから学校を出た。とりあえず、急きょ仕事が入った、と家族に電話して虎の捜索を開始した。学校から離れた場所で、カバンの中に忍ばせていた札を取り出す。模様の入ったそれに息を吹きかけ、呟く。

「土蜘蛛、おいで……」

 札の上に小さな子蜘蛛が乗る。昨日、結美が封じた蜘蛛だ。子供だが、ワラワラいると捜索の手伝いになる。その調子で十五匹全て呼び出すと、一匹残して散らせ、虎を捜索させた。

子蜘蛛を散らせてから一時間が経過した。摘み上げていた一匹が盛んに足を動かし始めた。まるで、降して欲しい、と言わんばかりに。

「見つけたんだ。いいよ、案内して」

 子蜘蛛を降すと、小さな足でとことこと歩き始めた。結美はその後ろで子蜘蛛を踏まないように気を付けながら歩く。近くの曲がり角を曲がったその場所に、校庭で見た虎が居た。居たというより、他に放していた蜘蛛の吐いた糸に足を取られてもがいていた。子供とはいえ、吐く糸はかなりの強度を誇るようだ。

「なんだ……。この間抜けな光景……」

 呟かざるを得なかった。

子蜘蛛を一匹ずつ片付けるのも面倒だったので、まとめて札に息を吐いて片付けた。普段なら、式神にその札を張り付けるのだ。

 蜘蛛が消えたことで、虎に絡んでいた糸が消えた。虎がゆっくりと起き上がり、結美の方を向いた。その顔は、虎ではなく猿。見えにくかった尻尾は蛇だ。胴体と足の部分だけが虎。結美は思わず独り言を大声で言っていた。

「ヌエじゃん! 誰だよ、虎だって言った奴!!」

 ヌエ、猿の顔に虎の体、尻尾はヘビという日本の古くから伝わる妖怪だ。何故このヌエを虎と勘違いしたのだろう……。

 どうでもいいがこの声にヌエが反応し、結美に飛び掛った。彼女は、出会い頭の一撃を避けて戦闘体制に入った。ものは試しと、ヌエの顔面辺りを自分の手で殴ってみるが、手が痛いだけで効果がない。

「なんか、腹立つなぁ。……仕方ないか、生身だし……」

呟くと、カバンから札をだし、息を吹きかけて烏天狗を呼び出した。出てきた烏天狗は、ヌエと周りを見て不思議そうな顔をした。

『おかしいのぅ……。周囲の人間が何故、こんな騒音にも関わらず出て来ないのか……』

「……? 確かに。普通なら、誰か来るね……」

 不思議に思いながらも、結美と烏天狗はヌエの攻撃を避けた。天狗は持っている羽根団扇を振って風の刃を作り出し、ヌエを攻撃した。が、

『……全く効いとらん……』

「だね……」

 顔を左右に振っただけで、 効いている様子はない。ヌエは、仕返しとばかりに尻尾の蛇や、虎の爪で攻撃してくる。結美は攻撃を回避しながら、何故だか無性にイライラしてきた。原因は恐らく、彼女の式神が押されているということ。だが、一度に二体の式神を操ることは普通出来ないし、この状況で式神を変えるのも無理な話だ。しかし、ヌエは攻撃の手を緩めようとはしない。

(烏天狗を変えなければ……まずい……!)

結美は直感で気付いたが、手遅れだった。ヌエの尻尾の蛇が、烏天狗の右腕を喰い千切っていったのだ。

『ぐぅ……。やられたわい……!』

「っ……。これ以上は危険だ……。戻って、烏天狗」

 式神が受けた傷は、衝撃となって術者に帰ってくる。喰い千切られた衝撃は、結美にとって十分苦しいし、烏天狗は失いたくない。窮地に立たされる事は分かっていても、式神を札に戻さずにはいられなかった。結美を守る者がいなくなったのを好期と思ったのか、ヌエの攻撃が一段と激しくなった。

「……くっ。子蜘蛛を出すわけにはいかないし……。どうしよう……」

 呟いた結美に、一瞬だけスキが出来た。ヌエはそれを見逃さず、尻尾の蛇で結美を襲う。その蛇は結美の左腕に噛み付いた。とっさに蛇は振り払ったが、腕に牙が残ってしまったのが分かった。途端、結美は激しい目眩に襲われた。

「……っ毒……?! ヌエの蛇が毒蛇なんて聞いたことないよ……」

目眩がさらに酷くなり、立っていることすら難しくなった結美は、地面に座り込んでしまった。その結美に、ヌエは虎の爪を振り上げる。思わず結美は目を閉じた。が、何時までたっても覚悟した痛みは来ない。そのかわりに、

「逃げ切れないってわかって目を閉じるのは、殺してくださいって言ってるようなものだ、って前言わなかったか、結美」

 という、どこか辛辣な言葉と頭を叩かれる僅かな痛みが降ってきた。恐る恐る目を開けた結美が見たのは、分厚い本を手に持ち、鞘に入れたままの刀を横一文字に構えた、巫女服姿の未希だった。

「み……未希……。あ……、あれ? 部活は……?」

「とうに終わった。今八時。結美のお母さん、心配してたよ」

 いまだ目眩の収まらぬ目で、結美は周囲を見回した。にわかには信じられない事だ。未希と結美そしてヌエのいるこの場所はまだ夕暮れ時を演じている。

「……混乱するのも分かる。ここは幻覚と共に“作られた”場所だから。ちょっと(よう)(れい)図録(ずろく)を持ってて」

 と言うと美希は、分厚い本、妖幽図録を結美に預けた。この図鑑、中を見たことは無いが、未希は、佐伯家退魔の七つ道具の一つだ、と言っていた気がする。

 と、急にヌエが未希に向かって飛びかかってきた。この空間に侵入された事に腹が立ったのだろう。未希はそのヌエを一瞥して、刀を抜き様に真二つに切り裂いた。結美は目眩が収まるのを感じ、未希の隣に立つ。

「……ヌエ倒すの簡単だった……?」

「……? まだ幻覚に侵食(おか)されてるのか? あれは本体じゃない……」

 未希は結美に言うと、刀を鞘に入れ、自分の前で横に構えた。そして、口の中で音にならない音で呪文を唱えながら刀を回し始めた。刀の軌道が光の筋となり、空中に五芒星を作り出す。目を丸くしている結美の隣で、未希はできた五芒星の真ん中を鞘に入った刀で貫いた。薄い氷が割れるような音と共に、周囲の景色が急速に夕暮れから夜へと変わっていく。完全に変わった後、そこは見覚えのある場所となった。

「あれ? ここ、神社の前の空き地じゃない?」

「……本当だ……。まさか、ここに繋がるとは思わなかった。……あちこち探し回ったのに……」

 何故か息が上がっている未希と話す結美の前には、幻覚の中で見たヌエが横たわっている。恐らく、未希が幻覚を破壊したため、その反動で気絶でもしたのだろう。

「……結美、封じないの?」

「え?」

「……いいよ。……これ、ほとんど結美が倒したものだから……」

「ん……。じゃもらう。ありがとう」

 未希が結美から少し距離を取り、結美は筆ペンと札を取り出しヌエを封じた。封じてから結美は、まだ息の上がっている未希の方を向き、至極真面目な顔をして、

「ところで未希、その刀持ち歩いてて大丈夫なの?」

 と急に聞いた。呼吸を落ち着けて未希は冷静に、

「これは刃がない。傍から見れば玩具(おもちゃ)同然。人を斬るものじゃないからな……」

 と答えた。答えてからあまりに滑稽なやりとりに二人は笑った。


 この後未希は、結美の弁護の為に彼女の家に行かねばならなくなった。


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